救世主ハリストス大聖堂

ハモーヴニク · RU

破壊と再生、103メートルの黄金ドームに刻まれたロシア正教の魂

モスクワ川北岸、クレムリンの目と鼻の先に立つ救世主ハリストス大聖堂は、ロシア正教モスクワ総主教の首座聖堂。世界の正教会大聖堂で3番目に高い103メートルの偉容を誇り、1931年スターリンによる爆破解体を経て、2000年に20世紀末ロシアの祈りで甦った再生の象徴。

ベストシーズン・ベストタイム

6月-8月

気温20-25度の快適な観光シーズン、 白夜近くで夜遅くまで明るく外観撮影に最適

★★★★★

12月-2月

雪化粧した黄金ドームが幻想的、 1月7日のロシア正教降誕祭は最大の宗教儀式

★★★★☆

4月-5月

復活大祭(パスハ)の時期は夜通しの典礼が行われ、 信徒で賑わう特別な期間

★★★★☆

9月-10月

黄葉のモスクワ川越しに黄金ドームが映える、 観光客が減り落ち着いて見学可能

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.モスクワ川越しに望む大聖堂全景

    ボリショイ・カーメンヌィ橋からの定番眺望。中央の主ドームを4基のサブドームが囲む五円屋根構成で、直径29.8m・高さ103mの主ドームは20トン超の金で覆われ、白大理石の壁面と相まって陽光に煌めくロシア・ビザンティン様式の最高傑作。

    ボリショイ・カーメンヌィ橋からのモスクワ川越し正面ショットが定番、 夕日の時間帯がベスト

  • 2.金箔で輝く主ドームの接写

    ドームと十字架部分だけで35メートルの高さを持つ主ドームは、 旧式の水銀メッキ法を捨て電気金メッキの新技術で再建された。1990年代の再建で旧聖堂の図面を忠実に再現しつつ、 現代建材で耐久性を確保している。

    聖堂前広場の北東角から望遠レンズで切り取ると黄金が映える

  • 3.壮麗な内陣装飾と1812年戦勝記念壁

    内装はワシーリー・スリコフ・イワン・クラムスコイら19世紀ロシアを代表する画家のフレスコ画で覆われる。1階回廊のカッラーラ大理石パネルには1812年祖国戦争の指揮官・連隊・戦闘名が刻まれ、 ナポレオン撃退の戦勝記念聖堂の性格を伝える。

    西側入口から中央ナオスへ入った瞬間の見上げ構図

物語・伝説

1812年アレクサンドル1世がナポレオンを撃退した戦勝記念に建設を勅裁し、 44年の歳月をかけて1883年に完成。 1931年スターリンの命で爆破解体され、 跡地には世界一の高さ予定だった「ソビエト宮殿」が計画されたが地盤の軟弱と戦争で頓挫し、 60年代から30年間は屋外温水プール「モスクワ」となった。 ソ連崩壊後の1995年、 エリツィン政権下で再建が始まり、 2000年に総主教アレクシイ2世が成聖。 帝政・革命・粛清・崩壊・再建——4世紀のロシア史をそのまま体現する稀有な聖堂である。

こんな人におすすめ

ロシア正教の歴史と文化に関心のある宗教史マニア、 19世紀ロシア・ビザンティン建築を堪能したい建築愛好家、 ナポレオン戦争・ロシア革命・スターリン粛清と再生のドラマに惹かれる歴史好き、 黄金ドームの壮麗な写真を撮りたい愛好家におすすめ。

現地で知るべき豆知識

  • 1.聖堂は無料で入場できるが、 ノースリーブや短パン・ミニスカートでの入場は禁止で、 女性は頭にスカーフを巻くことが推奨される。 入口で簡易スカーフの貸出もある場合がある
  • 2.聖堂南側の展望台 (有料・要予約) からはクレムリン・モスクワ川・ピョートル大帝像を一望でき、 ガイドブックに載らない穴場のモスクワパノラマスポットとして知る人ぞ知る存在である
  • 3.1月7日のロシア正教降誕祭・パスハ復活大祭の典礼はテレビ中継される国家行事で、 大統領も出席する。 通常時とは異なる厳粛で荘厳な雰囲気を体感できる稀少な機会である

