サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂

ローマ · IT

教皇のカテドラル、 全カトリック教会の母にして頭たる世界遺産の大バシリカ

ローマ司教の正式な司教座聖堂であり、 サン・ピエトロより古い「すべての教会の母」。 324年に教皇シルウェステル1世が献堂、 ガリレイのファサードとボッロミーニの内陣が並び立つ世界で唯一の Archbasilica として今も静かに君臨する。

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-5月中旬

穏やかな陽気で大聖堂前広場での散策に最適。 イースター前後は典礼が荘厳で訪問の価値が増す。

★★★★★

9月下旬-11月上旬

酷暑が引き観光客もやや少なめ。 11月9日の献堂記念日には全世界カトリックがこの聖堂を祝う。

★★★★★

12月-2月

クリスマス・公現祭の典礼が美しい。 観光客が減るため内陣をゆっくり鑑賞できる。

★★★★☆

6月-8月

ローマは酷暑で観光負荷が高いが、 大聖堂内は涼しく避暑地代わりになる。

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.ガリレイ設計の壮麗なファサード

    1735年に完成したアレッサンドロ・ガリレイ設計の正面ファサードは、 屋上に並ぶ15体の聖人像と中央のキリスト像が空を圧する。 教皇クレメンス12世が公募で選んだ後期バロックの代表作で、 ローマで最も力強い宗教建築の正面の一つとされる。

    大聖堂前広場の対角から見上げる午後の斜光が彫像群を立体的に浮かび上がらせる。

  • 2.ボッロミーニが甦らせた身廊と教皇の司教座

    17世紀にフランチェスコ・ボッロミーニが教皇インノケンティウス10世の命で全面改修した身廊は、 巨大な柱間に十二使徒像を配する。 中央祭壇の奥には教皇のカテドラが置かれ、 世界カトリック教会の中心であることを示す。

    入口から中央通路を真っ直ぐ歩み、 主祭壇前から天井を仰ぐと天蓋の透かし細工が美しい。

  • 3.膝で登る聖なる階段スカラ・サンタ

    イエスが裁判の日にピラトの宮殿で踏んだとされる28段の大理石階段。 326年に聖ヘレナがエルサレムから運んだと伝わる。 巡礼者は今も膝で一段ずつ登り、 階段上のサンクタ・サンクトルムは中世教皇の私的礼拝堂であった。

    大聖堂北側の独立した建物に入る。 膝で登る巡礼者がいる時は撮影を控え雰囲気を尊重したい。

物語・伝説

古代ローマのラテラヌス家の邸宅は反ネロ陰謀の咎で没収され、 やがてコンスタンティヌス帝の妃ファウスタの館となった。 その邸宅をキリスト教徒に下賜したのはコンスタンティヌスその人で、 313年頃のことだ。 324年、 教皇シルウェステル1世がここを「救世主に捧げる聖堂」として正式に献堂した瞬間、 ローマに最初の公式キリスト教大聖堂が誕生した。 アヴィニョン捕囚で荒れ、 二度の火災に遭い、 シクストゥス5世とインノケンティウス10世が再生させ、 1929年にはここでラテラノ条約が結ばれた。 1700年、 ここは教皇の正式な座であり続けている。

こんな人におすすめ

カトリックの源流とローマ教皇制の本質に触れたい歴史巡礼者、 バロック建築とボッロミーニ・ガリレイの傑作を比較したい建築愛好家、 サン・ピエトロだけでは見えないバチカン外の教皇権を学びたい知的旅行者にこそ訪れてほしい。

現地で知るべき豆知識

  • 1.サン・ピエトロより訪問者がぐっと少なく、 行列なしで入れることが多い。 ローマで最も静かに教皇の司教座と直接対面できる絶好の穴場として、 静寂を味わいたい巡礼者には特に勧めたい場所である。
  • 2.聖なる階段は隣接する別棟にあり、 大聖堂とは入口が異なるため見逃しがち。 膝で登るのが正規の作法だが、 横の通常階段を使って上の礼拝堂サンクタ・サンクトルムだけを見学することも可能である。
  • 3.正面広場のラテラノ・オベリスクはエジプトのトトメス3世がカルナックに建てた紀元前15世紀の本物で、 ローマに現存する最古最大のオベリスクである。 必ず立ち寄りたい。

