サン=テチエンヌ大聖堂
ブールジュ · FR
ロワール以南で最初に建ったハイゴシック、 5ポルタイユの大伽藍
フランス中部ベリー地方の古都ブールジュに立つサン=テチエンヌ大聖堂は、 12世紀末から13世紀末にかけて建造された司教座聖堂。 翼廊を欠いた五廊式の統一空間と13世紀の彩色ステンドグラス群が特筆され、 1992年にユネスコ世界文化遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑と穏やかな気候、 復活祭ミサで荘厳な聖堂内の儀式を体感可能
★★★★★
「ブールジュの夜」ライトアップ(6月中旬-9月中旬)で外壁に映像演出が投影される
★★★★★
観光客が落ち着き、 ステンドグラスを静かに堪能できる絶好期、 気候も快適
★★★★☆
クリスマス・降誕祭時期は荘厳な雰囲気、 ただし日照短く堂内は暗め寒さ覚悟
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.5ポルタイユの西ファサード
高さ40メートルを超える西正面は5つのポルタイユ(正面入口)が5廊と直接つながる構成で、 フランス・ゴシック建築の中でも最大級の規模を誇る。 中央扉の真上に「最後の審判」のティンパヌム彫刻が大きく展開し、 ハイゴシック建築の威厳を伝える。
西広場から正面ショット、 午前の順光時間帯がベスト
2.中央扉の「最後の審判」ティンパヌム
西正面中央ポルタイユの上部ティンパヌムは、 ゴシック彫刻の傑作とされる「最後の審判」を巨大に描き出す。 救済される魂と地獄に堕ちる罪人が対比的に配置され、 13世紀の信仰世界を石に刻んだ群像表現は今も観る者を圧倒する。
中央扉前から見上げ構図、 望遠で人物彫刻のディテールを切る
3.13世紀の彩色ステンドグラス
内陣周歩廊を彩る13世紀のステンドグラスは、 シャルトルやサント=シャペルと並ぶフランス・ゴシック・ステンドグラスの至宝。 旧約・新約の物語を青と赤の深い色調で語り、 16世紀には地元の芸術家ジャン・ルキュイエが新たな窓を加えた。
午後の西日が射し込む時間帯、 三脚で長秒露光
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.夏季の「ブールジュの夜(Les Nuits Lumière)」では大聖堂西正面に幻想的なプロジェクション・マッピングが投影される。 夜21時頃から数十分の無料イベントで、 観光案内所で経路マップが配布される穴場体験
- 2.南塔(タワー登壇)は約400段の階段で頂上まで上れ、 ブールジュ旧市街とフランス中央部の田園風景を一望できる。 入場は別料金で、 北塔(バターの塔)とは登れる時期と料金が異なる
- 3.大聖堂前広場の旧大司教館(現観光案内所)に隠れた庭園があり、 大聖堂の南側ファサードと飛梁を間近に観察できる。 観光客の少ない裏動線で、 建築ディテール撮影には最適
訪問情報
- アクセス
- ブールジュ駅からは徒歩約15分。 パリ・オステルリッツ駅から特急INTERCITESで約2時間。 車ではA71高速道路ブールジュ出口から市街中心へ約10分。
- 所要時間
- 聖堂内とステンドグラス見学で1.5-2時間、 タワー登壇含めて半日が目安。
- 予算目安
- 聖堂入場は無料、 タワーおよびクリプト見学は約8ユーロ(2024年時点)。 ブールジュ市内昼食15-25ユーロ。
周辺観光
徒歩5分のジャック・クールの館(15世紀ゴシック・フランボワイヤン様式邸宅の傑作)は必見。 旧市街の木骨造家屋群と聖ボネ教会も徒歩圏。 車30分でメオン・スル・イエーヴル城、 1時間でロワール渓谷の城めぐりに接続可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 300年頃
古代の起源
聖ユルサンがアワリクム(現ブールジュ)にキリスト教を伝え、 ガリア最初期のキリスト教共同体が成立
- 1013-1030年
ロマネスク聖堂
ゴズラン司教の下、 現大聖堂の前身となる11世紀のロマネスク様式聖堂が建設
- 1195年
ゴシック大聖堂の起工
大司教アンリ・ド・シュリがロマネスク聖堂の全面建替を発動、 シャルトル大聖堂とほぼ同時期に建設開始
- 1214年
建物の半分が完成
東端から建設が進み、 内陣を含む東半分が完成。 旧聖堂は西半分が暫定的に礼拝に使われ続けた
- 1230年
身廊と西正面の完成
第二期工事により五廊式身廊と5ポルタイユの西ファサードが完成、 主要建設が一旦完了
- 1324年5月13日
聖別式
大聖堂の正式な聖別式が執行される。 ただし北塔は未完成のままだった
- 1424年
天文時計の設置
技術的偉業として知られるブールジュの天文時計が設置され、 何度も修理されつつ今も稼働
- 1506年12月31日
北塔の崩壊
長年問題を抱えていた北塔が大晦日に基礎ごと崩壊、 大規模な再建事業の引き金となる
- 1508-1524年
バターの塔の再建
