名古屋城

中区 · JP

金鯱が光り輝く、徳川御三家筆頭・尾張徳川家17代の居城にして日本三名城

愛知県名古屋市中区に立つ名古屋城は、 1610年に徳川家康が西国20大名の天下普請で築城した尾張徳川家の居城。 大坂城・熊本城と並ぶ日本三名城に数えられ、 大天守を彩る金鯱は今も名古屋の街の象徴として輝き続ける。

日本国指定特別史跡重要文化財

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

ソメイヨシノ約1000本と金鯱の競演、 夜桜ライトアップは21時まで開園

★★★★★

5月-8月

新緑の二之丸庭園と隅櫓特別公開、 早朝開園(GW期間)で涼しく快適

★★★☆☆

11月中旬-下旬

イチョウとモミジが石垣を彩り、 桜期より人が少なく落ち着く撮影好機

★★★★☆

1月-2月

雪化粧の大天守と金鯱は希少な絶景、 来場者も少なく本丸御殿をゆっくり鑑賞可

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.金鯱が輝く大天守の威容

    5層5階・地下1階の大天守は1612年完成、 1945年の空襲で焼失後1959年に鉄筋コンクリートで外観復元された。 屋根に上がる金鯱は雌雄一対の総重量約88kg、 純度18金の本物の金箔で覆われ、 城の象徴として光る。

    正門前広場からの正面、 朝日に金鯱が輝く順光は午前9-10時頃

  • 2.本丸御殿の障壁画と書院造

    2009-2018年に総工費約150億円で忠実に木造復元された本丸御殿は、 二条城二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧。 狩野派の障壁画1047面が空襲疎開で焼失を免れ、 模写ではなく現物が今も鑑賞できる。

    表書院上段の間の床畳から、 障壁画を画面いっぱいに収める広角構図

  • 3.西南隅櫓と現存6棟の重要文化財

    西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓・表二之門など6棟が空襲を免れた現存建造物として国の重要文化財に指定。 1612年の創建当時の漆喰壁・石落としを間近に観察でき、 大天守復元と対をなす本物の江戸初期建築を体感できる。

    南外堀越しに西南隅櫓を撮ると桜と石垣の三要素が同時に収まる

物語・伝説

1609年、 関ヶ原の戦後に天下を取った徳川家康は、 九男義直の居城として名古屋への遷府を決意。 翌1610年、 西国20大名による天下普請で築城が開始された。 加藤清正が最も困難な天守台石垣を担当し、 福島正則・前田利光ら外様の刻印が今も石に残る。 大工頭は中井正清、 8月末に天守台が完成、 同年内に大天守が上棟するという驚異的な速さで進んだ。 1945年5月14日の名古屋大空襲では大天守・本丸御殿が焼失したが、 障壁画1047面は事前疎開で守られ、 現在の木造復元御殿で本物が公開されている。

こんな人におすすめ

徳川家康の天下普請と石垣刻印に惹かれる戦国・江戸初期マニア、 本丸御殿の障壁画と書院造に魅了される建築・美術愛好家、 金鯱と桜のフォトジェニックな名所を狙う写真愛好家、 名古屋メシ食べ歩きと組合せたい家族連れにもおすすめ。

現地で知るべき豆知識

  • 1.本丸御殿の見学は朝9時開門直後がベスト。 1時間後にはツアー客で混み合い、 障壁画上段の間は人の頭で隠れる。 9時1番乗りなら玄関三之間から表書院、 対面所まで貸切状態で堪能できる
  • 2.天守閣は木造復元工事で2018年5月以降閉館中だが、 西南隅櫓・西北隅櫓は春秋の特別公開期間のみ内部見学可。 公式サイトで日程確認必須、 別途料金不要で本物の江戸初期建築に触れられる
  • 3.金鯱は2021年3月に地上展示が行われ、 触れる距離まで近づけて話題に。 通常は天守屋根の上にあり望遠レンズが必須だが、 城内ミュージアムショップ「金シャチ横丁」では雌雄実物大レプリカと記念撮影が無料で楽しめる

訪問情報

アクセス
名古屋市営地下鉄名城線「名古屋城」駅7番出口から徒歩5分、 または市役所駅から徒歩7分。 JR名古屋駅からタクシーで約15分。
所要時間
本丸御殿と外周で2時間、 二之丸庭園と金シャチ横丁含めて半日が目安。
予算目安
観覧料 大人500円・中学生以下無料、 年間パスポート2000円。 (2024年時点、 最新は公式サイトで確認)

周辺観光

徒歩15分の徳川園(尾張徳川家旧大曽根御屋敷跡の池泉回遊式庭園)と徳川美術館は共通券で組合せ可、 隣接の名城公園・愛知県体育館も散策できる。 地下鉄1本で熱田神宮(三種の神器の草薙剣を祀る)へ20分。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1532年

