伏見稲荷大社
山城国 · JP
朱の千本鳥居が連なる、全国3万社の総本宮にして京都最人気の稲荷大社
京都市伏見区の稲荷山西麓に鎮座する伏見稲荷大社は、和銅4年(711年)創建と伝わる稲荷信仰の総本宮。約1万基の朱色鳥居が稲荷山の参道を埋め尽くし、五穀豊穣から商売繁昌まで願いを託す参拝者で年中賑わう。
ベストシーズン・ベストタイム
境内の桜と朱鳥居の対比が映える、初午大祭(2月)と並ぶ参拝のピーク期
★★★★☆
新緑と早朝の静寂が美しい、稲荷山登拝は朝6-8時の涼しい時間帯が快適
★★★☆☆
稲荷山の紅葉と朱鳥居の二重の朱色が映える絶景、混雑も春より穏やか
★★★★★
初詣は近畿最多級、初午大祭の「しるしの杉」授与は参拝者で大賑わい
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.千本鳥居が織りなす朱の参道トンネル
本殿の奥から続く約800基の朱色鳥居の連なりは「千本鳥居」と呼ばれ、まるで朱の光のトンネルを潜るような幻想的体験を生む。江戸時代以降、願掛けと感謝の奉納で立てられた稲荷山全体の約1万基が圧巻の景観を成す。
奥社奉拝所手前の二股に分かれる入口を縦構図で
2.豊臣秀吉寄進と伝わる朱塗の楼門
重要文化財の楼門は天正17年(1589年)、豊臣秀吉が母大政所の病気平癒を祈願して寄進したと伝わる神社楼門としては最大級の規模。朱と緑青の対比が美しく、左右の随身像が参拝者を見守り、本殿への入口を堂々と飾る。
石段下から見上げ朱と空のコントラストを切り取る
3.稲荷神の使い・狐像と稲穂・鍵
境内随所に鎮座する狐像は稲荷大神の眷属「白狐」で、口に咥える稲穂・玉・巻物・鍵はそれぞれ五穀・霊力・知恵・米倉の鍵を象徴する。鋭い目つきと立ち姿の凛々しさが他社の狛犬とは異なる独自の魅力を放つ。
楼門前の一対を望遠で背景ボケ気味に
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.朝6-8時台の早朝参拝が圧倒的な穴場で、千本鳥居を人の姿なく独占撮影できる絶好機。境内は24時間開放で参拝無料、稲荷山一周は2時間程度なので朝の登拝が最も快適である
- 2.「おもかる石」は奥社奉拝所の右奥にあり、願いを念じて石灯籠の擬宝珠を持ち上げ、思ったより軽ければ叶うとされる。多くの観光客が本殿で帰るが、ここまで足を運ぶ価値は十分にある
- 3.境内の参道では「いなり寿司」「すずめ・うずらの丸焼き」が稲荷神社の縁起物として名物。創業100年を超える老舗茶屋もあり、参拝後の腹ごしらえに京都らしい体験ができる
訪問情報
- アクセス
- JR奈良線「稲荷駅」下車すぐ、京都駅から普通電車で約5分。京阪本線「伏見稲荷駅」徒歩5分。境内は24時間開放で参拝自由、入山料・拝観料は不要。
- 所要時間
- 本殿と千本鳥居入口で1時間、稲荷山一周は2-3時間。
- 予算目安
- 参拝無料、御朱印500円。稲荷駅から京都駅まで150円。いなり寿司600-800円。(2024年時点)
周辺観光
徒歩15分の東福寺は紅葉の名所で重要文化財の三門が国宝指定。京阪本線で5分の伏見桃山・中書島周辺は月桂冠・黄桜など日本酒蔵元巡りが人気。JR奈良線で15分の宇治、京阪で20分の中書島から十石舟巡りも組合せ可。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 711年
稲荷山に創建
和銅4年、渡来系氏族の秦伊侶具が『山城国風土記』の縁起のもと稲荷山に三柱の神を祀ったとされる
- 827年
従五位下の神階授与
淳和天皇の病を占い東寺塔造営の祟りと判明、初めて国家から従五位下の神階を賜り公的信仰の対象となる
- 908年
藤原時平の社殿造営
左大臣藤原時平が三箇社を修営、宮中での祭祀対象として制度化が進む
- 942年
正一位の極位
天慶5年に神位の最高位である正一位が授けられ、名実ともに国家神社の頂点に立つ
- 1072年
初の天皇行幸
後三条天皇が初めて稲荷社に行幸、以降鎌倉時代まで祇園社とあわせた両社行幸が恒例となった
- 1499年
応仁の乱後の本殿再建
明応8年、応仁の乱(1467-1477年)で焼亡した社殿が勧進僧らの活動で再建、現本殿の遷宮が行われた
- 1589年
豊臣秀吉が楼門寄進
天正17年、秀吉が母大政所の病気平癒祈願として楼門を寄進したと伝わる、現在の重要文化財楼門
- 1868年
神仏分離令
明治政府の神仏分離令で境内仏堂が廃寺となる一方、私的祠「お塚」の建立が稲荷山中で増加
- 1871年
官幣大社に列格
近代社格制度で最高位の官幣大社に列せられ、1946年まで国家公認の上位神社として位置付けられた
