UNESCO 1981

シュパイアー大聖堂

シュパイアー · DE

8人の神聖ローマ皇帝が眠る、ロマネスク様式現存最大級の赤砂岩バシリカ

ドイツ・シュパイアーに立つ大聖堂は1030年コンラート2世の発願に始まる三廊式バシリカで、 ザリエル朝・シュタウフェン朝・ハプスブルク朝の8人の皇帝が地下聖堂に眠る「皇帝大聖堂(Kaiserdom)」、 1981年に世界遺産登録された赤砂岩のロマネスク傑作である。

世界遺産 1981

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

新緑の大聖堂庭園と穏やかな気候、 観光繁忙期前で混雑が少なく赤砂岩の色が鮮やかに映える季節

★★★★☆

6月-8月

長い日照時間で20度前後の快適気温、 ライン川沿いの古都散策と組み合わせやすい繁忙期

★★★★★

10月-11月初旬

黄葉と赤砂岩のコントラストが美しく、 ライトアップ後の青いブルーアワーが写真好機

★★★★☆

12月

アルトプフェルツ・ワインフェストや大聖堂前広場のクリスマスマーケットで街全体が華やぐ

★★★★☆

見どころ TOP 3

  • 1.南西から望む赤砂岩のシルエット

    全長134メートル、 東西二対の塔と双子のドームを擁する三廊式バシリカ。 パラティン森の赤砂岩で築かれた壁体は夕陽を受けて燃える色に染まり、 ロマネスク建築のスケールと均整美を最も雄弁に伝えるアングルである。

    南西の大聖堂庭園(Domgarten)から東塔・西塔を一画面に収める夕方の構図

  • 2.11世紀の交差ヴォールトが続く身廊

    ハインリヒ4世が1090年代に築いた身廊は二径間一組のダブルベイ・システムによる交差ヴォールトで、 高さ33メートル・幅37メートルの内部空間はアルプス以北最大級。 朝の斜光が東後陣を照らす瞬間に立体感が際立つ。

    中央通路の最奥から西側を振り返り、 双子の塔を背景に身廊を縦に切り取る

  • 3.皇帝が眠る西欧最大級の地下聖堂

    1041年献堂の地下聖堂(クリプタ)は東西35メートル・南北46メートルの円柱と交差ヴォールトの森で、 コンラート2世以下8人の皇帝・王と4人の皇妃が眠る西欧最大級のロマネスク・クリプタ。 静謐な石の空間が千年の時を伝える。

    中央祭壇前の交差ヴォールト柱列を低めの位置から望むワイドショット

物語・伝説

1025年、 神聖ローマ皇帝コンラート2世は最後の永眠の地としてラインの古都シュパイアーに「キリスト教世界最大の聖堂」の建造を命じた。 1030年着工、 1061年に献堂式を迎えたが、 完成は孫のハインリヒ4世の代まで待たねばならず、 1090年代に身廊を5メートルかさ上げし石造交差ヴォールトに架け替える壮大な改修が断行された。 1689年プファルツ継承戦争でルイ14世配下フランス軍に焼かれ無残な姿となるも、 1772-1784年と1846-1853年の二度の修復で蘇った。 8人の皇帝の眠る地下聖堂は今も巡礼者を引き寄せ、 「皇帝の大聖堂」として欧州ロマネスクの原点であり続ける。

こんな人におすすめ

神聖ローマ皇帝史とザリエル朝・シュタウフェン朝に魅かれる歴史マニア、 ロマネスク建築の頂点を体感したい建築愛好家、 8人の皇帝が眠る地下聖堂に静謐を求める巡礼者、 ライン渓谷の世界遺産巡りを進めるユネスコファン。 フランクフルト・マンハイム・ハイデルベルクから日帰り可能な好アクセス。

現地で知るべき豆知識

  • 1.大聖堂西側ファサード塔(Kaiserhöhe)は別料金で登れるが、 304段を上った頂上からはラインの古都とプファルツの森が一望でき、 双子の東塔と対称配置を真上から確認できる「皇帝の視座」が体験できる希少展望
  • 2.地下聖堂(クリプタ)はメインの大聖堂寄付とは別に小額料金がかかるが、 8人の皇帝と4人の皇妃の墓所を直接見学できる西欧最大級のロマネスク・クリプタで、 訪問の核心となる絶対外せない見どころである
  • 3.南庭園のオリーブ山彫刻群と中世風の井戸「Domnapf」(大聖堂の鉢)は無料エリアにあり、 新司教選出時にワインで満たされた歴史的儀式の舞台。 訪問前後の散策で重ねて楽しめる隠れた名所

