松本城

丸の内 · JP

黒漆を纏う唯一無二の国宝天守、現存12天守で唯一の平城・松本城

長野県松本市の松本城は、戦国末期から江戸初期に石川数正・康長父子が築いた層塔型5重6階の大天守を中心に、乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓が連なる複合連結式天守。現存12天守のうち唯一の平城で、5棟まとめて国宝に指定されている。

国宝

ベストシーズン・ベストタイム

4月上旬-中旬

桜と黒漆天守のコントラストが圧巻。例年「夜桜会」期間は無料開放と和楽器演奏付き

★★★★★

12月下旬-2月上旬

雪化粧の黒い天守は信州ならではの絶景。観光客が少なく静かに撮影できる穴場期

★★★★☆

10月下旬-11月中旬

天守周囲のモミジが色づき、北アルプスの初冠雪と組合せた構図が成立する短い好機

★★★★☆

7月-8月

夏季は「太鼓門夜間特別開放」など夜のイベントが集中、夕涼みを兼ねた散策に好適

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.黒漆塗りの大天守と複合連結式の佇まい

    下見板を黒漆で仕上げた重厚な大天守に、北で乾小天守、東で辰巳附櫓・月見櫓が連結する複合連結式は他の現存天守に例がない。水堀越しに望むシルエットは記念写真の定番。

    本丸庭園入口の西側から朝の順光で、天守と乾小天守を1枚に収める

  • 2.水堀と埋橋が描く鏡像の風景

    本丸を取り巻く水堀は無風の早朝に天守を逆さに映し、朱塗りの埋橋がアクセントを添える。城内に渡れない時期でも橋の手前から完璧な鏡像が狙え、SNS映えの撮影スポットとして知られる。

    西外堀の埋橋付近から、無風の早朝に水面狙いで広角撮影

  • 3.雪化粧の黒と白が際立つ冬景色

    信州の厳冬期には屋根や石垣に雪が積もり、黒漆塗りの壁面と白い雪が強烈なコントラストを生む。観光客も少なく静謐な城景を独占できる冬限定の絶景で、信州ならではの体験が叶う。

    降雪翌日の午前、太鼓門側から逆光気味に天守の輪郭を狙う

物語・伝説

天正18年(1590年)、徳川家康の関東移封に伴い松本に入った石川数正は、かつて家康の家臣でありながら豊臣秀吉のもとへ走った経歴を持つ。江戸の家康を牽制する最前線として息子・康長と築いた天守は、戦を想定した実戦本位の堅牢さを誇る。明治5年(1872年)には競売で解体寸前まで追い込まれたが、地元の市川量造らが博覧会収益で買い戻し、明治末期に傾き始めた天守は校長・小林有也の保存運動で命を繋いだ。今に伝わる黒の威厳は、市民が幾度も守り抜いた執念の証である。

こんな人におすすめ

現存12天守を踏破中の城マニア、戦国〜江戸初期の城郭技術に関心のある建築・歴史愛好家、信州の自然と城景を一枚に収めたい写真家、桜・紅葉・雪と四季の表情を撮り分けたい風景写真愛好家、家族で歴史散策と街歩きを楽しみたい層に最適。

現地で知るべき豆知識

  • 1.天守内部は急傾斜の階段が連続し最大61度。スカートやヒールでは登れず、貸出スリッパも歩きにくいので歩きやすい靴・パンツスタイル必須。混雑期は天守入場まで90分以上待つことも
  • 2.黒門券売所裏手の小さな広場「埋橋」付近は水面の反射が最も美しいビューポイント。本丸に入らず外周だけ歩くなら無料、写真目当てなら早朝の無料ゾーン散策がお得な過ごし方
  • 3.本丸庭園の南東角、二の丸御殿跡寄りからは天守と乾小天守・月見櫓の3棟が一枚に収まる絶好の構図。観光案内図には載らない隠れアングルで、地元写真家には定番の撮影位置として知られる

訪問情報

アクセス
JR松本駅お城口から徒歩約15分、または周遊バス「タウンスニーカー北コース」で「松本城・市役所前」下車徒歩約3分。新宿から特急あずさで約2時間40分。
所要時間
天守見学含めて約2時間、外周散策のみなら30分
予算目安
本丸庭園(天守)入場料は大人700円(2024年時点)、周遊バス1日券300円、松本駅周辺の信州そば昼食1500円前後。詳細は公式サイトで確認

周辺観光

徒歩10分圏に旧開智学校(国宝、明治6年創建の擬洋風校舎)、徒歩15分の縄手通り商店街と四柱神社、徒歩20分の中町通りの蔵造商店街がまとまり、城下町散策と組合せやすい。車30分圏では浅間温泉・美ヶ原高原もアクセス可。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1504-1520年

