シャルトル大聖堂
シャルトル · FR
ハイ・ゴシックの最高峰、152枚の中世ステンドグラスが今も輝く奇跡の大聖堂
パリ南西87kmのシャルトルの丘に聳えるノートルダム大聖堂は、1194年の大火後わずか26年で再建された古典ゴシック様式の到達点。聖母マリアの聖衣「サンクタ・カミシア」を擁し、 8世紀にわたる巡礼の中心地として1979年にユネスコ世界文化遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
新緑とステンドグラスの光が最も美しい季節、 観光客もまだ少なく落ち着いた見学が可能
★★★★★
「シャルトル・アン・リュミエール」のライトアップが日没後に開催、 大聖堂が幻想的に浮かぶ
★★★★★
観光オフシーズン入りで内陣のステンドグラスをじっくり鑑賞できる写真愛好家向け好機
★★★★☆
寒く混雑も少ない時期、 クリスマスマーケットと組合せた巡礼旅向きの静寂の季節
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.対照的な二つの尖塔がそびえる西正面
高さ105mの素朴な12世紀の北尖塔と、113mの華麗な16世紀フランボワイアン様式の南尖塔が、聳え立つ西正面ファサードで対峙する。一見不揃いに見える組合せが、4世紀の建築様式の進化を一枚の絵で物語る世界遺産級の景観をなす。
大聖堂前広場(Place de la Cathédrale)の西側から夕暮れの順光で
2.シャルトルブルーが照らす南バラ窓
13世紀初頭の176枚のステンドグラスのうち152枚が中世オリジナルのまま残り、 特に南バラ窓は「シャルトルブルー」の深い青の発色で世界一の名を欲しいままにする。 第二次大戦中は地下に疎開させ爆撃から守った傑作群である。
南翼廊の中央通路から見上げる構図、晴天午後の逆光が青を際立たせる
3.「王の扉口」中央タンパンの中世彫刻群
西正面の3つの扉口の中央タンパンに鎮座する「栄光のキリスト」像は、12世紀中頃のロマネスクからゴシックへの過渡期を示す彫刻史の転換点。下段の旧約聖書の王と妃の柱像も含め、火災を生き延びた1145年頃の傑作彫刻が現存する。
西正面中央扉口の真正面から、 朝の柔らかい光で陰影を捉える
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.毎週金曜の夏季限定で、 床に描かれた直径12.9mの「シャルトルの迷宮」が椅子を取り払って公開される。 中世巡礼者がエルサレム巡礼の代替として歩いた瞑想路で、 通常は椅子に隠れている貴重なルートを実際に歩ける機会である
- 2.公式ガイドのマルコム・ミラー氏(英語)による2時間ツアーは、 ステンドグラス各窓の図像学を窓ごとに解説する世界的に有名なツアー。 50年以上続けてきた知識量は他に類を見ず、 午前と午後の2回開催で予約不要だが寄付制となっている
- 3.北塔(高さ113mのフランボワイアン様式)に有料で登れるが、 階段は300段超で混雑期は1時間待ち。 開放期間は4-9月限定で、 シャルトルの平野と街を一望できる絶景は登頂者の特権である
訪問情報
- アクセス
- パリ・モンパルナス駅からTERで約1時間 (片道約16ユーロ)、 シャルトル駅から大聖堂まで徒歩約10分。 車ならA10/A11高速で約1時間15分、 大聖堂周辺に有料駐車場あり。
- 所要時間
- 大聖堂内部見学で1.5-2時間、 ツアー参加と宝物庫まで含めて半日が目安。
- 予算目安
- 大聖堂内部は無料、 北塔登頂 約7ユーロ、 宝物庫 約4ユーロ。 パリからのTER往復32ユーロ前後。 (2024年時点)
周辺観光
