東大寺
奈良市 · JP
世界最大の木造建築に座する盧舎那大仏、 古都奈良の華厳総国分寺
奈良市雑司町に伽藍を構える東大寺は、 728年聖武天皇発願の華厳宗大本山。 高さ約15メートルの盧舎那仏(奈良大仏)を擁する大仏殿は世界最大級の木造建築で、 1998年に「古都奈良の文化財」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
二月堂修二会(お水取り)から桜と鹿の奈良公園が美しい花見シーズンへの移ろい
★★★★★
万灯供養会と大仏殿夜間特別拝観で観相窓が開き、 大仏の顔を仰げる年に1度の好機
★★★★☆
正倉院展開催期+紅葉に染まる若草山麓、 1年で最も「天平の都」を感じられる季節
★★★★★
雪化粧した大仏殿と参拝者の少ない静謐な境内、 早朝の鹿との出会いが格別
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.大仏殿(金堂)— 世界最大級の木造建築
正面幅約57メートル・高さ約49メートルの大仏殿は、 1709年宝永再建時に天平期から幅を約3分の2に縮めたものでも世界最大級の木造建築。 鴟尾を頂く入母屋造の大屋根が、 天平の威容を今に伝えている。
中門を抜けた回廊内側の正面ショットが定番、 朝9時前後の順光が美しい
2.盧舎那仏坐像(奈良大仏)— 像高14.7メートルの国宝
華厳経の本尊として752年に開眼された巨大青銅仏。 像高14.7メートル・重量約250トンで、 顔面以下は鎌倉再興期と江戸期の補修だが台座蓮華座の一部に天平当初の鋳肌を残す。 線刻は華厳世界観を伝える。
正面拝観位置から見上げる構図、 堂内は三脚不可なので高ISOで
3.南大門と金剛力士像 — 鎌倉復興の傑作
1199年に重源が宋風(大仏様)で再建した二重門。 安置される金剛力士(仁王)像は1203年運慶・快慶ら慶派一門が69日で造立した像高8.4メートルの巨像で、 門とともに国宝。 鎌倉復興期建築・彫刻の到達点を象徴する。
南からの正面ローアングルで仁王像と門全体を画角に収める
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.8月15日万灯供養会の夜間拝観では、 大仏殿正面の観相窓が開かれ、 中門越しに大仏の顔を直接拝観できる年に1度の機会。 19-22時の参拝で混雑を避けるなら開始直後の19時前後が狙い目。
- 2.大仏殿東側裏手に立つ大仏殿正面の柱には「柱くぐり」と呼ばれる大仏の鼻穴と同じ大きさの穴があり、 くぐり抜けると無病息災になると伝わる。 大人は這って通る必要があり、 子供や細身の人なら通り抜けやすい人気スポット。
- 3.拝観前後に二月堂(国宝)へ徒歩5分で寄れる。 舞台造の正面テラスからは大仏殿と奈良市街を一望でき、 朝6時から拝観可能なので早朝の人がいない時間帯が穴場の写真ポイントとなる。
訪問情報
- アクセス
- JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バスで「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分。 近鉄奈良駅からは徒歩約20分で奈良公園を抜けて到達可。 京都駅からJR快速で約45分。
- 所要時間
- 大仏殿のみ45分、 南大門・二月堂・三月堂含めて2-3時間が目安。
- 予算目安
- 大仏殿拝観料 大人800円・小学生400円。 法華堂・戒壇堂は別途各800円。 (2024年時点の参考値、 最新は公式サイト確認)
周辺観光
南へ徒歩10分で春日大社、 同じく徒歩圏内に興福寺・国立博物館。 興福寺中金堂は2018年再建の天平様式建築で東大寺と合わせて巡れる。 西へ徒歩20分で元興寺(世界遺産構成資産)、 車30分で薬師寺・唐招提寺。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 728年
金鐘寺の創建
聖武天皇と光明皇后が夭折した皇子・基王の菩提を弔うため若草山麓に「山房」を設け、 9人の僧を住まわせる
- 743年
大仏造立の詔
聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立の詔を発し、 「一枝の草、 一把の土」を携える民衆参加型の大事業を発願
- 752年
大仏開眼供養
天竺出身の僧菩提僊那を開眼導師に迎え、 1万人以上の僧侶が参列する国際的な大法要が挙行された
- 758年
初代大仏殿竣工
大仏鋳造完了から6年を経て、 ようやく初代大仏殿(金堂)が完成し東大寺の伽藍が整った
- 1180年
平重衡の南都焼討
平重衡の南都焼討により大仏殿は炎上し大仏の頭部が落下、 法華堂・二月堂・転害門等を残し壊滅
- 1195年
重源による再建
俊乗房重源が宋人陳和卿らの技術を導入し大仏を修復、 再建大仏殿の落慶法要を源頼朝列席で挙行
- 1203年
金剛力士像の造立
運慶・快慶ら慶派一門が南大門に安置される金剛力士(仁王)像を69日の短期間で完成させた
- 1567年
東大寺大仏殿の戦い
三好三人衆と松永久秀の兵火により大仏殿が再び焼失、 大仏も頭部を失い以降1世紀近く露座のまま
- 1692年
大仏開眼供養
僧公慶の勧進により大仏修理が完成、 5代将軍綱吉・桂昌院の援助を得て大仏開眼供養を再び挙行
- 1709年
3代目大仏殿完成
