丸亀城

丸亀市 · JP

石垣総高日本一、現存12天守で最小の御三階櫓を戴く扇の勾配の名城

香川県丸亀市の亀山に築かれた渦郭式の平山城。 4重に積まれた総高約60mの石垣が頂部で垂直に反る「扇の勾配」を描き、 その頂きに現存12天守で最小の3層御三階櫓が静かに佇む。 大手門と天守が共に残る稀有な近世城郭で、 日本100名城78番。

重要文化財

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

亀山公園の桜と白漆喰御三階櫓のコラボが絶景、 丸亀城桜まつりが開催される人気の最盛期

★★★★★

6月-8月

新緑と瀬戸内の青空が映える、 早朝なら石垣の陰が涼しく見返り坂の登りも快適

★★★☆☆

11月中旬-下旬

亀山の紅葉と白漆喰天守の対比が穴場の絶景、 丸亀お城まつりとも重なる落ち着いた季節

★★★★☆

12月-2月

空気が澄んで瀬戸大橋まで見渡せる、 早朝の凍てつく石垣と霜化粧の天守が静謐な美

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.現存12天守最小の御三階櫓

    万治3年(1660年)に京極氏入封後に完成した3層3階・高さ15mの御三階櫓は現存12天守で最小。 唐破風と千鳥破風を施した白漆喰総塗籠の小柄な姿が、 巨大石垣の頂きで凜と立つ独特の景観を生む。

    見返り坂を登り切った三の丸広場北側からの仰角ショットが定番

  • 2.扇の勾配と日本一の高石垣

    野面積みと算木積みの土台から頂部で垂直に反る独特の曲線「扇の勾配」を描く石垣。 4重に積まれて総高約60mに達し総高では日本一。 三の丸石垣単体でも31mで大坂城に次ぐ第2位の高さを誇る圧巻の石積み景観。

    三の丸南側からの見上げか、 大手門越しの真正面構図がドラマチック

  • 3.瀬戸内一望の本丸からの眺望

    標高66mの亀山頂上の本丸から北を望むと瀬戸内海と讃岐富士・飯野山が眼前に広がる。 瀬戸大橋まで一望できる絶景は、 城下町を統べた京極藩の領国経営が凝縮された地理を肌で実感させる。

    晴れた午後、 本丸北辺の角から瀬戸内海方向を広角で構図に収める

物語・伝説

慶長2年(1597年)、 讃岐17万石を与えられた生駒親正が亀山に支城を築いた。 元和元年(1615年)の一国一城令で破却の危機に見舞われたが、 藩主生駒正俊は要所を樹木で覆い隠して城を守り抜いたと伝わる。 寛永18年(1641年)に入封した山崎家治は瀬戸内のキリシタン蜂起に備えるため幕府から銀300貫と参勤交代免除を授かり、 32年に及ぶ大改修で日本一の石垣を築き上げた。 築城時には「とーふー」と豆腐売りの声が雨夜に響くという人柱伝説、 石工の名人羽坂重三郎が嘘の井戸調査で殺された伝承も残り、 巨大石垣の影に幾つもの人間ドラマが刻まれている。

こんな人におすすめ

石垣の名城に魅了される城郭マニア、 現存12天守を巡る歴史愛好家、 扇の勾配と白漆喰の対比に惹かれる建築・写真愛好家、 瀬戸内の絶景と城下町散歩を楽しむ家族連れ。 高松・岡山から在来線で日帰り、 こんぴらさんとの組合せも理想的。

現地で知るべき豆知識

  • 1.見返り坂は名前通り傾斜が急で、 平成30年(2018年)に手すりが設置された。 履き慣れた靴で登り、 途中の踊り場で振り返ると石垣の壮大さが段階的に立ち上がる構図を体感できる
  • 2.城泊事業「丸亀城キャッスルエクスペリエンス」が令和6年(2024年)7月開始。 別邸延寿閣に宿泊し閉場後の天守をラウンジとして貸切利用できる稀有な体験で、 公式サイトでの事前予約が必須となる
  • 3.平成30年豪雨で崩落した三の丸石垣の復旧工事は令和10年(2028年)3月末完成予定。 PR館で解体調査の最新成果を無料で見られ、 31m単独石垣の構造解明という近世石積み研究の最前線に触れられる

