ノートルダム大聖堂

アミアン · FR

天高くそびえる、 フランス最大容積を誇る13世紀ゴシックの傑作大聖堂

フランス北部ピカルディ地方アミアンの中心にそびえる大聖堂は、 1220年から約50年で建設されたゴシック盛期の到達点で、 身廊ヴォールト高42.3メートルはフランス最高、 室内容積20万立方メートルはパリのノートルダム大聖堂の2倍に及び、 1981年にユネスコ世界遺産に登録された。

ベストシーズン・ベストタイム

4月-5月

新緑とソンム川沿いの散策が気持ちよく、 観光客が増える前の落ち着いた撮影好機

★★★★☆

6月中旬-9月中旬

「Chroma」音と光のショーが夜の西正面で開催、 中世彩色が彫刻に蘇る人気イベント期間

★★★★★

10月-11月初旬

石造の灰色と紅葉のコントラストが映え、 観光客減で内部撮影もゆとりがある穴場期間

★★★★☆

12月

大聖堂前のクリスマスマーケット(北仏最大級)とイルミネーションで街全体が祝祭ムードに

★★★★★

見どころ TOP 3

  • 1.西正面ファサードと夜のライトアップ

    1220年代の彫刻群が三層の扉口を埋め尽くす西正面は中央に「最後の審判」、 南北に聖母と聖フィルマンの扉口を配する13世紀ゴシック彫刻の宝庫。 夏夜と新年のソン・エ・リュミエールではオリジナルの彩色が投影で蘇る幻想的演出が行われる。

    夕暮れ後にカテドラル広場から正面全景、 ライトアップ点灯直後が最適

  • 2.フランス最高の身廊ヴォールト

    身廊のヴォールト天井は床から42.3メートルでフランス国内最高。 標準化された石材を用いたロベール・ド・リュザルシュの革新的工法により、 約50年で完成した稀有な建築統一性が、 細長い柱の連なりとともに垂直上昇感を強烈に演出する。

    西扉口から内陣方向、 中央通路の床線を活かして上向き構図で

  • 3.フランボワイヤン様式のバラ窓

    西正面バラ窓は15-16世紀の後期ゴシック・フランボワイヤン様式で再構成された炎を思わせる曲線トレーサリーの傑作。 オリジナルの中世ステンドグラスは多くが失われたが、 内側から見上げると西日に照らされた幾何学模様が圧巻の輝きを放つ。

    午後の身廊西側から、 オルガンとバラ窓を一枚に収める縦構図

物語・伝説

1218年の火災で前身ロマネスク聖堂が焼失すると、 司教エブラール・ド・フイイは1220年に新大聖堂の礎石を据え、 棟梁ロベール・ド・リュザルシュが革新的な石材標準化工法で工事を主導した。 1228年からトマ・ド・コルモン、 1258年からは息子ルノー・ド・コルモンが受け継ぎ、 1269年に内陣高窓まで完成。 アミアンには第4回十字軍で持ち帰られた洗礼者ヨハネの頭部聖遺物が安置され、 北フランス屈指の巡礼地として大聖堂建設を支える莫大な収入を生んだ。 1498年には拡張部の柱の亀裂を職人ピエール・タリゼルが赤熱した鉄環で締め上げ、 今も現役で構造を支え続けている。

こんな人におすすめ

ゴシック建築の到達点を体感したい建築・写真愛好家、 12-13世紀の彫刻装飾を本物で見たい中世美術ファン、 パリから日帰り可能な世界遺産を効率よく巡りたい旅行者、 洗礼者ヨハネの聖遺物に詣でる巡礼者、 街歩きと併せて静かな北仏地方都市を味わいたい大人の旅人。

現地で知るべき豆知識

  • 1.毎年6月中旬-9月中旬と12月-1月初旬の夜は無料の「Chroma」ライトショーが西正面で約45分上演され、 13世紀の彫像にオリジナルの極彩色を投影する圧巻の演出。 開始時刻は日没後で公式サイトで日々変動するため要確認
  • 2.13世紀末に床に施された迷宮(ラビリンス)模様は建設家への敬意を示す貴重な遺構で、 中央には設計者ロベール・ド・リュザルシュらの肖像石が刻まれる。 身廊中央の交差点付近で見落とさぬよう探したい隠れた名所
  • 3.塔への階段(307段)を予約制で登れるツアーがあり、 屋根上から尖塔・控壁・空中バットレスの構造を間近で観察できる希少な体験。 7-8月は予約必須で公式サイトから日時指定が必要

