犬山城

犬山 · JP

木曽川を見下ろす丘上に立つ、現存12天守最古候補・国宝5城の名城

愛知県犬山市の木曽川南岸、標高約88メートルの丘上に立つ犬山城は、現存12天守の中でも最古候補とされる国宝天守を擁する平山城。江戸期から成瀬家9代が守り、2004年まで日本で唯一個人所有だった希少な近世城郭である。

国宝

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

本丸を囲む桜と木曽川沿いの桜並木が同時に開花、白漆喰の天守を背景に淡紅の絶景となる

★★★★★

6月-10月

木曽川の鵜飼が開催され、夜は篝火と天守のライトアップが幻想的に映える期間

★★★★☆

11月中旬-下旬

本丸の紅葉と城下町の町並みが調和、写真愛好家にとっては桜期より人出が少なく狙い目

★★★★☆

12月-2月

空気が澄んで木曽川対岸の御嶽山・伊吹山まで望める日もあり、雪化粧の天守は希少光景

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.国宝の望楼型天守と高欄回廊

    外観3重・内部4階・地下2階の望楼型天守は高さ19メートル、入母屋造の主屋に望楼を載せた古式構造。最上階の高欄を360度歩いて回れるのは国宝5天守で犬山城のみで、木曽川と濃尾平野を一望できる。

    本丸南の登城道から見上げる正面構図が定番、午前の順光で白漆喰が映える

  • 2.木曽川越しに望む白帝城の佇まい

    別名「白帝城」は荻生徂徠が李白の詩『早発白帝城』になぞらえた雅称で、川を挟んだ岐阜県側の対岸からの遠景がその名の由来を最も実感できる。野面積みの天守台と緑の丘、木曽川の流れが一幅の山水画を成す。

    対岸の各務原市鵜沼側から望遠で天守と川面を一緒に切り取る

  • 3.木曽川遊覧船から見上げる断崖の城

    木曽川うかい船や遊覧船から見上げる犬山城は、約88メートルの断崖上に天守がそびえる迫力構図で、陸からは見られない真下からの威容を体感できる。夏の鵜飼期(6-10月)は篝火に照らされる夜の天守も格別。

    犬山遊園駅近くの船着場から出る遊覧船の航路で右舷側から狙う

物語・伝説

1537年、清洲三奉行・織田信秀の弟である織田信康が木ノ下城を廃して現在地に移したのが犬山城の始まりとされる。子の信清は織田信長と対立して敗れ、以後池田恒興・織田勝長らが城主を務めた。1584年の小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉が本陣を敷き、徳川家康の小牧山城と木曽川を挟んで対峙する西軍最前線となった。江戸期に入ると尾張藩付家老・成瀬正成が1617年に入城し、以後成瀬家9代が明治まで守り続ける。明治の廃城令で天守以外は取り壊されたが、1891年の濃尾地震で破損を修復することを条件に旧藩主・成瀬正肥へ無償譲渡され、2004年まで日本で唯一の個人所有城として歴史を刻んできた。

こんな人におすすめ

現存12天守を巡る城マニア、国宝5城制覇を目指す歴史ファン、木曽川と城のコラボを撮りたい写真愛好家、城下町散策と鵜飼を組合せたい家族連れにおすすめ。名古屋から名鉄犬山線で約25分、日帰り圏内である。

現地で知るべき豆知識

  • 1.天守最上階の高欄回廊は柵が低く外側に張り出した古式構造で、国宝5城の中で唯一360度を歩いて回れる。ただし強風日は手すりが揺れる感覚があるため、高所が苦手な人は壁側を歩くのがおすすめである
  • 2.本丸への登城路にある「黒門跡」石垣は野面積みの古式が良く残り、廃城時に破却を免れた数少ない遺構の一つで、城下町から徒歩で上る途中に立ち寄れる隠れた見どころとなっている
  • 3.城下町本町通りの「どんでん館」では犬山祭の山車4輌が展示されており、犬山城との共通入場券はないが徒歩5分で立寄れる。4月第1土日の犬山祭期間は車山が城下を巡行し祭の臨場感が増す

