若松城
会津若松市 · JP
戊辰戦争の砲煙を耐え抜いた、 赤瓦に蘇った会津武士魂の不屈の名城
福島県会津若松市の中心に建つ若松城(鶴ヶ城)は、 蒲生氏郷が1593年に望楼型7重の天守を上げ「鶴ヶ城」と改めた会津藩の政庁。 1868年の戊辰戦争で1ヶ月の籠城戦を耐え抜き、 2011年に全国唯一の赤瓦天守として外観を蘇らせた東北屈指の名城である。
ベストシーズン・ベストタイム
ソメイヨシノ1000本と赤瓦天守の競演、 日本さくら名所100選の年間最盛期
★★★★★
新緑と夜間ライトアップ「鶴ヶ城プロジェクションマッピング」が映える夏夜の名物
★★★☆☆
紅葉と赤瓦の濃淡が美しく、 茶室麟閣周辺の紅葉撮影も穴場でおすすめ
★★★★☆
雪化粧した赤瓦天守は会津ならではの絶景、 ハードルは高いが写真愛好家垂涎の風景
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.赤瓦の層塔型天守(2011年復元)
2010-2011年の改修で黒瓦から幕末当時の赤瓦に葺き替えられた天守は、 全国の現存・復元天守の中でも唯一の赤瓦姿。 鉄筋コンクリートの外観復元ながら、 5層の層塔型シルエットと鯱の銀箔・金牙・ダイヤ瞳の奢侈な細工が会津の意地を物語る
本丸南東の千飯櫓側から正面ショット、 朝の順光がベスト
2.ソメイヨシノ1000本と白壁の競演
鶴ヶ城公園は日本さくら名所100選で、 本丸跡を取り囲むソメイヨシノ・ヤエザクラ約1000本が4月中旬に一斉開花。 赤瓦天守と桜の対比は他城では見られない一期一会の風景で、 夜桜ライトアップでは天守がほんのり浮かび上がる
廊下橋方向の濠越しに桜の枝を前景に天守を狙う
3.茶室 麟閣と千少庵ゆかりの空間
本丸内に佇む茶室「麟閣」は千利休の子・千少庵が会津に逃れた際に建立し、 1990年に城内へ移築復元された福島県指定重要文化財。 蒲生氏郷が利休切腹後の少庵を庇護した縁を伝える、 戦国の茶の湯を体感できる希少な空間である
晩秋の紅葉期に縁側から茶室と庭を縦構図で
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.天守入場前に「廊下橋」を経由する廻り方が定石。 廊下橋は石垣がせり出した姿が壮観で、 戊辰戦争時に新政府軍砲撃を浴びた東出丸付近の往時を体感できる撮影ポイントである
- 2.本丸内にある茶室「麟閣」は別料金200円でほぼ並ばずに入れる隠れた名所。 千少庵ゆかりの草庵風茶室と腰掛待合が見学でき、 静寂な戦国茶の湯空間で天守見物の喧騒を一旦リセットできる
- 3.白虎隊自刃の地「飯盛山」とのセット見学なら、 周遊バス「ハイカラさん」「あかべぇ」(1日券600円)が断然お得。 鶴ヶ城北口・飯盛山下・七日町を約30分間隔で巡る観光バスで主要観光地を網羅できる
訪問情報
- アクセス
- JR会津若松駅からまちなか周遊バス「ハイカラさん」で約15分「鶴ヶ城北口」下車。 東京駅から東北新幹線で郡山経由、 磐越西線で計約3時間半。 車は磐越自動車道会津若松ICから約10分。
- 所要時間
- 天守と本丸で1.5時間、 茶室麟閣・廊下橋・公園散策含めて2-3時間が目安。
- 予算目安
- 天守閣入場料 大人520円・小中学生150円、 茶室麟閣共通券 大人620円。 (2024年時点)
周辺観光
徒歩30分・周遊バス10分の飯盛山は白虎隊自刃の地で、 さざえ堂(国重文)も併設。 車15分の東山温泉は会津藩主湯治場の歴史温泉。 車30分の大内宿は江戸期の宿場町を残す重伝建地区。 七日町通り(車5分)はレトロ建築群が並ぶ大正ロマン散策スポット。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1384年
黒川城築城
南北朝時代、 蘆名直盛が小田垣の館(東黒川館)を築いたのが若松城の起源とされる
- 1589年
摺上原の戦い
伊達政宗が蘆名義広を破り黒川城を奪取、 蘆名氏が滅亡するが翌年秀吉に召し上げられる
- 1592年
蒲生氏郷の大改修
近江日野から入った蒲生氏郷が黒川を「若松」に改名、 大規模な近世城郭への改修を開始
- 1593年
鶴ヶ城と改名
望楼型7重の天守が竣工、 蒲生家家紋に因み「鶴ヶ城」と名付けられた
- 1611年
会津地震と再建
会津地震で天守が倒壊、 加藤明成が層塔型5重天守に組み直し西出丸・北出丸を増築
- 1643年
保科正之入封
三代将軍家光の異母弟・保科正之が23万石で入封、 以後会津松平家の居城となる
- 1868年
会津戦争・籠城
戊辰戦争で1ヶ月籠城戦を戦い、 砲弾2500発を耐えるも9月22日に板垣退助の勧告で開城
- 1874年
天守解体
陸軍省の通達により天守・櫓・門の全てが取り壊され、 旧城跡は陸軍練兵場となる
- 1890年
城跡の私財買戻し
