伊勢神宮
伊勢市 · JP
日本神道の総本宮にして、 20年に一度生まれ変わる「常若」の聖地
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮は、 天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮を中心とする125社の総称。 全ての神社の上に立つ「本宗」とされ、 1300年以上続く式年遷宮で「常若」の精神を今に伝える日本人の心のふるさと。
ベストシーズン・ベストタイム
宇治橋脇や神苑の桜が森厳な杜と調和し、 例祭の祈年祭も執り行われる
★★★★☆
ヒノキの大樹の濃い緑陰が涼しく、 早朝参拝なら人が少なく清々しい
★★★☆☆
新穀感謝の神嘗祭 (10月) は神宮最大の祭で、 紅葉も五十鈴川を彩り絶景
★★★★★
冬至の宇治橋大鳥居からの日の出と、 正月三が日の年越参拝は特別な体験
★★★★★
見どころ TOP 3
1.内宮 (皇大神宮) と五十鈴川の御手洗場
天照大御神を祀る内宮は、 五十鈴川を渡る宇治橋の先に広がる森厳の聖域。 御手洗場で川水に手を浸して心身を清め、 ヒノキの大樹の参道を進めば、 板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣の奥に唯一神明造の正殿が静かに鎮まる。
宇治橋から鳥居越しの早朝光線がベストショット
2.宇治橋と冬至の日の出
五十鈴川に架かる総檜造りの宇治橋は俗界と聖域を分かつ結界の橋。 冬至前後の朝7時半頃には大鳥居の真ん中から朝日が昇る神秘の絶景となり、 多くの参拝者と写真家が集う。 橋自体も式年遷宮で20年ごとに架け替えられる。
冬至前後の早朝、 大鳥居正面から日の出を狙う
3.外宮 (豊受大神宮) の衣食住の守り神
内宮から約6キロ離れた外宮は、 天照大御神の御饌都神 (食事を司る神) として丹波から迎えられた豊受大御神を祀る。 古来「外宮先祭」で外宮から参拝するのが作法。 内宮と同じ唯一神明造だが、 屋根の鰹木が偶数で千木は外削ぎと差異がある。
正宮前の御垣外から千木と鰹木を見上げる構図で
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.古来の作法は「外宮先祭」で、 外宮を先に参拝してから内宮へ向かうのが正しい順序とされる。 タクシーや路線バスでの移動が一般的で、 両宮の間は車で約15分。 半日コースを組むなら午前外宮・午後内宮が王道である
- 2.宇治橋を渡る際は右側通行が作法。 帰り橋は左側を通る。 五十鈴川の御手洗場での清めは、 一般的な手水舎より前の伝統的な作法で、 参道途中の自然の川で清められる神社は全国でも極めて珍しく必体験ポイントである
- 3.内宮前の「おかげ横丁」は江戸時代の伊勢路を再現した門前町で、 赤福本店の朔日餅 (毎月1日限定) や、 へんばや商店のへんば餅、 豚捨の松阪牛コロッケなど名物食べ歩きが楽しめる人気スポットだ
訪問情報
- アクセス
- 近鉄宇治山田駅・伊勢市駅からバスで外宮まで約5分・内宮まで約20分。 名古屋から近鉄特急で約1時間30分、 大阪から約1時間50分でアクセス可能。
- 所要時間
- 外宮1時間+内宮1.5時間+おかげ横丁1時間で半日が目安。
- 予算目安
- 参拝無料 (神宮への参拝に料金なし)。 交通費・食事込みで1人5000-8000円が目安 (2024年時点)。
周辺観光
内宮前の「おかげ横丁」は江戸時代の伊勢路を再現した門前町で赤福本店の食べ歩きが楽しめる人気スポット。 車30分の二見浦・夫婦岩は禊の聖地として古来神宮参拝前に立ち寄る習わし、 車40分の鳥羽水族館・伊勢志摩国立公園のリアス式海岸絶景も組合せ可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 紀元前4年
内宮の創祀 (神宮伝承)
倭姫命が天照大御神の鎮座地として伊勢を選び、 五十鈴川の畔に内宮が創祀されたと神宮公式に伝わる
- 478年
外宮の創建
雄略天皇22年、 天照大御神の食事を司る神として豊受大御神が丹波国から伊勢山田原に遷座された
- 690年
第1回式年遷宮
持統天皇4年、 天武天皇の遺志を継いだ持統天皇により第1回式年遷宮が執行され、 20年に一度の慣わしの始まりとなる
- 927年
延喜式での神宮制度の確立
『延喜式』で神宮の神事・神官・式年遷宮の制度が法典として正式に整備された
- 1462年
式年遷宮の中断
応仁の乱前夜の戦乱で第40回遷宮を最後に約120年間中断、 神宮も大きな苦難の時期を迎える
- 1585年
式年遷宮の再開
豊臣秀吉の支援などにより内宮の第41回遷宮が執行され、 中断を経て式年遷宮の伝統が復活した
- 1830年
文政の御蔭参り
半年で約500万人 (当時の総人口の1/6) が参拝した史上最大の御蔭参りで「お伊勢参り」が頂点を迎える
- 1869年