訪問情報

アクセス
ドイツ鉄道シュパイアー駅から徒歩約15分、 駅前のシャトルバスで約5分のMaximilianstraße下車も可。 マンハイムから約30分、 フランクフルトから約1時間20分のRE/RB停車駅。
所要時間
本堂と地下聖堂で2時間、 塔登りと宝物館を含めて3-4時間が目安。
予算目安
本堂寄付任意・地下聖堂 3.5ユーロ・塔登り 6ユーロ前後。 ガイドツアー別途4ユーロ程度。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩5分のプファルツ歴史博物館は1900年の皇帝墓発掘品やザリエル朝の宝物を所蔵し必見、 徒歩10分のユダヤ中庭(SchUM都市群)は2021年世界遺産登録の中世シナゴーグ跡。 シュパイアー旧市街の中軸マクシミリアン通りで街並みも楽しめる。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1025年

    コンラート2世の発願

    皇帝コンラート2世がローマ皇帝戴冠直後、 自身の永眠の地として「キリスト教世界最大の聖堂」の建造を命じる

  2. 1030年

    第一期工事着工

    ライン左岸の高台で第一期工事が始まり、 プファルツの森の赤砂岩がシュパイヤーバッハの水路で運ばれる

  3. 1039年

    コンラート2世埋葬

    皇帝コンラート2世が完成を見ぬまま没し、 建設中の聖堂中央祭壇前の中央通路に埋葬される

  4. 1061年

    シュパイアーI期献堂

    オスナブリュック司教ベンノ2世らの指導で第一期建物が献堂、 アルプス以北最大級のヴォールト建築となる

  5. 1090年頃

    II期改修開始

    ハインリヒ4世が東端解体と基礎補強・身廊5メートル嵩上げ・石造交差ヴォールト架替を断行する

  6. 1111年

    ハインリヒ4世再葬

    1106年に没後、 破門中で一時別所にあった皇帝の遺骸が破門解除後シュパイアー大聖堂に再葬される

  7. 1689年

    プファルツ継承戦争被災

    ルイ14世配下のフランス軍が街と大聖堂を焼き、 屋根が崩落し皇帝墓も荒らされて惨憺たる姿となる

  8. 1772-1784年

    第一次修復

    前庭とバロック様式のファサードが付け加えられる第一次修復が行われるが1794年に再度略奪を受ける

  9. 1846-1853年

    第二次修復

    バイエルン王ルートヴィヒ1世の支援によりフレスコ画装飾を含む第二次徹底修復が実施される

  10. 1925年

    小バシリカ昇格

    教皇ピウス11世によりローマ・カトリック教会の小バシリカに昇格、 国際的格付けを得る

  11. 1957-1971年

    ロマネスク復原

    創建当時のロマネスク姿への復原工事が行われ、 19世紀の付加装飾の多くが除去される

  12. 1981年

    世界遺産登録

    ユネスコ世界文化遺産に登録、 ロマネスク建築の主要モニュメントとして登録基準(ii)で評価される

歴史をもっと深く

シュパイアー大聖堂の歴史は1025年、 神聖ローマ皇帝コンラート2世(在位1027-1039年)がローマ皇帝に戴冠した直後、 自身とザリエル朝の永眠の地としてライン左岸の古都シュパイアーに前例のない規模の聖堂を発願したことに始まる。 1030年に着工した第一期工事は、 ライン川岸の高台にあった既存バシリカの跡地で進められ、 建材の赤砂岩は近郊のプファルツの森から伐り出されシュパイヤーバッハの水路で運ばれた。 コンラート2世自身は完成を見ぬまま1039年に没し、 まだ建設中の聖堂に埋葬された。 続くハインリヒ3世(1056年没)も同じ墓所に安置され、 二人の墓は身廊中央祭壇前の中央通路に置かれた。 ほぼ完成した姿で1061年、 オスナブリュック司教ベンノ2世とバンベルク司教オットーの指導の下、 シュパイアーI期と呼ばれる初期段階の建物が献堂された。 西構え(ヴェストヴェルク)、 二側廊を伴う三廊式身廊、 東端の方形外被に円形内陣の祭室、 そして翼廊と東西の塔から成り、 身廊は平らな木造天井で覆われていた一方、 側廊はヴォールト架けされ、 アルプス以北ではアーヘン大聖堂に次ぐ大規模ヴォールト建築だった。 約30年後の1090年頃、 コンラートの孫にあたるハインリヒ4世(在位1056-1106年)は大聖堂の拡張を命じ、 東端部を解体して基礎を最深8メートルまで補強し、 身廊を5メートル嵩上げした上で平らな木造天井を二径間一組の石造交差ヴォールト(ダブルベイ・システム)に架け替える革新的改修(シュパイアーII期)を断行した。 各ヴォールトは二径間の立面に跨り、 1柱おきに広いピラスター(ドセレ)が付加され、 内部バットレスシステムが形成された。 この壁体に組み込まれた小アーチ列(矮人ギャラリー、 Dwarf Gallery)は外観に水平の連続感を与え、 ヴォルムス・マインツの諸大聖堂はじめライン流域のロマネスク建築に巨大な影響を与えた。 1106年ハインリヒ4世がリエージュで没した際は破門されていたため一時別所に置かれ、 1111年に大聖堂内に再葬された。 1689年プファルツ継承戦争でルイ14世配下のフランス軍に焼かれ、 内陣の屋根は崩落し皇帝墓も荒らされて惨憺たる姿となった。 1772-1784年に第一次修復が行われ、 前庭とバロック様式のファサードが付け加えられたが、 1794年革命戦争で再度フランス軍に略奪された。 1846-1853年バイエルン王ルートヴィヒ1世の支援によりフレスコ画装飾を含む第二次徹底修復が施され、 1957-1971年には創建当時のロマネスク姿への復原工事が行われ、 19世紀の付加物の多くが除去された。 1981年、 大聖堂は世界遺産登録基準(ii)を満たすロマネスク建築の主要モニュメントとしてユネスコ世界遺産に登録された。