規模を天平期の約3分の2に縮小しつつも世界最大級の木造建築として現存大仏殿が落慶
- 1973-1980年
昭和の大修理
屋根瓦の全面葺替えと木造構造の補強が行われ、 鋼材を内部に組み込み耐震性を確保
- 1998年12月
世界文化遺産登録
「古都奈良の文化財」の構成資産として大仏殿・南大門・法華堂等8件がユネスコ世界遺産に登録
歴史をもっと深く
東大寺の起源は728年(神亀5年)、 聖武天皇と光明皇后が夭折した皇子・基王の菩提を弔うため若草山麓に建てた山房「金鐘寺(こんしゅじ)」に遡る。 741年(天平13年)の国分寺建立の詔を受け、 742年に金鐘寺は大和国国分寺兼総国分寺となり「金光明寺」と改称された。 743年(天平15年)10月15日、 当時遷都先の紫香楽宮(現滋賀県甲賀市)で聖武天皇は大仏造立の詔を発したが、 745年に平城京へ都が戻ると造立場所も現在地に改められた。 747年(天平19年)から大仏鋳造が始まり、 「東大寺」の寺号も用いられるようになる。 749年には鎮守社・手向山八幡宮が創建。 752年(天平勝宝4年)4月9日、 天竺出身の僧菩提僊那を開眼導師に迎え、 1万人以上の僧侶が参列する大仏開眼供養が挙行された。 758年(天平宝字2年)に初代大仏殿が竣工。 平安期に入ると朝廷の南都仏教抑圧、 855年大地震による大仏頭部の落下と修復、 落雷による西塔焼失など試練が続いたが、 真言の空海を別当に迎え「八宗兼学の寺」として権威を保った。 1180年(治承4年)12月、 平重衡による南都焼討で大仏殿・大仏が壊滅的被害を受け、 翌1181年に後白河法皇は俊乗房重源を大勧進職に任命。 重源は宋人陳和卿の鋳工技術を導入して大仏を修復し、 1185年に源頼朝列席の下で開眼法要、 1195年に再建大仏殿の落慶法要が営まれた。 1199年再建の南大門は重源が宋風「大仏様」で建立し、 1203年運慶・快慶ら慶派一門が69日で金剛力士像を彫り上げた。 1567年(永禄10年)、 三好三人衆と松永久秀の兵火(東大寺大仏殿の戦い)で大仏殿は再び焼失、 大仏も頭部を失った。 戦国・安土桃山期は仮の大仏殿のまま、 1610年暴風で仮殿も倒壊し以降1世紀近く露座大仏が続いた。 1684年(貞享元年)、 僧公慶が大仏修理と大仏殿再興の勧進を開始、 5代将軍徳川綱吉と母桂昌院の援助を得て1692年に大仏開眼供養、 1709年(宝永6年)に現在の3代目大仏殿が落慶した。 規模は天平期から正面で約3分の2に縮小されたが現在も世界最大級の木造建築である。 明治期には1879年華厳宗が独立。 1903-1913年・1973-1980年に大規模修理。 1998年12月、 「古都奈良の文化財」の構成資産として法華堂・南大門・大仏殿・転害門・本坊経庫など8件がユネスコ世界文化遺産に登録された。
文化的背景と意義
東大寺は華厳宗大本山として日本仏教の総本山的地位を持ち、 聖武天皇が全国に建立を命じた国分寺の中心「総国分寺」と位置付けられた歴史的存在である。 境内には国宝建造物8棟(金堂大仏殿・南大門・鐘楼・法華堂・本坊経庫・転害門・開山堂・二月堂)、 重要文化財建造物14棟が現存し、 仏像・工芸品も含めれば国宝・重文の数は実に200件近い。 「奈良大仏」「大仏さん」の通称は古代から現代まで一般庶民の信仰と親しみの象徴であり、 聖武天皇の発願文「動植咸く栄えむことを欲す」(あらゆる生命が共に栄える世界の希求)は、 飢饉・疫病・内乱の国難に対する仏教国家の理念を凝縮した。 1180年の南都焼討と1567年の松永久秀の兵火による二度の壊滅と、 鎌倉重源・江戸公慶という二人の勧進聖による奇跡的復興は、 日本宗教史における「再生」の最大の物語として語り継がれる。 1998年「古都奈良の文化財」としての世界遺産登録は、 興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺・春日山原始林・平城宮跡と並ぶ8件構成資産の中核を成し、 平城京と一体の天平文化遺産として国際的に評価された。 映像作品では司馬遼太郎『街道をゆく』、 NHK大河ドラマ多数、 映画『天平の甍』『陰陽師』のロケ地として日本人の歴史意識に深く刻まれた寺院である。
建築的詳細
現在の大仏殿(金堂)は1709年(宝永6年)再建の3代目で、 正面幅約57メートル・奥行約50メートル・高さ約49メートル、 入母屋造本瓦葺・正面唐破風付きの巨大建築。 天平創建時は正面幅約88メートルあったが、 鎌倉再建では木材調達の困難から幅をやや縮小、 江戸再建では更に幅を正面11間から7間へ縮め、 代わりに正面に唐破風を付加して威容を保った。 構造は唐破風下に二重の組物を密に詰め、 軒先を支える虹梁(にじりばり)に巨大な梁を架け渡す独特の和様+大仏様+禅宗様の折衷で、 江戸期木造建築の到達点とされる。 大屋根を頂く一対の鴟尾(しび)は近代の再制作だが、 高さ約3メートルで遠望から大仏殿の象徴となる。 一方、 南大門(1199年再建)は重源が宋から導入した大仏様(天竺様)の典型で、 5間3戸の二重門、 通し肘木を柱に貫通させて積み上げる豪壮な構造、 軒下を支える挿肘木(さしひじき)の連続が特徴。 法華堂(三月堂)は奈良時代天平期創建の現存最古の建造物で、 寄棟造の正堂と切妻造の礼堂を接続した複合建築。 二月堂は1669年再建の懸造(舞台造)で、 急斜面に長大な柱を立て舞台を張り出させる構造は清水寺と並ぶ仏教建築の名作である。