- 1946年
伏見稲荷大社に改称
終戦に伴う社格制度廃止で「稲荷神社」から「伏見稲荷大社」と改称し、単立神社として現在に至る
- 2006年
正月参拝269万人
正月三が日の参拝者数が269万人を記録し、近畿地方で最多級・全国でも上位の初詣スポットに
- 2014年
外国人人気No.1
口コミサイト「トリップアドバイザー」の外国人に人気の日本観光地ランキングで第1位を獲得
歴史をもっと深く
伏見稲荷大社の創建は和銅4年(711年)、渡来系氏族・秦氏の伊侶具(伊呂具)が稲荷山に三柱の神を祀ったことに始まると伝わる。『山城国風土記』には、伊侶具が餅を的に矢を射ったところ餅が白鳥に変じて稲荷山に飛び去り、降り立った場所に稲が成ったため「イナリ」と称したという縁起が記される。創建当初は秦氏の私社にすぎなかったが、天長4年(827年)に淳和天皇の病を占うと東寺の塔造営のため稲荷山の樹を伐った祟りと判明し、初めて従五位下の神階を賜って国家神としての地位を得た。延喜8年(908年)に藤原時平が社殿を寄進し、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では名神大社かつ二十二社の上七社に列せられ、天慶5年(942年)に正一位の極位に達した。平安期には伊勢神宮への天皇以外の奉幣が禁じられていたこともあり、京から近い当社が信仰の中心地となり、清少納言が『枕草子』に初午詣の様子を記し、『今昔物語集』『蜻蛉日記』にも度々登場する。空海(弘法大師)が紀州熊野で出会った老翁を稲荷神として東寺の鎮守に迎え入れた縁起から真言密教と結びつき、神仏習合の進展で荼枳尼天と同一視されて狐に乗る女神の像容も広まった。応仁の乱(1467-1477年)で社殿は全て焼亡したが、勧進僧らの活動で再建が進み、明応8年(1499年)に現本殿の遷宮が行われた。天正17年(1589年)には豊臣秀吉が母大政所の病気平癒祈願として楼門を寄進したと伝わる。江戸時代には商人や町人による鳥居奉納が大流行し、稲荷山全体に朱色の鳥居が立ち並ぶ独特の景観が形成された。明治期の神仏分離令により境内の仏堂は廃寺となり、本願所も廃絶したが、代わりに「お塚」と呼ばれる私的祠の建立が稲荷山中で増加し、現在の姿となった。1946年に旧称「稲荷神社」から「伏見稲荷大社」へと改称、社格制度廃止により単立神社となり今日に至る。
文化的背景と意義
伏見稲荷大社は全国に約3万社あるとされる稲荷神社の総本宮で、稲荷信仰は神道五大信仰の一つに数えられる広がりを持つ。本殿は明応8年(1499年)再建の五間社流造で重要文化財に指定され、楼門・南北回廊・外拝殿・奥宮・摂社など複数の建物が国の重要文化財として保護される。稲荷神は本来「稲生(いななり)」が転じた農耕神であったが、中世以降の都市化と商業発展に伴い殖産興業・商売繁昌・家内安全・交通安全・芸能上達など現世利益全般の守護神として信仰を拡大した。初詣の参拝者数は近畿地方で最多級、全国でも上位に位置し、2006年の正月三が日には269万人が参拝した。狐が稲荷神の眷属とされた由来は、稲穂を運ぶ姿や田畑のネズミを駆除する益獣としての観察に加え、平安期以降の神仏習合で荼枳尼天と結びついた経緯がある。海外においても朱の千本鳥居は日本の象徴的景観として認知され、映画『SAYURI』のロケ地に使われたほか、外国人旅行者の口コミサイトでは京都観光の常連トップに位置する。
建築的詳細
本殿は明応8年(1499年)に再建された五間社流造、檜皮葺で、間口約11.5メートルの正面に5つの柱間を持つ平安期以来の典型的な神社建築様式を伝える。屋根の曲線を強調する流造の優雅さに加え、極彩色の蟇股(かえるまた)や金箔押しの装飾金具など桃山風の華麗な意匠を併せ持つ点が特徴である。楼門は天正17年(1589年)頃の建立、入母屋造・檜皮葺・三間一戸の二重門で、神社楼門としては全国でも最大級の規模を誇る。朱漆塗りに白壁、緑青の連子窓のコントラストが鮮やかで、左右の随身像が門を護衛する。本殿背後の稲荷山(標高233メートル)は3つの峰(一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰)からなり、山頂までの登拝路には約1万基の朱色鳥居が立ち並ぶ。これらは大正期に統一規格化され、現在の標準鳥居は高さ約3メートル・笠木幅約4メートルで、奉納料は5号(直径15センチ)で約17万円、10号(直径30センチ)で130万円超とされる。鳥居の脚下には奉納者名と年月が黒文字で記され、産業史・社会史の生きた資料となっている。