UNESCO 1996

厳島神社

廿日市市 · JP

海に浮かぶ朱の社殿、 平清盛が捧げた瀬戸内最古の世界遺産神社

広島県廿日市市の宮島に鎮座する厳島神社は、 平安時代末期の平清盛が現在の海上社殿を整え、 6棟の国宝建築と高さ16メートルの大鳥居を擁する瀬戸内最古の海上神社で、 1996年世界文化遺産登録された日本三景の聖地。

世界遺産 1996国宝

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

桜と朱の社殿のコラボ、 弥山の新緑も映え1年で最も人気の最盛期

★★★★★

6月-8月

8月17日前後の管絃祭は雅楽・御座船の最大行事、 ライトアップも幻想的

★★★★☆

11月中旬-下旬

紅谷川の紅葉と弥山の彩りが映える、 桜花期より静かな撮影好機

★★★★★

12月-2月

雪化粧した朱社殿は希少な絶景、 牡蠣シーズンで宮島グルメも最盛期

★★★★☆

見どころ TOP 3

  • 1.海に浮かぶ国宝大鳥居の異景

    海中に立つ高さ約16メートル・主柱周6メートルの大鳥居は日本三大鳥居の一つ。 楠の自然木をそのまま使った主柱は1875年に建てられた8代目で、 満潮時は海上に浮き、 干潮時は徒歩で根元まで近づける。

    干潮時は鳥居の真下から見上げ、 満潮時は対岸から夕焼け越しに撮る

  • 2.海上に浮かぶ国宝6棟の社殿群

    本殿・幣殿・拝殿(1棟)を中心に、 客神社・東西廻廊を含む6棟が国宝指定。 平安時代末期の寝殿造を継承する海上社殿は、 満潮時に海面に浮かんで見える唯一無二の景観で、 平家納経などの宝物も多数所蔵する。

    本殿前の幣殿越しに檜皮葺の屋根群を斜めから収める構図

  • 3.国宝平舞台と日本三舞台の格式

    国宝附指定の平舞台は日本三舞台の一つで、 海に向かって突き出した火焼先と高舞台で構成される。 高舞台では舞楽が奉納され、 8月の管絃祭では雅楽の生演奏とともに御座船が三女神を運ぶ厳島最大の祭事の舞台となる。

    祓殿側から高舞台と平舞台を一直線に見通す構図

物語・伝説

推古天皇元年(593年)、 豪族佐伯鞍職が神託を受けて宗像三女神を祀ったのが始まりとされ、 古来より島そのものが神として禁足地となった霊地である。 平安時代末期、 安芸守となった平清盛が1168年頃に現在のような大規模な海上社殿を造営し、 平家の氏神として崇敬を集めた。 平家滅亡後も毛利元就・豊臣秀吉らが帰依し、 海上を舞台に大鳥居が朝夕の満ち引きで姿を変える「神に斎く島」として、 今も多くの参拝者を魅了し続ける。

こんな人におすすめ

海上社殿の異景に惹かれる写真愛好家、 平家物語と宗像三女神の歴史に魅かれる歴史マニア、 寝殿造の建築美を堪能したい建築愛好家、 日本三景・三大鳥居の格式を巡る巡礼者、 牡蠣・もみじ饅頭目当ての家族連れ。 広島駅から船と電車で約1時間。

現地で知るべき豆知識

  • 1.潮位は時刻により大きく変わり、 大鳥居の真下まで歩ける干潮と海上に浮かぶ満潮で景観が一変するため、 訪問前に宮島観光協会の潮位カレンダーで両方狙える時間帯を選ぶのが必須
  • 2.弥山ロープウェー山頂駅から徒歩30分の山頂展望台は瀬戸内海の多島美が一望でき、 大鳥居・社殿を遥か眼下に見下ろす希少な構図が撮れる、 観光客にあまり知られていない空中視点の穴場である
  • 3.本殿正面ではなく東廻廊側から朝7時の開門直後を狙うと参拝者が極端に少なく、 朱欄越しに本殿を望む静寂のショットが撮れる、 朝の宮島観光と組合せたい早起き組限定の隠れた撮影時間帯となる

訪問情報

アクセス
JR山陽本線宮島口駅から徒歩5分で宮島口桟橋、 JR西日本宮島フェリー約10分で対岸の宮島桟橋着、 神社まで徒歩約12分。 広島駅から船と電車で約1時間。
所要時間
本社・客神社で1.5時間、 弥山と町歩き含めて半日が目安。
予算目安
拝観料 大人300円・高校生200円・小中学生100円。 フェリー往復約400円。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩10分の千畳閣(豊国神社)は秀吉造営の大経堂で隣接の五重塔とセットで巡る定番コース、 ロープウェー乗継30分の弥山山頂は瀬戸内多島美の絶景展望地。 宮島水族館・町家通りも徒歩圏内にあり半日コース可。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 593年

    厳島神社の創建

    推古天皇元年、 豪族佐伯鞍職が神託を受け御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したのが始まり

