小諸城

小諸市 · JP

城下町を見下ろさぬ「穴城」、 信玄縄張りと仙石秀久の石垣が残る信州の名城

長野県小諸市、 浅間山の田切地形に縄張りされた小諸城は、 城下町より低い「穴城」という日本では極めて珍しい構えを持つ。 武田信玄の戦略眼と仙石秀久の近世改修が重なり、 大手門と三之門は今も国の重要文化財として現存している。

重要文化財

ベストシーズン・ベストタイム

4月中旬-下旬

日本さくら名所100選の枝垂桜と石垣のコラボが懐古園を覆い尽くす、 1年で最も華やぐ最盛期

★★★★★

10月下旬-11月中旬

千曲川断崖の紅葉と石垣の組合せが穴城ならではの俯瞰構図を生む、 写真愛好家垂涎の季節

★★★★★

12月-2月

雪化粧した大手門と空堀がモノクロームの城郭美を浮かび上がらせる、 観光客が極端に少ない静寂期

★★★☆☆

6月-8月

深い緑に覆われた懐古園、 標高660mの高原気候で都市部より涼しく散策に向く隠れた好時季

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.石垣に残る仙石秀久の改修痕

    天正18年(1590年)入城の仙石秀久が築き上げた野面積みの石垣群。 寛永の落雷で焼失した天守の土台「天守台」が現存し、 信州における近世城郭の到達点を物語る重厚な石組みを間近で観察できる。

    天守台南面、 午後の斜光で石の凹凸が浮き上がる時間帯

  • 2.国重要文化財の大手門

    慶長17年(1612年)建立の五間櫓門で、 入母屋造・本瓦葺き。 平成16-20年の解体修理で建立当初の姿に復原され、 黒い下見板と白漆喰のコントラストが現代の市街地に静かに屹立し続けている。

    正面参道側から仰角で。 朝の順光が下見板の質感を引き立てる

  • 3.懐古園の枝垂桜と紅葉

    明治13年に旧藩士らが払い下げを受けて公園化した懐古園。 日本さくら名所100選に選定された園内には八重紅枝垂桜が咲き乱れ、 秋には千曲川の断崖と紅葉が絶景を織りなす城跡庭園の代表格である。

    本丸跡から二の丸方向、 4月中旬の桜と11月上旬の紅葉が双璧

物語・伝説

長享元年(1487年)、 大井光忠が砦を構えたこの地に、 武田信玄は東信州経営の要として大規模な縄張りを敷いた。 武田滅亡後は織田家臣の滝川一益、 依田信蕃を経て、 小田原征伐の功で5万石を得た仙石秀久が天正18年に入城。 秀久は石垣を組み近世城郭へと一新した。 寛永3年(1626年)の落雷で天守は焼失するが、 大手門と三之門は生き延びた。 明治の廃城令で危機に瀕した城跡を、 旧藩士たちが払い下げを受けて懐古園として守り抜いた物語が、 今もこの地に静かな品格を与えている。

こんな人におすすめ

戦国期から江戸期の縄張り変遷を石垣で辿りたい歴史マニア、 大手門・三之門の現存遺構を撮りたい建築写真愛好家、 そしてサザエさんOPでも知られる桜・紅葉名所を四季で楽しみたい家族連れに最適な信州の城下町体験。

現地で知るべき豆知識

  • 1.懐古園入口の三之門はフジテレビ『サザエさん』のオープニングで何度も登場した小諸市のシンボル。 徳川家達の筆による『懐古園』の扁額を見上げてから入園すると感慨深い。
  • 2.市街地よりも低地に縄張りされた「穴城」を体感するには、 まず三之門前の高台に立ってから懐古園内に下りていく順路が必須。 城下町を見下ろせない唯一無二の城郭構造を実感できる。
  • 3.本丸北側に湧水の「荒神井」が現存。 全国的にも稀な「水櫓」で中澤川の水を引き上げた工夫の痕跡で、 観光客が見落としがちな水の確保技術を伝える隠れたスポットである。