訪問情報

アクセス
モスクワ地下鉄1号線クロポトキンスカヤ駅から徒歩約5分。 シェレメチェヴォ国際空港からタクシーで約50分。 ※2022年以降は日本-ロシア間の直行便停止により実質的に訪問困難。
所要時間
聖堂見学1時間、 周辺散策含めて2時間が目安。
予算目安
聖堂内見学は無料。 展望台は有料 (要予約)。 渡航費は2026年現在トルコ・ドバイ等経由の迂回路線のみで往復20万円以上。詳細は公式サイトで確認。

周辺観光

徒歩10分でクレムリン・赤の広場・聖ワシリイ大聖堂、 徒歩15分でアレクサンドロフスキー庭園と無名戦士の墓、 徒歩20分でトレチャコフ美術館。 モスクワ川対岸にはピョートル大帝記念像 (像高98メートル) もあり、 中心部の主要観光地を一日で組み合わせ可能。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1812年12月

    建立勅裁

    ナポレオン戦争勝利後、 皇帝アレクサンドル1世が戦勝記念と戦没者慰霊のため大聖堂建立を勅裁した

  2. 1817年

    雀が丘で起工

    ヴィトベルク設計の新古典主義案で起工されたが、 地盤軟弱と経理問題で中止に追い込まれた

  3. 1832年

    トーン設計案承認

    ニコライ1世はトーンに再設計を命じ、 ロシア・ビザンティン様式の新設計が承認された

  4. 1839年

    礎石据置

    クレムリン対岸のモスクワ川北岸に敷地を移し、 9月10日に礎石が据えられて建設工事再開

  5. 1882年8月

    序曲1812年初演

    完成前の聖堂前テントで、 チャイコフスキー作曲「序曲1812年」の世界初演が行われた

  6. 1883年5月

    成聖式

    44年の歳月をかけて完成、 アレクサンドル3世戴冠式と同日にユリウス暦5月26日成聖式挙行

  7. 1931年12月

    スターリンによる爆破解体

    ソビエト宮殿建設のためスターリンの命で爆破解体、 ソ連反宗教政策の象徴的行為となった

  8. 1958-1960年

    プール「モスクワ」

    頓挫した宮殿基礎の跡地に屋外温水プール「モスクワ」が建設、 30年間市民に利用された

  9. 1990年12月

    再建記念碑据置

    ペレストロイカ期、 将来の再建意図を明示する記念碑が大聖堂跡地に据えられた

  10. 1995年1月

    再建工事開始

    総主教アレクシイ2世司祷で礎石が据えられ、 ロシア政府・市民寄付による再建工事が始まった

  11. 2000年8月

    再建成聖式

    全体成聖式が総主教アレクシイ2世司祷で挙行、 同年新致命者列聖式典もここで執り行われた

  12. 2007年

    エリツィン国葬

    初代ロシア連邦大統領ボリス・エリツィンの葬儀が同聖堂で挙行され、 国家儀礼の舞台となった

  13. 2012年2月

    プッシー・ライオット事件

    フェミニスト・パンク集団による無許可演奏で3人が逮捕、 国際的に大きな注目を集めた

歴史をもっと深く

救世主ハリストス大聖堂の歴史は1812年12月25日、 ナポレオン軍をロシア領内から撃退した皇帝アレクサンドル1世が、 「神の摂理への感謝とロシア国民の犠牲への記念」として戦勝記念聖堂建立を勅裁したことに始まる。 当初案はアレクサンドル・ヴィトベルク設計の新古典主義・フリーメイソン的象徴に満ちた意欲作で、 1817年に雀が丘で起工されたが、 地盤の軟弱とヴィトベルク自身の経理疑惑による流刑で一旦中止。 後を継いだニコライ1世は新古典主義を嫌い、 寵愛する建築家コンスタンチン・トーンに再設計を命じた。 トーンはコンスタンティノープルのアヤソフィアを規範としつつ中世ロシアのビザンティン建築教会を範とする「ロシア・ビザンティン様式」で1832年に新設計を完成。 1837年にクレムリン対岸のモスクワ川北岸へ敷地を移し、 1839年9月10日に礎石が置かれた。 