訪問情報

アクセス
TGVでパリ北駅からアミアン駅まで約1時間15分、 駅から大聖堂まで徒歩約10分。 リール・カレー方面からも在来線でアクセス可能で、 駅前広場経由で旧市街を抜ける道のりがおすすめ。
所要時間
外観と内陣で1.5時間、 宝物館・塔ツアー含めて3時間が目安。
予算目安
本堂入場無料、 塔ツアー大人約8ユーロ、 宝物館別料金。 アミアン1泊コースで食事込み60-100ユーロ。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩圏内にサン・ルー地区の運河と水上庭園(オルティヨナージュ、 中世以来の水耕菜園)、 ジュール・ヴェルヌの旧居博物館、 ピカルディ美術館(ルーブル系コレクション)。 駅から在来線でカレーやリールへの日帰り旅も可能で、 北仏の歴史都市巡りの拠点として活用できる。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1137-1152年

    前身ロマネスク聖堂建設

    1137年から1152年にかけてロマネスク様式の前身大聖堂が建設され、 1193年にフランス王フィリップ2世の結婚式の舞台となる

  2. 1206年

    洗礼者ヨハネ聖遺物到着

    第4回十字軍からワロン・ド・サルトンが洗礼者ヨハネの頭部聖遺物をコンスタンティノープルから持ち帰り、 アミアンが北仏屈指の巡礼地となる

  3. 1218年

    前身聖堂焼失

    1218年の大火でロマネスク様式の前身大聖堂が焼失、 新大聖堂建設の機運が高まる

  4. 1220年

    新大聖堂着工

    司教エブラール・ド・フイイが礎石を据え、 棟梁ロベール・ド・リュザルシュの設計で建設開始。 西から東への異例の施工順序

  5. 1236年

    身廊完成

    外陣とトランセプト側廊が完成し、 三葉・高窓部の改修が始まりレイヨナン様式の萌芽が現れる

  6. 1269年

    内陣高窓完成

    内陣の高窓まで完成、 50年弱で大聖堂の基本構造がほぼ仕上がる驚異的速度で建設が進む

  7. 1288年

    迷宮敷石設置

    建設家ロベール・ド・リュザルシュらの肖像が刻まれた迷宮模様の敷石が床に設置され、 建設完了の象徴となる

  8. 1498年

    鉄鎖補強

    職人ピエール・タリゼルが構造亀裂修復のため、 赤熱した鉄鎖を上層に巻き付け冷却収縮で石柱を締め直す独創的工法を施工

  9. 1751年

    聖歌隊席改修

    18世紀バロック趣味に合わせて聖歌隊席が改修され、 中世のジュベ(聖歌隊席仕切り)など一部が除去される

  10. 1914-1918年

    第一次大戦の危機

    第一次世界大戦中、 アミアンは西部戦線の要衝となり激しい砲撃を受けるも、 大聖堂は土嚢で保護され建築本体は奇跡的に残存

  11. 1939-1945年

    第二次大戦

    第二次世界大戦中もアミアン市街は激しい爆撃を受けるが、 ステンドグラスは事前に避難させ大聖堂自体は両大戦を生き延びる

  12. 1981年

    世界遺産登録

    ユネスコ世界文化遺産に登録(ID 162)、 登録基準(i)(ii)を満たすフランス・ゴシック盛期の代表例として評価される

  13. 1992-2000年代

    レーザー洗浄

    西正面の彫刻群がレーザークリーニング技術で洗浄され、 13世紀彫刻のオリジナル彩色の痕跡が再発見される

  14. 2003年

    Chromaショー開始

    夏夜と冬の祝祭期間に音と光のショー「Chroma」が西正面で開催開始、 13世紀の彩色を投影で蘇らせる名物イベントに

歴史をもっと深く