訪問情報

アクセス
しなの鉄道およびJR小海線の小諸駅で下車し、 城跡入口の三之門まで徒歩約5分。 軽井沢駅からしなの鉄道で約25分とアクセス良好で東京方面からの日帰り圏内である。
所要時間
懐古園内をゆっくり散策で2時間、 周辺の大手門・移築門を巡るなら半日
予算目安
入園料は園内施設込みで500円、 散策のみは300円(2024年時点)。 小諸駅周辺の蕎麦と合わせて1人3,000円前後。 最新は公式サイトで確認

周辺観光

懐古園に隣接する小諸寅さん記念館や島崎藤村の小諸義塾記念館は徒歩圏。 小諸駅からしなの鉄道で約25分の上田城(真田氏の堅城)、 約40分の松本城(国宝五重天守)と組み合わせれば信州城郭巡りの王道ルートが完成する。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1487年

    大井光忠が築城

    長享元年、 信濃の国人領主・大井光忠が砦を構えたのが小諸城の起源とされる(室町時代後期)

  2. 1554年

    武田信玄が縄張り

    天文23年、 武田信玄が東信州経営の要として大規模縄張りを敷き、 軍師・山本勘助の指図と伝わる構えが現在の城跡の原型となる

  3. 1582年

    武田氏滅亡と城主交代

    天正10年、 織田・徳川連合軍の甲斐侵攻で武田家臣が動揺。 滝川一益、 依田信蕃と城主が短期間に交代した戦国末期の激動の年

  4. 1590年

    仙石秀久が入城

    天正18年、 小田原征伐の功で5万石を得た仙石秀久が入城し、 石垣を組んで近世城郭へと一新する大改修を断行

  5. 1612年

    大手門建立

    慶長17年、 現存する大手門が五間櫓門・入母屋造・本瓦葺きで建立される(後の国重要文化財)