工事は44年を要し、 内部のフレスコ画完成だけで12年を費やした。 1882年8月20日には完成前の聖堂前テントでチャイコフスキー作曲「序曲1812年」の世界初演が行われ、 1883年6月7日 (ユリウス暦5月26日) アレクサンドル3世戴冠式と同日に成聖。 1917年のロシア革命後、 国家無神論を掲げるソビエト政権は1921-1928年の反宗教運動で正教会を激しく弾圧し、 1924年のレーニン死後、 スターリンは大聖堂跡地に世界一の高さを誇る「ソビエト宮殿」 (頂部に巨大なレーニン像を載せる構想) 建設地を指定。 1930年2月にはOGPU経済部が大聖堂の金ドーム (20トン超の金) 撤去を要請した。 1931年12月5日正午、 大聖堂は爆破解体された。 しかしソビエト宮殿建設は地盤問題・第二次大戦・スターリン死去で頓挫し、 1958年から跡地に屋外温水プール「モスクワ」が建設された。 ペレストロイカ期の1990年12月5日に再建記念碑が据えられ、 1992年7月16日エリツィン大統領が「モスクワ再創造基金」設立法に署名。 1994年9月7日に再建委員会発足、 同年秋にプールを解体。 1995年1月7日 (ユリウス暦降誕祭) 礎石据置、 1996年8月19日下部小聖堂完成・成聖、 2000年8月19日 (主の顕栄祭) 総主教アレクシイ2世司祷で全体成聖式が挙行された。 以後ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂として機能している。

文化的背景と意義

救世主ハリストス大聖堂はロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂で、 全世界の正教会大聖堂の中で3番目に高い103メートルの規模を誇る。 完成当初の19世紀建築は「ロシア・ビザンティン様式」と呼ばれるニコライ1世時代の国民主義建築運動の頂点で、 モスクワ・クレムリンの生神女就寝大聖堂や聖天使首大聖堂など中世ロシア正教会建築の系譜を意識的に踏襲した。 内陣装飾はワシーリー・スリコフ・イワン・クラムスコイら19世紀ロシア国民派絵画の巨匠たちが結集している。 大聖堂はまた「1812年祖国戦争 (ナポレオン戦争) 戦勝記念聖堂」としての性格を持ち、 帝政ロシアの愛国主義シンボルでもあった。 1931年の爆破解体はソ連反宗教政策の象徴的行為で、 「無神論の宗教への勝利」を演出する意図的破壊であった。 2000年の再建成聖は逆にソ連時代の終焉とロシア正教会復興の記念碑となり、 ニコライ2世一家を含む新致命者の列聖式典も同聖堂で執り行われた。 エリツィン国葬 (2007年)、 キリル1世総主教着座式 (2009年) などロシア国家・教会の主要儀式の舞台となる。

建築的詳細

救世主ハリストス大聖堂は「ロシア・ビザンティン様式」を代表する五円屋根十字平面の聖堂で、 中央主ドームを4基のサブドームが囲む典型的なロシア正教会大聖堂構成を取る。 全高103メートル (主ドームと十字架部分だけで35メートル)、 内部床面積は約12,000平方メートル、 同時収容人数約10,000人。 主ドーム直径は29.8メートルに達する。 外壁は白大理石総張り、 鐘楼の鐘群は再建時に新鋳造で、 最大鐘は約30トン。 内装は19世紀ロシア国民派絵画の巨匠たちのフレスコ画で覆われ、 完成に12年を要した。 中央ナオスを取り囲む2階建ての回廊は壁面に希少な大理石・花崗岩を象嵌し、 1階回廊にはカッラーラ・ビアンカ大理石のパネル1000平方メートル以上が1812年祖国戦争の戦没者を記念して掲げられる。 2階回廊は教会聖歌隊席として機能した。 1990年代の再建では旧聖堂の図面を可能な限り忠実に再現しつつ、 鉄筋コンクリート構造で耐震性を確保し、 黄金ドームは旧式水銀メッキ法ではなく電気金メッキの新技術で再建された。 地下には2,500人収容の小聖堂 (顕栄聖堂)・聖会議室・神学博物館が新設され、 多機能複合宗教施設として再生した。

外部リンク

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