    深志城築城

    永正年間に信濃守護・小笠原氏が林城の支城として深志城を築く。これが松本城の起源とされる。

  2. 1550年

    武田氏による落城

    天文19年、武田信玄の信濃侵攻で深志城が落城し、小笠原長時は追放される。重臣・馬場信春が城代となる。

  3. 1582年

    小笠原氏による奪還

    武田氏滅亡後、徳川家康配下の小笠原貞慶が深志城を奪還し、「松本城」と改名する。

  4. 1590年

    石川数正の入城

    豊臣秀吉の関東移封により石川数正が入城。子の康長と天守・城郭・城下町の整備に着手する。

  5. 1593-1597年頃

    大天守の主要部完成

    石川数正・康長父子により天守を中心とする主要建物が築造される。建造年は1596-1597年頃と推定されている。

  6. 1633年頃

    月見櫓・辰巳附櫓の増築

    寛永10年頃、藩主松平直政が徳川家光の善光寺参拝に備え朱塗欄干の月見櫓と辰巳附櫓を増築する。

  7. 1686年

    貞享騒動

    貞享3年、農民一揆が松本城を取り囲む大騒動に発展。首謀者の多田加助ら28名が翌年処刑される。

  8. 1872年

    天守競売・買戻し

    明治5年、廃城令により天守が競売にかけられるが、市川量造らが博覧会収益で買い戻し解体を免れる。

  9. 1903-1913年

    明治の大修理

    傾いた天守を救うべく松本天守閣天主保存会が結成され、明治36年から大正2年まで大規模修理が行われる。

  10. 1930年

    国の史跡指定

    昭和5年、松本城跡が国の史跡に指定される。文化財としての保存が公式に開始される。

  11. 1936年

    国宝指定(旧法)

    昭和11年4月20日、国宝保存法により天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝指定される。

  12. 1950-1955年

    昭和の大修理

    国宝保存事業第1号として解体修理が実施され、漆塗痕跡の発見により外壁が黒漆塗りに復元される。

  13. 1952年

    国宝再指定

    昭和27年3月29日、文化財保護法の施行に伴い5棟が改めて国宝に指定される。

  14. 2006年

    日本100名城選定

    平成18年4月6日、財団法人日本城郭協会により日本100名城29番に選定される。

  15. 2019-2020年

    年輪年代調査

    大天守の用材を対象とした年輪年代調査が実施され、文禄〜慶長年間の伐採材を多く用いていることが確認された。

歴史をもっと深く

松本城の起源は戦国時代の永正年間(1504-1520年)に信濃守護・小笠原氏が築いた深志城に遡る。天文19年(1550年)に甲斐の武田信玄により落城させられ、武田氏は重臣・馬場信春を城代として松本盆地を支配下に置いた。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は織田信長配下の木曾義昌、本能寺の変後は小笠原洞雪斎・貞慶と城主が短期で交代し、貞慶の代に「松本城」と改名された。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐後の関東移封で徳川家康が江戸へ移ると、代わって石川数正が入城。数正と子・康長は天守・小天守・渡櫓を中心とする現存最古層の城郭を築き、文禄〜慶長年間(1593-1597年頃)に主要部が完成したと考えられている。江戸時代には大久保長安事件で石川氏が改易され、小笠原氏の再入城を経て松平・水野・戸田松平の各家が松本藩主として明治維新まで居城した。寛永10年(1633年)頃には松平直政が辰巳附櫓と月見櫓を増築し、戦闘専用の天守に風雅な観月の場が加わった。貞享3年(1686年)には農民一揆「貞享騒動」が城を取り囲み、首謀者の多田加助ら28名が処刑される事件が起きている。明治5年(1872年)、廃城令により天守は競売にかけられたが、地元の市川量造らが筑摩県博覧会の収益で買い戻し解体を回避。明治末に傾きが顕著となり、松本中学校長・小林有也らが「松本天守閣天主保存会」を結成、明治36年〜大正2年(1903-1913年)に「明治の大修理」が行われた。昭和5年(1930年)に城跡が国の史跡に指定され、昭和11年(1936年)4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法による国宝に指定。戦後の文化財保護法施行後、昭和27年(1952年)3月29日にこれら5棟が国宝として再指定された。昭和25年〜30年(1950-1955年)の「昭和の大修理」では解体修理の過程で外壁に漆塗りの痕跡が発見され、それ以降は黒漆仕上げに復元されている。

文化的背景と意義

松本城は現存12天守のうち唯一の平城であり、姫路城・犬山城・彦根城・松江城と並ぶ国宝5天守の一つ。城を構成する5棟(大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓)が一括して国宝に指定され、城跡全体は国の史跡に指定されている。本丸・二の丸跡を含む整備された城跡は平成18年(2006年)4月6日に日本100名城29番に選ばれ、城周辺市街地は平成12年(2000年)に都市景観100選にも選定された。江戸初期に増築された朱塗り欄干の月見櫓は、徳川家光の善光寺参拝の予定に備え松平直政が建てた遺構で、戦闘本位の天守に観月の場を組合せた全国でも稀な構成として建築史的価値が高い。明治5年の廃城危機を市民の浄財で乗り越え、明治・昭和の二度の大修理を経て今に伝わる経緯は、文化財保存運動の先駆例として教科書にも採られている。

建築的詳細

縄張は本丸・二の丸・三の丸をほぼ方形に整え、それらを水堀で区画した梯郭式に輪郭式を加えた典型的な平城。中心に立つ大天守は層塔型5重6階で、初重に袴形の石落としを備え、2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を配する。北面では渡櫓を介して乾小天守を連結し、東面に辰巳附櫓と月見櫓を複合した「複合連結式天守」は他に例のない構成。大天守は望楼型から層塔型への過渡期的性格を持ち、2重目内部に大屋根構造の名残として「秘密の階」と呼ばれる窓のない隠し階を抱える。外壁は初重から最上重まで黒漆塗りの下見板で覆われ、昭和の大修理で発見された漆塗痕跡に基づき復元された。月見櫓は朱塗りの欄干と三方の戸を開放できる構造で、戦闘櫓主体の天守群に唯一風雅な趣を加える。

外部リンク

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