シュテファン大聖堂

インネレシュタット · AT

ハプスブルク家を見守った、 ウィーンの空を貫く136mのゴシック南塔

オーストリア首都ウィーン旧市街の中心に立つシュテファン大聖堂は、 12世紀ロマネスク創建・14世紀ゴシック大改修を経て完成した大司教座聖堂。 136.7mの南塔は世界第3位の教会塔高で、 モーツァルトの結婚式と葬儀、 ハプスブルク家歴代君主の墓所として知られる。

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

オープンエア・カフェがケルントナー通りに並び始め、 観光客密度も穏やかで撮影に好機

★★★★★

6月-8月

観光最盛期で塔登攀の待ち時間長め、 早朝7時の開門直後か夕方19時以降が穴場

★★★☆☆

9月-10月

気候穏やかでウィーン国立歌劇場・楽友協会の新シーズン開幕と重なる文化最盛期

★★★★★

11月下旬-12月

クリスマス市が広場に立ち、 雪の南塔と灯火に照らされた屋根のモザイク瓦が幻想的

★★★★☆

見どころ TOP 3

  • 1.23万枚のモザイク瓦が描く屋根

    南面の屋根は23万枚の色釉瓦でハプスブルク家双頭鷲とウィーン市紋章を描き出し、 1945年の大火で焼失後に1952年再建された。 隣のオットー・ヴァーグナー作の屋上展望台や対岸からの俯瞰で初めて全貌が見える絶景である。

    ハース・ハウスのカフェ最上階から正午光線で

  • 2.136mの南塔(シュテッフル)登頂

    1359年着工・1433年完成の南塔は高さ136.7mでケルン・ウルムに次ぐ世界第3位、 ウィーン市民から「シュテッフル」の愛称で呼ばれる。 343段の螺旋階段を登り切ると塔番の部屋を経てウィーン全域とアルプスを一望できる絶景展望が開ける。

    正面ファサード北西角から見上げる広角構図

  • 3.ゴシックの身廊と1513年説教壇

    全長107m・高さ28mの身廊は1304年着工のゴシック三廊式で、 アントン・ピルグラム作1513年の砂岩説教壇に四博士像と作者の自画像窓「窓覗き」が刻まれる。 フリードリヒ3世の赤大理石墓碑も必見である。

    西扉巨人門から東祭壇への中心線で対称構図

物語・伝説

1147年にロマネスク聖堂が献堂されたが1258年の大火で焼失。 1359年にオーストリア公ルドルフ4世が南塔礎石を据え、 74年後の1433年に高さ136.7mの南塔が完成した。 1683年の第二次ウィーン包囲ではオスマン軍の大砲を溶かして「プムメリン」鐘21トンが鋳造される。 1945年4月、 大戦末期の市街地火災で屋根とプムメリン鐘が焼損したが、 連合9州の寄付で1952年に再建された。 モーツァルトは1782年に結婚式、 1791年12月に葬儀を行い、 ハイドンも幼少期にここで聖歌隊員として歌った。

こんな人におすすめ

ゴシック建築と高層塔登攀を堪能したい建築愛好家、 ハプスブルク家とモーツァルト・ハイドンの音楽史に惹かれる歴史マニア、 オペラ・楽友協会と組合せたい音楽ファン、 美食とカフェ文化を求める旅行者。 ザルツブルク・ブダペスト・プラハの中欧周遊拠点としても好適。

現地で知るべき豆知識

  • 1.聖堂内部は無料公開だが本格的に身廊・側廊・墓所カタコンベを巡るには「オールインクルーシブ・チケット(20ユーロ)」推奨。 個別券より約30%お得で、 北塔エレベータ+南塔階段+カタコンベ+宝物館の全てを含む
  • 2.南塔の343段螺旋階段は途中に休憩スペースがなく一気登り。 心拍が辛い人は北塔エレベータ(プムメリン鐘間近)を選ぶ手があり、 こちらは展望は劣るが鐘楼を間近で観察できる別の魅力がある
  • 3.毎週土曜夜の「カタコンベ・ナイトツアー(20-22時)」は通常の昼ツアーで非公開のハプスブルク内臓壷室まで案内する希少企画。 公式サイトで2週間前から予約必須、 ドイツ語と英語回が交互開催

