明治神宮
代々木神園町 · JP
都心に広がる10万本の人工の杜、初詣参拝者数全国1位を誇る首都の鎮守
東京都渋谷区代々木の73ヘクタールに広がる明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祀る1920年創建の神社。全国から献納された10万本の樹木で築かれた人工の森が、初詣参拝者数全国1位の都心の聖域として今も静謐を保つ。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑の常緑広葉樹林と御苑の菖蒲田の若葉、 G.W.明けは混雑が和らぐ穴場時期
★★★★☆
御苑の花菖蒲田で1500株150種の菖蒲が咲き誇る、 明治神宮で最も華やぐ季節
★★★★★
外苑の銀杏並木と内苑の紅葉が同時期に色づき、 11月3日には秋の大祭が執行
★★★★★
初詣で全国1位の300万人超が参拝、 24時間開門で深夜の幻想的な参拝も可能
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.高さ12メートルの大鳥居
南参道に立つ木造の大鳥居は高さ12メートル、柱径1.2メートルの日本最大級。台湾阿里山産の樹齢1500年級の檜を用い1975年に再建されたもので、参道入口から仰ぐ巨大な木組みが鎮守の森への入口を厳かに告げる。
原宿駅側の南参道入口から見上げる構図、午前の順光が美しい
2.流造の本殿と檜皮葺の屋根曲線
伊東忠太の設計による流造の社殿は、1945年の戦災焼失を経て1958年に再建。檜皮葺の優美な屋根曲線と白木造りの簡素な美しさが、近代神社建築の到達点を示す。初詣には三が日で300万人を超える参拝者が集う。
南神門を抜けた境内中央、本殿正面の参拝所からの構図が定番
3.都心とは思えぬ参道の杜
南参道から本殿までの約10分の徒歩は、両側に常緑広葉樹の鎮守の森が広がる別世界。120000本365種の樹木は計画的造林で自然林へ遷移し、原宿駅徒歩1分の喧騒からは想像できない静寂と緑陰が訪れる人を迎える。
玉砂利の参道中央から見通す構図、雨上がりの濡れた緑が深い
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.南参道の酒樽奉納所には全国の酒蔵から奉納された約220本の菰樽が壁状に並び、 反対側にはフランス・ブルゴーニュのワイン樽が積まれた珍しい光景。 参道入口近くの絶好の撮影スポット。
- 2.御苑の入口は南参道途中の隠れた木戸で、 入苑料500円で別世界。 6月の花菖蒲シーズン以外は閑散としており、 明治天皇お手植えの清正井(きよまさのいど)で静かな時間を過ごせる穴場。
- 3.初詣は元日の混雑を避け、 三が日深夜0時-3時に北参道(代々木駅側)から入るのが裏技。 南参道は原宿駅から大行列だが北参道は比較的空いており、 参拝後すぐ代々木駅で帰路につける。
訪問情報
- アクセス
- JR山手線原宿駅徒歩1分の南参道、 JR代々木駅徒歩5分の北参道、 小田急参宮橋駅徒歩5分の西参道の三方からアクセス可能。 東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅直結も便利。
- 所要時間
- 本殿参拝と境内散策で約1時間、 御苑と明治神宮ミュージアムを含めて2-3時間
- 予算目安
- 境内参拝は無料、 御苑入苑料500円、 明治神宮ミュージアム入館料1000円、 飲食物含めて1人2000-3000円が目安
周辺観光
徒歩圏には若者文化の発信地である原宿の竹下通り・表参道、 緑豊かな代々木公園が広がる。 外苑エリアには聖徳記念絵画館・国立競技場・神宮野球場・秩父宮ラグビー場が集まり近代スポーツ文化の中心地。 徒歩15分の渋谷スクランブル交差点では対極的な現代都市風景を体感できる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1640年
井伊家下屋敷となる
江戸時代初期、 鎮座地の南豊島の地が彦根藩主井伊家の下屋敷となる。 それ以前は肥後熊本藩主加藤家の別邸であった
- 1874年
南豊島御料地となる
明治7年、 井伊家から明治政府が買い上げ南豊島御料地となる。 明治天皇と昭憲皇太后が菖蒲園として度々訪れた地
- 1912年
明治天皇崩御
明治45年7月30日に明治天皇崩御。 同年8月、 渋沢栄一・阪谷芳郎ら有志委員会が神宮創設の覚書を公表
- 1915年
創建告示・地鎮祭
大正4年5月1日、 明治神宮創建が告示。 同年10月7日に内苑の地鎮祭が執行され、 伊東忠太設計の社殿造営開始
- 1919年
青年団勤労奉仕始まる
第一次大戦後の好景気で人手不足に陥り、 全国の青年団による勤労奉仕が組織。 1922年末までに延べ10万人超が参加
- 1920年
鎮座祭・創建
大正9年11月1日に鎮座祭が執行。 当日は50万人以上が参拝する空前の盛況で、 神札授与が中止される事態に
- 1926年
外苑奉献式
大正15年10月、 聖徳記念絵画館の竣工を待って外苑の奉献式が執行。 壁画80点は1936年4月に全完成
- 1945年
戦災焼失
昭和20年4月14日未明の空襲で本殿焼失。 御霊代は事前に防空壕(宝庫)へ避難済みで難を逃れる
