サン・マルコ寺院

Venezia-Murano-Burano · IT

黄金モザイクが燃え立つ、 ヴェネツィア共和国千年の威光を映すビザンチンの宝石

イタリア・ヴェネツィアの水都中心、 サン・マルコ広場の東端に立つサン・マルコ寺院は、 福音記者マルコの聖遺物を納め、 8000平米超の黄金モザイクで天井と壁面が覆われたビザンチン建築の傑作。 「黄金の教会」と称される内部は、 9世紀から19世紀まで900年の時間が一堂に凝縮された奇跡の聖堂である。

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

気候穏やか、 観光客本格化前で行列短く、 ファサードの光も柔らかい絶好の撮影期

★★★★★

6月-8月

観光ピークで2時間待ち珍しくない、 早朝7時開門直後を狙えば回避可能

★★☆☆☆

9月下旬-11月

観光客が一段落、 高潮(アクア・アルタ)前の落ち着いた時期で晴天率も高い穴場

★★★★★

12月-2月

高潮(アクア・アルタ)で広場が水没、 神秘的な水鏡風景が見られるが入堂困難な日も

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.5つの大ドームを戴く西正面ファサード

    ギリシア十字形平面に5つの巨大ドームを戴く構造を、 正面5アーチと尖塔・大理石円柱・モザイク半円画が彩る独特の意匠。 第四回十字軍でコンスタンティノポリスから略奪した彫刻を多数組み込んだ戦利品の宝庫。

    サン・マルコ広場西端から日没前の斜光で正面5アーチを構図に

  • 2.黄金に煌めく内部モザイクと5ドーム天井

    内部8000平米超を覆う黄金地モザイクが旧約・新約聖書の場面を描き出す。 11-13世紀の中期ビザンチン様式を主体に、 ティツィアーノ・ティントレットの下絵も加わり、 800年に及ぶ美術様式が共存する。

    中央ドーム真下から見上げ、 朝の自然光でモザイクの輝きを

  • 3.正面上の青銅の馬「カヴァッリ・ディ・サン・マルコ」

    ファサード上の4頭の古代青銅馬は、 元はコンスタンティノポリス競馬場のもの。 1204年第四回十字軍でヴェネツィアが略奪、 海洋帝国の象徴となった。 屋外はレプリカで本物はテラス内博物館に展示。

    広場北側からファサード上部を望遠で、 4頭の躍動を切り取る

物語・伝説

828年、 2人のヴェネツィア商人がアレクサンドリアから福音記者マルコの聖遺物を豚肉の樽に隠して密かに持ち帰った。 ヴェネツィアは聖マルコを守護聖人とし、 ドージェ(統領)宮殿の隣に最初の聖堂を建てた。 976年の暴動で焼失するも、 1063年に総督ドメニコ・コンタリーニが現在の十字形ドーム聖堂の建設を始め、 30年後に完成。 1204年の第四回十字軍でコンスタンティノポリスを略奪したヴェネツィアは、 大量の大理石・黄金・聖遺物・四頭の青銅馬を持ち帰り、 聖堂を「東方の戦利品の宝庫」として豪奢に飾った。 9世紀から19世紀まで900年の改修が重ねられた稀有な聖堂である。

こんな人におすすめ

ビザンチン美術・モザイクに惹かれる美術愛好家、 ヴェネツィア共和国の歴史と海洋帝国の遺産を辿る歴史好き、 信仰の場としての聖堂を体感したい巡礼者、 写真愛好家にもおすすめ。 ヴェネツィア観光の中核で半日コースに最適。

現地で知るべき豆知識

  • 1.本堂内は無料で見学可だが、 黄金祭壇「パラ・ドーロ」とテラス上の青銅馬本物は別途有料(各5ユーロ前後)。 公式サイトで予約購入すると行列を回避でき、 写真愛好家には特にテラスからの広場見下ろしが穴場。
  • 2.夜に内部の照明が点灯する「金曜・土曜のミサ」時間帯は、 黄金モザイクが最も輝く穴場時間。 ただし観光ではなく信徒の祈祷時間のため、 撮影禁止・静粛厳守で配慮が必要となる。
  • 3.高潮(アクア・アルタ)期の朝、 サン・マルコ広場が水没した時の聖堂の水鏡映りこそが写真愛好家垂涎の景観。 11-1月の早朝、 防水靴持参で挑む価値あり、 公式の高潮予報を前日に確認すべし。

