
松江城
松江城は、島根県松江市の宍道湖畔・亀田山に立つ江戸時代初期の輪郭連郭複合式平山城。1611年に堀尾忠氏が完成させた現存天守は山陰地方唯一の現存天守で、2015年に国宝指定。望楼型の重厚な姿は別名「千鳥城」、犬山城・松本城・彦根城・姫路城と並ぶ国宝5天守の一つ。日本三大湖城に数えられる。
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- 島根県松江市の宍道湖畔・亀田山に立つ、江戸時代初期に築かれた輪郭連郭複合式平山城。
- 1611年完成の現存天守は山陰唯一、別名「千鳥城」。日本三大湖城の一つに数えられる。
- 2015年に国宝指定、犬山・松本・彦根・姫路と並ぶ国宝5天守の一つとして知られる。
歴史
松江城は、島根県松江市殿町、宍道湖の北岸にそびえる標高29メートルの亀田山に築かれた江戸時代初期の平山城で、別名「千鳥城」とも呼ばれる。1611年完成の現存天守は2015年7月8日に国宝に指定され、犬山城・松本城・彦根城・姫路城と並ぶ国宝5天守の一つとなった。城跡は国の史跡に指定され、山陰地方で唯一現存天守を持つ城郭である。
築城地である亀田山には鎌倉時代から戦国時代にかけて末次城(末次の土居)が置かれていた。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの戦功で、堀尾吉晴・忠氏父子が隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入ったが、月山富田城は中世山城であり近世城下町形成に不利であったため、宍道湖と中海を結ぶ大橋川近くの末次城跡が新城地に選ばれた。
1607年(慶長12年)に築城が始まり、軍学者小瀬甫庵が縄張、土木職人稲葉覚之丞らが工事を担った。1611年(慶長16年)正月までに城は落成し、城下町整備とあわせて松江藩の本拠が確立した。1633年に3代堀尾忠晴が嗣子なく没して堀尾氏は改易、翌1634年に京極忠高が若狭小浜から26万石で入封して三の丸を造営し、城の全容が完成する。1637年に忠高が嗣子なく没して京極家宗家は一時廃絶、1638年に信濃松本から松平直政(徳川家康の孫)が18万6千石で入封し、以後10代234年にわたり明治維新まで松平氏が藩主を務めた。
1738年から1743年(元文3年から寛保3年)には築城から100年以上を経て大改修が行われ、千鳥破風や唐破風、漆喰壁を備えた当初の姿から、現在見られる簡素な意匠の姿へと変容した。改修後の姿は江戸中期の意匠が定着して幕末に至る。1871年(明治4年)の廃藩置県で廃城となり、1875年の廃城令で天守を除く建造物は4-5円で次々払い下げられて解体された。天守も180円で売却される予定であったが、出雲郡の豪農勝部本右衛門と元藩士高木権八が同額を国に納める形で買い戻し、解体を免れた。
1927年(昭和2年)に所有者の松平家が天守を含む城地を松江市に寄付し、公園として一般開放される。1934年に国の史跡、1935年に旧国宝、1950年の文化財保護法施行で重要文化財に指定された。1950年6月から1955年3月にかけて、当時約5300万円をかけて天守の解体修理が実施されている。
復元事業は段階的に進み、1960年に本丸一ノ門と南多聞の一部、1994年に千鳥橋と北惣門橋(旧眼鏡橋)、2000年に二の丸南櫓と塀40メートル、2001年に中櫓・太鼓櫓と塀87メートルが、松江藩の大工頭竹内有兵衛の木割図、古写真、古絵図、発掘調査をもとに忠実に復元された。2006年に日本100名城(64番)に選定され、2015年7月8日には現存12天守の中で5件目となる国宝指定を受け、63年ぶりの天守国宝化として全国の注目を集めた。
文化的意義
