ストラスブール大聖堂
ストラスブール · FR
ヴォージュ砂岩のピンクが空へ伸びる、142mの単塔ゴシック大聖堂
フランス・アルザスのストラスブール旧市街中心に立つ世界遺産。1647年から227年間「世界一の高層建築」だった非対称の尖塔と、 ヴィクトル・ユーゴーが「巨大で繊細な驚異」と評した西ファサードを誇る、 ライン川沿いの宗教遺産。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑とピンク砂岩のコントラストが映え、 観光客もまだ少なめで撮影しやすい
★★★★★
欧州最古級のクリスマスマーケットが大聖堂前に立ち、 夜は塔のライトアップとの相乗効果
★★★★★
毎晩開催のサウンド&ライトショーで西ファサードが極彩色に染まる夏の風物詩
★★★★☆
アルザスの黄葉と相まり旧市街が黄金色に、 観光繁忙期を外したい人向け
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.ピンクの西ファサードと数千の彫像
ヴォージュ砂岩の独特な薔薇色を呈する西正面は、 数千の彫像・尖塔・透かし彫りで埋め尽くされた高ゴシックの傑作。 設計図を用いた初期建築の一例で、 八角形を回転させた幾何学構造が指摘されている。
大聖堂広場北東から午後の斜光、 28mm広角で全高を入れる
2.142mの非対称単塔
1439年完成の北側八角尖塔。 当初は対称二塔の計画だったが資金尽きで単塔となり、 1647年から1874年まで世界最高の建築物だった。 ヴォージュ山脈や対岸の黒森からも視認できる。
対岸プチ・フランス側のイル川越しから引きで
3.天文時計と天使の柱の彫刻群
南翼廊に立つ18mの天文時計は16世紀製で19世紀に再建、 正午過ぎの自動人形パレードが名物。 隣の「天使の柱」は13世紀シャルトル派彫刻の傑作で最後の審判を縦に表現する。
南翼廊内部、 12時15分の人形作動時に三脚低ISOで
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.天文時計の自動人形パレードは毎日12時30分頃に作動するが、 観覧入場には数ユーロの整理券が必要で当日 11時頃から南翼廊入口で先着順配布される。 早めに並ぶのが鉄則。
- 2.塔頂展望台 (66m地点) は内部の階段で登る別料金エリア。 開門直後または閉場1時間前が空いており、 アルザス平原・黒森・ヴォージュ山脈が一望できる絶景ポイント。
- 3.本物の中世彫刻のほとんどは隣接するルーヴル・ノートルダム美術館に保管されており、 ファサードに見えるのはレプリカ。 オリジナルを鑑賞したいなら美術館との合わせ訪問が必須。
訪問情報
- アクセス
- ストラスブール中央駅から徒歩約15分、 トラムA・D線「Langstross/Grand Rue」下車徒歩5分。 旧市街は歩行者天国で車両進入不可。
- 所要時間
- 内部見学と天文時計で1.5時間、 塔登頂を含めて2.5時間
- 予算目安
- 本堂入場無料、 塔展望台5ユーロ前後、 天文時計4ユーロ前後、 周辺カフェ込みで一人約30ユーロ目安 (具体額は公式サイトで確認)
周辺観光
プチ・フランス (中世皮なめし職人街区の運河景観)、 ロアン宮殿 (考古博物館・美術館を併設)、 ルーヴル・ノートルダム美術館 (大聖堂のオリジナル彫刻群を所蔵)、 トラム1本でアルザス・モーゼル記念館へ。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1015年
ロマネスク大聖堂着工
司教ヴェルナー1世がカロリング朝バシリカの廃墟に礎石を置き、 現大聖堂の前身となるロマネスク様式の建築を開始した
- 1176年
身廊大火災
ロマネスク大聖堂の身廊木造屋根が炎上、 司教ハインリヒが新規再建を決断しゴシック様式への布石となった
- 1225年
ゴシックへの方針転換
シャルトルから設計チームが招かれ、 既に着工していた建設計画を高ゴシック様式へと大幅変更した
- 1277年
スタインバック家の主導
エルヴィン・フォン・スタインバックが主任建築家に就任、 西ファサードの設計と彫刻装飾を統括して以後一族3代が事業を継承
- 1439年
142m単塔完成
ヨハネス・ヒュルツが八角尖塔を完成、 計画されていた南塔は建設されず非対称の姿となり大聖堂の主要構造が完成した
- 1524年
プロテスタント化
宗教改革の中でストラスブール市議会が決議、 大聖堂はプロテスタントの礼拝堂となり彫像の一部が撤去された
- 1539年
欧州初のクリスマスツリー
文献上欧州最古となるクリスマスツリーがこの大聖堂に飾られ、 現在のクリスマスマーケット文化の起点となった
- 1647年
世界一の建築物に
