今帰仁城
今帰仁村 · JP
蛇行する1.5キロの石灰岩城壁が緋寒桜に染まる、 北山王の居城
沖縄本島北部・本部半島の山稜に築かれた今帰仁城跡は、 14世紀から15世紀前半に琉球三山時代の北山王国を率いた北山王の居城。 全長約1.5キロの石灰岩野面積み城壁が標高100メートルの尾根に沿って曲線を描き、 2000年に琉球王国のグスク及び関連遺産群の一資産として世界文化遺産に登録された県内最大級のグスクである。
ベストシーズン・ベストタイム
日本一早い緋寒桜が城壁を彩る今帰仁グスク桜まつり、 夜間ライトアップと屋台で年に1度の絶景
★★★★★
気温20度前後の散策最適期、 城壁の苔と新緑のコントラストが石灰岩の白さを引き立てる撮影好機
★★★★☆
気温25度前後で湿度低下、 台風シーズン明けの晴天率高く東シナ海ブルーが映える時期
★★★★☆
晴天時の青空コントラストは絶品だが、 日陰少なく気温30度超で熱中症対策と早朝訪問が必須
★★☆☆☆
見どころ TOP 3
1.本部半島の尾根を縫う野面積み城壁
城域は南北350メートル・東西800メートルに広がり、 石灰岩を自然石のまま積んだ野面積み城壁が尾根の起伏に沿って大きく蛇行する。 本土の直線的石垣とは別系統の琉球独自の築城思想を体現する見どころである。
大隅郭東側の高台から城壁の蛇行を午後の斜光で見下ろす
2.平郎門と七五三の階段を彩る緋寒桜
正門平郎門から伸びる七五三の階段の両側にカンヒザクラ約100本が並び、 1月下旬から2月初旬に日本一早い濃いピンクで咲く。 夜間ライトアップ時、 石灰岩の白壁との対比が生み出す幻想的な絶景である。
平郎門の真下から階段越しに桜並木と城壁を縦構図で
3.東シナ海を望む主郭の眺望と御嶽
最奥の主郭からは東シナ海と本部半島山並みを一望でき、 城内最高点の御内原 (うーちばる) は神聖空間。 ソイツギ等10以上の御嶽が城郭機能と共存する、 琉球の聖と俗の不可分性を物語る信仰拠点である。
主郭跡から東シナ海方向へ朝焼けの順光で広角構図
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.緋寒桜まつり (1月下旬-2月上旬) 期間中は夜間ライトアップが平日も実施され、 昼間の混雑を避けて夕暮れから夜にかけて訪れると桜と城壁の対比が幻想的になり、 駐車場も比較的空いている穴場時間帯となる
- 2.入場券は今帰仁村歴史文化センターとの共通券 (大人600円) で、 出土した中国・東南アジア陶磁器や攀安知の遺物を実物展示しており、 城跡見学前に立寄ると北山王国の交易史を立体的に理解でき所要1時間程度の必訪施設である
- 3.本部半島東端の古宇利大橋 (車15分) と美ら海水族館 (車25分) を組合せると、 やんばる北部観光の王道3点セットが完成し、 那覇からの日帰りでも見応えある1日になるレンタカー必須コースとなる
訪問情報
- アクセス
- 那覇空港から沖縄自動車道経由で約2時間、 許田ICから国道58号・県道71号で40分。 公共交通はやんばる急行バスで那覇空港から約2時間40分、 今帰仁城跡入口バス停下車徒歩15分。
- 所要時間
- 城跡見学に1.5-2時間、 歴史文化センター併用で2.5-3時間が目安。
- 予算目安
- 今帰仁城跡+歴史文化センター共通券 大人600円・中高生450円・小学生以下無料、 駐車場無料。 (2024年時点)
周辺観光
車25分の沖縄美ら海水族館は世界最大級のジンベエザメ水槽で家族連れに人気、 車15分の古宇利大橋・古宇利島ビーチは透明度抜群の海とハートロックで知られる撮影名所。 やんばる北部観光の王道3点セットとして日帰り組合せが定番である。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 13世紀前半
グスク築造の起源
本部半島の按司が標高100メートルの石灰岩台地に野面積みの城塞を築き始め、 北山勢力の拠点となる
- 1322年頃
北山王国の始まり
怕尼芝 (はにし) が先代の今帰仁世の主系統を討って初代北山王を名乗り、 三山時代の北山王朝が成立する
- 1383年
明朝への朝貢開始
明太祖実録に「山北王・怕尼芝」が朝貢使を派遣した記録が残り、 現存文献上最古の今帰仁城言及となる
- 1416年
北山王国の滅亡
中山王・尚巴志の北山征討軍が城を包囲、 重臣本部平原の内応で陥落し攀安知 (はんあんち) が自刃する
- 1422年
北山監守の設置
尚巴志が今帰仁監守を派遣し、 旧北山領を統治する首里王府の出先機関として城が継続使用される
- 1609年
薩摩侵攻で焼失
島津家久の琉球侵攻軍が3月に運天港から上陸、 城を第一目標として攻略・炎上し建造物が失われる
- 1665年
北山監守の廃止
康熙4年に首里王府は北山監守を廃止、 以後は具志川御殿の係累が監守跡を管理する体制に移行する
- 1879年
琉球処分・荒廃
明治政府の琉球処分で沖縄県となり王国は消滅、 今帰仁城跡は荒廃し石垣のみが台地に残される
- 1962年
発掘調査開始
沖縄県教育委員会と今帰仁村による発掘調査と平郎門の復元工事が始まり、 戦後の整備期に入る
- 1972年
国の史跡指定
5月15日の沖縄返還と同時に「今帰仁城跡」として国の史跡に指定、 法的保護体制が確立する
- 2000年11月