訪問情報

アクセス
ウィーン地下鉄U1/U3線「Stephansplatz」駅直結、 駅出口の正面に聖堂正面ファサード。 ウィーン国際空港からCAT直行16分で中央駅、 さらに地下鉄U3で5分。
所要時間
聖堂内部見学1時間、 南塔登攀+カタコンベ含めて2-3時間が目安。
予算目安
聖堂内部無料、 オールインクルーシブ券20ユーロ、 南塔のみ6.5ユーロ、 北塔エレベータ7ユーロ。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩5分圏にホーフブルク王宮、 国立図書館プルンクザール、 アルベルティーナ美術館、 デメル菓子店、 ザッハーホテル。 地下鉄1駅で美術史美術館・自然史美術館・MQクオーター、 2駅でカールスプラッツ駅・楽友協会・ベルヴェデーレ宮殿に至るウィーン観光の絶対拠点である。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1137年

    マウテルン条約

    パッサウ司教とマルクグラーフ・レオポルト4世がマウテルン条約を締結し、 ウィーン市民教会の建設用地が確保される

  2. 1147年

    ロマネスク聖堂献堂

    第2回十字軍出陣前のドイツ王コンラート3世臨席のもと聖シュテファンに献堂、 ロマネスク様式の最初の聖堂が完成

  3. 1258年

    大火で焼失

    大火が街区を襲い最初のロマネスク聖堂が大半焼失、 1263年に再建ロマネスク聖堂が再献堂される

  4. 1304年

    ゴシック改修開始

    王アルブレヒト1世がゴシック三廊式聖歌隊席の建造を命じ、 ロマネスクからゴシックへの大改修が始動

  5. 1359年

    南塔礎石

    オーストリア公ルドルフ4世が4月7日に南塔の礎石を据え、 既存聖堂を内側から包むゴシック大聖堂の構想を始動

  6. 1433年

    南塔完成

    74年の建設を経て高さ136.7mの南塔シュテッフルが完成、 世界第3位の教会塔として聳え立つ

  7. 1469年

    司教座設立

    1月18日、 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の請願で教皇パウルス2世がウィーン司教区を設立、 司教座教会となる

