松江城
松江市 · JP
宍道湖を望む亀田山に黒漆塗りの千鳥が舞う、山陰唯一の国宝天守
島根県松江市の中心、亀田山の頂に堀尾吉晴が築いた望楼型天守。黒い下見板張りの威厳と複雑な通し柱構造を残し、山陰地方で唯一の現存天守として2015年に国宝へ再指定された日本三大湖城の名城。宍道湖と堀川の水郷景観に抱かれる。
ベストシーズン・ベストタイム
千鳥橋や馬溜跡で約200本のソメイヨシノが咲き、黒天守と桜の対比が見頃
★★★★★
本丸周辺のモミジと宍道湖の夕焼けが重なる、ライトアップも開催
★★★★☆
雪化粧した黒漆塗りの天守は希少な絶景、観光客も少なく静謐に巡れる
★★★☆☆
堀川遊覧船から見る新緑の水面と夕涼みの風、宍道湖の夕景まで楽しめる季節
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.黒漆塗りの望楼型天守 — 国宝の風格
外観4重・内部5階・地下1階の望楼型天守。初重と二重目の壁面を覆う黒漆塗りの下見板張りが武骨な威厳を放ち、最上階の廻縁高欄まで雨戸で守る独特の意匠が江戸初期の実戦仕様を物語る。
本丸南西側の天守台正面から見上げると、千鳥破風と附櫓が一体に収まる
2.千鳥橋から望む桜と城 — 春の絶景
三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)周辺は日本さくら名所100選。約200本のソメイヨシノが堀沿いに咲き誇り、黒い天守と淡い桜色が織りなす対比は松江を代表する春の風景となる。
4月上旬、千鳥橋の北端から南向きに天守を入れて構図を取ると映える
3.牛蒡積みの石垣 — 崩れぬ叡智
二の丸や本丸を支える石垣には「牛蒡積み」と呼ばれる独自の工法が用いられている。長い石を奥へ深く突き刺す積み方で、表面の整いより内部の噛み合わせを重んじ、地震に耐え抜く構造美が今も健在。
二の丸下段から見上げる位置で、目地のラインと積石の奥行きを意識して撮ると工法が伝わる
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.天守最上階の廻縁から南を望むと宍道湖と橋北の町並みが一望でき、夕刻の入場締切直前(16:30頃)は西日が湖面を金色に染める絶景タイムとなる、混雑も引け始める穴場の時間帯。
- 2.堀川遊覧船は途中下車自由の周遊チケット制で、塩見縄手や小泉八雲記念館側で降りて武家屋敷を歩き、再乗船すれば城内と城下町を半日で効率よく堪能できる定番の組み合わせコース。
- 3.二の丸下段の太鼓櫓・中櫓・南櫓は復元建築ながら内部公開され入場無料、本丸の登閣料を払う前に立ち寄ると松江藩の櫓構造を予習でき、子連れにも嬉しい立ち寄りスポットでやんす。
訪問情報
- アクセス
- JR松江駅から市営バス「ぐるっと松江レイクライン」で約10分、「大手前堀川遊覧船乗場・松江城(県庁前)」下車徒歩5分。米子空港から空港連絡バスで約45分、車なら山陰道松江西ICから約15分で大手前駐車場。
- 所要時間
- 天守と本丸で約90分、城下町と堀川遊覧を含めると半日(4時間)
- 予算目安
- 天守登閣料 大人1000円・小中学生500円、堀川遊覧船は大人1600円・小学生800円(2024年時点、 詳細は公式サイトで確認)。 食事込みで1人3000-5000円が目安。
周辺観光
塩見縄手の武家屋敷群、小泉八雲旧居・記念館、田部美術館、明々庵、堀川遊覧船乗船場が徒歩圏内。電車・バスで30-60分圏には宍道湖夕日スポット、足立美術館、出雲大社、玉造温泉といった山陰の名所が連なる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1600年
松江藩成立
関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立した。
- 1607年
築城開始
末次城のあった亀田山に築城を開始。軍学者・小瀬甫庵の縄張りと土木職人・稲葉覚之丞らの設計に基づく工事が始まった。
- 1611年
松江城落成
正月に松江城が落成。築城を主導した堀尾吉晴は同年6月に没した(完成目前急死説は近年の研究で否定されている)。
- 1634年
京極忠高入封・三の丸造営
堀尾氏改易後、若狭国小浜から京極忠高が出雲・隠岐26万石で入封し、三の丸を造営してここに松江城の全容が完成した。
- 1638年
松平直政入封
信濃国松本藩より徳川家康の孫・松平直政が出雲18万6千石で入封。以後10代234年間にわたり松平氏が松江藩主を務めた。
- 1873年
廃城令と天守買戻し
廃城令により天守以外は全て解体・払下げ。天守180円の売却を、豪農・勝部本右衛門と元藩士・高木権八が私財で買い戻し解体を免れた。
- 1927年
松江市へ寄付
松平家が天守を含む城地を松江市に寄付し、公園として開放された。城山が市民に開かれる転機となった。
- 1935年
旧国宝指定
天守が当時の国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定された。
- 1950-1955年
昭和の大修理
文化財保護法施行で重要文化財に再指定された天守の解体修理が行われた。費用は約5300万円にのぼった。