訪問情報

アクセス
ヴェネツィア・サンタルチア駅から水上バス(ヴァポレット)1番でサン・マルコ・ヴァッラレッソ下船徒歩3分、 または徒歩30分。 マルコ・ポーロ空港からは水上バスで約1時間。
所要時間
本堂1時間、 パラ・ドーロ・テラス・博物館込みで2時間が目安。
予算目安
本堂入場無料。 パラ・ドーロ5ユーロ・テラス・博物館各7ユーロ、 全込み20ユーロ前後。 (2024年時点、 公式サイトで要確認)

周辺観光

東に隣接するドゥカーレ宮殿(統領宮殿)は徒歩0分、 共通券で組合せ可。 鐘楼(カンパニーレ)からはヴェネツィア潟全景。 北西の時計塔・南のため息橋・サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂もヴァポレット数分圏。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 828年

    聖マルコの聖遺物到着

    2人のヴェネツィア商人がアレクサンドリアから福音記者マルコの聖遺物を持ち帰り、 聖マルコがヴェネツィアの守護聖人となる

  2. 836年頃

    最初の聖堂(パルティチパツィオ聖堂)完成

    統領ジュスティニアーノ・パルティチパツィオの遺命で最初の十字形プラン聖堂が建てられ、 聖マルコの聖遺物を安置

  3. 976年

    オルセオロ統領暴動と焼失

    ピエトロ・カンディアーノIV世統領を巡る民衆暴動で聖堂が炎上し焼失、 2年後に再建

  4. 1063年

    現聖堂の起工

    総督ドメニコ・コンタリーニがコンスタンティノポリスの聖使徒大聖堂を模した十字形ドーム聖堂の建設を開始

  5. 1090年代

    主体構造完成

    総督ヴィターレ・ファリエル時代に5ドーム十字形プランの主体が完成、 以後900年にわたる増改築の始まり

  6. 1204年

    第四回十字軍の戦利品

    ヴェネツィアがコンスタンティノポリスを略奪し、 4頭の青銅馬・大理石柱・聖遺物等を持ち帰り聖堂を装飾

  7. 1345年

    パラ・ドーロ最終完成

    ビザンチン金細工の最高傑作「パラ・ドーロ(黄金祭壇)」が976年起工から数次の改修を経て現在の姿に

  8. 1451年

    ヴェネツィア大司教座移転

    グラードの大司教座がヴェネツィア本島に移されるが、 大聖堂はサン・ピエトロ・ディ・カステッロ聖堂のまま

  9. 1797年

    ヴェネツィア共和国滅亡

    ナポレオン軍によりヴェネツィア共和国が滅亡、 1000年続いた統領体制の終焉と聖堂の地位変化

  10. 1807年

    大聖堂に昇格

    ナポレオンの命令で大司教座が正式にサン・マルコ聖堂に移され、 ヴェネツィア大聖堂となる

  11. 1902年

    鐘楼倒壊

    隣接する鐘楼(カンパニーレ)が突如倒壊、 聖堂本体への被害は奇跡的に最小限で食い止められた

  12. 1987年

    世界文化遺産登録

    「ヴェネツィアとその潟」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録、 都市全体が遺産となる希少例

