駿府城

葵区 · JP

徳川家康が大御所政治を執った天下普請の隠居城、 駿河府中の輪郭式平城

静岡県静岡市葵区の駿府城は、 1585年に徳川家康が築き 1607年の天下普請で三重の堀を持つ輪郭式平城に大改修した城。 大御所家康が江戸幕府初期の実権を握った政治拠点で、 7階建ての天守と城郭史上最大級の天守台が存在した「家康最晩年の居城」。

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

駿府城公園の桜500本と巽櫓・東御門のコラボ絶景、 ぼんぼり点灯の夜桜も人気の最盛期

★★★★★

5月-8月

新緑の二の丸堀沿いと白漆喰櫓のコントラスト、 蓮の花が二の丸堀で6-7月に開花

★★★☆☆

11月中旬-12月上旬

紅葉と石垣のコラボ、 桜花期より人少なく落ち着いて天守台発掘現場見学に最適

★★★★☆

1月-2月

梅園の早咲き紅梅と白漆喰櫓、 富士山を背景に櫓を撮影できる晴天日が貴重

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.東御門と巽櫓の伝統工法復元建築群

    1996年に伝統工法で復元された東御門 (櫓門) と続多聞櫓、 1989年復元の巽櫓は二の丸南東角の枡形虎口を構成する。 内部は資料館で家康の大御所政治期と駿府の城下町文化を展示、 駿府城公園の代表的な復元建造物として親しまれる。

    二の丸橋から東御門を正面、 朝の順光で枡形と石垣を切り取る

  • 2.巽櫓と二の丸堀の白漆喰美

    二の丸南東角に立つ巽櫓は1989年に静岡市制100周年事業で復元、 駿府城最初の復元建造物。 白漆喰総塗り三重二階の優雅な姿と二の丸堀の水鏡が映えるシンメトリーは、 駿府城公園で最も写真映えするポイントとして親しまれる。

    二の丸堀の南西側遊歩道から櫓と水面のリフレクション、 早朝無風時推奨

  • 3.坤櫓と天守台発掘調査現場

    2014年復元の坤櫓 (二の丸南西角) は内部骨組み露出で公開する珍しい資料館。 隣接する天守台跡では2016-2020年発掘調査で慶長期以前の天守台と金箔瓦が出土し、 家康築城期の幻の姿が露出展示される。

    二の丸坤櫓を北東側広場から、 内部見学なら骨組み露出の天井ショット

物語・伝説

1585年 (天正13年)、 17年間過ごした浜松城から本拠を移すべく徳川家康が駿河府中に築城開始。 1590年の関東移封で一旦は中村一氏に明け渡したが、 1607年 (慶長12年) 大御所として駿府に戻り天下普請で全国の大名動員のもと7階天守と三重の堀を持つ巨大城郭に大改修。 翌年に本丸火災で焼失するも即座に再建し、 1610年に城郭史上最大級の天守台 (約55m×48m) を完成。 1616年に家康がこの城で死去するまでの 9 年間、 江戸幕府初期の政策決定は実質的に駿府で行われた「もう一つの幕府」の舞台である。

こんな人におすすめ

徳川家康の最晩年・大御所政治期に関心がある歴史マニア、 天守台発掘調査の最新発掘成果を見たい考古学愛好家、 復元櫓と石垣の建築美を狙う写真愛好家、 静岡駅から徒歩 10 分の都心型城郭公園として散策したい家族連れに最適。

現地で知るべき豆知識

  • 1.東御門・巽櫓・坤櫓の 3 資料館は共通券 (大人 360 円程度、 駿府城公園内施設 3 館共通) でお得、 個別購入より約 30% 割引、 駿府城公園案内所か各櫓窓口で当日購入可能で 2024 年時点の参考価格
  • 2.天守台発掘調査現場は無料公開で常時見学可、 ボランティアガイドの解説 (週末 10-15 時、 2024 年時点) を聞くと慶長期以前の天守台と金箔瓦の最新研究成果を直接聞ける貴重な機会となる
  • 3.駿府城公園は早朝 5 時から開園し終日無料散策可、 朝 7-8 時の二の丸堀リフレクション撮影は無風で最高の条件、 静岡駅前ホテル泊の場合は早朝散歩コースとして地元住民にも親しまれる定番である