  2. 811年

    名神に列す

    弘仁2年、 文献で初めて「伊都岐島神」として登場し朝廷から正式な名神として認められる

  3. 1168年

    平清盛の社殿造営

    仁安3年頃、 安芸守平清盛と神主佐伯景弘によって現在見られる大規模な海上社殿の原型が整備される

  4. 1207年

    建永の大火

    建永2年に大火災で社殿を全焼、 平家滅亡後の社勢衰退を象徴する出来事となる

  5. 1241年

    仁治の再建

    貞応の火災(1223年)後の再建が完成、 現存する社殿の主要部はこの時期の遺構である

  6. 1555年

    厳島の戦い

    弘治元年、 毛利元就が陶晴賢を破り厳島を支配下に置き、 神社崇敬を回復し社殿修復を進める

  7. 1571年

    本殿再建

    元亀2年、 和智兄弟事件で穢れた本殿を毛利氏の命で建て替え、 平安様式を踏襲した現存本殿となる

  8. 1875年

    現大鳥居建造

    明治8年、 楠木製の8代目大鳥居が完成、 高さ約16メートルの現在の姿となり海上のシンボルに

  9. 1952年

    国宝指定

    本殿・幣殿・拝殿・客神社等6棟が国宝に指定、 文化財保護法体制下での最高位を獲得する

  10. 1991年

    台風19号被害

    重要文化財の能舞台が倒壊するなど甚大な高潮被害を受け、 海上社殿の脆弱性が改めて意識される

  11. 1996年12月

    世界文化遺産登録

    ユネスコ世界文化遺産に登録、 海と山と建築が一体化した「島が神」の信仰観が顕著な価値とされる

歴史をもっと深く

厳島神社の歴史は推古天皇元年(593年)、 当地の有力豪族・佐伯鞍職が御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まる。 弘仁2年(811年)に名神に列し、 平安時代の『延喜式神名帳』には「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」として記載され名神大社となった。 安芸国一宮の格式を得て、 神職は佐伯氏が世襲した。 平安時代末期の仁安3年(1168年)頃、 当時の安芸守・平清盛と神主佐伯景弘の結びつきから、 現在見られる大規模な海上社殿の原型が整備され、 平家の氏神として一族の崇敬を集めた。 平家滅亡後の建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)に2度の火災で社殿を全焼するも、 仁治2年(1241年)に再建されて現存する社殿の主要部の基礎となった。 鎌倉時代から南北朝期にかけ社人・僧侶の常住が始まり、 戦国時代には社勢が衰退したが、 弘治元年(1555年)の厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢を破り厳島を支配下に置くと社殿の修復が本格化、 永禄12年(1569年)の和智兄弟事件で本殿が血で穢れたとして元亀2年(1571年)に本殿が建て替えられた。 豊臣秀吉も九州遠征の途上で参拝し、 大経堂(現千畳閣)を造営。 江戸時代には民衆の厳島詣が広まり門前町が栄えた。 明治初期の神仏分離令で社殿の彩色が剥がされ「白木造」に改められたが、 棚守の直訴で焼却は免れた。 1871年に国幣中社、 1911年に官幣中社へ昇格、 1952年に本殿・幣殿・拝殿等6棟が国宝に指定。 1996年12月に法隆寺地域・姫路城等とともにユネスコ世界文化遺産に登録された。 1991年台風19号で能舞台が倒壊するなど高潮被害を繰り返しているが、 主要建物は清盛時代以来850年間水没したことがないとされる。

文化的背景と意義

厳島神社は本殿・幣殿・拝殿等6棟が国宝、 14棟が重要文化財、 中堀以内が国の特別史跡という、 海域に建つ社殿としては世界に類例のない文化財集積を誇る。 大鳥居は日本三大鳥居、 平舞台は日本三舞台、 大宮司は日本三大宮司に数えられ、 安芸の宮島は松島・天橋立とともに日本三景の一つで、 古来から島そのものが神として禁足地とされてきた。 1996年の世界文化遺産登録は法隆寺地域・姫路城等とともに日本初の文化遺産登録の延長で、 海と山と建築が一体化した「島が神」の信仰観そのものが顕著で普遍的な価値として認められた。 平家納経をはじめ多数の国宝工芸品を所蔵し、 平家物語の聖地として日本文学の重要舞台でもある。 黒澤明監督や数多の文学作品の舞台、 大河ドラマ『平清盛』の主要ロケ地ともなった。

建築的詳細

厳島神社の主要社殿は宮島北部の有浦湾の最奥に北西を正面として建ち、 本社本殿・幣殿・拝殿を1棟とし、 手前に祓殿と高舞台・平舞台が桟橋状に海に突き出る構成。 平舞台先端の火焼先は大鳥居と一直線に結ばれる。 全長約260メートルの東廻廊・西廻廊が祓殿から左右に屈折して伸び、 客神社へと続く。 すべて海域の浅い海底に礎石を据え、 木製の杭(束)で板床を支える独特の構造で、 満潮時には海上に浮かんで見える。 主要建築は寝殿造を継承する平安時代末期様式を基本に中世再建ながら清盛時代の規模・意匠を伝える。 木製杭は満潮時に海水に浸かるため腐食を前提に定期的な根継ぎを行う。 屋根は全て檜皮葺で、 本殿は両流造、 廻廊は片流造。 三浦正幸らの研究では、 主要社殿は200年に一度の高潮にも水没しない位置を選んで建てられているとされる。

外部リンク

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