姫路城
姫路市 · JP
白鷺が舞い降りる、世界遺産にして日本最高峰の国宝天守閣を擁する名城
兵庫県姫路市の姫山に立つ姫路城は、5層7階の大天守を中心に8棟の国宝建築群を擁する日本城郭の最高傑作。第二次大戦の空襲でも焼夷弾が不発となり、築城以来一度も大規模戦災を逃れた「不戦の城」として親しまれる。
ベストシーズン・ベストタイム
桜1000本と白漆喰天守のコラボが絶景、 撮影と花見で1年で最も人気の最盛期
★★★★★
新緑と夕方ライトアップ(日没-22時)が映える、 平日午前の訪問が涼しく快適
★★★☆☆
紅葉と白漆喰の城のコラボが映える穴場の好機、 桜花期より人が少なく落ち着く
★★★★☆
雪化粧した早朝の白鷺城は神秘的な絶景、 寒さ覚悟の写真愛好家に人気
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.大天守(国宝)の白鷺の優美
5層7階・地上31.5メートルの大天守は、白漆喰塗りで総覆いされた優雅な曲線美が特徴。心柱2本で4階分を支える構造工夫と、階を昇るにつれ細くなる収束美が世界遺産級の傑作建築を体感させる。
三の丸広場の南西角からの正面ショットが定番
2.西の丸長局(百間廊下)の千姫物語
全長約120メートルの西の丸長局は徳川秀忠の娘・千姫が住んだ侍女部屋群で、化粧櫓に至る長廊下から大天守を真正面から眺められる。江戸初期の女性の暮らしを唯一体感できる、姫路城の隠れた見どころである。
化粧櫓窓越しに大天守を縦構図で切り取る
3.国宝の連立式天守群構成
大天守を中心に、東小天守・西小天守・乾小天守の3小天守を渡櫓で結ぶ「連立式天守」は日本でも姫路城だけ。8棟全てが国宝指定された世界に類例のない構成で、内部を全て歩いて見学できる。
備前門の上から連立全景を望遠レンズで
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.西の丸庭園は本丸より遥かに人が少なく、 化粧櫓窓からの大天守ショットが穴場の絶景ポイントとなる。 化粧櫓・千姫の物語パネル、 西の丸長局の侍女部屋群も必見である
- 2.「平成の大修理(2009-2015)」で漆喰を塗り直したばかりで、 現在は漆喰の白さが際立つ最も美しい時期である。 漆喰の白さは時とともに馴染むため、 今こそが撮影の旬と言える
- 3.ふるさと納税3000万円以上で「永久入城権」を得られる「城主」プランがあり、 49人目以降も募集している。 専用ヘリでの入城セレモニー付きで2022年に話題を集めた
訪問情報
- アクセス
- JR姫路駅から徒歩約15分、 または駅前バスで約5分の「姫路城大手門前」下車徒歩5分。 新幹線のぞみ停車駅で大阪から30分。
- 所要時間
- 天守と本丸で2時間、 好古園含めて半日が目安。
- 予算目安
- 入城料 大人1000円・小人300円。 好古園共通券 大人1050円。 (2024年時点)
周辺観光
西側に隣接する好古園(姫路藩主旧西屋敷跡の池泉回遊式庭園)は共通券で組合せ可。 徒歩20分の書写山圓教寺は天台宗別格本山で「ラストサムライ」のロケ地。 車30分の赤穂城跡、 車45分の明石城も組合せ可能。
住所:兵庫県姫路市本町68
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1346年
築城始まる
南北朝時代、 赤松貞範が姫山に小規模な砦を築き、 称名寺を麓に移して姫路城の歴史が始まる
- 1568年
青山・土器山の戦い
城代・黒田孝高(官兵衛)が約300人で赤松政秀軍3000人を撃退した逸話が伝わる名戦
- 1580年
羽柴秀吉の改修
黒田孝高が秀吉に城を献上、 秀吉は姫山中心の近世城郭に改め3層天守を築き姫路城に改名
- 1601年
池田輝政の大改修
関ヶ原の戦い後、 9年の歳月をかけて現在の5層大天守と連立式天守群を完成させた
- 1617年
千姫の入城
徳川秀忠の娘・千姫が本多忠刻に嫁ぎ、 西の丸長局(百間廊下)を住まいとした
- 1873年
廃城令の危機
民間に23円50銭で落札される事件もあったが、 中村重遠工兵大佐の働きで保存処置が取られた
- 1931年
国宝指定
大天守をはじめとする主要建物が旧国宝に指定され、 文化財保護の対象に
- 1945年7月
姫路大空襲
焼夷弾が大天守最上階に直撃するも奇跡的に不発、 「白い不死鳥」の異名の由来となる
- 1956-1964年
昭和の大修理
8年がかりの全面解体修理で大天守の構造を抜本的に補強、 戦後復興の象徴事業となった