訪問情報

アクセス
JR四国予讃線丸亀駅から徒歩約15分、 または丸亀コミュニティバス丸亀城前停留所から徒歩すぐ。 高松駅から快速サンポートで約25分、 岡山駅から特急しおかぜで約35分。
所要時間
石垣巡りと天守登閣で1時間半、 資料館含めて2時間が目安。
予算目安
天守登閣料 大人200円・小人100円、 城域は無料。 駐車場は1時間無料。 (2024年時点、 公式サイトで確認)

周辺観光

城の麓には丸亀市立資料館があり、 京極家や城郭史料に加え現存唯一の木型立体模型「丸亀城木図」を公開する。 徒歩圏には通町商店街や昭和レトロの秋寅の館、 北東に望む讃岐富士・飯野山は半日で登れる人気の里山。 電車を使えば金刀比羅宮(琴平駅から徒歩)、 瀬戸大橋を渡る坂出・児島、 高松城跡まで日帰り圏内である。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 室町初期

    亀山の砦築造

    管領細川頼之の重臣奈良元安が亀山に最初の砦を築き、 丸亀城の前史となる中世城郭が始まる

  2. 1597年

    生駒親正の築城

    豊臣政権下で讃岐17万石を与えられた生駒親正が高松城の支城として亀山に普請を開始する

  3. 1602年

    初期城郭完成

    6年の歳月をかけて亀山を囲む内堀と石垣・郭がほぼ完成し、 西讃地域の支配拠点が整う

  4. 1615年

    一国一城令の危機

    破却対象となるが、 藩主生駒正俊が要所を樹木で覆い隠し立入制限で取壊しを免れたと伝わる

  5. 1641年

    丸亀藩立藩

    肥後富岡から山崎家治が5万石で入封し丸亀藩立藩、 翌1643年から幕府支援で大改修が始まる

  6. 1658年

    京極氏入封

    山崎氏が3代で無嗣断絶、 播磨龍野から京極高和が6万石で入封し以後明治まで京極氏の居城となる

  7. 1660年

    御三階櫓完成

    京極高和が搦め手門を大手門に変更し、 大手門から見上げる石垣頂きに3層御三階櫓が竣工する

  8. 1673年

    大改修完了

    通算32年に及ぶ大改修が完了、 現存する石垣の大半はこの時期に完成した日本一の石垣群である

  9. 1869年

    主御殿焼失

    明治2年の火災で主御殿と三の丸戌亥櫓が焼失、 城の中枢機能を失う転換点となる

  10. 1876年

    櫓・城壁解体

    明治9年から翌年にかけて現存以外の櫓・城壁が陸軍省管轄下で解体されるが天守は破却を免れる

  11. 1950年

    重要文化財指定

    文化財保護法施行により天守(御三階櫓)が重要文化財に指定、 戦後の城郭保存が制度化される

  12. 1953年

    国史跡指定

    城跡全域が国の史跡に指定され、 亀山公園として親しまれる丸亀城の文化財保護が確立する

  13. 2006年

    日本100名城選定

    日本城郭協会により日本100名城78番に選定、 城郭ファンの全国巡礼の対象として再評価が進む

  14. 2018年10月

    石垣崩落

    7月豪雨と台風24号により南西部の帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落、 復旧事業が始まる