四旬節の断食免除の引換えに集めた寄進で北塔がルネサンス様式を取り入れて再建、 異称「バターの塔」の由来
- 1562年
ユグノー戦争の被害
ブールジュがユグノーの手に落ち、 内陣と西ファサードの彫刻群が大いに破壊された
- 19世紀初頭
大修復工事
屋根周囲の補強と小尖塔の増設が行われたが、 オリジナルの簡素な外観が損なわれる結果となった
- 1992年
世界遺産登録
ユネスコ世界文化遺産に「ブールジュ大聖堂」(登録ID 635)として登録、 基準(1)(4)を満たすと認定
歴史をもっと深く
ブールジュ大聖堂の建設は1195年(中世フランス・カペー朝期)、 大司教アンリ・ド・シュリが現在地の11世紀ロマネスク聖堂を全面建替える計画を発動したことに始まる。 当地は古代ローマのガリア属州都アワリクムであり、 3世紀の聖ユルサンに始まる古代キリスト教共同体の中心だった。 1195年以降の建設はノートルダム・ド・パリに触発された設計で、 ロワール川以南で最初のゴシック建築物として王権と教権の威厳を示す国家事業となった。 1199年にシュリ大司教が没し、 元シトー会修道院長のギヨーム・ド・ダンジョン大司教が継承して建築発展と図像計画決定に重要な役割を果たした。 1209年のダンジョン没後、 信者と巡礼者から寄進が殺到。 1214年に建物の半分が完成、 10年の中断を経て1225年に第二期工事が始まり1230年に身廊と西正面が完成した。 翼廊を欠いた五廊式バシリカ平面という設計の単純さと統一性は最初の工匠(名前は伝わらない)の構想で、 後継建築家たちもこれを尊重した。 1313年に南塔へ補強支柱を入れたが、 鐘の重みに耐えられないことが分かり鐘は設置されなかった。 1324年5月13日に聖別式が行われたが北塔は未完成のまま、 15世紀末にようやく完成した北塔は1506年に崩壊した。 再建のため大司教ギヨーム・ド・カンブレが四旬節の断食を免除する代償として寄進を集め、 これにより「バターの塔(Tour de Beurre)」の異称が生まれた。 塔は1508-1524年にかけて再建され、 ルネサンス様式を取り入れつつゴシック様式と調和する独特の意匠となった。 1562年のユグノー戦争では内陣とファサードの彫刻が大きく傷つけられた。 19世紀初頭の大修復工事では屋根周囲が補強され、 装飾性の強い小尖塔が屋根や控壁の上に増設されたが、 これらはオリジナルの簡素な外観を損なう結果となった。 1992年にユネスコ世界文化遺産として「ブールジュ大聖堂」の名で登録され(登録ID 635)、 登録基準(1)「人類の創造的才能を表現する傑作」と基準(4)「人類史上重要な建築様式の優れた例」を満たす建造物として国際的に認められた。
文化的背景と意義
ブールジュ大聖堂はフランス・ゴシックのハイゴシック(古典ゴシック)期を代表する傑作で、 シャルトル大聖堂とほぼ同時期に建造されながら異なる設計コンセプトを持つ重要な対照例である。 シャルトルでは側廊が身廊と同高だが、 ブールジュでは外側から内側へ階段状に高さを増す独特の断面構成が採られ、 劇的な空間体験を生み出した。 翼廊を欠く五廊式バシリカ平面は他のフランス・ゴシック大聖堂と一線を画し、 ル・マンのサン=ジュリヤン大聖堂、 クータンス大聖堂、 スペインのトレド大聖堂などに影響を及ぼした。 1992年のユネスコ世界文化遺産登録は、 シャルトル(1979年)・アミアン(1981年)・ランス(1991年)に続くフランス・ゴシック大聖堂群の系譜に位置づけられ評価された。 西ファサードの「最後の審判」ティンパヌムは、 救済と断罪のドラマを群像表現で展開した中世ゴシック彫刻の傑作である。 13世紀のステンドグラス群はシャルトルと並ぶ青と赤の深い色調を保持し、 中世美術の色彩神学の到達点を示す。 古都ブールジュは中世にはフランス王領南端の戦略拠点で、 大聖堂はアキテーヌ大司教座の権威を象徴した。
建築的詳細
ブールジュ大聖堂は全長118メートル・幅41メートル・高さ37.15メートルの巨大スケールを持つ五廊式バシリカで、 翼廊を欠くことが最大の特徴である。 平面は13ベイの長身廊と半円形内陣端部、 二重周歩廊からなり、 ノートルダム・ド・パリに類似するがより劇的なプロポーションを実現した。 内部空間の特徴は側廊の段階的な高さ構成で、 外側から内側へ階段状に高さを増し、 上層窓からの光が深く射し込む構造を生んだ。 身廊の幅は15.25メートル、 高さは24.40メートル、 幅対高さ比は約1対1.6で、 ハイゴシック特有の垂直性を示す。 12メートル間隔の全空間は支柱交替で6分割のノルマン式リヴ・ヴォールトを各2ベイずつに区分する独特の支配リズムを持つ。 西正面は高さ40メートル超で5つのポルタイユが5廊と直接接続し、 中央には「最後の審判」ティンパヌムが配される。 南塔は1313年に補強支柱が入れられたが鐘を載せられず無音、 北塔は1506年崩壊後1508-1524年に再建されたため「バターの塔」と呼ばれる。 飛梁は二期工事以降に高さを拡大し、 窓のガラス面積を増やせるようモチーフが変更された。