アーヘン大聖堂
アーヘン · DE
カール大帝が眠る、 北欧最古のドームを擁する初代世界遺産大聖堂
ドイツ・アーヘンに立つ大聖堂は786年からカール大帝が築いた宮廷礼拝堂(パラティーナ礼拝堂)を中核とし、 936年から1531年まで30人の神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた皇帝の大聖堂で、 1978年にユネスコ世界遺産第1次12件の一つとして登録された欧州歴史の中心地。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑とアーヘン旧市街の温和な気候、 観光繁忙期前で写真撮影にも適した時期
★★★★☆
長い日照と20度前後の快適気温、 大聖堂前広場のオープンカフェで休憩できる繁忙期
★★★★★
石造建築と紅葉のコントラスト、 オフシーズンで館内ツアーも空く撮影好機
★★★★☆
アーヘン・クリスマスマーケットが大聖堂前広場で開催、 ライトアップも幻想的な季節限定の絶景
★★★★★
見どころ TOP 3
1.カロリング期八角堂と金のモザイク
中核のパラティーナ礼拝堂は直径約14.5メートルの八角堂で、 ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂を模した北欧最古のドーム空間。 二層の周歩廊と上層の皇帝玉座が古代ローマ・ビザンツ・カロリング様式の融合を体現する。
上層ギャラリーから八角堂中央のシャンデリアを見下ろす構図
2.皇帝戴冠の大聖堂と外観の重層美
8世紀のカロリング期八角堂を中心に、 14世紀のゴシック聖歌隊席、 19世紀のリヴァイヴァル様式まで増築が重なり、 936-1531年の約600年間に30人のドイツ王戴冠式の舞台となった「皇帝の大聖堂」を体現する。
市庁舎(ラートハウス)前の広場からゴシック聖歌隊と八角堂を一枚に
3.カールのシュラインと中世金工の至宝
1215年完成のカールのシュラインはカール大帝の遺骨を納める切妻屋根型の聖遺物容器で、 全長204センチの黄金細工に皇帝・教皇・聖者像が施された中世金工の頂点。 マリアのシュラインと並ぶ大聖堂宝物館の代表作である。
聖歌隊席奥の照明下、 金細工の側面装飾を斜めから
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.宝物館(Domschatzkammer)入場は別料金だがロタールの十字架・カール大帝胸像・ペルセフォネ石棺など中世の至宝を一挙に観られる、 北欧屈指の宗教美術コレクションで本堂とセットの訪問が必須
- 2.上層ギャラリーの皇帝玉座(Karlsthron)は通常非公開だが、 公式ガイドツアー(英語あり)に参加すれば直接見学でき、 カロリング期の石材を踏みしめる希少な歴史体験となる
- 3.毎年6月末-7月初の「ハイリヒトゥムスファルト」(7年に1度の聖遺物開帳)では聖母マリアのチュニカ等4聖遺物が公開され、 中世以来の巡礼伝統が現代に蘇る貴重な機会となる
訪問情報
- アクセス
- ドイツ鉄道アーヘン中央駅から徒歩約15分、 路線バスで約5分の「Elisenbrunnen」下車。 ケルンから約40分、 ブリュッセルから約1時間30分のICE停車駅。
- 所要時間
- 本堂で1.5時間、 宝物館を含めて3時間が目安。
- 予算目安
- 本堂寄付任意・宝物館 大人6ユーロ。 ガイドツアー別途5ユーロ前後。 (2024年時点)
周辺観光
徒歩2分の市庁舎(ラートハウス)はカール大帝の宮殿跡地に建ち戴冠の間の巨大絵画は必見、 徒歩5分のエリーゼンブルンネンは温泉の柱廊で歴史散策と組合せ可。 国境を越えオランダ・マーストリヒトも電車で30分。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 786年
宮殿礼拝堂着工
フランク王カール大帝がアーヘンに宮殿礼拝堂の建設を開始、 設計はメスのオドとされる
- 805年
献堂式
教皇レオ3世がパラティーナ礼拝堂の完成を祝う献堂式を執り行い、 北欧最古のドーム空間が完成する
- 814年
カール大帝埋葬
1月にカール大帝が崩御し、 大理石の玉座に着座した状態で礼拝堂内に埋葬されたと伝えられる
- 881年
ヴァイキング襲撃
ヴァイキングの襲撃で礼拝堂は大きな損傷を受けるが、 後の983年に修復が行われる
- 936年
戴冠式の始まり
オットー1世のドイツ王戴冠式がアーヘンで行われ、 以後600年間続く戴冠の伝統が始まる
- 1165年
カール大帝の列聖
対立教皇パスカリス3世によりカール大帝が列聖され、 大聖堂は西欧の主要巡礼地の一つに昇格する
- 1215年
カールのシュライン