訪問情報

アクセス
ローマ地下鉄A線サン・ジョバンニ駅から徒歩約3分。 テルミニ駅からはバス16番で約15分、 タクシーで約10分。 コロッセオから徒歩でも約20分の距離で観光動線に組み込みやすい。
所要時間
大聖堂と聖なる階段で約1.5-2時間、 洗礼堂も含めれば2.5時間
予算目安
大聖堂と洗礼堂は無料、 回廊と博物館は5ユーロ程度。 聖なる階段の見学も無料で、 地下鉄と昼食を含めて一人20-30ユーロ程度を見込む。

周辺観光

正面広場のラテラノ・オベリスク(紀元前15世紀トトメス3世製作、 ローマ最古最大)、 隣接する洗礼堂とラテラノ宮殿博物館、 徒歩約20分でコロッセオとフォロ・ロマーノ、 地下鉄1駅でローマ・テルミニ駅とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1世紀

    ラテラヌス家邸宅没収

    プラウティウス・ラテラヌスがネロ帝への陰謀の咎で処刑され、 一族の邸宅と財産が皇帝に没収された。

  2. 313年頃

    キリスト教徒への譲渡

    コンスタンティヌス帝が邸宅をキリスト教徒に譲渡し、 教皇ミルティアデスの時代からローマ司教の居所となった。

  3. 324年

    正式な献堂

    教皇シルウェステル1世が「救世主大聖堂」として正式に献堂、 ローマ司教座聖堂として全カトリック世界の母教会が誕生した。

  4. 326年

    聖なる階段移設

    コンスタンティヌス帝の母聖ヘレナがエルサレムからピラト宮殿の階段を運び、 後の聖なる階段スカラ・サンタとなった。

  5. 10世紀

    洗礼者ヨハネへの再奉献

    教皇セルギウス3世が新築の洗礼堂を記念して、 聖堂を洗礼者ヨハネに再奉献した。

  6. 12世紀

    福音記者ヨハネへの奉献

    教皇ルキウス2世が聖堂と宮殿を福音記者ヨハネにも奉献し、 二人のヨハネを冠する現在の名となった。

  7. 1307年

    第一次大火災

    アヴィニョン捕囚で教皇庁が不在の間に大火災が発生、 大聖堂と隣接宮殿が甚大な被害を受けた。

  8. 1361年

    第二次大火災

    再び大火災が起き、 大聖堂は廃墟同然となった。 アヴィニョン側からの送金はわずかで本格修復は数百年遅れた。

  9. 1586年頃

    シクストゥス5世による再生

    教皇シクストゥス5世が建築家ドメニコ・フォンターナに大改修を命じ、 ラテラノ宮殿が大聖堂から分離された。

  10. 1620年11月15日

    ペトロ岐部の司祭叙階

    アジアから中東を経てローマへ到達した日本人イエズス会士ペトロ岐部が、 この聖堂で念願の司祭叙階を受けた。

  11. 1646-1649年

    ボッロミーニによる内陣改修

    教皇インノケンティウス10世の命でフランチェスコ・ボッロミーニが身廊の大規模刷新を行い、 現在の壮麗な内陣が完成した。

  12. 1735年

    ガリレイのファサード完成

    教皇クレメンス12世の公募で採用されたアレッサンドロ・ガリレイの設計に基づき、 現在の後期バロック・ファサードが完成した。

  13. 1929年2月11日

    ラテラノ条約締結

    教皇ピウス11世全権ガスパッリ枢機卿とイタリア首相ムッソリーニがこの聖堂で条約を結び、 バチカン市国独立が確定した。

  14. 1980年

    世界遺産登録

    ローマ歴史地区、 教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録された。

歴史をもっと深く

