江戸城
千代田区 · JP
260年の徳川幕府が君臨した、日本史上最大の総構え巨城の遺構と皇居
東京都千代田区、皇居の敷地となった旧江戸城。1457年に太田道灌が築き、1590年入府の徳川家康が天下普請で改修、外郭周囲約15.7km・面積2082haという日本最大の惣構え城郭となり、徳川15代の将軍家が暮らした政庁の遺構が今も都心に残る。
ベストシーズン・ベストタイム
千鳥ヶ淵の桜と乾門前の参道、約260本のソメイヨシノが堀の水面を覆い尽くす都心屈指の桜名所
★★★★★
皇居東御苑本丸跡の芝生越しに黄葉した銀杏並木、二の丸雑木林の紅葉も静かな見頃
★★★★☆
空気が澄む新年は1月2日の一般参賀があり、桜田門・大手門の石垣の輪郭が冷気に冴える季節
★★★☆☆
二の丸庭園の花菖蒲(約84品種)が満開、雨上がりの石垣と緑が江戸庭園の風情を伝える
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.本丸跡と天守台 — 失われた天下一の天守
1657年明暦の大火で焼失し再建されなかった天守の巨大な石垣台が、皇居東御苑の本丸跡に静かに残る。高さ約11mの花崗岩積みの上に立てば、かつて日本最大の五重天守が江戸の空を圧した跡地に直接立てる感慨深い場所。
本丸跡広場の北側から南向きに天守台を見上げると、石垣の高さと広大な本丸跡の空間が一枚に収まる
2.桜田門 — 幕末動乱の舞台となった重要文化財
1860年(安政7年)、井伊直弼が水戸浪士に襲撃された桜田門外の変の現場。現存する高麗門と渡櫓門の二重構造の枡形門は重要文化財に指定され、内側の桜田濠と石垣の組合せが江戸城門建築の到達点を物語る。
外桜田濠を背に高麗門と渡櫓門の枡形構造が両方収まる位置、堀の水面に石垣が映り込む早朝が最良
3.大手門 — 江戸城の正門と巨大石垣
諸大名や将軍が登城した江戸城の正門。1620年に伊達政宗らが築いた枡形門で、1945年戦災で焼失後1968年に復元。脇に立つ巨大な花崗岩の鏡石は天下普請で諸大名が競って運んだ威信の証で、石垣の隅角部の算木積みも見どころ。
高麗門をくぐった枡形内側から渡櫓門を見返すと、巨大な鏡石と石垣の出隅が同時に画面に入る
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.皇居東御苑は入場無料・予約不要で月金以外開放され、大手門・平川門・北桔橋門の3門から自由に出入できる。閉門(原則16:00)直前の15:30以降は団体客が引け、本丸跡を静かに独占できる穴場の時間帯。
- 2.天守台に登ると北側の北桔橋門越しに北の丸公園と武道館が、南側に皇居宮殿の屋根が見える。今は望楼の代わりに無料でこの絶景を見られる場所が、かつて日本最大の天守が立っていた一等地そのもの。
- 3.皇居外苑の桜田二重橋・伏見櫓・富士見櫓は皇居一般参観(無料・要事前申込)に参加すると間近に見られる。10:00と13:30の2回催行で、外からは見えない宮内庁正面までガイド付きで歩ける貴重な機会。
訪問情報
- アクセス
- 東京メトロ大手町駅C13b出口から大手門まで徒歩約5分、東京駅丸の内北口から徒歩約15分。桜田門は有楽町線桜田門駅直結、平川門は東西線竹橋駅から徒歩約3分。皇居一周ランは約5kmで初心者にも人気のコース。
- 所要時間
- 東御苑(本丸跡+天守台+二の丸庭園)で2時間、桜田門と外苑を含めて半日(4時間)
- 予算目安
- 皇居東御苑・外苑とも入場無料、皇居一般参観も無料(事前申込制)。交通費(東京駅から地下鉄1区間)160円程度、近隣ランチ込みで1人2000-3000円が目安(最新情報は宮内庁公式サイトで確認)。
周辺観光