明治天皇の親拝
歴代天皇として記録上初めて明治天皇が神宮に親拝、 近代国家における神宮の特別な位置づけが確立された
- 1946年
宗教法人化
GHQの神道指令により国家管理を離れ、 宗教法人神社本庁の「本宗」として再出発した
- 1993年
第61回式年遷宮
平成5年の第61回式年遷宮で、 戦後最大規模の遷宮が執行され、 約350億円の浄財が全国から集まった
- 2013年
第62回式年遷宮
平成25年の第62回式年遷宮では550億円の浄財が集まり、 1300年続く神宮伝統の継承が改めて世界に示された
- 2033年
第63回式年遷宮 (予定)
2026年現在、 御杣始祭 (御料木伐採の祭) などの諸祭が始まり、 次回遷宮への準備が進行中である
歴史をもっと深く
伊勢神宮の創祀年代には諸説あり、 神宮公式では『日本書紀』に基づき垂仁天皇26年 (紀元前4年) を内宮の創祀とする。 歴史学的には4世紀以降、 ヤマト王権が東国経営の拠点として伊勢地域を重視するなかで、 5世紀後半の雄略朝に成立したとする説が考古学的にも有力視されている。 外宮は雄略天皇22年 (478年) に、 天照大御神の食事を司る神として豊受大神が丹波国から迎えられた。 7世紀後半の天武・持統朝に天皇祭祀の制度が確立し、 持統天皇4年 (690年) に第1回の式年遷宮が執行された。 以後20年に一度、 内宮・外宮の正殿と御装束神宝一式を新しく造り替えて神体を遷す式年遷宮が、 戦国期の中断 (1462-1585年の約120年間) を除いて今日まで継承され、 2013年の第62回式年遷宮が直近の実施となった。 平安時代には朝廷から二十二社の上七社の筆頭として最高位に位置づけられ、 神階の対象外という特別格を保った。 鎌倉時代以降、 御師 (おんし) と呼ばれる神宮の下級神職が全国を巡って神札を配布し、 信仰圏は皇室・武士から庶民に拡大した。 江戸時代には「お伊勢参り」が空前のブームとなり、 文政13年 (1830年) の御蔭参りでは半年で約500万人 (当時の総人口3000万人の1/6) が参拝したと記録されている。 明治期には近代社格制度において全神社の上に位置する別格とされ、 第二次世界大戦後の1946年に宗教法人化された後も、 神社本庁の「本宗」として全国約8万社の頂点に位置し続けている。 2013年の第62回式年遷宮では550億円の浄財が全国から集まり、 日本人の精神文化の根源としての存在感を改めて示した。
文化的背景と意義
伊勢神宮は「神宮」の名称が固有名詞として用いられる唯一の神社で、 神社本庁が定める「本宗」 (全神社の上に立つ神社) として、 全国約8万社の神社界の頂点に位置する。 内宮・外宮の正殿・別宮・摂社・末社・所管社を含めた125社の総称が「神宮」であり、 鎮座地は三重県内の4市2郡に分布する。 唯一神明造と呼ばれる古代の建築様式は、 弥生時代の高床式倉庫を起源とする神への供物のための聖なる建物であり、 切妻・平入・茅葺・棟持柱・千木と鰹木という特徴を持つ。 仏教用語を忌詞 (いみことば) として避ける制度、 僧尼遥拝所の存在、 神宮寺の早期廃止など、 神仏習合の中世にあって祭儀の純粋性を保ち続けた稀有な存在でもある。 式年遷宮で20年ごとに全てを新しくする「常若 (とこわか)」の思想は、 形を保ちつつも生命を更新する日本独自の循環文化の象徴とされ、 木造建築の技術・宮大工の伝統・御装束神宝の工芸技術を1300年以上にわたり継承する世界的にも類例のない仕組みである。 現代でも天皇・皇后の参拝、 内閣総理大臣・農林水産大臣の年始参拝が慣例化し、 国家との深い結びつきを保つ。
建築的詳細
正殿の建築様式は「唯一神明造 (ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれ、 伊勢神宮のみに許される神聖な様式である。 内宮正殿は切妻造・平入・茅葺の屋根に、 棟の両端から斜めに突き出る千木 (ちぎ) と、 棟上に水平に並ぶ鰹木 (かつおぎ) を持つ。 内宮は千木の先端を水平に切る「内削ぎ」と偶数 (10本) の鰹木で女神を、 外宮は千木を垂直に切る「外削ぎ」と奇数 (9本) の鰹木で食物神を表す慣わしになっている。 柱は地面に直接埋める「掘立柱」で礎石を用いず、 床下に独立する「心の御柱 (しんのみはしら)」が建つ。 建材は木曽の御神木と呼ばれる樹齢200-400年のヒノキ大木を用い、 全ての接合部に釘を一切用いない木組みのみで構成される。 屋根を支える棟持柱が両妻面に立ち、 弥生時代の高床倉庫の形式を今に伝える。 周囲は板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重の垣で囲まれ、 一般参拝者は外玉垣南御門の前で参拝する。 20年ごとの式年遷宮では隣接する敷地 (御敷地) に同じ規模・様式で新殿が建てられ、 神体を遷した後に旧殿が解体され用材は全国の神社に下賜される。