  6. 1622年

    仙石氏転封

    元和8年、 2代仙石忠政が上田城へ転封となる。 その後は松平・青山・酒井氏らが封じられ国替えが続く

  7. 1626年

    落雷で天守焼失

    寛永3年6月の落雷により望楼型3重3階の天守が焼失。 桐紋金箔瓦の威容は失われ、 以後再建されることはなかった

  8. 1702年

    牧野氏入封

    元禄15年、 牧野康重が小諸藩主に入封。 以後国替えは行われず、 牧野氏10代康済の時に明治維新を迎えた

  9. 1766年

    三之門再建

    明和3年、 寛保2年(1742年)の「戌の満水」で損壊した三之門が三間櫓門・寄棟造・桟瓦葺きで再建される

  10. 1873年

    廃城令で廃城

    明治6年、 廃城令により小諸城は廃城処分となる。 多くの建物が取り壊されるか近隣寺社へ移築された

  11. 1880年

    懐古園として保存

    明治13年、 旧藩士らが旧三の門から本丸址までの払い下げを受け取得。 城跡保存への道筋を開いた

  12. 1926年

    本多静六が公園整備

    大正15年、 林学者・本多静六の景観設計指導を受けて懐古園を拡張整備。 史跡と自然景観を活かした近代公園へ

  13. 2004-2008年

    大手門解体修理

    平成16-20年、 大手門の解体修理が実施され、 料亭等として使われた改変部分を建立当初の姿に復原

  14. 2006年

    日本100名城選定

    平成18年4月6日、 日本100名城(28番)に選定。 現存遺構と懐古園の景観が改めて全国的な評価を得る

歴史をもっと深く

小諸城の起源は長享元年(1487年・室町時代後期)、 信濃の国人領主・大井光忠が築いた砦に遡る。 戦国期に入り東信州経営を目論んだ武田信玄が天文23年(1554年)頃に大規模な縄張りを敷き、 軍師・山本勘助の指図と伝わる構えが現在の城跡の原型となった。 武田勝頼期には御一門衆の下曾根浄喜が城代を務めたが、 天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍による甲斐侵攻の渦中、 浄喜は武田信豊を討って首を織田信長に進上し、 浄喜自身も誅殺される波乱の幕を引いた。 武田氏滅亡後は織田家臣の滝川一益が信濃佐久郡を領し、 道家正栄を城代とした。 同年6月の本能寺の変で一益は神流川の戦いで後北条氏に敗退し、 6月21日に小諸城へ入城、 依田信蕃や木曾義昌と交渉のうえ伊勢長島へ撤退した。 城は依田信蕃の手に渡り、 やがて徳川氏に帰属する。 天正18年(1590年)の小田原征伐後、 仙石秀久が5万石で入城した。 秀久は石垣を組み近世城郭として一新、 三重三階の望楼型天守には金箔押の桐紋瓦が用いられ信州随一の威容を誇った。 2代忠政は元和8年(1622年)に上田城へ転封となり、 寛永3年(1626年)6月の落雷で天守は焼失、 以後再建されることはなかった。 江戸期は小諸藩の藩庁として、 松平・青山・酒井氏らが封じられた後、 元禄15年(1702年)に牧野康重が入封し、 牧野氏10代康済の時に明治を迎える。 明治6年(1873年)に廃城令で廃城処分となり、 明治13年(1880年)旧藩士らが本丸址までの払い下げを受け、 大正15年(1926年)には本多静六の指導で懐古園として整備された。 平成16-20年(2004-2008年)には大手門の解体修理が実施され、 平成18年(2006年)に日本100名城(28番)に選定されている。

文化的背景と意義

小諸城の文化財的価値の中核は、 大手門と三之門という2棟の現存城門が共に国の重要文化財に指定されている点にある。 大手門は慶長17年(1612年)の建立で五間櫓門・入母屋造・本瓦葺き、 江戸前期の城郭建築様式を伝える希少例である。 三之門は寛保2年(1742年)の「戌の満水」洪水で大手門・足柄門と共に損壊した後、 明和3年(1766年)に三間櫓門・寄棟造・桟瓦葺きで再建された。 別称は「酔月城」「穴城」「白鶴城」「鍋蓋城」と多彩で、 とりわけ「穴城」の異称は城下町より低地に縄張りされた日本城郭史上極めて稀な構造を端的に表現している。 西側の千曲川断崖と浅間山の田切地形の深い谷を空堀として転用した縄張りは、 自然地形を最大限活用した戦国築城術の到達点として研究者に注目される。 懐古園としての再生は明治13年の旧藩士による払い下げ取得に始まり、 大正期には本多静六の景観設計を受けて公園化された。 園内の三之門にはサザエさんOPやアニメ『あの夏で待ってる』作中の描写など現代映像作品にも繰り返し登場し、 城下町・小諸の文化的記号としても機能している。

建築的詳細

縄張りは本丸・二の丸・北の丸・南の丸・三ノ丸の5郭から成り、 城下町である小諸の市街地よりも低地に配置された「穴城」構造が最大の特徴である。 西側の千曲川断崖と浅間山の田切地形が形作る深い谷を天然の空堀として活用し、 人工堀の構築を最小化した自然地形依存型の縄張りとなっている。 往時の門は大手門・二之門・三之門・中仕切門・黒門・不開門の6門が配され、 大手門・二之門・三之門・中仕切門は渡櫓門で、 中仕切門は3階建ての櫓門という壮観な構成だった。 天守は望楼型3重3階、 屋根瓦には桐紋の金箔押瓦が用いられ仙石氏の威光を示した。 二の丸には全国的に稀な「水櫓」が設けられた。 1重1階地下1階建ての構造で中澤川を分水して城内に水を引き入れる仕組みは、 水の手確保が困難な高地の城における独創的解決策として注目される。 石垣は野面積み主体で、 仙石秀久期に大規模整備された。 現存遺構は大手門・三之門・天守台石垣・各曲輪の石垣で、 移築門として黒門が正眼院山門、 足柄門が光岳寺山門として市内に保存されている。

外部リンク

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