久保田城
秋田市 · JP
天守なき名城に佐竹氏260年の矜持が宿る、東北唯一の御三階櫓と日本100名城
秋田県秋田市千秋公園の中心にそびえる平山城、 出羽久保田藩主佐竹氏の居城として1604年に竣工。 石垣を持たず土塁と土門で守りを固めた質実剛健な縄張りが、 江戸時代東北の藩城様式を今に伝える日本100名城第9番。
ベストシーズン・ベストタイム
本丸跡を埋める桜1000本と雪解け後の鮮緑が織りなす東北遅春。 夜桜ぼんぼり点灯
★★★★★
二の丸の濠端に咲く約3000株のハスと、 竿燈まつり期の城下散策が組合せ可
★★★★☆
胡桃館の楓と銀杏が黄金色に染まり、 御隅櫓白壁との対比が静謐な見頃
★★★★☆
雪化粧した土塁と御隅櫓、 旭川越しの雪景。 ぼんぼり雪上点灯の幻想的演出
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.御隅櫓 - 天守なき城の象徴
1989年に模擬復興された新兵具隅櫓。 城内最高所の本丸北西隅に立つ三層の白亜の櫓で、 内部は歴史展示室と展望階となり秋田市街と日本海を一望できる。 天守を持たなかった久保田城の象徴的存在。
本丸北側広場から南西を仰角で。 桜の枝越しに白壁を入れると映える
2.御物頭御番所 - 現存唯一の藩政期遺構
1880年の大火と廃城令を生き延びた、 城内で唯一現存する江戸期の建造物。 物頭組の足軽が登城者を監視した質素な木造平屋で、 秋田市指定有形文化財。 二の丸長坂門跡の石段脇にひっそり佇む。
黒門跡から長坂を上る途中の右手。 朝の斜光が萱葺き屋根を浮かべる
3.千秋公園の桜まつり - 本丸跡を埋める1000本
1892年に植えられたソメイヨシノ約700本と新しい品種を含む計1000本超が、 城跡全体を薄桃色に染める東北屈指の桜名所。 4月下旬の本丸広場のぼんぼり夜桜は、 雪国の遅春を祝う秋田の風物詩。
本丸表門前の石段下から門と桜を縦構図で。 夜は提灯と組み合わせて長秒露光
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.御隅櫓の入館料は大人110円と全国の城郭施設で破格水準。 4階展望階からは秋田市街・男鹿半島・日本海まで一望でき、 開館は4月-11月のみで冬季は完全閉鎖となるため訪問時期に要注意
- 2.佐竹史料館は二の丸跡に独立した別棟で大人110円。 御隅櫓との共通入館券が設定される時期もあり、 個別購入より100円程度節約できるため受付で必ず共通券の有無を確認したい
- 3.御物頭御番所は現存唯一の藩政期遺構として建物自体が文化財だが、 内部公開は不定期で外観見学が中心。 撮影は朝7時前後の斜光が萱葺き屋根の質感を最も豊かに描写し、 観光客も少なく狙い目
訪問情報
- アクセス
- JR秋田駅西口から徒歩約10分で大手門跡 (千秋公園正面入口) へ。 駅前バス乗場2番から「中央交通秋田営業所行」で5分、 「通町」下車徒歩3分も可
- 所要時間
- 1時間半-2時間 (御隅櫓と佐竹史料館込みなら3時間)
- 予算目安
- 御隅櫓110円+佐竹史料館110円=220円。 秋田駅から徒歩圏のため交通費別途不要。 公式情報は秋田市観光サイトで要確認
周辺観光
徒歩5分の赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館・国指定重要文化財)、 徒歩10分の秋田市民俗芸能伝承館(竿燈まつり実演)、 駅東口徒歩5分のあきた芸術劇場ミルハスは佐竹氏ゆかりの三の丸跡地。 車30分で秋田藩支城の岩崎城跡公園も連携
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1602年
佐竹義宣入部
関ヶ原戦後処理で常陸54万石から出羽20万石へ減転封され、 旧秋田氏の湊城に入城。 新城築城を決定する
- 1604年
本丸竣工
梶原政景・渋江政光を普請奉行とした神明山の新城本丸が竣工、 湊城を破却し本城と定める
- 1633年
本丸全焼(寛永の火災)
失火により本丸が全焼、 藩主義隆は三ノ丸下中城の渋江光久邸を仮殿として政務継続
- 1647年
「久保田城」表記の初出
「出羽一国絵図」に初めて「久保田城」と記される。 「窪田城」からの改称はこの前後と推定
- 1778年
本丸全焼(安永の火災)
閏7月10日落雷により本丸全焼、 1781年に本丸御殿を修築する
- 1868年
戊辰戦争・秋田戦争
新政府軍に与し庄内・盛岡藩から攻撃を受け領内が戦場化、 仙台・米沢藩降伏により城下12kmの椿台で戦禍を免れる
- 1872年
秋田県庁開庁
4月本丸に秋田県庁が開庁するが、 11月には東根小屋町の旧明徳館へ移転
- 1880年
明治の大火