歴史をもっと深く

サン・マルコ寺院の歴史は828年、 2人のヴェネツィア商人が福音記者マルコの聖遺物をアレクサンドリアから(豚肉の樽に隠して)持ち出した「聖マルコの遷移(translatio)」に始まる。 当時のヴェネツィアはラヴェンナ太守領の属領で、 名目上は東ローマ帝国の宗主下にあった自治領であった。 統領ジュスティニアーノ・パルティチパツィオ(在位827-829年)が遺言で弟ジョヴァンニに新聖堂建設を命じ、 836年頃に最初の十字形プラン聖堂(パルティチパツィオ聖堂)が完成、 聖マルコの聖遺物が安置された。 976年のオルセオロ統領を巡る暴動で聖堂は炎上したが、 978年に同名の総督ピエトロ・オルセオロI世が再建したのがオルセオロ聖堂である。 1063年、 総督ドメニコ・コンタリーニが東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスの聖使徒大聖堂(現存せず、 1461年解体)を模した現在の十字形ドーム聖堂の建設を起工。 1090年代に総督ヴィターレ・ファリエル時代に主体構造が完成した。 当初は素朴な煉瓦壁の聖堂であったが、 1204年の第四回十字軍でヴェネツィアがコンスタンティノポリスを略奪・占領した際、 大量の大理石・斑岩柱・黄金・聖遺物・四頭の青銅馬を戦利品として持ち帰り、 13世紀以降ファサードと内部を豪奢に飾り立てた。 黄金モザイクは11世紀から徐々に追加・改修され、 ティントレット・ティツィアーノら巨匠の下絵による更新も行われ、 19世紀末まで800年に及ぶ各時代の様式が共存する稀有な聖堂となった。 ヴェネツィア共和国時代、 サン・マルコ聖堂は司教座聖堂(大聖堂)ではなく統領の私的礼拝堂であり、 これは共和国のカトリック教会からの政治的独立の象徴であった。 1451年にグラードの大司教座がヴェネツィア本島に移されたが、 当初の大聖堂は東端のサン・ピエトロ・ディ・カステッロ聖堂であった。 1797年にナポレオン軍がヴェネツィア共和国を滅ぼし、 1807年にナポレオンの命令で大司教座が正式にサン・マルコ聖堂へ移され、 ようやく「サン・マルコ大聖堂」となった。 1987年、 「ヴェネツィアとその潟」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録され、 都市全体が登録された希少な事例となった。

文化的背景と意義

サン・マルコ寺院は中世ビザンチン建築のイタリアにおける最高傑作であると同時に、 9世紀から19世紀まで900年の改修が積み重なった「歴史の標本」でもある。 ビザンチン様式を主体としつつ、 ロマネスク様式の彫刻・イスラム様式の幾何文・ゴシック様式の尖塔と、 ヴェネツィアが東西交易の十字路として吸収した多元的文化が凝縮されている。 「黄金の教会(Chiesa d'Oro)」の異称は、 内部総面積8000平米超を覆う黄金地モザイクに由来し、 ビザンチン美術の現存する最大規模の遺産の一つである。 ヴェネツィア共和国時代、 聖堂は単なる宗教施設ではなく統領の私的礼拝堂として共和国の威信そのものを象徴し、 戦利品で飾られた様は「海洋帝国の宝物庫」の意味を持っていた。 第四回十字軍(1204年)の戦利品である四頭の青銅馬・パラ・ドーロ(黄金の祭壇)・斑岩の四帝像などは、 ヴェネツィアとビザンチン帝国の複雑な関係を象徴する重要な歴史遺産である。 1987年の世界文化遺産登録は「ヴェネツィアとその潟」全体に対するもので、 都市そのものが遺産となった稀な事例である。 ジョヴァンニ・ガブリエリ、 クラウディオ・モンテヴェルディなどイタリア・バロック音楽の中心地でもあり、 双オルガンと聖歌隊席を活かした複合唱形式が発達した、 西洋音楽史の重要拠点でもある。

建築的詳細

サン・マルコ寺院は ギリシア十字形(等臂十字)平面に5つの大ドームを戴く典型的なビザンチン建築で、 中央ドームと四方の小ドーム4基という構成は東ローマ帝国の聖使徒大聖堂(コンスタンティノポリス、 現存せず)を模したものである。 中央ドームは内径約13メートル、 高さ約28メートルで、 木造小屋組による外側ドーム(高さ約43メートル)が更に被せられている二重構造である。 ファサードは2層構成で、 下層は5つのアーチ(中央の大入口と左右2対の小入口)・上層は4つの尖塔と中央テラスを持つ。 内外壁は当初素朴な煉瓦造であったが、 13世紀以降に大理石・斑岩・蛇紋岩で覆われた。 上層の4頭の青銅馬は古代ローマ・ヘレニズム期の作品(現存はレプリカ、 本物はテラス内博物館)。 内部の黄金モザイクは小さな金箔ガラス片(テッセラ)を11-19世紀にわたって貼り重ねたもので、 総面積8000平米超を覆う。 ナルテックス(玄関廊)・本堂・後陣・5ドームの全てにモザイクが施され、 主祭壇背後にはビザンチン金細工の最高傑作「パラ・ドーロ(黄金祭壇)」(976-1345年制作)が安置されている。 床は12世紀の幾何文大理石モザイクで、 ヴェネツィアの不安定な地盤の影響で経年で起伏が生じている。 鐘楼(カンパニーレ)は1902年に倒壊し1912年に再建された別棟である。

外部リンク

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