- 2001年
二の丸櫓群復元
二の丸に南櫓・中櫓・太鼓櫓と塀(87m)が大工頭竹内有兵衛の木割図や古写真に基づき忠実に復元された。
- 2006年
日本100名城選定
松江城が日本100名城(64番)に選定され、城郭ファンの巡礼地として位置づけが高まった。
- 2015年
天守国宝指定
7月8日、築城当時の祈祷札発見を決定打に天守が国宝に指定された。国内の城跡で天守の国宝指定は63年ぶり5件目。
- 2027年-
令和の大修理
屋根葺き替えと外壁補修を中心とする天守大規模改修が始まる予定。工期約3年7か月、事業費約29億円を見込む。
歴史をもっと深く
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで戦功を立てた堀尾忠氏が隠岐・出雲両国24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立した。中世山城の月山富田城は近世城下町の形成に不向きであったため、宍道湖と中海を結ぶ太田川河口近くの亀田山(末次城跡)を新城地に選定。1607年(慶長12年)に築城を開始し、軍学者・小瀬甫庵の縄張りと土木職人・稲葉覚之丞らの設計のもと1611年(慶長16年)正月に落成した。築城を主導した父・堀尾吉晴は同年6月に没したが、これは「完成目前で急死」とする旧通説が誤りであることが近年の研究で確定している。1633年(寛永10年)、堀尾忠晴が嗣子なく没して堀尾氏は3代で改易。1634年(寛永11年)に若狭国小浜から京極忠高が出雲・隠岐26万石で入封し三の丸を造営、ここに松江城の全容が完成した。1637年(寛永14年)忠高没後、1638年(寛永15年)に信濃国松本から松平直政(徳川家康の孫)が出雲18万6千石で入封し、以後10代234年間にわたり松平氏が藩主を務めた。明治維新後、1871年(明治4年)の廃藩置県で廃城となり、1873年(明治8年)の廃城令で天守以外の建造物は4-5円で払い下げられ全て撤去された。天守も180円で売却されかけたが、出雲郡の豪農・勝部本右衛門と元藩士・高木権八が同額を国に納める形で買い戻し、解体を免れた。1927年(昭和2年)に松平家が天守を含む城地を松江市に寄付し公園として開放。1935年(昭和10年)に旧国宝、1950年(昭和25年)文化財保護法施行で重要文化財に指定され、1950-1955年に約5300万円をかけた解体修理(昭和の大修理)が実施された。2015年(平成27年)7月8日、築城当時の祈祷札の発見を決定打として天守は国宝に再指定され、これは国内の城跡で天守が国宝に指定されるのは63年ぶり5件目の快挙となった。2027年度からは約3年7か月、事業費29億円を投じる「令和の大修理」が予定されている。
文化的背景と意義
松江城は犬山城・松本城・彦根城・姫路城と並ぶ国宝五城の一つであり、山陰地方で唯一現存天守を残す貴重な遺産。別名「千鳥城(ちどりじょう)」の由来は、天守の千鳥破風と附櫓の優美な意匠が空を舞う千鳥のシルエットを思わせることからとされ、宍道湖畔に建つ姿は日本三大湖城(膳所城・高島城との並称)にも数えられる。1934年(昭和9年)の国史跡指定、1992年(平成4年)の都市景観100選、2006年(平成18年)の日本100名城(64番)選定、そして2015年の国宝再指定と、近代以降の文化財保護史を象徴する存在となった。城下町は塩見縄手の武家屋敷群、小泉八雲旧居、田部美術館などが残り、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が愛した松江情緒の核として今も観光客を惹きつける。堀川遊覧船で巡る水郷景観は江戸期の水路をほぼそのまま伝え、桜の名所100選にも選ばれた春の絶景と相まって、城と水と桜が一体となった独自の都市文化を体現している。
建築的詳細
松江城は本丸を中心に北の丸・二の丸上段・二の丸下段・三の丸を配する輪郭連郭複合式平山城で、亀田山の標高29mに築かれた。天守は外観4重・内部5階・地下1階の望楼型に分類され、二重の入母屋造の上に二重(3階建て)の望楼を載せる構成。二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、二重目南北面には入母屋破風の出窓が付く。壁面は初重と二重目を黒漆塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗・下を黒下見板張りとし、屋根は全て本瓦葺き。1・2階平面は東西12間×南北10間、本丸地上から高さ約30m(天守台上より22.4m)で、現存天守では姫路城・松本城に次ぐ規模を誇る。構造的特徴は「通し柱」の多用で、中央部には地階+1階・2階+3階・4階+5階を、外側には1階+2階・3階+4階をつなぐ通し柱が組まれる。2階には1階屋根を貫通する形の石落し8か所、最上階には内部に取り込まれた廻縁高欄に雨戸を備え、地下には城郭建築唯一の現存井戸を持つ。木製銅板張りの鯱は現存天守最大の高さ約2m。石垣は「牛蒡積み」と呼ばれる、長い石を奥に深く突き入れる崩壊しない積み方で、外面の整いより噛み合わせの強さを重んじる出雲の伝統工法が用いられている。