- 1993年12月
世界文化遺産登録
法隆寺地域とともにユネスコ世界文化遺産として日本初の文化遺産登録を達成
- 2009-2015年
平成の大修理
大天守の漆喰塗り直しと屋根瓦葺替え、 工事期間中も「天空の白鷺」として工事見学を公開
- 2022年
ふるさと納税城主プラン
3000万円以上の寄付者を専用ヘリで迎える「城主」プランで第1号入城セレモニーが話題に
歴史をもっと深く
姫路城の歴史は1346年(南北朝時代正平元年/貞和2年)、 赤松貞範が姫山に小規模な砦を築いたことに始まる。 当時の姫山(古名「日女路の丘」)には称名寺があり、 貞範はこれを麓に移して築城した。 ただし赤松氏時代の構造は砦・館の規模で、 戦国時代後期に小寺氏家臣の黒田重隆・職隆父子が中世城郭に拡張した時から本格的な城郭として機能し始めた。 黒田孝高(官兵衛・如水)が城代の時、 1568年の青山・土器山の戦いで赤松政秀軍3000人を約300人で撃退した逸話が伝わる。 1580年、 中国攻めを進める羽柴秀吉が播磨を平定し、 黒田孝高は秀吉に姫路城を献上した。 秀吉は1580-1581年の大改修で姫山中心の近世城郭に改め、 太閤丸に3層天守を建てて姫路城に改名した。 1601年、 関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政が9年の歳月をかけて現在の5層大天守と連立式構成を完成させた。 江戸時代は姫路藩の藩庁・西国外様大名監視の拠点として機能し、 池田・本多・榊原・酒井・松平の譜代/親藩6氏31人(赤松氏から数えると約530年間で13氏48人)の城主が交代した。 千姫(徳川秀忠の娘)が1617年から西の丸長局に住んだことでも知られる。 明治期には1873年の廃城令で大きな危機を迎え、 民間に23円50銭で落札される事件もあったが権利が放棄され国有に戻り、 陸軍中村重遠工兵大佐の働きかけで保存処置が取られた。 1931年に天守が国宝指定、 1945年7月の姫路大空襲では大天守最上階に焼夷弾が直撃したが奇跡的に不発で焼失を免れる。 1956-1964年の昭和の大修理、 2009-2015年の平成の大修理を経て現在に至り、 1993年12月にユネスコ世界文化遺産として日本で初の文化遺産として登録された。 2021年には姫路市がふるさと納税3000万円以上の寄付者を「城主」として迎えるプランを発表し、 2022年3月19日に専用ヘリコプターでの入城セレモニーが行われた。
文化的背景と意義
姫路城は江戸時代初期の現存12天守の中で最大規模を誇り、 5層7階の大天守と東小天守・西小天守・乾小天守を渡櫓で結ぶ連立式構成は世界的にも類例がない希少な構造である。 8棟が国宝、 74棟(櫓・渡櫓27棟、 門15棟、 塀32棟)が重要文化財、 中堀以内のほとんどが特別史跡に指定されている。 「白鷺城」の異称は、 白漆喰総塗込めの壁面・桜木山の別名・ゴイサギなど白鷺の生息地・対比された岡山城の烏城との対称関係など複数の由来説がある。 「不戦の城」「白い不死鳥」の名は、 第二次世界大戦の空襲で焼夷弾が不発となり奇跡的に焼失を免れた逸話に由来し、 戦災から立ち上がる市民の精神的支柱となった。 1993年の世界文化遺産登録は、 法隆寺地域の仏教建造物群と並ぶ日本初の文化遺産で、 屋久島・白神山地の自然遺産と合わせて4件同時登録の歴史的事業となった。 黒澤明「乱」「影武者」、 シェイクスピア演劇のロケ地、 NHK大河ドラマなど映像作品への文化的影響力も大きい。
建築的詳細
姫路城の縄張りは姫山(標高45.6メートル)と鷺山を活用した連郭式平山城で、 東に追手筋、 西に搦手筋、 南北に幾重にも折れ曲がる螺旋状登城路を配置し、 敵の侵入を惑わす防御工夫が随所に見られる。 大天守は5層6階地下1階・地上31.5メートルの層塔型天守で、 中央に通る2本の心柱(東大柱・西大柱)が上層階の重量を支える独特の構造を持つ。 東大柱は地下から最上階まで1本通しの巨大柱で、 平成の大修理で取替えられた現在の柱は3本継ぎとなった。 屋根の装飾には大小10基の千鳥破風・唐破風が異なる方角に配置され、 真俯瞰でも均整の取れた意匠を成す。 壁面は厚さ約20センチの土壁の上に白漆喰を総塗込め、 防火性と耐久性を両立する。 石垣は野面積み・打込接ぎ・切込接ぎの3種が時代別に観察でき、 特に天守台と本丸の高石垣は上部が反り返る優美な曲線を描く扇の勾配の築城技法を体現する。 建材は近隣の生石採石場の良質な花崗岩を中心とし、 4世紀を経ても歪みなく耐えている。