大洲城

大洲市 · JP

肱川のほとりに立つ、明治21年に消えた天守を平成16年に伝統工法で完全木造復元した日本屈指の城

藤堂高虎・脇坂安治が築き上げた近世城郭、明治期に解体された天守を平成の市民寄付運動が復活させた稀有な城。江戸期から残る4棟の重要文化財櫓と新生天守が肱川の流れを見下ろし、城内宿泊体験まで楽しめる愛媛屈指の歴史空間。

重要文化財

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

本丸の桜が天守と櫓を彩る城内随一の景観。三の丸から肱川堤の桜並木まで連なる花のトンネル

★★★★★

7月下旬-8月下旬

肱川の鵜飼と納涼花火大会の競演。城のライトアップと屋形船が川面に揺れる夜景は別格

★★★★☆

11月中旬-12月上旬

肱川あらしと呼ばれる早朝の霧が城を包む幻想的光景。紅葉も本丸周辺を染める

★★★★★

1月-2月

白漆喰の天守に雪化粧が映える静寂の季節。観光客が少なく城内をゆっくり堪能できる

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.伝統工法で木造復元された4重4階の天守閣

    明治21年に取り壊された天守を、明治期写真と大洲藩作事棟梁・中村家伝来の天守雛形を元に2004年に往時忠実に木造復元。高さ19.15mで戦後初の例外規模、台所櫓・高欄櫓と渡櫓で連結する複合連結式層塔型の威容が肱川対岸から見渡せる。

    肱川右岸の肱南橋付近から天守・櫓群と川面を一フレームに。朝の光が東面を照らす8-9時が順光

  • 2.江戸期から残る4棟の重要文化財櫓群

    1859年再建の台所櫓、1860年再建の高欄櫓、1843年築造の苧綿櫓、1766年築の三の丸南隅櫓。いずれも本瓦葺の二重二階櫓で、1957年に国の重要文化財指定。高欄櫓は西と南に高欄が巡り、隠狭間や落狭間など実戦構造が随所に残る。

    高欄櫓は天守との並びが美しく、天守台直下から渡櫓の連結が写る。苧綿櫓は肱川堤防上の独立スポット

  • 3.肱川と城下町を見渡す絶景パノラマ

    本丸天守最上階から南は肱川の蛇行と冨士山(とみすやま)、北は大洲市街と城下町が一望。8月の鵜飼船と納涼花火、秋は霧の海に天守が浮かぶ「肱川あらし」現象、冬の雪化粧と季節ごとに表情を変える。城下には大洲赤レンガ館や臥龍山荘も徒歩圏。

    天守最上階の南北の窓から肱川と市街地を入れて。夕暮れ時、川面が金色に染まる17時前後が最高

物語・伝説

1331年、伊予守護として国入りした宇都宮豊房が肱川と久米川の合流点・地蔵ヶ岳に築いた山城が始まり。戦国末期に長宗我部方に奪われるも、1585年に小早川隆景が攻略し豊臣傘下に。1595年に築城名手・藤堂高虎が入城し近世城郭へと大改修、続く脇坂安治と二代で天守はじめ主要建造物が整った。1617年から加藤氏12代が270年統治して明治を迎えるが、1888年に構造的欠陥で天守は解体された。1994年に再建構想が動き出し、5億円の市民寄付で2004年に伝統工法での完全木造復元を達成、戦後日本における城郭復元の金字塔となった。

こんな人におすすめ

城郭建築や日本建築の伝統工法に関心がある人、明治期の文化財保護運動・市民寄付による復元史を辿りたい歴史マニア、肱川の自然と城下町を含めた小さな城下散策を楽しみたい旅行者、特別な城泊体験(キャッスルステイ)を求めるラグジュアリー志向の人にうってつけ。