フリードリヒ2世のドイツ王戴冠時にカール大帝の遺骨が黄金のシュラインに移される
- 1355年
ゴシック聖歌隊増築
巡礼者増加に対応するためゴシック様式の聖歌隊ホールの増築が始まり、 1414年に完成する
- 1531年
最後の戴冠式
フェルディナント1世の戴冠式を最後に、 アーヘンでのドイツ王戴冠の伝統が約600年で終わる
- 1944-1945年
第二次大戦の空爆
連合軍空爆と地上戦で大きな被害を受けるが、 美術品の事前避難で基本構造は奇跡的に残る
- 1978年
世界文化遺産登録
ユネスコ世界文化遺産第1回12件の一つに登録、 ドイツ初・欧州初の世界遺産となる
歴史をもっと深く
アーヘン大聖堂の歴史は786年(または796年)、 フランク王カール大帝(在位768-814年)が宮殿礼拝堂の建設を開始したことに始まる。 設計はメス出身の建築家オド・フォン・メッツとされ、 ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂とコンスタンチノープルのリトル・アヤソフィアを模した八角形のドーム空間が中核を成す。 798年のアルクィンの書簡では竣工間近とされ、 805年に教皇レオ3世が完成した礼拝堂を献堂した。 ブロンズの扉や手すりなどはアーヘン近郊に設けた鋳造工房で製作された。 814年1月にカール大帝が72歳で崩御し、 大理石の玉座に着座させた状態で礼拝堂内に埋葬されたと伝えられる。 881年のヴァイキングの襲撃で大きな被害を受け、 983年に修復された。 1165年に対立教皇パスカリス3世がカール大帝を列聖したことで巡礼地となり、 1355年からはゴシック様式の聖歌隊ホールが増築開始、 没後600年を記念する1414年にはガラス礼拝堂(カペラ・ヴィトレア)が献堂された。 1000年にオットー3世がカールの霊安所を開帳、 1165年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)が大理石棺に納め直し、 1215年フリードリヒ2世のドイツ王戴冠時に「カールのシュライン」(切妻屋根型聖遺物容器)に遺骨を移した。 936年オットー1世から1531年フェルディナント1世まで約600年間に30人のドイツ王の戴冠式が執り行われ、 「皇帝の大聖堂(Kaiserdom)」と呼ばれた。 1801年に司教区が廃止されたが1930年に復活、 第二次世界大戦中はアーヘン市街への連合軍空爆で大きな被害を受けたものの、 美術品の多くは事前に避難させ、 基本構造は奇跡的に残存。 戦後30年以上をかけ約4000万ユーロをかけて修復された。 1978年に北独・欧州初の世界遺産12件の一つとして登録された。
文化的背景と意義
アーヘン大聖堂は古典古代・ビザンツ・カロリング様式を融合した北欧最古のドーム建築の至宝で、 936-1531年の30人の神聖ローマ皇帝戴冠の舞台として欧州統合の精神的原点を象徴する。 1978年の世界文化遺産登録は、 ガラパゴス諸島・イエローストーン等とともに第1回登録された記念碑的な12件の一つで、 ドイツ初・欧州初の世界遺産にあたる。 登録基準(1)(2)(4)(6)を満たし、 「人類の創造的才能を表現する傑作」として、 古代以来アルプス以北で初めて建設されたヴォールト構造、 中世初期の宗教建築の原型として多くの模倣を生んだ普遍性、 「アウラ型礼拝堂」の典型例、 カール大帝の庇護下での西欧再生の象徴という4側面で評価された。 宝物館はカロリング・オットー朝・シュタウフェン朝の傑作を収蔵し、 「ロタールの十字架」「カール大帝胸像」「ペルセフォネ石棺」など北欧屈指の宗教美術コレクションを誇る。
建築的詳細
アーヘン大聖堂の中核パラティーナ礼拝堂は8世紀末-9世紀初頭の建築で、 内径14.46メートルの八角形ドーム室と16辺の外壁を持つ二層構成。 内陣の八角ヴォールトは強固な石柱で支えられ、 周囲を低い交差ヴォールトの周歩廊が囲む。 上層ギャラリーは「ホッホミュンスター(高い教会)」と呼ばれ、 八角形の側室に皇帝玉座と高祭壇が置かれた。 ドラム部に窓を持つ八角ドーム、 イタリアとギリシャ産の大理石円柱、 鋳造ブロンズの扉と柵、 古代以来ドームを覆っていた最大級のモザイク装飾(現在は失われた)が古典古代の伝統を体現する。 14世紀には礼拝堂東側にゴシック様式の聖歌隊ホール(Capella vitrea、 ガラス礼拝堂)が増築され、 多角形の祭室を持つ典型的後期ゴシック空間として、 高さ約25メートルのステンドグラスが内陣を彩る。 19世紀以降はオットー朝風の修復、 ネオロマネスク・ネオゴシックの増築が複層的に重ねられ、 全体として4世代の建築様式が共存する欧州建築史の縮図となっている。