東京駅丸の内駅舎(重要文化財、徒歩15分)、神田明神(徒歩25分)、靖国神社(北の丸経由徒歩20分)、東京国立近代美術館(竹橋徒歩3分)、日本武道館(北の丸公園内徒歩10分)、三井記念美術館(日本橋徒歩15分)など歴史・美術スポットが半径2kmに集中する。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1457年
太田道灌築城
扇谷上杉氏の家臣・太田道灌が麹町台地東端に平山城を築き、子城・中城・外城の三重構造の江戸城が誕生した。
- 1524年
後北条氏支配
扇谷上杉氏を破った北条氏綱が江戸城を掌握し、後北条氏の関東支配の重要拠点となった。
- 1590年
徳川家康入城
小田原征伐で関八州を与えられた徳川家康が8月朔日に駿府から江戸城に入城。茅葺屋敷100軒ばかりの寂れた地から日本の中心への変貌が始まる。
- 1603年
江戸開府・天下普請開始
家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開府。諸大名を動員する天下普請で江戸城の大規模拡張工事が始まる。
- 1607年
慶長度天守完成
藤堂高虎設計、黒田長政らが天守台を築造し、家康時代の慶長度天守が完成。江戸城の威容が初めて整う。
- 1636年
外郭完成
3代家光の代、真田濠の工事完了により外郭が完成し、惣構え周囲約15.7km・面積2082haの日本最大の城郭が成立。
- 1638年
寛永度天守完成
家光の命で建て直された寛永度天守が完成。外観5重・高さ約58mで日本史上最大の天守となる。
- 1657年
明暦の大火・天守焼失
明暦3年正月の大火で本丸と寛永度天守がともに焼失。保科正之の進言により天守は再建されず以後天守台のみ残る。
- 1701年
松の廊下事件
本丸松の大廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷。これが赤穂浪士討入り(忠臣蔵)の発端となる。
- 1860年
桜田門外の変
安政7年3月3日、桜田門外で大老・井伊直弼が水戸浪士に暗殺される。幕末動乱の決定的事件となった。
- 1868年
江戸無血開城
勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城は新政府に明け渡され、明治天皇の東京遷都に伴い東京城・皇城と改称された。
- 1873年
旧本丸御殿焼失
5月5日の火災で旧本丸御殿を含む江戸時代の主要建造物の多くが焼失。城は明治の宮殿建設へと舵を切る。
- 1888年
明治宮殿完成
西の丸に明治宮殿が完成し、旧江戸城は近代日本の皇居としての姿を整える。
- 1948年
皇居へ改称
宮城から皇居へ正式に改称。江戸城の遺構を含む地区全体が天皇の御所として位置づけられる。
- 1963年
特別史跡指定
旧江戸城跡として国の特別史跡に指定。本丸・二の丸・三の丸跡が皇居東御苑として一般公開されるようになる。
歴史をもっと深く
江戸城の起源は1457年(長禄元年/康正3年)、扇谷上杉氏の家臣・太田道灌が築いた平山城に遡る。子城・中城・外城の三重構造で、本丸に当たる子城には「静勝軒」と称する道灌の居宅が置かれた。1486年に道灌が主君・上杉定正に謀殺された後、城は1524年(大永4年)に北条氏綱の支配下に入る。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅び、関八州を与えられた徳川家康が同年8月朔日に駿府から入城した。1603年(慶長8年)の江戸開府後、家康は諸大名を動員する天下普請で本格的な拡張を開始。慶長11年(1606年)に細川忠興・前田利常・池田輝政・加藤清正ら20余名の外様大名が外郭石垣を、黒田長政が天守台を分担し、慶長12年(1607年)に慶長度天守が完成した。