大坂城
大阪城 · JP
太閤の野望と徳川の威信、 落雷と戦火を越えて大阪に屹立する三名城
大阪市中央区上町台地の先端に立つ大坂城は、 1583年に豊臣秀吉が石山本願寺跡に築き、 1614-15年大坂の陣で落城した後、 1620-29年に徳川秀忠が西国大名総勢162家を動員して再築した日本三名城の一つ。 1931年に市民の寄付で復興した3代目天守は今も大阪のシンボル。
ベストシーズン・ベストタイム
西の丸庭園の桜300本越しに白い復興天守が浮かぶ大阪屈指の名所、 観桜ナイターで夜桜と天守ライトアップを同時鑑賞可
★★★★★
本丸広場のサンセットビアガーデンと天守内冷房博物館で歴史展示を堪能、 屋外は猛暑で天守内回避型がおすすめ
★★★☆☆
西の丸庭園のイチョウとモミジが徳川期高石垣に映え、 桜より静かで撮影に集中できる隠れた好機
★★★★☆
冬季ライトアップ「サクヤルミナ」で天守と石垣が幻想的に浮かび、 観光客少なく快適に巡れる
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.復興天守と徳川期高石垣の二重構造
1931年に市民の寄付150万円で完成した鉄骨鉄筋コンクリート造5層8階・高さ約55メートルの3代目天守。 黒漆と金箔で彩られた望楼型の意匠は大坂夏の陣図屏風を参考にした模擬復興で、 1997年に国の登録有形文化財に指定された。
西の丸庭園南東角から内堀越しに高石垣と天守を縦構図で
2.桜門枡形の蛸石・城内最大の鏡石
桜門枡形に据えられた蛸石は表面積59.43平方メートル・推定重量108トンで城内最大の鏡石。 備前国小豆島から運ばれた花崗岩で、 表面の模様が蛸に似ることから名付けられた。 隣接する振袖石・肥後石も30-50トン級の巨石が並ぶ。
桜門を抜けた直後に振り返り、 蛸石全体を一枚に収める
3.豊臣石垣館・地下に眠る400年前の遺構
近年開館した豊臣石垣館では、 徳川期の盛土の下に埋蔵されていた豊臣大坂城詰ノ丸の石垣を地下展示室で間近に見学できる。 徳川大坂城の真下に眠る400年前の本物の遺構を体感できる、 全国でも極めて希少な施設である。
地下展示室の石垣前で広角レンズで全景を切り取る
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.桜門の正面右側にある「金明水井戸屋形」は徳川期1626年築の重要文化財で、 復興天守の華やかさとは対照的な江戸初期の素朴な木造建築の本物が見学可。 案内看板も控えめで見逃しがちな隠れ重文ポイント
- 2.天守入館に並ぶ前に北側の極楽橋を経由して山里丸に下ると、 豊臣秀頼と淀殿が自害した「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」の石碑があり、 大坂夏の陣の終焉を静かに偲べる場所として観光客も少なく落ち着いて佇める
- 3.天守8階展望台からは通天閣・あべのハルカス・梅田スカイビルまで360度パノラマで、 開場直後の朝9時を狙えば人混み回避と東側からの朝光で天守と眺望両方を最高条件で撮影可能
訪問情報
- アクセス
- JR大阪環状線「大阪城公園駅」から徒歩約10分、 地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」から徒歩約15分、 地下鉄長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」からも徒歩約15分。 新大阪駅から地下鉄御堂筋線・中央線で約15分の好アクセス。
- 所要時間
- 天守と本丸で約2時間、 公園全体と豊臣石垣館を含めて半日が目安。
- 予算目安
