UNESCO 1994

バグラティ大聖堂

クタイシ · GE

世界遺産から外された大聖堂、 ジョージア中世建築の象徴がクタイシの丘に蘇る

ジョージア西部の古都クタイシ、 ウキメリオニの丘に立つバグラティ大聖堂は、 1003年にバグラト3世が献堂した中世ジョージア建築の傑作で、 1994年に世界遺産登録、 しかし2010-2012年の論争的な再建により2017年に登録抹消された稀有な事例である。

世界遺産 1994

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

新緑とクタイシ盆地の温和な気候、 観光繁忙期前で内部も静かに見学可能

★★★★★

6月-8月

長い日照と20度台後半の気候、 大聖堂前の見晴らしから西ジョージア平原を一望

★★★★☆

10月-11月初旬

黄葉とコーカサス山脈の遠景、 オフシーズンで石造建築と紅葉のコントラストが撮影好機

★★★★★

12月-2月

雪化粧した大聖堂と人影のないウキメリオニの丘、 静寂のなかでの巡礼体験が可能

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.ウキメリオニの丘に再建された大聖堂

    1003年献堂の三廊式十字形プランの上に、 2010-2012年の再建で円蓋と屋根が再生された。 11世紀の石材と21世紀のガラス・コンクリートが同居する独特の外観は、 世界遺産除外の理由でありつつジョージア独自の判断を象徴する。

    丘の麓のクタイシ旧市街側から大聖堂全景を上向きアングルで

  • 2.再建されたドームと内部空間

    1692年のオスマン軍砲撃で崩落したドームは、 2012年に石とコンクリートで復元された。 内部は十字交差ヴォールトと再建ドームが融合し、 ジョージア正教の礼拝空間として2001年に復帰、 限定的ながら奉神礼が再開されている。

    南西側からドラム部と円蓋のシルエットを夕景で

  • 3.独立鐘楼と隣接する王宮遺構

    大聖堂の南東に立つ独立した鐘楼と、 隣接するイメレティ王国時代の王宮遺構が並ぶ。 これらは再建論争の対象外で、 11世紀以来のオリジナル建材を保つ稀少な遺構として、 失われた真正性を補う考古資料的価値を持つ。

    鐘楼の足下から見上げ、 背景に大聖堂のドームを入れて2構造物を一枚に

物語・伝説

ジョージア統一王国初代王バグラト3世が1003年、 ウキメリオニの丘に大聖堂を献堂した。 北壁に残る碑文「クロニコン223」がその年を証言する。 1692年、 イメレティ王国に侵攻したオスマン軍の砲撃で大ドームと天井が崩落、 廃墟と化したまま約260年を過ごす。 1952年に保存修復が始まり、 2001年に正教会へ復帰、 2010-2012年の再建で姿を取り戻したが、 ICOMOSとUNESCOは「再建を超えた新築」と批判、 2017年に世界遺産リストから抹消された。 失われた真正性と取り戻された姿のあいだで、 ジョージアのアイデンティティを問い続ける。

こんな人におすすめ

ジョージア正教と中世コーカサス建築の歴史に魅かれる歴史マニア、 世界遺産抹消という稀な事例を現地で考察したい遺産研究者、 真正性と再建の境界を問う建築倫理に関心のある巡礼者、 トビリシから西ジョージア観光と組み合わせたい旅行者にお薦め。

現地で知るべき豆知識

  • 1.クタイシ国際空港から市内まで車で約20分、 ロー・コスト・キャリアでヨーロッパ各都市から直行便があり、 トビリシ経由より格段に安く入れる穴場ルート、 ワルシャワ・ベルリン・ミラノ等から週数便で結ばれる
  • 2.大聖堂と同時に1994年に世界遺産登録されたゲラティ修道院は車で約15分、 こちらは抹消されず単独登録を維持しているので、 抹消後と維持中の対比を半日で体感できる一筆書きルートが圧倒的にお薦め
  • 3.11月-3月は内部の暖房がなく石造建築の冷気が厳しいので、 重ね着とインナーダウンが必須、 礼拝時間と重なれば奉神礼の聖歌(ジョージア正教独特の三声体ポリフォニー)を聞ける可能性がある