- 1958年
戦後再建
昭和33年10月、 国民の寄付による再建工事完了。 現在の本殿はこの時のもので戦前の意匠を忠実に踏襲
- 1975年
大鳥居再建
高さ12メートルの南参道大鳥居が、 台湾阿里山産樹齢1500年級の檜を用いて再建。 木造鳥居としては日本最大級
- 2019年
明治神宮ミュージアム開館
令和元年10月、 隈研吾設計の明治神宮ミュージアムが鎮座100年祭を控えて開館。 御祭神ゆかりの御物を展示
- 2020年
鎮座100年祭
令和2年11月1日、 鎮座100年の節目を迎える。 コロナ禍の中、 例祭は規模を縮小して静粛に執行された
歴史をもっと深く
明治神宮は、 1912年7月30日の明治天皇崩御を契機として、 「明治」という時代を記念する施設を東京に建てる国民運動の中で誕生した。 同年8月12日には実業家渋沢栄一と東京市長阪谷芳郎を中心とする有志委員会が組織され、 神宮を内苑(国費による造営)と外苑(国民の献費による奉賛)で構成し、 内苑は代々木御料地、 外苑は青山練兵場を充てる骨子の覚書を公表する。 1913年(大正2年)2月27日に貴族院本会議で東京設立の請願が採択、 1914年1月15日に東京設置決定、 2月15日に代々木御料地が鎮座地として確定した。 1915年(大正4年)5月1日に明治神宮創建が告示され、 同年10月7日に地鎮祭が執行される。 鎮座地の代々木御料地は、 江戸時代初期に肥後熊本藩主加藤家の別邸であり、 1640年(寛永17年)以降は彦根藩主井伊家の下屋敷であった土地で、 1874年(明治7年)に明治政府に買い上げられて南豊島御料地となり、 明治天皇と昭憲皇太后が菖蒲園として度々訪れていた由緒地である。 造営は内務省所管の明治神宮造営局が担当し、 内苑は国費、 外苑は奉賛会が取りまとめた国民の寄付金676万円(当初目標495万円を大幅超過)で整備された。 「国民の神社」の理念のもと、 1919年(大正8年)以降は全国の青年団による勤労奉仕が組織され、 1922年末までに累計10万人を超える青年が造苑に参加。 全国から献納された10万本の樹木が植樹され、 本殿は伊東忠太の設計による流造を基調とし、 主要木材は長野県木曽と当時日本領であった台湾阿里山から運ばれた。 1920年(大正9年)11月1日に鎮座祭が執行され、 当日は50万人以上が参拝する空前の盛況で、 神札授与が中止される事態に。 外苑は1926年(大正15年)10月、 聖徳記念絵画館の竣工を待って奉献式が行われ、 絵画館の壁画80点は1936年(昭和11年)4月にすべて完成した。 1945年(昭和20年)4月14日未明の空襲により本殿が焼失するが、 御霊代は事前に防空壕(宝庫)へ避難済みで難を逃れる。 1958年(昭和33年)10月に国民の寄付による再建工事が完了し、 現在の社殿はこの戦後復興期のものである。 1946年の宗教法人令改正により神社本庁傘下の宗教法人として再出発し、 戦後も初詣・例大祭・流鏑馬・武道奉納を通じて首都の神道文化の発信地として機能している。
文化的背景と意義
明治神宮は、 近代天皇制と国民国家形成期の象徴的記念物として、 近代日本宗教史と都市計画史の双方で第一級の参考資料となる存在である。 「国民の神社」を理念に、 全国からの10万本の樹木献納と10万人を超える青年団勤労奉仕という形で実現した造営は、 近代日本における国民参加型の公共事業の象徴的事例として位置づけられる。 社殿は重要文化財に指定されており、 流造の伝統を引き継ぎつつ大規模化した近代神社建築の到達点として評価される。 外苑に聖徳記念絵画館・国立競技場・神宮野球場・秩父宮ラグビー場といった近代運動文化施設を一体配置する構成は、 神社建築と近代都市計画の接続点となった。 代々木御料地の杜は、 本多静六・本郷高徳・上原敬二らの林学者による「永遠の杜」構想に基づき、 当初の松杉中心から自然林への遷移を計画的に促す科学的造苑として、 近代造林学の里程標としても評価が高い。 一方、 2023年に始動した外苑再開発計画では約3000本の樹木伐採が予定されており、 ICOMOS(国際記念物遺跡会議)が「不可逆的な文化遺産破壊」と警告を発する状況も生じている。
建築的詳細
明治神宮の本殿は、 伊東忠太の設計による流造の大規模社殿で、 屋根は檜皮葺、 主要木材は日本産の檜を用いる。 1945年の戦災で焼失したため現在の社殿は1958年10月の再建だが、 戦前の意匠と仕様を忠実に踏襲している。 境内は内苑と外苑の二部構成で、 内苑は南参道・北参道・西参道の三方から本殿に至る配置を取る。 木造鳥居としては日本最大級の高さ12メートルの大鳥居は、 台湾阿里山産の樹齢1500年級の檜を用い1975年に再建された。 境内全体は本多静六・本郷高徳・上原敬二らが計画した「永遠の杜」で、 植生は当初の松・杉中心から自然遷移によって常緑広葉樹林へと移行することが想定されていた。 今日では120000本・365種の樹木が森を構成し、 都心の生態系の核となっている。 外苑の聖徳記念絵画館は鉄筋コンクリート造のドーム建築で、 明治天皇と昭憲皇太后の生涯を描く80点の大壁画を所蔵する近代壁画美術の宝庫。