大聖堂東200mのファインアーツ美術館は元司教館で中世美術コレクション豊富。 旧市街の半木骨造の街並み散策はシャルトル下町まで30分の楽しい散歩。 車30分のメザン城、 シャトーダンの中世城郭も組合せ可能、 パリ方面なら帰路にヴェルサイユ宮殿に寄れる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 4世紀
最初の教会
ガロ・ローマ期の城壁麓に最初の教会が建てられ、 シャルトル司教座が設置される
- 743年
アキテーヌ公の焼討
アキテーヌ公の命令で最初の教会が焼失、 度重なる焼失と再建の歴史が始まる
- 858年
デーン人の襲撃
デーン人海賊の襲撃で再び焼失するが、 司教ジスルベールが拡張再建する
- 1020年
フュルベールの大聖堂
大火後、 司教フュルベールがロマネスク様式の大聖堂建設を決断、 各国王室から寄付を集める
- 1145年
「車の信仰」
千人超の信徒が建材を積んだ荷車を8km離れた採石場から建設現場まで自ら運んだ宗教的熱狂
- 1194年
落雷大火と再建開始
6月10-11日の落雷大火で西側2塔以外焼失、 聖衣サンクタ・カミシアの無事発見を機に再建開始
- 1220年
本体完成
わずか26年で身廊と内陣を完成、 古典ゴシック様式の完成形が中世大聖堂として異例の速さで誕生
- 1260年
奉献式
10月24日、 ルイ9世王家のもとで大聖堂の奉献式が執り行われる
- 1507-1513年
北塔フランボワイアン尖塔
老朽化した木造尖塔の焼失後、 ジャン・ド・ボース設計の高さ113m石造尖塔が完成
- 1594年
アンリ4世の成聖式
ランス大聖堂が敵勢力下にあったため、 アンリ4世がシャルトル大聖堂で成聖式を執行
- 1862年
歴史的記念物指定
フランス歴史的記念物に指定され、 国家による法的な保護対象となる転機
- 1939-1945年
ステンドグラス疎開
第二次大戦中、 ステンドグラスを地方に取り外して疎開、 ドイツ軍爆撃と砲撃から守る
- 1979年
世界文化遺産登録
ユネスコ世界文化遺産に登録、 「フランス・ゴシック芸術の最高点」と評される
- 2009-2020年代
内部大修復
内部の大規模修復で壁面の中世フレスコ画と装飾が復元、 ステンドグラスもクリーニング
歴史をもっと深く
シャルトル大聖堂の歴史は4世紀のガロ・ローマ期にまで遡る。 シャルトル司教座が置かれた最初の教会は遅くとも4世紀には存在し、 743年にアキテーヌ公の命で焼失、 858年にデーン人海賊の襲撃で再び焼失する受難の歴史を経た。 962年と1020年にも火災に見舞われ、 1020年の大火の後、 司教フュルベール(在位1006-1028)が大規模ロマネスク様式の大聖堂の建設を決断。 ヨーロッパ各王室に寄付を募り、 デンマーク・ノルウェー・イングランド王クヌーズからも援助を得て再建が進む。 1134年には町の大火がファサードと鐘楼を損傷、 修復過程で1142年頃に北塔に木造尖塔が架けられ、 1165年頃に高さ105mの南塔(現存する古い方の尖塔)が完成した。 1145年には「車の信仰」と呼ばれる宗教的熱狂が発生し、 千人を超える信徒が建材を積んだ荷車を採石場から建設現場まで自ら運んだとの記録が残る。 そして決定的な転機が1194年6月10-11日の落雷大火である。 西側の2塔とファサード、 地下聖堂を残し町と聖堂は焼失したが、 司祭が宝物庫に施錠して守った聖衣サンクタ・カミシアが無傷で発見されたことで、 再建は聖母の意志と受け止められた。 1194年から1220年のわずか26年で本体が完成し、 中世大聖堂としては異例の速さであった。 全長128m、 身廊高さ37mの十字型平面に、 飛梁(フライング・バットレス)で支えられた高い側廊と巨大なクリアストーリー、 そして176枚のステンドグラス窓を擁する古典ゴシックの完成形が出現した。 