駿府城

駿府城

駿府城は、静岡市葵区にあった徳川家康の隠居城。1585年に家康が近世城郭として築き、1607年の天下普請で3重堀の輪郭式平城に大修築された。城郭史最大級の天守台に7階の大天守を擁する大御所政治の中心地で、現在は本丸と二の丸が駿府城公園として整備され、巽櫓・東御門・坤櫓が伝統工法で復元されている。日本100名城。

3行サマリ

  • 静岡県静岡市葵区にあった、徳川家康の大御所政治の中心地となった江戸初期の輪郭式平城。
  • 1607年の天下普請で、3重堀と城郭史最大級の天守台を擁する大城郭として完成した。
  • 現在は本丸と二の丸が駿府城公園として整備され、巽櫓・東御門・坤櫓が伝統工法で復元。

歴史

駿府城は、静岡県静岡市葵区にあった徳川家康ゆかりの近世城郭で、現在は本丸と二の丸が駿府城公園として整備されている。府中城、駿河府中城、静岡城とも呼ばれ、江戸時代初期には大御所家康による幕政運営の中心、すなわち駿府政権の本拠として機能した。日本100名城(41番)に選定されている。 築城地となった駿府は、室町時代に駿河守護職を世襲した今川氏の本拠で、14世紀以来今川館が置かれた地である。今川義元が1560年の桶狭間の戦いで戦死したのちは武田氏領、続いて織田・徳川の手で武田氏が滅亡した1582年以降は徳川領となった。家康は今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしており、1585年(天正13年)から旧今川館付近で近世城郭としての駿府城築城を開始する。翌1586年には17年過ごした浜松城から本拠を移し、1589年に天守と城郭を完成させた。 1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原征伐ののち家康は関東に移封され、駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入った。1600年の関ヶ原の戦いののち家康が駿府を回復し、1605年に将軍職を子の秀忠に譲って大御所として駿府に隠居すると、駿府城は天下普請による大改修の対象となる。1607年から大名動員による普請が始まり、3重の堀を巡らせる輪郭式平城へと姿を変えた。同年12月の失火で本丸御殿などを焼失するが直ちに再建され、1608年に御殿と天守、1610年には7階の大天守が完成した。天守台は石垣上端で南北約55メートル・東西約48メートルに達する城郭史上最大級の規模で、外周を隅櫓と多聞櫓で囲む特異な天守曲輪を構成した。 1613年には英国貿易使節ジョン・セーリスが来城し、家康とウィリアム・アダムスの仲介で東インド会社の貿易交渉が行われ、駿府城は近世日本の対外交渉の舞台ともなった。1616年(元和2年)に家康が75歳で駿府城において没した後、1619年に徳川頼宣が和歌山城へ移封、1624年に徳川忠長が城主となるが1631年に乱心の疑いで改易、以後は幕府直轄の天領として駿府城代が置かれた。 1635年(寛永12年)の城下大火で城内のほとんどを焼失したが、1638年までに御殿・櫓・城門が再建された。ただし常駐する城主がいないため天守は再建されないまま明治期に至る。1707年の宝永地震、1854年の安政東海地震で大破と修復を繰り返し、1871年の廃藩置県後は城内建物が破却され、1896年の歩兵第34連隊誘致に伴い内堀が埋め立てられて城郭施設はすべて取り壊された。 1949年に陸軍跡地が静岡市に再払い下げされ、駿府公園として整備が始まる。1989年に二ノ丸南東の巽櫓、1996年に東御門・続多聞櫓、2014年に坤櫓が伝統工法で復元され、内部は資料館として一般公開されている。2016年から始まった天守台発掘調査では、2018年に慶長期以前の天守台と金箔瓦が、2020年には小天守台が確認され、1585年以来の家康築城時の遺構が現代に蘇りつつある。

文化的意義

駿府城は、徳川家康が将軍職退任後の大御所として実質的な幕政を運営した「駿府政権」の中心地として、近世日本の権力二重構造を空間として伝える希少な遺産である。江戸城と並ぶ天下普請の対象となり、3重堀と輪郭式縄張、城郭史最大級の天守台が示す規模は、家康の権威と幕府初期の支配構想を具現化したものとされる。1613年のジョン・セーリス来城は、駿府城が近世日本の対外貿易交渉の舞台ともなった事実を伝え、英国東インド会社との貿易関係構築の現場である。2018年から2020年にかけての天守台発掘で確認された慶長期以前の天守台と金箔瓦は、天正期家康築城の実態を解明する考古学的成果であり、近世初期築城技術の研究に新たな視点をもたらした。

建築的特徴

駿府城は、本丸を中心に二の丸・三の丸が同心円状に巡る輪郭式平城で、各郭は石垣と水堀によって区切られる。慶長期の大改修によって完成した天守曲輪は、石垣上端で南北約55メートル・東西約48メートルに達する大型天守台に7階の大天守を据え、その外周を隅櫓と多聞櫓で囲む独特の構成を取った。これは江戸城天守をしのぐ城郭史上最大級の規模であり、家康の権威の物理的表現として知られる。築城には伊豆半島産の伊豆石が大量に用いられ、沼津市域の井田・重寺村などに公儀の石丁場があったことが地元文書から確認されている。明治以降に多くを失ったため、現在見られる櫓は復元建築だが、1989年の巽櫓、1996年の東御門・続多聞櫓、2014年の坤櫓いずれも伝統的工法による忠実な復元で、内部を資料館として公開している。2018年から2020年の天守台発掘で、慶長期天守台より一段奥まった位置に天正期の天守台と小天守台が確認され、家康築城以来の重層的な遺構が地層に残る。

訪問ガイド

駿府城公園は、JR静岡駅から徒歩約15分の市街地中心部にある。公園自体の入場は無料で、24時間開放されているため早朝や夜のライトアップ時の散策も可能である。復元された巽櫓・東御門・坤櫓の三施設は資料館として有料で公開され、それぞれ約30分の見学で家康時代から廃城までの歴史展示を観られる。三施設を巡って公園全体を一周する所要時間は2時間から3時間が目安となる。天守台発掘調査現場は見学エリアが整備されており、出土した金箔瓦や石垣を間近で観察できる。最新の入場料・営業時間・特別公開のスケジュールは静岡市公式サイトおよび駿府城公園公式サイトで事前確認したい。春の桜は二の丸・本丸周辺の名所で、夜間ライトアップが行われる時期は特に美しい。

周辺スポット

徒歩圏には、家康公150年祭を記念して建立された家康公お手植みかんがある二の丸の庭園、近年開館した静岡市歴史博物館があり、駿府城の出土品と街道沿いの歴史を一体で観られる。少し足を伸ばせば、家康が眠る世界遺産候補級の久能山東照宮へバスで約30分、駿府の海と山を一望できる。徒歩約15分の浅間神社は1500年以上の歴史を持ち、本殿と楼門が国の重要文化財に指定されている。さらに静岡市の中心商店街、静岡浅間通り商店街でも江戸期以来の老舗が点在し、駿府の食文化を堪能できる。

現代における価値

駿府城は、2016年から始まった天守台発掘調査と段階的木造復元事業を通じ、地方都市の中心市街地での大規模史跡整備のモデルとして注目される。発掘で発見された慶長期以前の天守台は、徳川と豊臣の関係を含む築城史の空白を埋める成果として研究者の関心を集め、2027年度予定の天守台ガイダンス施設のVR展示にも活用される。2025年に山梨で発見された「伝酒井家旧蔵 駿府御城内絵図」は江戸初期の城郭構造を伝える貴重な一次史料で、2026年から静岡市歴史博物館で一般公開されている。

外部リンク

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