    織田信秀の那古野城

    織田信秀が今川氏豊から柳ノ丸を奪取し那古野城と改名、 のち子信長の居城となる

  2. 1555年

    那古野城の廃城

    信長が清須城に本拠を移し、 那古野城はやがて廃城となり城跡だけが残る

  3. 1609年

    家康の遷府決定

    徳川家康が九男義直の尾張藩居城として、 水害に弱い清須から名古屋への遷府を決定する

  4. 1610年

    天下普請の開始

    西国20大名の天下普請で築城開始、 加藤清正が天守台石垣を担当、 8月末に天守台完成

  5. 1612年

    大天守の完成

    中井正清の突貫工事で大天守が完成、 短期に上棟、 当時日本最大級の5層天守となる

  6. 1615年

    本丸御殿の完成

    本丸御殿が完成、 のち1634年家光上洛時の御成御殿として狩野探幽らが障壁画を加筆

  7. 1870年

    破却の危機

    徳川慶勝が新政府に破却と金鯱献上を申出るが、 ブラント公使と中村大佐の働きで保存決定

  8. 1930年

    城郭国宝第一号

    建造物24棟が旧国宝保存法に基づき城郭として第一号で国宝指定、 名古屋市に下賜される

  9. 1945年7月

    名古屋大空襲で焼失

    5月14日の名古屋大空襲で大天守・本丸御殿が焼失、 障壁画1047面は事前疎開で救われる

  10. 1959年

    天守の外観復元

    大天守・小天守が鉄筋コンクリート造で外観復元され、 金鯱も再制作されて屋根上に戻る

  11. 2009-2018年

    本丸御殿の木造復元

    総工費約150億円で本丸御殿が木造復元完成、 二条城二の丸御殿と並ぶ書院造の双璧が蘇る

  12. 2018年5月

    天守内部の閉館

    天守閣木造復元計画のため鉄筋コンクリート天守の内部見学が休止、 外観のみ観覧可能に

歴史をもっと深く

名古屋城の歴史は16世紀前半、 今川氏親が尾張進出のため築いた「柳ノ丸」(後の二之丸一帯)に始まる。 1532年(享禄5年/天文元年)織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名、 1534年(天文3年)織田信長の生誕地とする伝承が残る(近年は勝幡城生誕説が有力)。 1555年(弘治元年)信長が清須城に本拠を移した後、 那古野城は廃城となった。 1609年(慶長14年)関ヶ原の戦後、 徳川家康は九男義直の尾張藩居城として、 水害に弱い清須からの遷府(清須越し)を決定。 1610年(慶長15年)閏2月、 大坂城に豊臣秀頼がいる中、 西国20大名による天下普請で築城開始。 加藤清正が天守台石垣、 福島正則・前田利光ら外様大名が石垣分担を負担し、 延べ558万人で8月末に天守台完成、 大工頭中井正清の突貫工事で同年12月に大天守が上棟した。 本丸御殿は1615年(元和元年)2月に完成、 1634年(寛永11年)将軍家光上洛時の御成御殿として大規模増改築され、 狩野探幽らが障壁画を加筆。 江戸時代を通じて尾張徳川家17代の居城となり、 大坂城・熊本城と並ぶ日本三名城と称された。 1870年(明治3年)徳川慶勝が新政府に破却と金鯱献上を申出るが、 1879年(明治12年)ドイツ公使ブラントと中村重遠工兵大佐の働きかけで山縣有朋が姫路城と共に保存を決定。 1930年(昭和5年)旧国宝(現行国宝に相当)第一号として城郭24棟が指定され、 1931年に「恩賜元離宮名古屋城」として公開開始。 1945年(昭和20年)5月14日の名古屋大空襲で大天守・本丸御殿・西北隅櫓など主要建造物が焼失したが、 障壁画1047面は1944年の疎開で犬山・小牧・春日井・豊田の寺院倉庫に避難済みで現存する。 戦後1959年に大天守・小天守が鉄筋コンクリートで外観復元、 2009-2018年に本丸御殿が総工費約150億円で木造復元完成。 現在は天守閣木造復元計画が進行中で、 2025年現在工事のため天守内部は閉館中である。

文化的背景と意義

名古屋城は1930年(昭和5年)4月、 旧国宝保存法に基づき城郭として第一号で国宝(旧国宝)に指定された記念碑的存在。 戦災で大半が焼失した現在も、 焼失を免れた西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓・表二之門・旧二之丸東二之門・本丸御殿障壁画など6棟+障壁画群が国の重要文化財、 城域全体が国の特別史跡に指定されている。 異称「金鯱城(きんこじょう/きんしゃちじょう)」「金城(きんじょう)」は大天守屋根に上げられた金鯱に由来し、 雌雄一対総重量約88kg・純度18金の金箔で覆われた現在の金鯱は1959年復元時に制作された。 異称「名城(めいじょう)」は名古屋市の地下鉄名城線・名城公園・名城大学など多くの公共施設名の由来となり、 都市文化に深く根付いている。 伊勢音頭の「伊勢は津でもつ、 津は伊勢でもつ、 尾張名古屋は城でもつ」のフレーズは江戸期から続く名古屋市民の城への誇りを示す。 本丸御殿は二条城二の丸御殿(国宝)と並ぶ武家風書院造の双璧と評価され、 戦前は名古屋城本丸御殿の方が遥かに価値が高かったとされる(三浦正幸評)。

建築的詳細

名古屋城の縄張りは輪郭式平城で、 本丸を中心に二之丸・西之丸・御深井丸・三之丸が同心円状に配置される。 大天守は5層5階・地下1階・高さ約36.1メートル(石垣含む55.6メートル)の層塔型で、 1612年創建時は日本最大級、 現在の鉄筋コンクリート復元天守も天守建築としては最大規模を誇る。 天守台石垣は加藤清正が築いた野面積みで、 角の算木積みは「清正流」と呼ばれる勾配の急な特徴的意匠を示す。 石垣全体には築城を担当した20大名とその家臣の刻印が約2000か所残り、 福島正則・前田利光・黒田長政・蜂須賀至鎮らの石も確認できる。 屋根の装飾には入母屋破風・千鳥破風・唐破風が均整よく配置され、 最上層の屋根両端に金鯱を載せる意匠は安土城以来の天守権威の象徴であった。 2018年から進む木造復元計画では創建時の構造を忠実に再現すべく、 心柱の樹齢400年級の大径木調達と耐震・防火構造の両立が課題となっている。 本丸御殿は2018年に総工費約150億円で全面木造復元完成、 玄関・表書院・対面所・上洛殿・湯殿書院・黒木書院の6棟が連結する書院造の傑作である。

外部リンク

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