訪問情報

アクセス
JR 静岡駅から北へ徒歩約 10 分、 駿府浪漫バス (循環バス) で約 5 分。 東名高速静岡 IC から車で約 15 分、 周辺に静岡市営有料駐車場が複数ある。
所要時間
公園散策のみ 1 時間、 3 櫓+天守台発掘現場含めて 2-3 時間が標準。
予算目安
3 櫓共通券 360 円 + 公園散策無料 + 静岡駅徒歩でアクセス無料、 合計 500-1000 円。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩 5 分の静岡市歴史博物館 (2023 年開館、 家康関連展示充実) と静岡浅間神社 (徳川家康元服の地)、 徒歩 15 分の駿府浪漫バスで巡る駿府お茶屋・浅間神社・登呂遺跡など、 静岡駅周辺で「家康ゆかりの地」散策が完結する。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1585年

    家康築城開始

    徳川家康が天正 13 年に近世城郭としての駿府城築城を開始、 初めて天守が築造される予定で計画される

  2. 1586年

    本拠移転

    家康が 17 年過ごした遠江浜松城から駿府城に本拠を移転、 翌 1589 年に天守と城郭が完成する

  3. 1590年

    中村一氏入城

    小田原征伐後の家康関東移封により豊臣系大名の中村一氏が入城、 駿府城は豊臣政権下に置かれる

  4. 1607年

    大御所家康入城

    家康が将軍職を秀忠に譲り大御所として駿府に隠居、 天下普請で三重の堀を持つ巨大城郭に大改修される

  5. 1610年

    天守完成

    城郭史上最大級の天守台 (約 55m×48m) と 7 階天守を中心とする特異な天守曲輪が完成する

  6. 1613年

    英使節セーリス来訪

    イギリス東インド会社使節ジョン・セーリスと三浦按針 (William Adams) が駿府城で家康と会見、 日英通商条約を取得する

  7. 1616年

    家康死去

    大御所家康が駿府城で 75 歳で死去、 駿府は大御所政治の中心地としての役割を終える

  8. 1632年

    幕府直轄地化

    城主徳川忠長の改易・自刃以降は幕府直轄領となり駿府城代・駿府定番が置かれ城主不在となる

  9. 1638年

    天守再建されず

    1635 年の城下大火で焼失した御殿等は再建されたが、 城主不在のため天守は再建されない

  10. 1854年

    安政地震大破

    安政元年の安政大地震で駿府城内外の建物・石垣がほぼ全壊、 1858 年まで 4 年かけて修復される

  11. 1896年

    陸軍駐屯

    歩兵第 34 連隊誘致に伴い内堀が埋められ城郭施設が取り壊される、 軍用地として明治末まで使用

  12. 1989年

    巽櫓復元

    静岡市制 100 周年事業で二の丸南東角の巽櫓が伝統工法で復元、 駿府城最初の復元建造物となる

  13. 1996年

    東御門復元

    二の丸正門の櫓門と続多聞櫓が伝統工法で復元、 内部資料館として家康時代の駿府を展示する

  14. 2014年

    坤櫓復元

    二の丸南西角の坤櫓が復元され内部骨組み露出公開、 駿府城公園 3 復元建造物が揃う

  15. 2018年

    天守台発掘調査

    天守台発掘調査で慶長期以前の天守台と金箔瓦・小天守台が出土、 家康築城期の駿府城像が見直される

歴史をもっと深く

