仙台城

青葉区 · JP

伊達政宗が築き上げた天険の堅城、 杜の都を見下ろす青葉山の名城跡

宮城県仙台市青葉区の青葉山に立つ仙台城は、 1601年に伊達政宗が築き上げた天守を持たぬ山城。 天険の地形を活かした堅固な縄張りで「日本の最も勝れ堅固なもの」と讃えられ、 戦火を一度も浴びることなく明治を迎えた東北最大の名城跡である。

ベストシーズン・ベストタイム

4月中旬-5月上旬

本丸跡の桜並木と政宗像の組合せが映える、 仙台屈指の花見スポットとして賑わう時期

★★★★★

6月-8月

青葉山の濃緑が映える、 七夕まつり(8月6-8日)期間中は仙台市街と組合せ訪問が定番

★★★★☆

10月下旬-11月中旬

本丸跡から望む紅葉と仙台市街の眺望、 SENDAI光のページェント前の静かな散策好機

★★★★★

12月-2月

雪化粧の本丸跡と政宗像、 SENDAI光のページェント期間に夜景訪問が映える

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.伊達政宗騎馬像と本丸眺望

    本丸跡に立つ青銅製の伊達政宗騎馬像は、 仙台のシンボル。 像背後の展望広場からは杜の都仙台の市街地、 太平洋まで一望でき、 夕暮れ時の絶景が観光客を魅了する。 政宗が築いた青葉山の眺望をそのまま体感できる必見スポットである。

    夕方の逆光時、 像の南東側から市街地と一緒に縦構図で撮るのが定番

  • 2.本丸跡の高石垣と縄張りの妙

    高さ最大17メートルの本丸北面石垣は、 青葉山の断崖を活かした政宗築城の白眉。 1997年からの修復調査で内部に古い石垣も発見され、 三重の積み直し痕が観察できる。 天守を持たずに堅城を成立させた縄張りの工夫が今も伝わる。

    本丸広場北端から石垣下を見下ろし、 広瀬川の谷と一緒に切り取る

  • 3.復元大手門脇櫓と仙台城の現存遺構

    1967年に復元された大手門脇櫓は、 1945年の仙台空襲で焼失した国宝旧大手門の脇櫓を木造で再現。 大手門通りに白壁の二重櫓が映え、 失われた仙台城建築の威容を偲ばせる、 現存する唯一の城郭建築復元である。

    大手門通り南側から二重櫓全体を青空背景で水平構図

物語・伝説

1600年12月、 関ヶ原の戦い後に岩出山から千代へ居城を移すと決めた伊達政宗は、 自ら青葉山に登り縄張りを開始した。 地名を「仙臺」と改め、 1601年から築城が始まる。 政宗が築いた仙台城は天守台を持ちながら天守は建てぬ異例の山城だったが、 スペイン使節ビスカイノが「日本で最も勝れ堅固なるものの一つ」と評するほどの堅城となった。 二代忠宗が二の丸を造営して以降、 270年にわたり伊達家代々の居城として君臨。 戊辰戦争の奥羽越列藩同盟盟主の本拠でありながら、 一度も戦火を浴びず明治を迎えた。

こんな人におすすめ

伊達政宗ファン・戦国マニアにとって聖地ともいうべき場所、 復元なき城跡の縄張りと石垣を読み解きたい城郭ファン、 青葉山からの杜の都眺望を写真に収めたい撮影愛好家、 子供連れ家族にもおすすめ。 仙台市街地から近くアクセス容易で、 半日観光に最適である。

現地で知るべき豆知識

  • 1.本丸跡へは循環バス「るーぷる仙台」(1日乗車券大人630円)が便利で、 仙台駅西口から約20分で本丸跡前に到着する。 政宗像周辺の青葉城資料展示館では仙台城のCG復元映像が観られるので往復で組合せたい
  • 2.本丸北面の高石垣下まで降りる遊歩道があり、 上から見下ろすだけでなく下から仰ぎ見ると17メートルの石垣の威容を体感できる。 ガイドブックには載らないが石垣愛好家には外せない隠れた撮影ポイントである
  • 3.2022年福島県沖地震で政宗像の修復・本丸石垣の崩落補修が行われた。 現在は復旧済だが、 城下の青葉山公園には地震被害の説明パネルもあり、 災害と文化財保護の現代的視点でも学びがある