現地で知るべき豆知識

  • 1.城内宿泊(キャッスルステイ)が年間30日限定で予約可能。1泊1組132万円から、藩主気分で天守を独占できる世界的に稀有な体験で、バリューマネジメント社公式サイトから要事前予約
  • 2.臥龍山荘との共通観覧券800円が個別購入より400円お得。明治期の数寄屋建築最高傑作と城をセットで巡るのが大洲訪問の王道コースで、徒歩15分の絶妙な距離感も魅力的だ
  • 3.肱川あらし(秋〜冬早朝の濃霧海現象)は冨士山(とみすやま)展望台からの俯瞰撮影が圧巻。10月下旬-2月の風がなく冷え込んだ朝7時前後の時間帯に発生確率が大きく高まる

訪問情報

アクセス
JR予讃線伊予大洲駅から徒歩約20分、駅前案内所のレンタサイクルで5分。市内循環バス「ぐるりんおおず」で「大洲城前」下車徒歩5分。松山自動車道大洲ICから車で約10分、城内駐車場あり
所要時間
天守と4櫓の見学で1.5-2時間、城下町散策含めて半日
予算目安
天守観覧料500円、臥龍山荘共通券800円、松山駅から伊予大洲駅まで特急で約35分2280円。宿泊・食事込み総額5000円程度から

周辺観光

徒歩15分の臥龍山荘は明治期の数寄屋建築の最高傑作で要拝観。城下町大洲のおはなはん通り(NHK朝ドラのロケ地)や大洲赤レンガ館も徒歩圏。電車で40分の内子町は伝統的建造物群保存地区で、芝居小屋・八日市護国地区とセットで愛媛南予観光のゴールデンルートを構成する

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1331年

    宇都宮豊房による築城

    伊予守護として国入りした宇都宮豊房が肱川と久米川合流点の地蔵ヶ岳に山城を築き、地蔵ヶ岳城と命名

  2. 1585年

    小早川隆景の伊予入封

    豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景が大野直之を滅ぼし35万石で伊予入封、大洲城は支城に

