ヘルシンキ大聖堂
ヘルシンキ · FI
緑のドームと真鍮の十二使徒が見守る、フィンランドを象徴する新古典主義の白亜の聖堂
首都ヘルシンキの心臓部・元老院広場に立ち、街並みの頂点を成すフィンランド福音ルター派の総本山。1830年から1852年にかけてエンゲルが設計したこの大聖堂は、22年の歳月を経て北欧古典主義の到達点となった。
ベストシーズン・ベストタイム
白夜に近い長い日照で青空とドームのコントラストが冴え渡る。広場では市民が日光浴を楽しむ
★★★★★
雪化粧した石段と白壁が一体となり、ライトアップとの相乗効果で幻想的な聖堂風景になる
★★★★☆
雪解け後の柔らかな日差しの中、五月祭ヴァップで広場が学生の熱気に包まれる
★★★☆☆
観光客が落ち着き、澄んだ空気の中で建築をじっくり鑑賞できる季節。日没が早く夜景も狙いやすい
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.元老院広場から見上げる白亜のファサード
新古典主義の最高傑作。広場から長い石段を見上げると、コリント式の列柱と緑のドームが青空に映える。ファサードは東西南北すべて対称で、どこから見ても主役級の佇まいだ。
元老院広場中央のアレクサンドル2世像越しが定番。朝の斜光が白壁を黄金色に染める
2.屋根を取り囲む十二使徒の真鍮像群
屋根の頂部と四隅に立つ12体の使徒像は1845-47年にベルリンで鋳造された亜鉛像。世界最大級の使徒像コレクションとして知られ、青空をバックに浮かぶシルエットが大聖堂の象徴となっている。
石段下から望遠で12体を連ねて捉える。順光の午前中、ドームと使徒像を一画面に
3.雪化粧の冬夜にライトアップされる聖堂
冬の夜は石段と白壁を雪が覆い、暖色のライトアップに照らされて幻想的な姿に変わる。1980年代改修の地下クリプトは展示・コンサート会場として今も使われ、別空間として訪問できる。
日没後30分の青い時間帯がベスト。冬の雪夜は石段下から広場越しに構えると映える
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.聖堂内部の見学は無料で、礼拝・結婚式以外の時間帯は誰でも入れる。荘厳な内陣はシンプルな造りだが、ニコライ1世寄贈の祭壇画は必見。見学時間は20-30分が目安となる
- 2.正面の長い石段は格好の休憩スポット。夏は地元の市民が腰掛けて夕涼みを楽しむ姿が見られる。広場全体を一枚に収めたいなら、向かい側の大学図書館前の歩道が比較的空いていてお勧め
- 3.地下クリプトの入口は聖堂石段下の側面にひっそりと別途設けられている。展示やコンサート開催日は有料だが、聖堂内陣とは違う落ち着いた地下空間で現地文化に触れられる穴場の場所
訪問情報
- アクセス
- ヘルシンキ中央駅から徒歩約8分。トラム2/4/5/7番でセナーティントリ停留所下車すぐ。空港からは鉄道I/P線で中央駅まで約30分、その後徒歩
- 所要時間
- 外観・広場散策含めて1時間、地下クリプト併せて1時間半
- 予算目安
- 聖堂見学は無料、地下クリプト企画展は5-10ユーロ程度。周辺カフェでの軽食を含めても1人2000円前後で楽しめる
周辺観光
ヘルシンキ大聖堂から徒歩5分のウスペンスキー大聖堂(ロシア正教の壮麗な赤煉瓦聖堂)、すぐそばの元老院広場、徒歩10分の海岸線にあるマーケット広場と大統領官邸、徒歩15分の岩を彫り抜いたテンペリアウキオ教会など、新古典・ロシア正教・現代建築を一日で巡れる
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1812年
首都ヘルシンキ移転
皇帝アレクサンドル1世の命でフィンランド大公国の首都がトゥルクからヘルシンキへ移転、新首都の都市計画が始動する。
- 1814年
建設資金確保
皇帝アレクサンドル1世が塩輸入税の15%を二つの教会建設に充てる勅令を発布し、大聖堂の財源を確保した。
- 1824-1826年
前身教会解体
建設地にあった1724-27年築のウルリカ・エレオノーラ教会が解体される。代替としてカンッピ地区にヘルシンキ旧教会が建てられた。
- 1830年
大聖堂の着工
カール・ルートヴィヒ・エンゲルの設計による大聖堂の建設工事が開始される。元老院広場の頂点を成す壮大な計画の中心建造物だ。
- 1840年
エンゲル没