訪問情報

アクセス
JR仙台駅西口から「るーぷる仙台」バスで約20分、 「仙台城跡」下車徒歩すぐ。 仙台駅から車で約15分、 駐車場(有料)もあり。 仙台空港から仙台駅まで快速で約20分。
所要時間
本丸跡と資料展示館で1.5-2時間、 青葉山公園散策含めて半日が目安。
予算目安
本丸跡入場無料。 青葉城資料展示館 大人700円。 るーぷる仙台1日乗車券 大人630円。 (2024年時点、 詳細は公式サイトで確認)

周辺観光

本丸跡から徒歩圏に青葉城資料展示館・宮城縣護國神社・青葉山公園。 山を下って三の丸跡には仙台市博物館、 広瀬川を渡って車10分の大崎八幡宮(国宝)、 車15分の瑞鳳殿(政宗霊屋)は伊達家ゆかりの必訪セット。 仙台市街地のSENDAI光のページェント・牛タン店巡りと組合せ可。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1600年12月

    縄張り開始

    関ヶ原の戦い後、 伊達政宗が徳川家康の許可を得て青葉山に登り縄張り開始、 地名を仙臺と改名

  2. 1601年

    政宗築城開始

    伊達政宗が天守台を持つが天守を建てぬ異例の山城として本丸・西の丸の築城を開始

  3. 1611年

    ビスカイノの来訪

    スペイン使節セバスティアン・ビスカイノが来訪、 仙台城を「日本で最も勝れ堅固」と称賛

  4. 1638-1639年

    二の丸造営

    二代藩主伊達忠宗が平坦地の二の丸を造営、 居所を移して以後藩政の中枢となる

  5. 1804年

    二の丸焼失

    文化元年の火災で二の丸が焼失、 1809年(文化6年)に再建されたが規模は縮小

  6. 1873年

    存城指定

    全国城郭存廃ノ処分で「存城」とされ、 二の丸は東北鎮台(後の第2師団)の本営に転用

  7. 1882年

    二の丸火災

    明治15年の火災で二の丸の建物が焼失、 大手門・脇櫓・巽門のみが残った

  8. 1931年

    国宝指定

    残存していた大手門と脇櫓が国宝保存法により国宝(旧国宝)に指定された

  9. 1945年7月10日

    仙台空襲で全焼

    アメリカ軍B29による仙台空襲で大手門・脇櫓・巽門・第2師団施設が焼失、 城郭建築は全滅

  10. 1967年

    大手門脇櫓復元

    復興期成会の働きで木造復元された大手門脇櫓が仙台市へ寄贈、 現存する唯一の城郭建築

  11. 2003年

    国史跡指定

    本丸石垣修復事業の発掘成果を踏まえ、 仙台城跡が国の史跡に指定される

  12. 2006年

    日本100名城選定

    日本城郭協会により日本100名城(8番)に選定、 東北を代表する名城として全国認知

  13. 2022年3月

    福島県沖地震被害

    福島県沖地震で本丸石垣が崩落し政宗像も損壊、 復旧工事を経て現在は通常公開に復帰

歴史をもっと深く

仙台城の歴史は1600年(慶長5年)12月、 関ヶ原の戦い後の伊達政宗が徳川家康の許可を得て青葉山に登り縄張りを開始したことに始まる。 政宗は岩出山城を本拠地としていたが、 海陸交通の要所であり百万石御墨付の北寄り過ぎる岩出山では新領国に不適と判断、 千代の地名を「仙臺」と改めて1601年に築城を始めた。 政宗が築いた仙台城は本丸と西の丸からなる山城で、 天守台はあったが天守は建てなかった。 これは時代の流行に背いた選択だったが、 結果として1611年に来日したスペイン使節セバスティアン・ビスカイノが「日本で最も勝れ、 又最も堅固なるものの一つ」と称賛するほどの堅城となった。 