  3. 1595年

    藤堂高虎の入城・近世城郭化

    築城の名手・藤堂高虎が入城し、中世山城から近世城郭への大改修が始まる

  4. 1609年

    脇坂安治の転封・天守造営

    淡路洲本から脇坂安治が転封、藤堂高虎期と合わせて天守をはじめ主要建造物が完成、城名を「大津」から「大洲」へ

  5. 1617年

    加藤氏12代の藩政開始

    伯耆米子から加藤貞泰が6万石で入り、以後明治維新まで加藤氏12代270年間の大洲藩政が続く

  6. 1843年

    苧綿櫓の再建

    天保14年、肱川堤防上の苧綿櫓が再建される。二重二階の本瓦葺で外隅に袴腰形石落しを備える

  7. 1859-1860年

    台所櫓・高欄櫓の再建

    幕末の安政6年に台所櫓、万延元年に高欄櫓が再建。江戸期最後の城郭建築として現存

  8. 1888年

    天守解体

    明治21年、老朽化と構造的欠陥のため本丸天守が解体されるが、地元保護活動で4棟の櫓は残存

  9. 1957年

    重要文化財指定

    昭和32年、台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓の4棟が国の重要文化財に指定される

  10. 1994年

    天守再建検討委員会発足

    平成6年、天守復元構想がスタート、市民を中心とした寄付運動が展開される

  11. 2004年

    木造天守の復元竣工

    平成16年7月、伝統工法による完全木造復元が竣工。戦後初の例外規模で建築基準法の特例適用を受ける

  12. 2006年

    日本100名城に選定

    平成18年、日本100名城82番に選定。城郭復元の金字塔として認知が定着

歴史をもっと深く

1331年(元弘元年/元徳3年)、伊予守護として国入りした宇都宮豊房により肱川と久米川の合流点に位置する地蔵ヶ岳に築かれたのが大洲城の起源で、当初は地蔵ヶ岳城と呼ばれた。伊予宇都宮氏はその後二百数十年にわたり南伊予を支配したが、永禄末期(1568年頃)に毛利氏の伊予出兵で降伏し、天正初年に長宗我部元親と通じた家臣・大野直之に城を奪われる。1585年(天正13年)、豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景が大野氏を滅ぼし、隆景が35万石で伊予に入封、大洲城は支城となった。続いて戸田勝隆を経て1595年(文禄4年)に築城の名手・藤堂高虎が入城し近世城郭への大改修が始まる。1609年(慶長14年)に淡路洲本から脇坂安治が転封され、この高虎・安治の時代に天守を中心とする主要建造物が完成、城名も「大津」から「大洲」に改められた。1617年(元和3年)に伯耆米子から加藤貞泰が6万石で入り、以後加藤氏12代270年が大洲藩主として統治して明治維新を迎える。維新後の廃城令により城内ほとんどの建築物は破却されたが、地元住民の保護活動で本丸の天守と一部の櫓は残存。しかし天守は老朽化と構造上の欠陥で1888年(明治21年)に解体された。一方、台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓の4棟は1957年(昭和32年)に国の重要文化財に指定。1994年(平成6年)に天守再建検討委員会が発足、5億円を市民寄付で集める運動が展開され、2001年に復元工事に着工、2004年(平成16年)7月に伝統工法による完全木造復元を達成、戦後日本における城郭復元の金字塔として国土技術開発賞を受賞した。2006年(平成18年)には日本100名城82番に選定されている。

文化的背景と意義

大洲城の文化的意義は、戦後日本における城郭復元事業の象徴的存在である点に集約される。建築基準法では木造19.15mの天守は本来認められないが、大洲市が建設省・愛媛県と2年近く折衝した結果、保存建築物として特例適用が認められ、戦後初の伝統工法による城郭天守の木造復元が実現した。資金面でも市民寄付5億円が集まったことは特筆すべきで、城を「市民の宝」として守り蘇らせる愛着の深さを示している。文化財指定の構成は重要文化財4棟(台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓)、愛媛県指定有形文化財1棟(下台所)、愛媛県指定史跡(城跡全体)と複層的で、江戸後期の櫓群と平成の復元天守という時間軸の異なる遺構が共存する点も大洲の特徴。映画『男はつらいよ 寅次郎と殿様』(渥美清主演、嵐寛寿郎が殿様役)では城内外がロケ地となり、近年は新海誠監督『すずめの戸締まり』にも予讃線車窓の一シーンとして登場するなど、映像作品でも親しまれている。1月19日(平成19年)には河辺地域浪漫八橋・長浜大橋とともに「美しい日本の歴史的風土準100選」に選定され、文化的景観としての価値も認知されている。

建築的詳細

大洲城天守は本丸南東隅に建てられた複合連結式層塔型4重4階構造で、北に高欄櫓、西に台所櫓を渡櫓で連結する。台所櫓側渡櫓内部には鉄砲用の□形隠狭間が、天守1階内部には△形・□形の隠狭間が随所に配置され、心柱が中央付近に通り2階床には吹抜けが造られている。隠狭間の存在例は彦根城天守1-3階や名古屋城大天守1-4階と並ぶ稀少構造である。外観意匠は下見板張りで、比翼千鳥破風・千鳥破風・向唐破風で屋根を彩り、窓は連子窓を多用したが2階には華頭窓のみが並ぶ瀟洒な造り。石垣は加藤貞泰時代の修築によるもので「打込ハギ」と「乱積み」を併用、肱川河岸の自然石を活用して曲線美と防御性を両立する。重要文化財4棟の櫓群は二重二階の本瓦葺で、台所櫓・高欄櫓は天守と直結する防御の中枢、苧綿櫓は肱川堤防上に独立して立つ独特の立地、三の丸南隅櫓は大洲城最古の建築物で明和3年(1766)築造である。

外部リンク

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