  15. 2024年7月

    城泊事業開始

    「丸亀城キャッスルエクスペリエンス」開始、 別邸延寿閣宿泊と天守の貸切ラウンジ利用が可能に

歴史をもっと深く

丸亀城の歴史は室町時代初期、 管領細川頼之の重臣奈良元安が亀山に砦を築いたことに遡る。 本格的な築城は慶長2年(1597年)、 豊臣政権下で讃岐17万石を与えられた生駒親正が高松城を本城としつつ西讃の支城として亀山に普請を開始した時に始まる。 慶長7年(1602年)、 6年の歳月を経て初期の城郭がほぼ完成した。 元和元年(1615年)の一国一城令では破却の対象となる危機に見舞われたが、 藩主生駒正俊は要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限することで取り壊しを免れたと伝わる。 寛永17年(1640年)、 生駒氏は生駒騒動の責で出羽国矢島(現秋田県由利本荘市)へ転封となった。 翌寛永18年(1641年)に肥後富岡(現熊本県天草郡苓北町)から山崎家治が5万石で入封し丸亀藩を立藩した。 家治は大坂城・島原城の再建に関与した築城の名手として知られ、 寛永20年(1643年)から幕府より銀300貫の補助と参勤交代免除を得て大改修を進めた。 瀬戸内の島々のキリシタン蜂起に備える城として幕府が後押ししたとも云われる突貫工事だった。 万治元年(1658年)、 山崎氏は3代で無嗣断絶し改易となり、 代わって播磨龍野(現兵庫県たつの市)から京極高和が6万石で入封して以後明治まで京極氏の居城となった。 万治3年(1660年)、 高和は海側の搦め手門を大手門に変更し、 その大手門から見上げる石垣の頂きに現在の3層3階の御三階櫓が完成した。 延宝元年(1673年)、 通算32年に及ぶ大改修が完了し現存する石垣の大半はこの時に整えられた。 明治2年(1869年)の火災で主御殿と三の丸の戌亥櫓が焼失、 明治5年(1872年)には競売の公示が出されたが兵部省管轄となり競売は取消となった。 明治6年(1873年)に陸軍省管轄となり、 明治9年(1876年)以降に多くの櫓・城壁が解体されたが、 天守と中心部は破却を免れた。 大正8年(1919年)に亀山公園として一般開放、 昭和18年(1943年)に天守が旧国宝、 昭和25年(1950年)文化財保護法施行で重要文化財、 昭和28年(1953年)に城跡全域が国の史跡に指定された。 平成18年(2006年)に日本100名城78番に選定。 平成30年(2018年)10月の豪雨と台風24号で南西部の帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落し、 現在も令和10年(2028年)3月末完成を目指して復旧事業が続いている。

文化的背景と意義

丸亀城は、 現存12天守の一つを擁する江戸期城郭であると同時に、 4重に積み上げられた石垣の総高約60mが日本一であり、 日本城郭史における石垣の到達点を体現する稀有な遺産である。 単独石垣としても三の丸の高さ31mは大坂城に次ぐ全国第2位で、 緩やかな野面積みの土台から頂部で垂直に反る「扇の勾配」は美観・排水・耐震を兼備した近世石積みの最高水準を示す。 国の史跡に指定された城跡全域に加え、 御三階櫓・大手一の門・大手二の門の3棟が国の重要文化財に指定。 大手門と天守の両方が現存する城郭は丸亀城・弘前城・高知城の三例のみで、 近世大名の城下町支配と藩制の連続性を空間として伝える数少ない遺産である。 別名「亀山城」「蓬莱城」とも呼ばれ、 幕府に提出された「丸亀城木図」(1/650立体模型)は現存唯一の城郭木型模型として丸亀市立資料館に伝わる。 平成13年(2001年)にはさだまさし「城のある町」のモチーフとなり、 アニメ「乃木若葉は勇者である」でも主人公達の活動拠点として描かれるなど、 地方都市の文化的アイデンティティを象徴する城として親しまれている。

建築的詳細

丸亀城は標高66mの亀山頂上を本丸とし、 内堀で囲まれた渦郭式の平山城で、 縄張りはほぼ四角形をなす。 石垣は4重に積み上げられて総高約60mに達し総高として日本一、 三の丸石垣の最高部は22mに及ぶ。 平成30年(2018年)の崩落部復旧工事の解体調査で、 三の丸石垣は根固め石垣と二段構造ではなく地山まで延びる単独構造であり、 その単独高さは31mと判明し大坂城に次ぐ日本第2位の地位が確定した。 石材は緩やかな野面積みと端整な算木積みの土台から「扇の勾配」を描いて頂部で垂直に反り、 美観と排水・耐震性を両立する。 本丸の御三階櫓は万治3年(1660年)に完成した3層3階・高さ15mの現存天守で、 唐破風と千鳥破風を施し白漆喰総塗籠で仕上げられている。 現存12天守の中で最も小規模ながら、 巨大石垣との対比が独特のシルエットを生む。 大手一の門・大手二の門は枡形虎口を構成する近世城郭の典型例で、 寛文10年(1670年)頃の建立。 大手門と天守の両方が現存する城郭は丸亀城・弘前城・高知城の三例のみという稀有な構成を保つ。 木造復元計画も進行中で御殿・櫓・門・土塀の段階的復元が検討されている。

外部リンク

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