7月21日大火が城内を襲い建造物の大半が焼失、 御物頭御番所のみ難を逃れる
- 1890年
佐竹家へ払い下げ
陸軍省から佐竹家へ城跡が払い下げられ、 1892年から千秋公園として桜1170本が植樹される
- 1984年
城跡14.6ha寄贈
佐竹宗家35代当主義栄の遺志により公園用地14.6haが秋田市へ寄贈される
- 1989年
御隅櫓模擬復興
本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)が三層の鉄筋コンクリート造で模擬復興され、 歴史展示室となる
- 2001年
本丸表門復元
本丸表門が江戸期の絵図面と発掘調査に基づき伝統工法の木造で復元され、 千秋公園正面入口の景観を成す
- 2006年
日本100名城選定
財団法人日本城郭協会により日本100名城の第9番として選定され、 全国の城ファンの巡礼地のひとつに加わる
- 2008年
秋田市指定名勝
「千秋公園(久保田城跡)」の名称で秋田市指定名勝に指定され、 景観と歴史遺構の総合的保全が公式化される
歴史をもっと深く
1602年(慶長7年)、 関ヶ原の戦の戦後処理で常陸54万石から出羽20万石へ減転封された佐竹義宣が湊城に入城するも、 平城で防衛に不向きかつ54万石規模の家臣団を収容できないため、 翌1603年(慶長8年)5月、 重臣梶原政景と渋江政光を普請奉行に神明山での新城築城を開始。 1604年(慶長9年)8月28日、 本丸竣工と同時に湊城を破却し本城と定めた。 当初は窪田城と表記され、 1647年(正保4年)の「出羽一国絵図」で初めて「久保田城」と記されている。 1633年(寛永10年)、 1778年(安永7年)の二度にわたり本丸全焼の大難に遭うも、 藩主の住居を三ノ丸の重臣邸に仮殿として政務を継続、 都度本丸御殿を再建した。 戊辰戦争(1868年)では新政府軍を支持し庄内・盛岡藩から攻撃を受けるも、 仙台・米沢藩の降伏により城下12kmの椿台で踏み止まり戦禍を免れた稀有な藩。 1871年(明治4年)廃藩置県で久保田藩は秋田藩に改称後解体され、 1872年(明治5年)4月本丸に秋田県庁が開庁するも同年11月東根小屋町へ移転、 城は1873年存城処分後実質放置となった。 1880年(明治13年)7月21日、 大火が城内を襲い建造物の大半を焼失。 1890年(明治23年)、 陸軍省から佐竹家へ城跡が払い下げられ、 1892年から秋田市が桜1170本を植樹し公園化、 1896年に庭園師長岡安平の設計で千秋公園として整備された。 1984年(昭和59年)、 佐竹宗家35代当主義栄の遺志により14.6haが秋田市へ寄贈され、 1989年(平成元年)御隅櫓を模擬復興、 2001年(平成13年)本丸表門を木造復元。 2006年(平成18年)に日本100名城第9番、 2008年(平成20年)秋田市指定名勝となり、 現存唯一の建造物である御物頭御番所は1990年(平成2年)秋田市指定有形文化財に。
文化的背景と意義
久保田城は石垣も天守も持たぬ「土の城」として、 西国の織豊系城郭とは一線を画す東国型城郭の代表例とされる。 これは佐竹氏の旧領常陸国を含む関東以北で石垣築城技術が一般的でなかった事情と、 徳川幕府への政治的遠慮の双方が背景にあると考えられている (ただし佐竹氏は後に江戸城修築で石垣普請を担当しており、 技術不在説には疑問も呈される)。 別名「矢留城」「葛根城」は中世期この地にあった三浦氏の「鎗留ノ城」「矢留ノ城」に由来し、 本丸が築かれた神明山自体は古くから神域として総社大明神を奉る霊場であった。 江戸時代後期から明治期の公文書では「秋田城」とも記されたが、 古代律令期の出羽国府が置かれた秋田城(古代城柵、 Q11536175)とは別物。 日本100名城第9番、 秋田市指定名勝(千秋公園として)、 御物頭御番所の市指定有形文化財という三層の指定で保全される、 東北を代表する近世城郭遺構である。
建築的詳細
標高約40mの神明山(三森山・三嶽山とも)を均した平山城で、 本丸・二の丸・三の丸・北の丸・西曲輪の梯郭式縄張り。 石垣は基底部に僅か用いるのみで主体は土塁を盛った「鉢巻土手」、 天守は持たず本丸南西隅の「出し」と呼ばれる突出部に平屋櫓座敷「出し御書院」(御出書院)を建てて天守代用とし、 他に8棟の櫓を塁上に並べた。 本丸の出入口は表門・裏門・帯曲輪門・埋門・切戸口の5箇所、 二の丸は松下門・黒門・厩門(不浄門)・土門(北御門)の4箇所。 現在の御隅櫓は1989年復興の鉄筋コンクリート造三層、 本丸表門は2001年木造復元、 御物頭御番所のみ江戸期から現存する木造平屋萱葺。 旭川旧河道を取り込んだ水堀は南堀・東堀・西兵具蔵外堀・南外堀の一部が現存、 内町(侍町)の屈曲道路と外町(町人町)の碁盤目街路は今も秋田市中心街の骨格を成す。