駿府城の前身は 14 世紀に駿河守護今川氏が築いた今川館で、 文明 8 年 (1476 年) の今川義忠戦死後の家督争いを経て天文 5 年 (1536 年) に今川義元が当主となり戦国期の駿河支配拠点となった。 永禄 11 年 (1568 年) の武田信玄駿河侵攻で今川館は焼失、 武田氏滅亡後の天正 10 年 (1582 年) に徳川家康の領有となる。 天正 13 年 (1585 年) から家康が近世城郭として築城開始、 翌天正 14 年 (1586 年) に浜松城から本拠を駿府に移し天正 17 年 (1589 年) に天守と城郭を完成。 天正 18 年 (1590 年) の小田原征伐に伴う関東移封で家康は江戸に移り、 豊臣系大名の中村一氏が入城。 関ヶ原後は内藤信成が治め、 慶長 12 年 (1607 年) に家康が将軍職を秀忠に譲って駿府に「大御所」として隠居、 天下普請による大改修で三重の堀と 7 階天守を持つ巨大城郭に再構築された。 慶長 12 年末の失火で本丸を焼失するも即座に再建し慶長 15 年 (1610 年) に城郭史上最大級 (約 55m×48m) の天守台と特異な天守曲輪 (大型天守台外周を隅櫓・多聞櫓が囲む構造) を完成。 慶長 14 年 (1609 年) に家康十男の徳川頼宣が 50 万石で入封し駿府藩が復活したが、 元和 5 年 (1619 年) 頼宣の和歌山転封後は徳川忠長 (秀忠の次男) が城主となるも寛永 9 年 (1632 年) の改易・自刃以降は明治維新まで幕府直轄地となり駿府城代が置かれた。 宝永 4 年 (1707 年) の宝永地震で石垣が大破、 安政元年 (1854 年) の安政大地震で建物・石垣ほぼ全壊。 明治 4 年 (1871 年) の廃藩置県で建物が破却され、 明治 29 年 (1896 年) に内堀が埋め立てられ陸軍歩兵第 34 連隊の駐屯地に。 昭和 24 年 (1949 年) に静岡市に再払い下げ、 平成元年 (1989 年) 巽櫓、 平成 8 年 (1996 年) 東御門、 平成 26 年 (2014 年) 坤櫓と段階的に復元。 平成 28 年 (2016 年) から令和 2 年 (2020 年) の天守台発掘調査で慶長期以前の天守台と金箔瓦が発見され、 家康築城期の駿府城の姿が解明されつつある。

文化的背景と意義

駿府城は徳川家康の最晩年の居城かつ大御所政治の本拠地として、 江戸幕府初期 (慶長 12-元和 2 年、 1607-1616 年) の政策決定が実質的に行われた「もう一つの幕府」として歴史的に重要である。 家康はここで秀忠との二元統治体制を敷き、 大坂の陣 (1614-1615 年) の対豊臣戦略・朱印船貿易の制度設計・武家諸法度・禁中並公家諸法度の起草など江戸幕府 260 年の制度的基礎を駿府で構築した。 1613 年にはイギリス東インド会社の使節ジョン・セーリス (William Adams 三浦按針同伴) が駿府城で家康と会見し日英通商条約に相当する朱印状を取得、 駿府は当時の日本における国際外交の最前線でもあった。 2006 年に日本 100 名城 (41 番) 選定、 2018 年の天守台発掘調査で慶長期以前の天守台と金箔瓦が出土し、 これまで定説となっていた家康の天正期築城像が見直されつつある。 駿府城公園は静岡市の都心緑地として年間多数の市民に親しまれ、 大河ドラマ『どうする家康』 (2023 年) の放映で観光地としての注目度が再上昇、 静岡市歴史博物館 (2023 年開館) と合わせた家康関連観光の中核を担う。

建築的詳細

駿府城は北の賤機山と東の谷津山の稜線延長線上に立つ輪郭式平城で、 本丸を中心に二の丸・三の丸が同心円状に配置され全ての曲輪を石垣と水堀が囲む。 慶長期の三重の堀のうち外堀は一部埋め立てられ現存せず、 中堀は現存するが地震で石垣の一部が崩落し土塁状となっている箇所がある。 内堀は明治期に陸軍歩兵第 34 連隊駐屯時に埋められたが部分的に発掘・保存されている。 慶長期の天守台は石垣上端で約 55m×48m という城郭史上最大級の規模で、 7 階の天守が中央に建ち隅櫓・多聞櫓が大型天守台外周を囲む「天守曲輪」と呼ばれる特異構造を持つ。 復元建造物としては平成元年 (1989) の巽櫓 (二の丸南東角、 三重二階の白漆喰総塗り)、 平成 8 年 (1996) の東御門 (櫓門+続多聞櫓、 伝統工法復元)、 平成 26 年 (2014) の坤櫓 (二の丸南西角、 内部骨組み露出公開) の 3 棟が現存。 築城には伊豆半島産の伊豆石が大量使用され、 沼津市井田・重寺村等の石丁場で切り出された記録が地元古文書に残る。 天正期天守台は慶長期より一段奥まった位置で、 2018 年発掘で独立天守台と金箔瓦・小天守台 (橋台接続) が確認された。

外部リンク

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