シュトラールズントのマリエン教会尖塔焼失により世界最高の建築物となり、 以後227年間その地位を保ち続けた
- 1681年
フランス併合とカトリック復帰
ルイ14世がストラスブールを併合、 大聖堂はカトリックに返還され対抗宗教改革様式の内装改修が進められた
- 1794年
尖塔破壊計画を回避
革命派アンラジェが平等主義の名で尖塔解体を計画したが、 市民が頂に巨大なフリジア帽を被せて破壊を阻止した
- 1874年
世界一の座を譲る
ハンブルク聖ニコライ教会の尖塔完成により世界一の座を譲るも、 中世建築としては現在も世界最高の地位を維持する
- 1944年
空襲被害
8月11日の英米軍によるストラスブール中心部空襲で大聖堂は損傷、 戦後1990年代初頭まで修復作業が続いた
- 1988年
世界遺産登録
旧市街「グラン・ディル」全体とともにユネスコ世界文化遺産に登録、 ゴシック建築の傑作として国際評価が確定した
歴史をもっと深く
ストラスブール大聖堂の前身は7世紀後半、 司教聖アルボガストが現在地に小聖堂を建てたことに始まる。 778年頃、 カロリング朝の司教レミは祭壇を聖別し地下霊廟を整備、 842年にはここで仏王シャルル2世と東フランク王ルートヴィヒ2世による「ストラスブールの誓い」が交わされた。 1002年に内戦の戦火で焼失したが、 1015年に司教ヴェルナー1世が新たな礎石を置きロマネスク様式での再建を開始する。 1176年に身廊の木造屋根が再び炎上すると、 司教ハインリヒ・フォン・ハーゼンブルクはバーゼル大聖堂を凌ぐ規模を志した。 1225年にシャルトル派の設計チームが招かれ、 既に着工していたロマネスクの構造を維持しつつゴシック様式へと方針転換、 1253年からは贖宥状発行による資金で建築家と石工を確保した。 1277年に主任建築家となったエルヴィン・フォン・スタインバックは西ファサードの設計と彫刻装飾を主導し、 1318年の没後も息子ヨハネス、 孫ゲルラッハへと一族が事業を継承する。 14世紀後半にはウルリッヒ・エンシンガーが北塔の方形柱体を、 1419年から1439年にかけてヨハネス・ヒュルツが八角尖塔を完成させ、 当初計画の南塔は資金難で建設されず非対称の独特な姿となった。 1524年市議会の決議で大聖堂はプロテスタントに渡り、 1681年にルイ14世がストラスブールを併合するとカトリックへ復し対抗宗教改革様式の内装改修が進められた。 1794年革命期にはアンラジェが平等主義の名で尖塔解体を計画したが、 市民が頂上にフリジア帽を被せて破壊を免れる。 1870年プロイセン軍の砲撃と1944年8月11日の英米空襲で損傷を受けたが、 1990年代初頭までに修復が完了、 1988年にはストラスブール旧市街「グラン・ディル」全体とともにユネスコ世界遺産に登録された。
文化的背景と意義
ストラスブール大聖堂は1988年、 旧市街「グラン・ディル」と一括して世界遺産登録された、 アルザス地方を象徴する宗教建築である。 ドイツ語圏ではリープフラウエンミュンスター、 フランス語圏ではカテドラル・ノートルダムと呼ばれ、 一つの大聖堂が二つの文化的アイデンティティを宿す独特な存在となっている。 ヴィクトル・ユーゴーは「巨大で繊細な驚異」と評し、 ゲーテは『ドイツ建築論』で「神の枝広がる崇高な木」と讃え、 ゴシック建築観そのものを18世紀末に再評価させた象徴的建造物である。 1539年、 文献に残る欧州最古のクリスマスツリーがここで設えられ、 現在も大聖堂前広場のクリスマスマーケットは欧州最古級として知られる。 第二次世界大戦中はド・ゴール派将軍ルクレールが「ストラスブール大聖堂の上に再び我々の国旗を翻すまで武器を置かない」と「クフラの誓い」を立て、 フランス国民にとって失地回復の精神的シンボルとなった。
建築的詳細
全長112m、 中央身廊の内部高さ32m、 西ファサード幅51.5m、 そして単塔の頂は142mに達する。 建材はヴォージュ山脈産のピンク色砂岩で、 これがこの大聖堂のピンク色の外観を生み出している。 ロマネスクの基礎の上にレヨナン式 (放射状) ゴシックが乗る複層構造で、 東側の内陣と南側ポータルにロマネスクの厚壁が、 西ファサードと身廊上部に高ゴシックの透かし彫りが共存する。 西ファサード上部に直径13.6mのバラ窓が嵌まり、 三層構成の彫刻群はそれぞれ最後の審判、 旧約・新約の物語、 諸聖人を表現する。 北塔は方形柱体部 (1399-1419年エンシンガー作) と八角尖塔部 (1419-1439年ヒュルツ作) の二段構成で、 当時として最先端の事前設計図を用い、 石が継ぎ目を見せず一塊のように見える精緻な切石積みが特徴。 内部のステンドグラスは12世紀後半から20世紀までの各時代の作が混在し、 「皇帝の窓」「ストラスブールの聖母」など特に名高い。