秀忠の代に元和8年(1622年)の元和度天守、家光の代に寛永15年(1638年)の寛永度天守と、3代にわたって天守は建て直された。寛永13年(1636年)に外郭の真田濠まで含む外堀工事が完了し、惣構え周囲約15.7km・面積2082haという日本最大の城郭が完成。しかし1657年(明暦3年)の明暦の大火で本丸・寛永度天守ともに焼失し、保科正之の進言で天守は再建されなかった。1701年(元禄14年)には本丸松の大廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及ぶ事件が発生、忠臣蔵の発端となった。幕末の1860年(安政7年)、桜田門外で大老・井伊直弼が水戸浪士に暗殺される。1868年(明治元年)の大政奉還・無血開城で江戸城は明治天皇の住居となり、東京城・皇城・宮城と改称を経て1948年に皇居となった。1873年(明治6年)の火災で旧本丸御殿を含む江戸時代の建造物の多くが焼失、1888年(明治21年)に西の丸に明治宮殿が建てられた。1945年(昭和20年)の東京大空襲で明治宮殿も焼失、現在の宮殿は1968年(昭和43年)に再建されたもの。1963年(昭和38年)に旧江戸城跡として国の特別史跡に指定された。
文化的背景と意義
江戸城は徳川幕府の政庁として260余年にわたり日本の政治・軍事・経済の中枢を担い、その存在自体が江戸時代という時代区分の象徴となっている。日本国指定特別史跡として最高ランクの文化財指定を受け、現存する桜田門・田安門・清水門は国の重要文化財に指定。別名「千代田城」は所在地の千代田区(旧麹町台地)の地名に由来し、Wikidata でも公式の別称として記録されている。文化的影響は計り知れず、忠臣蔵の発端となった松の廊下事件、桜田門外の変、大政奉還と江戸無血開城など、日本史の決定的瞬間が幾度もこの城で繰り広げられた。司馬遼太郎『街道をゆく』や山岡荘八『徳川家康』、池波正太郎『剣客商売』など無数の歴史小説の舞台となり、大河ドラマでもほぼ毎年なんらかの形で登場する。城跡が現代も国家元首(天皇)の居所として機能している点は世界的にも稀で、政治的連続性の象徴として独自の価値を持つ。皇居東御苑として無料開放されている本丸・二の丸・三の丸跡は、戦国から明治への日本の歩みを都心で歩ける貴重な歴史空間として、年間150万人以上の国内外観光客が訪れる。
建築的詳細
江戸城は連郭式平山城の本丸を中心に、二の丸・三の丸・西の丸・北の丸・吹上・西の丸下を配し、それを内郭(内堀)が囲み、さらに外郭(外堀)で囲む三重の総構え構造を持つ。外郭周囲約15.7km、東西約5.45km、南北約3.82km、総面積約2082ha(2082万㎡)は日本最大で、二位の大阪城の約5倍の広さ。寛永度天守(1638年完成)は外観5重・内部地上5階+地下1階、高さ約58m(天守台含む)で日本史上最大の天守だったが1657年焼失後再建されず、現在は花崗岩切込みハギ積みの天守台(高さ約11m、東西約41m×南北約45m)のみが本丸跡に残る。城門は最盛期に外曲輪を含めて38あり、現在も桜田門・田安門・清水門が重要文化財、大手門・平川門・北桔橋門・乾門などが復元される。石垣は伊豆半島沿岸の火山岩や瀬戸内の花崗岩を諸大名が海路で運び、加藤清正らの肥後石工が高度な切込みハギを実現。隅角部の算木積み、表面を平らに加工した鏡石、巨大な江戸切などは天下普請の威信を示す意匠的特徴。内堀の総延長は約8.5km、深さ最大8mに達し、外堀との二重水堀が日本一の防御線を形成していた。皇居宮殿(1968年再建)は旧西の丸御殿跡に建ち、鉄筋コンクリート造を木造意匠で仕上げた現代和風建築として別個の歴史を歩んでいる。