設計者カール・ルートヴィヒ・エンゲルが大聖堂の完成を見ずに逝去。後継者エルンスト・ロールマンが事業を継承した。
- 1845-1847年
十二使徒像鋳造
ベルリンの鋳造工房デヴァランヌで亜鉛製の十二使徒像12体が製作される。ヴレドフとシーフェルバインの彫刻に基づく作品群。
- 1852年2月15日
落成・献堂
着工から22年を経て大聖堂が公式に献堂される。皇帝ニコライ1世にちなみ「聖ニコラウス教会」と命名された。
- 1917年
フィンランド独立
フィンランドが完全独立を宣言したことに伴い、聖ニコラウス教会から「ヘルシンキ大聖堂」へ呼称が変更された。
- 1980年代
地下クリプト改修
建築家ヴィルヘルム・ヘランデルとユハ・レイヴィスカが地下クリプトを改修、展示・教会機能のスペースとして再生した。
- 2018年
年間来訪者50万人
観光名所として年間50万人の来訪者を記録、ヘルシンキ屈指の人気スポットとしての地位を確立する。
歴史をもっと深く
1809年のフィンランド戦争でフィンランドがスウェーデンからロシア帝国に割譲されると、皇帝アレクサンドル1世の命で1812年に首都が旧都トゥルクからヘルシンキへ移された。1814年、皇帝は塩輸入税の15%をルター派とロシア正教の二つの教会建設に充てる勅令を発布。これが大聖堂建設の財源となる。建設地は1724-27年に建てられた旧ウルリカ・エレオノーラ教会跡で、同教会は1824-26年に解体された。その間の代替教会として近くのカンッピ地区にヘルシンキ旧教会が建てられ、解体された旧教会の鐘は新聖堂に転用された。建築家カール・ルートヴィヒ・エンゲルは元老院広場全体を新古典主義で統一する都市計画を立て、その頂点に大聖堂を配置した。1830年に着工したが工事は長期化し、エンゲルは完成を見ずに1840年に逝去。後継のエルンスト・ロールマンが計画を引き継ぎ、サンクトペテルブルクのカザン大聖堂と聖イサアク大聖堂を意識した4つの小ドームを追加、屋根に十二使徒の亜鉛像も配した。使徒像はアウグスト・ヴレドフとヘルマン・シーフェルバインの彫刻を基に、ベルリンの鋳造工房デヴァランヌが1845-47年に製作。祭壇画はカール・ティモレオン・フォン・ネフが手がけ、皇帝ニコライ1世が寄贈した。1852年2月15日、着工から22年を経て公式に献堂された。1917年のフィンランド独立までは皇帝ニコライ1世にちなみ「聖ニコラウス教会」と呼ばれていた。1980年代にはヴィルヘルム・ヘランデルとユハ・レイヴィスカが地下クリプトを改修し展示・教会機能スペースに転用、1990年代後半にも同建築家らによる保存修理が施され、現在の姿に至る。
文化的背景と意義
ヘルシンキ大聖堂は単なる教会建築を超え、フィンランドという国家のアイデンティティそのものを象徴する存在となっている。トゥルクのトゥルク城、タンペレのハメーンシルタ橋、ロヴァニエミの「きこりのろうそく橋」が各都市の顔であるように、この緑のドームを擁する白い聖堂はヘルシンキ、ひいてはフィンランド全体の表象としてあらゆる広報・観光素材で用いられている。フィンランド福音ルター派教会ヘルシンキ教区の中心聖堂であり、年間50万人以上が訪れる屈指の観光名所だ。聖ルチア祭などフィンランド国民的行事の中心地となるほか、結婚式や国葬の舞台ともなる。ロシア統治時代の遺産でありながら独立後はフィンランド国民の自尊心の象徴へと変貌した複雑な歴史的位置づけが、北欧と東欧文化のはざまにあるフィンランドの精神性を体現している。
建築的詳細
ギリシャ十字形(正方形の中心と等長の四腕)の平面プランを持ち、東西南北すべてに対称的なファサードを備える。各腕の外壁にはコリント式の列柱と三角破風(ペディメント)が配され、新古典主義の理想美を体現する。エンゲル当初の構想では正面入口側にもう一列の柱廊を増設する計画だったが、これは実現しなかった。中央には高さ65メートルに達する緑青色の大ドームがそびえ、ロールマンが追加した4基の小ドームが取り囲む。この5ドーム構成はサンクトペテルブルクのロシア正教大聖堂群の影響を色濃く受けたものだ。屋根上には亜鉛製の十二使徒像12体(等身大より大きい)が頂部と四隅に配置され、世界最大級の使徒像群を形成する。石段は元老院広場から聖堂入口まで一直線に伸び、外観全体を白漆喰で仕上げることで遠景でもひときわ目立つ。両脇にロールマン設計の鐘楼と礼拝堂が付属し、左右対称の構図を完成させている。