訪問情報

アクセス
トビリシから車またはマルシュルートカで西へ約3時間30分、 クタイシ国際空港から市内まで約20分、 旧市街から大聖堂の丘まで徒歩約20分または車5分。
所要時間
大聖堂内外で1時間、 鐘楼と王宮遺構を含めて1時間30分が目安。
予算目安
大聖堂入場無料(寄付歓迎)、 ゲラティ修道院との組合せ移動でタクシー往復30-50ラリ。 (2024年時点)

周辺観光

車で約15分の世界遺産ゲラティ修道院は12世紀ダヴィド4世建立で大聖堂の対照例として必見、 徒歩で旧市街中心まで20分のジョージア国立植物園、 車30分のサタプリア自然保護区(恐竜足跡化石)も組合せ可能。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1003年

    大聖堂献堂

    ジョージア統一王国初代王バグラト3世がウキメリオニの丘に大聖堂を献堂、 北壁の碑文がこの年を証言する

  2. 1027年

    ゲオルギオス1世埋葬

    ジョージア王ゲオルギオス1世がここに葬られ、 大聖堂は王家の精神的中心としての地位を確立する

  3. 1466年

    イメレティ王国の中心聖堂へ

    ジョージア統一王国の三分割に伴い、 大聖堂はイメレティ王国の首都クタイシの中心聖堂として機能する

  4. 1692年

    オスマン軍の砲撃

    イメレティ王国に侵攻したオスマン帝国軍の砲撃で大ドームと屋根が崩落、 大聖堂は廃墟と化す

  5. 1838年

    ヨーロッパでの再発見

    フランスの旅行記『L'Univers』にバグラティ大聖堂の図版が掲載され、 中世建築の傑作として西欧で再発見される

  6. 1952年

    保存修復の開始

    建築家ヴァフタング・ツィンツァゼの指導の下、 6段階の保存と修復・考古学的調査が始まる

  7. 1994年

    世界遺産登録

    ゲラティ修道院とともに「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」としてユネスコ世界文化遺産に登録される

  8. 2001年

    正教会への復帰

    ジョージア政府から正教会に大聖堂の所有権が移管され、 限定的ながら奉神礼が再開される

  9. 2010年

    危機遺産リスト入り

    再建計画への懸念からUNESCOが大聖堂を危機にさらされている世界遺産リストに登録する

  10. 2010-2012年

    論争的再建

    アンドレア・ブルーノの設計でドームと屋根が石とコンクリートで再建、 ICOMOSとUNESCOが強く批判する

  11. 2017年

    世界遺産抹消

    第41回世界遺産委員会で「再建を超えた新築」と判断され、 バグラティ大聖堂は世界遺産リストから抹消される

歴史をもっと深く

バグラティ大聖堂の歴史は、 11世紀初頭のジョージア統一王国の樹立とともに始まる。 1003年(クロニコン223年)、 タオ・クラルジェティ系の血を引き、 アブハジア王国とカルトリ・カヘティ王国を統合してジョージア統一王国を樹立した初代王バグラト3世(在位978-1014年)が、 ウキメリオニの丘に「バグラトの大聖堂」を献堂した。 北壁に残る古ジョージア文字の碑文がこの年を証言する。 三廊式の十字形プランで、 中央交差部に巨大なドームを戴くこの大聖堂は、 ジョージア正教の生神女就寝祭(マリアモーバ)を記憶し、 統一王国の精神的支柱となった。 11世紀から17世紀まで600年以上にわたり、 イメレティ地方の中心的聖堂として、 多くの王の戴冠や葬礼の舞台となった。 ジョージア王ゲオルギオス1世(在位1014-1027年)はここに埋葬された。 1466年にジョージア統一王国が三分割されると、 大聖堂はイメレティ王国の首都クタイシの中心聖堂となった。 1692年(または1691年)、 イメレティ王国に侵攻したオスマン帝国軍の砲撃により、 大聖堂の巨大ドームと屋根、 天井の大部分が崩落、 廃墟と化した。 以後約260年間、 大聖堂は崩落したまま放置され、 19世紀のロシア帝国による調査・記録(1838年のフランス旅行記など)で中世建築の傑作として再発見された。 1952年、 ジョージア人建築家ヴァフタング・ツィンツァゼの指導の下、 保存と修復・考古学的調査が始まり、 6段階に分けて1994年まで40年以上をかけた基礎調査が遂行された。 1994年、 12-13世紀建立の隣接ゲラティ修道院とともに「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。 登録基準は、 中世ジョージア建築水準の代表例として評価された。 2001年、 大聖堂はジョージア政府からジョージア正教会に所有権が移管され、 限定的ながら奉神礼が再開された。 2010-2012年、 イタリア人建築家アンドレア・ブルーノを中心に、 ドームと屋根を石とコンクリートで再建する大規模工事が遂行された。 これに対しUNESCOは2010年に「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録し、 再建計画の即時撤回を求めたが、 ジョージア政府は工事を継続。 2015年の第39回世界遺産委員会では、 ゲラティ単独登録への縮減(つまり大聖堂の抹消)は見送られたが、 2017年の第41回世界遺産委員会で正式に決定され、 バグラティ大聖堂は世界遺産リストから抹消された。 真正性と完全性を損ねる「再建を超えた新築」と判断されたためで、 これは世界遺産登録抹消の3例目という極めて稀有な事例である。