二代藩主伊達忠宗は1638年(寛永15年)に二の丸の造営に着手し、 翌年居所を二の丸に移した。 平坦地である二の丸が以後藩政の中枢となり、 三の丸も整備された。 江戸時代を通じて1646年・1668年の地震や1804年の二の丸焼失など何度も被害を受けたが、 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟盟主でありながら戦火を浴びることなく要塞としての役目を終えた。 1869年(明治2年)、 二の丸に勤政庁が設置され、 1871年の廃藩置県で東北鎮台(後の第2師団)が二の丸に駐屯した。 1873年の「全国城郭存廃ノ処分」で「存城」とされたが、 本丸の建物は明治7年頃までに全て失われた。 1882年(明治15年)の火災で二の丸の建物も焼失、 残った大手門・脇櫓・巽門は1931年に旧国宝に指定されたが、 1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲でアメリカ軍B29の焼夷弾により全て焼失した。 戦後はアメリカ陸軍が「キャンプ仙台」として接収、 1957年に返還されて二の丸跡は東北大学川内キャンパスとなった。 1967年に大手門脇櫓が復元、 1995年には本丸石垣修復事業が始まり、 2003年に国の史跡指定、 2006年に日本100名城(8番)に選定された。

文化的背景と意義

仙台城は東北地方屈指の名城跡として国の史跡(2003年指定)、 日本100名城(2006年選定、 8番)に名を連ねる。 戦災で全ての建築が失われたが、 政宗が築いた本丸石垣と縄張りはほぼ原形を留め、 1997年からの発掘調査では本丸北面石垣の内部により古い段階の石垣も発見され、 三段階の改修史が観察可能となった。 異称の「青葉城」は本丸と二の丸の間にあった青葉山に由来し、 江戸中期以降に定着した雅称である。 一帯は青葉山公園として整備され、 本丸跡には1935年(昭和10年)建立の伊達政宗騎馬像が立ち、 仙台のシンボルとして親しまれている。 戊辰戦争で奥羽越列藩同盟盟主の本拠だったが戦火を浴びなかった「不戦の城」の物語、 1611年のビスカイノ評価、 1945年7月10日の仙台空襲による完全焼失と戦後復興のシンボル化は、 仙台市民の文化的アイデンティティの核となっている。 NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年放送)で全国的に知名度が高まり、 観光地としての地位を確立した。

建築的詳細

仙台城の縄張りは青葉山(標高約130メートル)の南東端の天険を活かした山城で、 東と南は広瀬川の崖、 西は深い森に守られた天然の要害。 本丸はほぼ正方形の250メートル四方で、 周囲を最大17メートルの高石垣で囲み、 北東部・北西部・南東部の3角と詰門両脇の計4基の三重櫓・1基の二重櫓・多門櫓を配した。 天守台はあったが天守は建てず、 桃山様式の本丸御殿(大広間430畳、 障壁画は狩野派)が政務空間となり、 将軍専用の上々段の間と御成門も準備されたが用いられなかった。 大広間東側には清水の舞台のように崖に迫り出す懸造の眺瀛閣があり、 仙台城下が一望できた。 二の丸は1638-1639年に伊達忠宗が造営、 東西310メートル南北200メートルの規模で、 大手門・詰門を経て藩主御殿・能舞台・庭園を配した。 石垣は野面積みから打込接ぎへの過渡的様式が観察され、 北面の高石垣は1997年からの修復で内部に1601-1638年・1668年地震後・現在の三段階の積み直し痕が確認された。 戦災で建築は全て失われたが、 1967年復元の大手門脇櫓のみが二重櫓の姿で現存遺構を伝える。

外部リンク

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