旧会津藩士・遠藤敬止が私財2500円で城跡を買い戻し、 旧藩主松平家に寄付して保存
- 1934年
国史跡指定
若松城跡として国の史跡に本指定、 本丸・二の丸・出丸の約23ヘクタールが保護対象に
- 1965年
天守外観復元
鉄筋コンクリート造で江戸期の外観を復元、 内部は若松城天守閣郷土博物館として開館
- 1990年
茶室麟閣の復元
千少庵ゆかりの茶室「麟閣」(福島県重文)が本丸の元の場所に移築復元される
- 2011年3月
赤瓦天守の蘇り
幕末当時の赤瓦への葺替えが東日本大震災16日後に完成、 全国唯一の赤瓦天守となる
歴史をもっと深く
若松城の起源は1384年(南北朝時代元中元年/至徳元年)、 蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館(東黒川館)を築いたことに遡る。 15世紀半ばまでには「黒川城」と呼ばれ、 蘆名氏中興の祖・盛氏が戦国中期に黒川を中心とする広大な版図を築いた。 1589年(天正17年)、 伊達政宗が豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を摺上原で破り黒川城を奪取するも、 1590年(天正18年)の小田原征伐後に秀吉に臣従して会津を召し上げられ米沢に戻された。 代わって近江日野から入った蒲生氏郷が1592年(文禄元年)から大改修に着手し、 出身地・近江日野の「若松の杜」に因み城下を「若松」と改名、 1593年(文禄2年)に望楼型7重の壮麗な天守を上げ「鶴ヶ城」と名付けた。 1598年(慶長3年)に蒲生秀行が宇都宮に移されると、 越後春日山から上杉景勝が120万石で入封したが、 関ヶ原で西軍についた咎で1600年に米沢へ減封。 翌1601年に蒲生秀行が復帰、 1611年(慶長16年)の会津地震で天守が倒壊すると、 加藤明成が層塔型5重天守に組み直し、 西出丸・北出丸を増築して現在の縄張りを完成させた。 1643年(寛永20年)、 三代将軍家光の異母弟・保科正之が23万石で入封し、 以後明治維新まで会津松平家の居城となった。 9代藩主松平容保は1862年に京都守護職を拝命して新撰組を支配し幕府の屋台骨を支えたが、 1868年(慶応4年)の戊辰戦争では新政府軍と激突。 同年8月の会津戦争では鶴ヶ城に1ヶ月籠城し砲弾約2500発を耐えたが、 9月22日に板垣退助の降伏勧告を受諾し開城した。 1874年(明治7年)に陸軍省の通達で天守以下が全て取り壊されたが、 1890年に旧会津藩士遠藤敬止が私財2500円で城跡を買い戻し松平家に寄付。 1934年に国の史跡に指定、 1965年に鉄筋コンクリートで天守が外観復元され、 2011年3月に幕末当時の赤瓦に葺き替えられて全国唯一の赤瓦天守として現在に至る。
文化的背景と意義
若松城は東北地方を代表する近世城郭で、 城跡は1934年に国の史跡に指定。 本丸内の茶室「麟閣」は福島県指定重要文化財で、 千利休の子・千少庵が蒲生氏郷の庇護下で建てた草庵を1990年に城内へ復元したもの。 「鶴ヶ城」の異称は1593年の蒲生氏郷の改名に由来し、 蒲生氏の家紋「対い鶴(向い鶴)」と城下「若松の杜」の松の対比が籠められている。 戊辰戦争での1ヶ月籠城戦は、 白虎隊・娘子隊・佐川官兵衛らの悲劇とともに「会津士魂」の精神的象徴となり、 司馬遼太郎『王城の護衛者』、 早乙女貢『会津士魂』、 NHK大河ドラマ『八重の桜』(2013年)など数多の文学・映像作品で繰り返し描かれた。 2011年3月の赤瓦天守復元は東日本大震災のわずか半月後に完成し、 福島県全体の復興の象徴として全国的にも注目を集めた。 全国唯一の赤瓦天守は、 会津本郷焼の伝統技法で凍害に耐える特殊な釉薬を用い、 江戸期の意匠を現代に蘇らせた稀有な事例である。
建築的詳細
若松城は梯郭式平山城で、 主郭(本丸)を中心に北・西の出丸、 東に二の丸・三の丸が配される縄張り。 主郭は天守と南東に伸びる走長屋(多聞櫓)で区分けされ、 三方の虎口を桝形石垣門と馬出で防御する重層構造を持つ。 特に大手の北出丸虎口は四方からの射撃が集中し「鏖丸(みなごろしまる)」と恐れられた。 現在の天守は1611年加藤明成期の層塔型5重5階を踏襲した1965年再建で、 鉄筋コンクリート造ながら外観は江戸期の意匠を忠実に再現。 高さ約25メートル、 大小2基の鯱が屋根上に上がり、 鯱は銀箔・金牙・2カラットのダイヤ瞳という奢侈な細工(ハザマ会長の寄贈)が施されている。 屋根瓦は2010-2011年の改修で黒瓦から会津本郷焼の赤瓦に葺き替えられ、 凍害に耐える特殊釉薬で幕末当時の意匠を蘇らせた。 石垣は野面積みと打込接ぎが時代別に観察でき、 特に天守台の高石垣と廊下橋周辺の石垣は東北地方屈指の規模を誇る。 2001年(平成13年)に本丸内の干飯櫓と南走長屋が木造で復元され、 木造復元部と鉄筋部の対比も興味深い建築見学の見どころとなっている。