世界文化遺産登録
ケアンズ第24回世界遺産委員会で「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一資産として日本11件目登録
- 2006年
日本100名城選定
日本城郭協会が選定する日本100名城の98番に選ばれ、 本土城郭文化との比較研究の対象となる
- 2010年
附シイナ城跡追加
2月22日に附シイナ城跡が史跡追加指定され、 史跡名称が「今帰仁城跡 附シイナ城跡」に改められる
歴史をもっと深く
今帰仁城は12-13世紀頃に沖縄本島北部に台頭した按司たちが石灰岩を野面積みで築き始めたグスクが起源で、 現存する城壁の最古部分は13世紀前半の遺構と推定される。 三山時代 (1314-1429年) には沖縄本島が北山・中山・南山の3王国に分立し、 今帰仁を居城とする北山王国は本島北部の本部半島・国頭半島から奄美大島までを支配領域とした。 1322年頃に怕尼芝 (はにし) が先代の今帰仁世の主の系統を討って初代北山王となり、 1383年 (明洪武16年) には『明太祖実録』に「山北王・怕尼芝」が朝貢使を派遣した記録が残る (現存する文献上最古の今帰仁城言及)。 怕尼芝の後を珉 (みん)・攀安知 (はんあんち) が継承し、 北山は明朝への朝貢貿易で得た中国・東南アジア陶磁器・武具・経典を蓄積、 城内発掘で14-15世紀の中国景徳鎮窯・福建窯陶磁器、 高麗青磁器、 タイ・スコータイ窯陶磁器が大量に出土し当時の繁栄を示している。 1416年 (応永23年・永楽14年、 一説に1422年)、 中山王・尚巴志 (1372-1439) は北山征討軍を派兵、 攀安知の重臣・本部平原 (もとぶてーはら) の内応により城門が開かれ、 攀安知は自刃して北山王国は滅亡した。 以後、 尚氏王朝は今帰仁監守 (北山監守) を派遣して旧北山領を統治、 城は監守の居館として継続使用された。 1609年 (慶長14年) 薩摩藩・島津家久による琉球侵攻の際、 薩摩軍は3月8日に運天港に上陸して今帰仁城を第一目標として攻略、 城は炎上して建造物は焼失、 以後は石垣のみが残った。 1665年 (康熙4年) に北山監守は廃止され、 以降は具志川御殿十世今帰仁朝義の係累が琉球処分まで監守跡を管理した。 1879年 (明治12年) 琉球処分で沖縄県となり城跡は荒廃したが、 戦後の1962年から沖縄県教育委員会・今帰仁村による発掘調査と石垣修復が開始、 1972年5月15日の沖縄返還と同時に国の史跡に指定された。 2000年 (平成12年) 11月30日、 オーストラリア・ケアンズ第24回世界遺産委員会で首里城跡・中城城跡など他8資産とともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として日本11件目の世界文化遺産に登録、 登録基準 (ii)(iii)(vi) が認定された。 2006年4月6日に日本100名城 (98番) に選定、 2010年2月22日に附シイナ城跡が追加指定され、 史跡名称が「今帰仁城跡 附シイナ城跡」へ改められた。
文化的背景と意義
今帰仁城跡は琉球独自の信仰・建築・統治文化を象徴する遺産として2000年に世界遺産登録基準 (ii) 文化交流、 (iii) 消滅した文明の証拠、 (vi) 思想・信仰との関連 の3基準で認定された。 城内には御内原 (うーちばる) と呼ばれる神聖空間や、 ソイツギ・テンチジアマチジなど10以上の御嶽 (うたき) が現存し、 北殿の御嶽は王国最高位の神女・聞得大君が公式参拝した琉球王朝祭祀の重要拠点として現代まで信仰の対象となっている。 ニライカナイ信仰 (海の彼方の理想郷信仰) を背景に城郭機能と祭祀機能が不可分に同居する点が、 本土の純軍事拠点城郭や中国・朝鮮宮殿様式とも異なる琉球グスク文化の本質を示す。 異称「北山城」は北山王国の居城を意味し、 14世紀『明太祖実録』では中国側呼称として「山北」と表記された。 1月下旬から2月初旬に咲く緋寒桜は本土のソメイヨシノより1か月早い「日本一早い桜」として、 本部町八重岳とともに沖縄観光シーズン開幕を告げる象徴となり、 今帰仁グスク桜まつりは毎年20万人超の来訪者を集める北部観光の中核イベントとなっている。
建築的詳細
今帰仁城は本部半島中央の標高約100メートルの石灰岩台地上に築かれた山城型グスクで、 城域は南北350メートル・東西800メートル・面積約3万7000平方メートル、 現存城壁の総延長は約1.5キロメートルに及ぶ県内最大級のグスクである。 石材は地元産の琉球石灰岩 (隆起珊瑚礁起源) を用い、 積み方は自然石をそのまま積む「野面積み」が主流で、 14世紀後半-15世紀前半の築造とされる現存城壁の大部分が野面積みの素朴な技法を留めている (中城城・首里城の布積・相方積みは登場しない)。 城域は7つの郭から成り、 平郎門から大庭・御内原・主郭・大隅・志慶真門郭と階段状に登る縄張りで、 平郎門は1962年に発掘結果を基に復元された二階建て構造。 城壁は厚さ最大4メートル、 最高所7メートル、 尾根の起伏に沿って大きく蛇行する曲線美が特徴で、 これは石灰岩台地の地形を最大限活用した防御設計の結果である。 南東6キロの附シイナ城跡は13世紀築造で用水不足のため廃され、 2010年に史跡追加指定された。