松江城は、現存12天守のうち望楼型の代表例として、城郭建築史と山陰文化史の双方で第一級の意義を持つ。2015年の国宝指定は、犬山・松本・彦根・姫路に続く5件目であり、63年ぶりの天守国宝化として、現存城郭の文化財的価値を再評価する転機となった。最大2メートルに達する木製銅板張の鯱は現存天守中で最大、地下の井戸は城郭建築で唯一の現存例、二階建ての石落し8箇所と通し柱多用の構造は近世初期築城技術の特色を凝縮する。1875年の廃城令時に180円で売却される予定であった天守を、地元有志が私財を投じて買い戻したエピソードは、近代日本における文化財保護運動の原点的事例として広く参照される。日本三大湖城(高松城・膳所城・松江城)の一つとして、湖辺の城郭文化を代表する。
建築的特徴
松江城天守は、外観4重・内部5階・地下1階の望楼型に分類され、二重の櫓の上に二重(3階建)の望楼を載せた構成を取る。本丸地上から天守頂上までの高さは約30メートル、天守台上から22.4メートルで、現存12天守のなかでは2番目の規模を誇る。壁面は初重・二重目が黒塗下見板張、三・四重目と附櫓は上部漆喰塗・下部黒塗下見板張で、屋根はすべて本瓦葺きとする。最上階には内部に取り込まれた廻縁高欄があり雨戸を備える。建物中央部に地階・1階・2階・3階・4階・5階を結ぶ通し柱を多用する近世初期築城技術の特色を持ち、初層から2階の屋根を貫く形で開いた石落しが8箇所配される独自の構造である。地下の井戸は籠城時の水源として機能した、現存城郭建築で唯一の事例である。最上階の鯱は高さ約2メートルの木製銅板張で、現存天守中最大の規模を誇る。本丸の石垣は崩壊しにくい「牛蒡積み」と呼ばれる独特の石積みで、近世石積み技術の好例として現代の修復技術にも参照される。
訪問ガイド
松江城は、JR西日本山陰本線松江駅から路線バスで約10分の城前広場、または徒歩約25分でアクセスできる。市内の周遊バス「ぐるっと松江レイクライン」も城前を経由するため観光客の利用が多い。天守登閣には別途料金が必要で、本丸からの宍道湖と松江市街の眺望、地下の井戸、各階の展示と最上階の眺めを含めた所要時間は1時間半が目安となる。城の堀を遊覧する「ぐるっと松江堀川めぐり」は約50分の船旅で、橋の下をくぐる際に屋根が下がる仕組みが楽しめる名物観光となっている。最新の天守登閣料・営業時間・堀川めぐりの運航情報は松江ツーリズム研究会公式サイトで事前確認したい。日本さくら名所100選の桜の時期と紅葉の時期は特に美しく、夜間ライトアップも行われる。塩見縄手の旧武家町歩きと組み合わせれば半日のコースが組める。
周辺スポット
城北側の塩見縄手は松江藩家老塩見家の屋敷があった地区で、現在は武家屋敷、明々庵(松平不昧の茶室)、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、田部美術館が並び、松江市伝統美観指定地区かつ日本の道100選に選ばれている。北東の月照寺は松江藩主松平家の菩提寺で、不昧公の墓所と苔庭が訪問者を迎える。徒歩約30分の島根県立美術館は宍道湖畔に位置し、夕日の絶景と日本一の小泉八雲蔵書を一度に観られる。車で20分の宍道湖は日本三大夕陽の一つに数えられ、車で40分の出雲大社は日本最古の神社の一つとして松江と組み合わせる山陰観光の定番ルートを構成する。
現代における価値
松江城は、地元住民が私財で買い戻した近代の保存運動の原点であり、文化財を地域社会の手で守る日本独自のモデルが現代まで連続する希有な事例である。2015年の国宝指定は、見つかっていなかった棟札の再発見によって築城年代の確証が得られたことに支えられた成果で、地方の研究者ネットワークが文化財評価に直接貢献する事例として注目を集めた。一方、近年は周辺の高層マンション建設による眺望景観の悪化が問題化しており、文化財保護と都市開発の調整は現在進行形の課題である。