- 天守入館料 大人600円・中学生以下無料、 豊臣石垣館 大人700円・小中学生300円、 共通券あり。 公園散策は無料。 最新情報は公式サイトで確認 (参考: 2024年時点)。
周辺観光
徒歩5分の大阪城公園は梅・桃・桜・紫陽花・蓮の四季を楽しめる広大な緑地、 隣接の大阪歴史博物館は大坂城と難波宮の遺構を一体展示する観光複合拠点。 中之島・道頓堀・通天閣・あべのハルカスも地下鉄15分圏内で半日コース可能、 大阪市内観光の起点となる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1583年
豊臣秀吉が築城開始
賤ヶ岳の戦い後、 羽柴秀吉が石山本願寺跡に築城を開始、 小豆島から巨石を運ばせる天下普請が始動する。
- 1598年
豊臣大坂城完成
第四期工事までに5層9重の壮大な縄張りと馬出曲輪・大名屋敷が完成、 同年8月秀吉が死去し秀頼が継承する。
- 1614年
大坂冬の陣
豊臣秀頼と徳川家康が衝突、 真田信繁が南方に真田丸を築き徳川20万の大軍を撃退する活躍を見せる。
- 1615年
大坂夏の陣で落城
講和条件破棄を理由に再戦、 豊臣大坂城は炎上落城し豊臣氏は滅亡、 秀頼と淀殿が山里丸で自刃する。
- 1620-1629年
徳川秀忠の再築
西国大名を3期で計162家動員する天下普請、 豊臣期の遺構を盛土で埋めて高石垣で覆い現縄張りを完成させる。
- 1660年6月
焔硝蔵で大爆発
青屋門近くの火薬庫に落雷、 黒色火薬約82トンが誘爆して城内29人死亡・約130人負傷、 扉が暗峠まで飛んだ。
- 1665年
落雷で2代目天守焼失
寛文5年正月の落雷で2代目天守が焼失、 以降天守は265年間再建されないまま天守台のみの状態が続く。
- 1868年1月
戊辰戦争で本丸全焼
鳥羽伏見の戦い後、 徳川慶喜が大坂城から江戸へ退却、 本丸御殿・三重櫓11基・二重櫓8基が焼失する。
- 1888年
陸軍第四師団司令部設置
明治政府が大坂城を陸軍用地に転用、 第四師団司令部庁舎(現在のミライザ大阪城)が建設される。
- 1931年
3代目復興天守竣工
大阪市民の寄付150万円で鉄骨鉄筋コンクリート造の3代目復興天守が完成、 大阪のシンボルとなる。
- 1953年
国の特別史跡指定
城跡710,000平方メートルが国の特別史跡に指定、 文化財保護法体制下で最高位の保護を受ける。
- 1997年
復興天守が登録有形文化財
1931年復興天守が国の登録有形文化財に指定、 戦前の鉄筋コンクリート建築の歴史的価値が公的に認められる。
- 近年
豊臣石垣館開館
本丸地下に埋蔵されていた豊臣大坂城詰ノ丸石垣を公開する豊臣石垣館が開館、 400年前の遺構を体感できる施設となった。
歴史をもっと深く
大坂城の歴史は1583年(天正11年)、 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った羽柴秀吉が石山本願寺跡(1580年焼失)に築城を開始したことに始まる。 加藤清正・片桐且元・細川忠興を採石奉行として小豆島へ派遣し巨石を切り出させ、 普請は四期に区分された。 第一期(1583-85年)で本丸、 第二期(1586-88年)で二の丸、 第三期(1594-96年)で総構、 第四期(1598年)で馬出曲輪と大名屋敷を整備し、 5層9重・天主8階の豊臣大坂城が完成した。 ただし秀吉は1587年九州征伐後は京都の聚楽第、 1591年関白退任後は伏見城に主居を移した。 1598年秀吉死去、 1600年関ヶ原の戦いで豊臣家は220万石から摂河泉65万7400石に転落。 遺児秀頼は依然居城を維持したが、 1614年(慶長19年)大坂冬の陣で講和条件として惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められた。 