古代ローマ帝国期、 この地にはラテラヌス家(gens Laterani)の豪邸が建っていた。 セクスティウス・ラテラヌスは平民出身初のコンスル(執政官)であり、 一族は代々皇帝に仕えた。 しかし執政官指名者プラウティウス・ラテラヌスがネロ帝への陰謀の咎で処刑され、 邸宅は没収された。 4世紀初頭、 コンスタンティヌス帝はマクセンティウス帝の妹ファウスタを妃に迎えた際この邸宅を手に入れ、 「ドムス・ファウスタ」と呼ばれた。 その後コンスタンティヌスはキリスト教徒にこの邸宅を譲渡し、 教皇ミルティアデスの時代(313年頃)からローマ司教の居所となった。 324年、 教皇シルウェステル1世がここを「救世主大聖堂」として正式に献堂し、 ローマ司教座聖堂すなわち全カトリック世界の母教会が誕生した。 10世紀には教皇セルギウス3世が新築した洗礼堂を機に聖堂を洗礼者ヨハネに再奉献、 12世紀には教皇ルキウス2世がさらに福音記者ヨハネにも奉献し、 二人のヨハネを冠する現在の名となった。 14世紀のアヴィニョン捕囚で大聖堂と隣のラテラノ宮殿は荒廃し、 1307年と1361年の二度の大火災で甚大な被害を受けた。 16世紀、 教皇シクストゥス5世が建築家ドメニコ・フォンターナに大改修を命じ、 ラテラノ宮殿は大聖堂から切り離された。 17世紀には教皇インノケンティウス10世がフランチェスコ・ボッロミーニに内部装飾の大規模刷新を委ね、 身廊の柱間に巨大な聖人像が並ぶ現在の姿が整った。 18世紀、 教皇クレメンス12世はファサード設計を公募し、 アレッサンドロ・ガリレイの案が採用され1735年に現在のファサードが完成した。 1929年2月11日、 教皇ピウス11世全権ガスパッリ枢機卿とイタリア首相ムッソリーニがこの聖堂でラテラノ条約を締結、 バチカン市国独立とイタリアとの関係正常化が確定した。 1980年、 ローマ歴史地区の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録された。

文化的背景と意義

ラテラノ大聖堂はバチカン市国の外にありながら、 ローマ司教としての教皇の正式な司教座聖堂(カテドラル)である。 つまりサン・ピエトロ大聖堂は教皇の私的礼拝堂であり、 真の意味での教皇のカテドラルはこのラテラノなのだ。 「全カトリック教会の母にして頭(omnium urbis et orbis ecclesiarum mater et caput)」という称号がファサードに刻まれ、 世界に約13億人いるカトリック信徒すべての精神的本山として位置づけられる。 ローマ四大バシリカの筆頭で、 世界で唯一「Archbasilica(大バシリカ)」を称する。 第一回から第五回までのラテラン公会議が開かれた場所として、 中世教義形成史にも決定的な役割を果たした。 1980年に「ローマ歴史地区、 教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の構成資産として世界遺産に登録され、 また敷地全体がラテラノ条約による治外法権を享受する特殊な国際法的地位を持つ。

建築的詳細

現在の聖堂はラテン十字形プランで、 中央身廊+左右二列ずつ計四列の側廊を持つ五廊式の伝統的バシリカ形式である。 1735年完成のファサードはアレッサンドロ・ガリレイ設計の後期バロックで、 屋上の欄干に並ぶ計15体の彫像(中央キリスト像と洗礼者ヨハネ、 福音記者ヨハネ、 教会博士たち)が空を圧する。 中央二階部分には祝福を与えるための教皇用ロッジア(露台)がある。 内部は17世紀にボッロミーニが手がけた身廊が圧巻で、 巨大なピラスター柱の間に十二使徒像のニッチを配し、 壁面の装飾と床のコズマーティ式モザイクが調和する。 主祭壇は教皇専用で、 上部のゴシック様式の天蓋(チボリオ)には聖ペテロと聖パウロの頭部とされる聖遺物が安置される。 後陣のモザイクは13世紀のもので、 中央に「救世主の顔」のメダリオンが輝く。 隣接する八角形の洗礼堂はコンスタンティヌス帝が洗礼を受けたと伝わる場所に建てられ、 後世のすべての洗礼堂建築の原型となった。

外部リンク

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