文化的背景と意義

シュパイアー大聖堂は廃墟と化したクリュニー修道院に次ぐロマネスク様式現存最大の聖堂であり、 ザリエル朝・シュタウフェン朝・ハプスブルク朝の皇帝8人(コンラート2世・ハインリヒ3世・ハインリヒ4世・ハインリヒ5世・ロタール2世※後に移送・フィリップ・ルドルフ1世・アドルフ・アルブレヒト1世)と4人の皇妃、 多数の司教が眠る神聖ローマ帝国の精神的拠点である。 ヴォルムス大聖堂、 マインツ大聖堂と並ぶ「3皇帝大聖堂(Drei Kaiserdome)」の筆頭格として、 中世皇帝権の象徴的中枢を担った。 1925年に教皇ピウス11世によりカトリック教会の小バシリカに昇格、 1981年のユネスコ世界遺産登録は登録基準(ii)「ある期間を通じ、 ある文化圏において、 建築の発展に関し、 人類の価値の重要な交流を示すもの」に基づき、 ライン河畔の3皇帝大聖堂の建築様式が11-12世紀の欧州ロマネスク発展に決定的な影響を与えた功績が評価された。 「ロマネスク彫刻と建築の重要なモニュメント」「ザリエル朝建築の白眉」と位置づけられ、 ドイツでは6番目の世界遺産となった。 大聖堂の南庭園には「オリーブ山(Ölberg)」彫刻群と中世風の石造井戸「Domnapf」(大聖堂の鉢、 容量1560リットル)があり、 新司教選出時に市民がワインで満たし健康を祈る独特の儀礼の舞台となった。

建築的詳細

シュパイアー大聖堂は全長134メートル、 身廊幅37.62メートル、 ヴォールト頂点までの身廊高33メートル、 東塔71.20メートル、 西塔65.60メートルというロマネスク建築最大級の規模を誇る三廊式バシリカである。 平面は典型的なラテン十字形を採り、 西端のヴェストヴェルク(西構え)、 三廊式身廊、 翼廊、 内陣、 半円形後陣の順に配される。 11世紀後半のシュパイアーII期に導入された石造交差ヴォールトのダブルベイ・システムは、 身廊1ベイの間に側廊が2ベイ並ぶ比例で、 各身廊ヴォールトが二径間の立面壁を跨ぐため1柱おきにドセレ(広いピラスター)が付加された内部バットレス構造を生んだ。 これにより従来不可能だった大規模身廊の石造架構と高窓(クリアストーリー)の両立が実現し、 後のゴシック建築への橋渡しとなった。 外観では建物全体を取り囲む矮人ギャラリー(Dwarf Gallery)が屋根直下を水平に走り、 重厚な壁体に軽快感を与える。 東西の四角い対塔と双子のドーム(西構えと内陣交差部)の対称配置はカロリング以来の伝統を完成形に高め、 ライン流域の大聖堂建築の祖型となった。 地下聖堂(クリプタ)は東西35メートル・南北46メートル・高さ6.2-6.5メートルで、 太い円柱と交差ヴォールトの森が広がる西欧最大級のロマネスク・クリプタである。

外部リンク

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