アミアン大聖堂の歴史は、 1218年の大火で前身のロマネスク様式大聖堂(1137-1152年建設)が焼失したことに始まる。 司教エブラール・ド・フイイ(在位1211-1222年)は1220年、 棟梁ロベール・ド・リュザルシュを建築家に任じて新大聖堂の礎石を据えた。 リュザルシュはゴシック建築の施工システムを革新し、 機能ごとにユニーク石材を作るのではなく、 標準化された寸法・形状の石材を用いる量産方式を導入した。 これにより建設は驚異的速度で進み、 1228年までリュザルシュ、 1258年までトマ・ド・コルモン、 1288年までその子ルノー・ド・コルモンと建築家が引き継がれた。 工事は通例と逆の西から東に進行し、 1236年には身廊が、 1269年には内陣の高窓まで完成、 13世紀末にはトランセプト(交差廊)も完了した。 14世紀初頭にファサードと上部塔が仕上げられ、 建設開始から約70年で大聖堂は基本的に完成。 1206年に第4回十字軍からワロン・ド・サルトンによって持ち帰られた洗礼者ヨハネの頭部聖遺物は、 アミアンを北フランス屈指の巡礼地に押し上げ、 大聖堂建設を支える重要な財源となった。 15世紀には構造的危機が訪れる。 内陣の控壁(フライング・バットレス)が当初設計では高すぎてヴォールトの外向きの力を受けきれず、 1497年に交差廊の4本の柱と聖歌隊席の2本の柱に亀裂が現れた。 1498年、 職人ピエール・タリゼルが赤熱した鉄鎖(チェーン)を建物の上層に巻き、 冷却収縮の力で石柱を内側に締め直す独創的な工法で構造を救った。 この鉄鎖は今も現役で大聖堂を支え続けている。 16世紀には大規模なフランボワイヤン様式の西バラ窓再構成、 1751年には聖歌隊席の改修が行われた。 フランス革命期(1789年以降)には聖遺物容器が破壊されたが、 大聖堂建築自体は奇跡的に大きな被害を免れた。 第一次・第二次世界大戦中はピカルディ地方の激戦地となり、 アミアン市街は爆撃で甚大な被害を受けたが、 大聖堂は両大戦を生き延びた(ステンドグラスは事前に避難)。 1981年、 ユネスコ世界遺産に登録(ID 162)。 1992-2000年代にはレーザークリーニング技術による西正面の大規模洗浄が実施され、 13世紀の彫刻表面に残るオリジナル彩色の痕跡が再発見された。 2003年以降は毎夏夜と冬の祝祭期間に「Chroma」音と光のショーが開催され、 13世紀の彩色を映像で蘇らせる名物イベントとなっている。

文化的背景と意義

アミアン大聖堂は1981年にユネスコ世界文化遺産に登録(ID 162)、 登録基準(i)「人類の創造的才能を表現する傑作」と(ii)「建築・記念碑的芸術の発展に重要な交流を示す」を満たす。 シャルトル・ランス・パリと並ぶフランス・ハイ・ゴシックの代表例で、 とりわけ建設期間が約50年(1220-1270年頃)と短く様式的統一性を保った稀有な例として評価される。 1236年からの三葉・高窓改修と1250年代の聖歌隊席拡大窓には初期レイヨナン様式(放射ゴシック)が現れ、 ゴシック様式変遷史の重要な転換点を示す。 1206年から安置される洗礼者ヨハネの頭部聖遺物は中世以来の巡礼の核で、 13世紀建設工事の財政的基盤を支えた。 西正面の彫刻群は通称「アミアンの石の聖書」と呼ばれ、 「最後の審判」「聖母マリア」「聖フィルマン」の三大扉口に聖書物語が刻まれ、 中世人にとって視覚的経典として機能した。 ジョン・ラスキンは1880年の著作『アミアンの聖書』で大聖堂を絶賛、 マルセル・プルーストもこれを翻訳し「ゴシックの女王」と讃えた。

建築的詳細

アミアン大聖堂はフランス最大容積(室内空間約20万立方メートル)を誇るゴシック大聖堂で、 全長145メートル、 トランセプト幅70メートル、 身廊ヴォールト高42.3メートル(フランス最高)を測る。 三廊式バシリカ・プランで、 西正面・三層構成(扉口・王の回廊・バラ窓)+南北の二塔(北塔66メートル、 南塔61.7メートル、 不揃いの高さがゴシック大聖堂の典型)、 中央のフレッシュ(尖塔)は112.7メートル。 身廊は7ベイ、 トランセプト交差部の上には木造尖塔がそびえる。 ロベール・ド・リュザルシュは石材の標準化と量産化を導入し、 同一寸法の石を組み立てる現代的な施工法の先駆となった。 控壁(フライング・バットレス)はゴシック構造を象徴する外部支持系で、 アミアンでは内陣周りで二段重ね構造に補強され、 15世紀には更に低い位置にもう一段追加された。 内陣のヴォールトは典型的な四分交差リブ・ヴォールトで、 細長い束ね柱が天井まで伸びる垂直性が特徴。 西正面の彫刻装飾は1220-1236年頃に制作され、 「美しき神」と呼ばれる中央扉口の柱像キリスト(ル・ボー・デュー)、 南扉口の「金色の聖母」(ヴィエルジュ・ドレ)など13世紀ゴシック彫刻の最高傑作を含む。 1236年に始まる三葉と高窓は初期レイヨナン様式の代表例で、 細い柱と大きなガラス窓が垂直軸と光を強調する。

外部リンク

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