  8. 1683年

    第二次ウィーン包囲

    オスマン軍の包囲を撃退、 放棄された大砲を溶かして1711年に21トン鐘プムメリンが鋳造される

  9. 1722年

    大司教区昇格

    皇帝カール6世時代に教皇インノケンティウス13世がウィーン司教区を大司教区に昇格、 本聖堂は大司教座教会となる

  10. 1782年

    モーツァルトの結婚式

    8月4日、 26歳のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が挙行された

  11. 1791年

    モーツァルトの葬儀

    12月6日、 35歳で逝去したモーツァルトの葬儀が大聖堂で行われ、 遺体は聖マルクス墓地に共同埋葬された

  12. 1945年

    戦災で大損傷

    4月11-12日、 ナチス退却時の市街地略奪火災で屋根モザイク瓦とプムメリン鐘・ピルグラム説教壇が焼損・落下

  13. 1952年

    戦後復興完了

    連合9州が分担した7年がかりの大規模再建が完了、 4月23日に再献堂式が挙行されオーストリア再建の象徴となった

  14. 2001年

    世界遺産登録

    ウィーン歴史地区(リング地域)の核心遺産としてユネスコ世界文化遺産に登録

歴史をもっと深く

シュテファン大聖堂の起源は1137年(中世盛期)、 パッサウ司教レギンマールとマルクグラーフ・レオポルト4世の間で結ばれたマウテルン条約に遡る。 ローマ時代の墓地跡(2000年の発掘で4世紀の遺骨が発見された)に最初の小教区教会が建設され、 1147年9月23日に第2回十字軍出陣を控えたドイツ王コンラート3世とフライジング司教オットーらの臨席下、 殉教者聖シュテファン(キリスト教初の殉教者、 使徒言行録7章)に献堂された。 ロマネスク様式の最初の建物は1160年に完成したが、 1258年の大火で大半が焼失。 1263年4月23日に再建ロマネスク聖堂が再献堂され、 この日は今でも夕刻のプムメリン鐘の鳴動で記念される。 1304年、 王アルブレヒト1世がゴシック様式の三廊式聖歌隊席の建造を命じ、 子のアルブレヒト2世がアルベルト聖歌隊席を1340年に献堂。 真の大改修は孫のオーストリア公ルドルフ4世(1339-1365)が手掛けた。 1359年4月7日に南塔の礎石を据え、 既存のロマネスク聖堂を内側から包み込むようにゴシック大聖堂を建設するという壮大な構想を立てた。 1430年に旧聖堂は内部から取り壊され、 1433年に南塔(高さ136.7m)が完成。 北塔は1450年に着工されたが1511年に大工事中断、 未完のままルネサンス装飾の上部で1579年に閉じられた。 1469年1月18日、 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の請願で教皇パウルス2世はウィーン司教区を正式に設立し本聖堂を司教座教会とした。 1722年、 皇帝カール6世時代に教皇インノケンティウス13世が大司教区に昇格させる。 1683年の第二次ウィーン包囲後、 オスマン軍が放棄した大砲を溶かして翌1711年に「プムメリン(Pummerin)」と呼ばれる21トンの鐘が鋳造され南塔に吊るされた。 ナポレオン戦争中の1809年にフランス軍が大聖堂を砲撃したが、 ナポレオン自身が「聖堂の破損は名誉に関わる」と中止命令を出した逸話が残る。 第二次大戦末期の1945年4月11日、 退却するドイツ軍司令官ゼップ・ディートリヒが大聖堂破壊を命じたが、 国防軍大尉ゲルハルト・クリンケンベルク(原語のWehrmacht将校)が命令を無視して大聖堂を救った。 だが翌12日の市街地略奪火災で屋根のモザイク瓦・プムメリン鐘・ピルグラム説教壇が焼損・落下する大損害を受けた。 1948-1952年に連合9州が各部位の再建費用を分担し(屋根=チロル、 鐘=オーバーエスターライヒ等)、 1952年4月23日に再献堂式が行われた。

文化的背景と意義

シュテファン大聖堂は2001年にユネスコ世界文化遺産「ウィーン歴史地区」の核心遺産として登録された。 ウィーンの法的シンボル・宗教的中心・観光ハイライトの三役を担い、 オーストリア人に最も愛される建造物である。 ハプスブルク家との縁は深く、 フリードリヒ3世の赤大理石墓碑が地下に、 創立者ルドルフ4世が建物の精神的礎を成す。 地下のハプスブルク内臓壷室にはマリア・テレジアからフランツ・ヨーゼフ1世まで歴代君主の内臓が保管され、 心臓はアウグスティナー教会、 遺体はカプツィーナー教会と分割埋葬される「三分葬」の中核を担う。 音楽史上の意義も極めて大きい。 ハイドンは1740-1749年に少年聖歌隊員として活動、 モーツァルトは1782年8月4日に結婚式、 1791年12月6日に葬儀を執り行った。 大聖堂楽長職はフックス・アルブレヒツベルガーらが歴任し、 ウィーン古典派音楽の母胎の一つとなった。 戦災復興は「オーストリア国民の精神再建」の象徴として全9州が分担し、 連邦制再生の礎となった文化遺産でもある。

建築的詳細

シュテファン大聖堂は東西方向に長軸を取る三廊式ラテン十字形ゴシック大聖堂で、 全長107m・身廊幅39m・天井高28m。 西正面は1230-1245年期のロマネスク様式「巨人門」と二つの「異教徒塔」(高さ66m)、 東および南北は1304年以降の盛期ゴシック様式と、 時代の様式が並存する稀有な構造を持つ。 南塔シュテッフルは136.7mで世界の教会塔中第3位(ウルム161m・ケルン157m)、 4段に細る八角形構造で1433年完成。 北塔は68mで未完、 上部にはルネサンス様式の冠が1579年に被せられた。 屋根の構造が最大の特徴で、 厚さ約1mの梁による急傾斜屋根に23万枚の色釉瓦をモザイク状に並べ、 南面はハプスブルク家双頭鷲、 北面はウィーン市紋章を描く。 1945年焼失後の1952年に元のパターンで再現された。 内部はピルグラム作1513年の砂岩説教壇、 ウィーン・ノイシュタット祭壇(1447年)、 フリードリヒ3世墓碑(1493年・赤大理石)、 1711年鋳造のプムメリン鐘(20.13トン・1951年再鋳造)が最高傑作である。

外部リンク

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