1260年10月24日、 ルイ9世王家のもとで奉献式が行われ、 1594年にはアンリ4世が(本来戴冠式が行われるランス大聖堂が敵勢力下にあったため)ここで成聖式を執り行った。 1507-1513年には北塔の木造尖塔が老朽化で焼失した後、 ジャン・ド・ボース設計の高さ113mのフランボワイアン様式(火焔式)石造尖塔が完成し、 二塔のコントラストが現在の姿となる。 フランス革命では多くの教会が破壊されたがシャルトル大聖堂は奇跡的に略奪を免れ、 1836年には屋根が焼失したものの聖堂本体は無事であった。 第二次大戦中はステンドグラスを取り外して地方に疎開させ、 ドイツ軍の爆撃と1944年のアメリカ軍の砲撃から守った。 1979年、 ユネスコ世界文化遺産に登録され「フランス・ゴシック芸術の最高点」「傑作」と評された。 2009年から2020年代にかけては内部の大規模修復で壁面の中世のフレスコ画と装飾が復元されている。
文化的背景と意義
シャルトル大聖堂はフランス・ゴシック建築における古典期(High Gothic)の完成形として、 ランス・アミアン・ブールジュと並ぶ「フランス4大ゴシック大聖堂」の筆頭に位置づけられる。 1194年大火後の再建で飛梁による高さ確保とステンドグラスの大面積化を初めて完成形で示し、 後のゴシック大聖堂の基準形となった建築史的意義は計り知れない。 1862年にフランス歴史的記念物に指定され、 1979年12月に「フランス・ゴシック芸術の最高点」としてユネスコ世界遺産(基準i・ii・iv)に登録された。 176枚のステンドグラス窓のうち152枚が13世紀初頭のオリジナルで、 世界最大かつ最良保存の中世ステンドグラス群を成す。 「シャルトルブルー」と呼ばれる青色顔料は現代の科学分析でも再現困難な失われた中世技法として研究対象であり続けている。 巡礼地としては、 876年にカール大帝が大聖堂に贈ったとされる聖衣「サンクタ・カミシア」を擁し、 8世紀にわたって聖母マリア信仰の重要拠点であり続けた。 床に描かれた直径12.9mの石の迷宮は、 中世巡礼者がエルサレム巡礼の代替として歩いた瞑想路で、 現存する中世迷宮の最大かつ最も有名な例である。 シャルトル司教座学校は11-12世紀に「シャルトル学派」と呼ばれる学問の中心地となり、 自由七科の四科でパリ大学に先駆ける成果を上げた。
建築的詳細
シャルトル大聖堂は全長128m・東西方向の長軸を持つラテン十字型平面で、 身廊の高さは37m、 身廊幅は16.4m、 南北の翼廊が短く、 東端には5つの半円形チャペルが放射状に伸びる回廊(シェヴェ)で曲線を描く。 構造的にはフランス・ゴシック古典期の完成形で、 厚さ約1.5mの外壁を二重の飛梁(フライング・バットレス)で支えることで、 従来のロマネスク様式では不可能だった大面積のステンドグラス窓を実現した。 各ベイは長方形の四分ヴォールト(四つのリブが対角線で交差する天井)で覆われ、 同時代の初期ゴシック大聖堂(ランやサンス)の六分ヴォールトより構造的合理性が高く、 高さと開口部を両立する。 西正面は3つの扉口(中央が「王の扉口」)と巨大な西バラ窓(直径12.9m)、 そして対照的な二尖塔で構成され、 南尖塔は1142-1160年頃の高さ105m素朴な角錐ロマネスク様式、 北尖塔は1507-1513年完成の高さ113mフランボワイアン様式(火焔式)石造塔で、 4世紀の建築様式の進化を一枚の正面で見せる稀有な構成となる。 屋根は19世紀の修復で銅板葺きに改められ、 緑青色に酸化して現在の特徴的な淡緑色を呈する。 建材は主にローカルなベルシェール石灰岩で、 8km離れた採石場から1145年の「車の信仰」で住民が自ら運んだ伝承が残る。