文化的背景と意義

バグラティ大聖堂は11世紀初頭の中世ジョージア統一王国成立期の建築水準を代表する記念碑で、 三廊式十字形プランに大ドームを戴く形式はジョージア正教建築の典型を体現する。 ジョージア正教会(オートケファル教会、 グルジア正教会とも)は4世紀のキリスト教受容以来、 西アジアにおけるキリスト教文化の最古層を担い、 バグラティ大聖堂はその精神的中心の一つであった。 1994年の世界遺産登録は中世コーカサス建築の評価を国際的に確立する画期となったが、 2017年の登録抹消は世界遺産制度史上稀有な事例として、 真正性原則と現地の宗教的・国民的要請の緊張関係を浮き彫りにした。 ジョージア政府は再建を「ジョージア国民の精神的回復」と位置づけ、 ICOMOSの反対を押し切って実施したが、 国際社会は「再建ではなく新築」と批判、 結果として登録抹消に至った。 同じ1994年登録のゲラティ修道院は12世紀ダヴィド4世建立の修道院複合体で、 こちらは大規模な再建を避けたため2017年も登録維持。 抹消後もバグラティ大聖堂はジョージア国家の象徴として、 クタイシ市のシンボル、 主要な観光資源、 ジョージア正教の礼拝の場として機能し続けている。 世界遺産論争を超えて、 「失われたものをどう扱うか」という普遍的な問いを今も発し続ける建造物である。

建築的詳細

バグラティ大聖堂は11世紀初頭の典型的なジョージア・クロスドーム式聖堂で、 平面は東西約36メートル、 南北約26メートルの三廊式十字形プラン。 中央交差部にドラムを介して大ドームを戴き、 内陣は三つのアプスを持つ典型的なジョージア正教式構成。 オリジナルの構造体は地元産の石灰岩と凝灰岩のアシュラー切石積みで、 北壁には11世紀の古ジョージア文字(アソムタヴルリ書体)による献堂碑文が残る。 1692年のオスマン軍砲撃で崩落したドームと屋根は約260年間欠失したまま放置されたが、 2010-2012年の再建工事ではアンドレア・ブルーノの設計で、 石材とコンクリートの混合構造により円蓋と屋根が再生された。 さらに大聖堂西側にガラスとスチールの現代的なエレベーター塔が付加され、 これが世界遺産抹消の最大の批判点となった。 「再建を超えた新築」とされたのは、 オリジナル石材が失われた部分に新規の鉄筋コンクリートが大規模に使用され、 11世紀の構造的論理と素材の真正性が大きく損なわれたためである。 一方で大聖堂南東の独立鐘楼と、 隣接するイメレティ王国時代の王宮遺構は11-17世紀のオリジナル建材を保持し、 周辺遺構として大聖堂の建築史的文脈を補完している。

外部リンク

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