秀頼が堀の再建を試みたため翌1615年(元和元年)大坂夏の陣で落城、 豊臣氏は滅亡した。 落城後は家康外孫の松平忠明が10万石で入封し町復興を担ったが、 1619年大和郡山12万石に移封され大坂は江戸幕府直轄となった。 1620年から徳川秀忠が豊臣色を払拭する大規模再築を開始、 西国大名を主体に3期合計162家を動員する天下普請で1629年(寛永6年)に現縄張りが完成した。 江戸時代を通じて城代制で大坂城代70名が就任し西日本支配の拠点となった。 1660年(万治3年)6月18日には青屋門近くの焔硝蔵に落雷して大爆発、 黒色火薬約82トンが誘爆して城内29人死亡・約130人負傷、 扉が約14キロ先の暗峠まで飛んだ記録が残る。 1665年(寛文5年)正月2日には落雷で2代目天守が焼失し、 以後天守は265年間再建されないまま明治を迎えた。 1783年には大手多聞櫓に落雷で全焼。 1868年1月の戊辰戦争混乱期には本丸御殿・三重櫓11基・二重櫓8基など本丸建造物のほとんどが焼失、 徳川慶喜が江戸へ退却する大事件の舞台となった。 明治期には陸軍第四師団司令部・大阪砲兵工廠が置かれ、 1945年8月14日の米軍空襲で三重櫓1基・二重櫓3基が焼失した。 1931年(昭和6年)に大阪市民の寄付150万円で鉄骨鉄筋コンクリート造の3代目復興天守が竣工、 1953年に城跡71万平方メートルが国の特別史跡、 1997年に復興天守が国の登録有形文化財に指定された。 近年には本丸地下に豊臣石垣館が開館し、 詰ノ丸石垣が常時公開されている。
文化的背景と意義
大坂城は名古屋城・熊本城・姫路城と並ぶ日本三名城の一つに数えられ、 城跡710,000平方メートルが国の特別史跡、 江戸初期再建の大手門・桜門・千貫櫓・乾櫓・一番櫓・六番櫓・多聞櫓・金蔵・焔硝蔵・金明水井戸屋形など13棟が重要文化財に指定されている。 1931年復興天守は1997年に国の登録有形文化財に指定され、 戦前の鉄筋コンクリート建築の歴史的価値が公的に認められた。 別称は「錦城」「金城」(きんじょう)、 地元では「太閤はんのお城」と親しまれ、 豊臣秀吉の出世物語と大坂の陣の悲劇が合わさった大阪市民の精神的シンボルとなっている。 本丸地下には豊臣大坂城の遺構が埋蔵保存されており、 近年の発掘調査で詰ノ丸石垣が確認され「豊臣石垣館」として一般公開されている。 NHK大河ドラマ『真田丸』『太閤記』『おんな太閤記』『どうする家康』、 黒澤明監督『影武者』、 司馬遼太郎『城塞』など歴史小説・映像作品の主要舞台となり、 2019年G20大阪サミットでは各国首脳の記念撮影背景に使われ国際的アイコンとしての地位も確立した。
建築的詳細
大坂城の縄張りは上町台地先端を活用した梯郭式平城で、 内堀・外堀の二重水堀に囲まれた本丸を中心に二の丸・西の丸・山里丸が広がる。 徳川期再築時の本丸石垣は秀吉期の盛土を全て埋めて7-15メートル嵩上げした上に新規に築かれており、 城内には備前国小豆島産の花崗岩を中心に巨石が多数据えられている。 桜門枡形の蛸石は表面積59.43平方メートル・推定重量108トンで城内最大の鏡石、 振袖石・肥後石なども30-50トン級の巨石として知られる。 復興天守は鉄骨鉄筋コンクリート造5層8階・高さ約55メートルで、 徳川期天守台石垣(高さ20メートル超)の上に建つため地表からの総高は約75メートル。 望楼型外観は黒漆と金箔で大坂夏の陣図屏風を再現、 各階に千鳥破風と入母屋破風の組合せ、 最上階の金鯱・虎・鶴の装飾が華麗な特徴である。 内部は8階展望台までエレベーターと階段で登れ、 各階は豊臣秀吉と大坂の陣の歴史博物館「大阪城天守閣」として公開されている。 重要文化財13棟は江戸初期築造時の本物の遺構で、 大手門の高麗門・千貫櫓・乾櫓は1620-29年再築期の意匠を伝える貴重な現存例である。