訪問情報

アクセス
名鉄犬山線「犬山遊園」駅から徒歩約15分、または「犬山」駅から徒歩約20分。名古屋駅から名鉄特急で約25分の好アクセス。車は中央道小牧東ICから約20分、城下町に有料駐車場複数あり。
所要時間
天守と本丸で1.5-2時間、城下町散策と合わせて半日が目安。
予算目安
入城料 大人550円・小中学生110円(2024年時点参考)。城とまちミュージアム共通券あり。最新料金は公式サイトで確認推奨。

周辺観光

城下町本町通りは江戸期の町割りを残し、徒歩圏内に「どんでん館」(犬山祭の山車4輌展示)、「城とまちミュージアム」、「からくり展示館」が並ぶ。徒歩約15分の三光稲荷神社や、名鉄犬山線で1駅の「明治村」(野外建築博物館)も組合せ可能である。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1469年

    築城の砦造営

    応仁の乱の最中、岩倉織田氏当主・織田敏広の弟である織田広近が現在地近くに砦を築いたとされ、これが犬山城の起源とされる

  2. 1537年

    現在地への城郭造営

    清洲三奉行・織田信秀の弟である織田信康が木ノ下城を廃し、現在の位置に城郭(乾山の砦)を造営して移った

  3. 1584年

    小牧・長久手の戦い

    池田恒興が奇襲で奪取し、羽柴秀吉が本陣を敷いて徳川家康の小牧山城と木曽川を挟んで対峙する西軍の橋頭堡となった

  4. 1600年

    関ヶ原の戦い西軍拠点

    石川貞清を城主とする西軍の拠点となったが、岐阜城落城後に大半の城将が東軍へ寝返り、貞清は犬山城を放棄して関ヶ原へ参陣した

  5. 1617年

    成瀬家入城

    尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、唐破風出窓を増築。以後明治まで成瀬家9代の居城となった

  6. 1871年

    廃藩置県と廃城

    廃藩置県の施行により廃城となり、天守を除く櫓・城門のほとんどが取り壊された

  7. 1891年

    濃尾地震で被害

    濃尾地震が発生し、天守の東南角の付櫓が壊れる大きな被害を受けた

  8. 1895年

    成瀬家へ譲渡

    愛知県から旧犬山藩主・成瀬正肥へ修復を条件に無償譲渡され、日本唯一の個人所有城としての時代が始まった

  9. 1952年

    国宝指定

    文化財保護法に基づく国宝に指定され、姫路・松本・彦根・松江と並ぶ国宝5天守の一つとなった

  10. 1961-1965年

    昭和の解体修理

    天守の解体修理が実施され、伝承されていた美濃金山城からの移築説が痕跡未発見により否定された

  11. 2004年

    財団法人へ移管

    成瀬家による個人所有を終え、財団法人犬山城白帝文庫(現公益財団法人)へ所有が移った

  12. 2017年

    落雷で鯱破損

    落雷により天守の鯱が胴体から尾にかけて大破し、瓦製で作り直されて2018年2月に再設置された

  13. 2018年

    国史跡指定

    城跡全体が国の史跡に指定され、文化財としての保護範囲が天守単体から城域全体に拡張された

歴史をもっと深く

犬山城の起源は文明元年(1469年)、応仁の乱の最中に岩倉織田氏当主・織田敏広の弟である織田広近が現在地近くに砦を築いたことに始まるとされる。本格的な城郭としての整備は天文6年(1537年)、清洲三奉行・織田信秀の弟である織田信康が居城の木ノ下城を廃して現在の位置に城郭を造営したときである。現存天守の2階までは概ねこの時代に造られたと考えられてきたが、2019年に名古屋工業大学大学院などが行った建築材の年輪年代法による調査では1585年頃の伐採材が主体と判明し、当初から1-4階を一体で築造したとする新説が提示されている。天文13年(1544年)の加納口の戦いで信康が戦死すると子の織田信清が継ぎ、永禄7年(1564年)に織田信長と対立して敗れ甲斐へ逃れた。以後池田恒興・織田勝長らが城主を務め、本能寺の変後は織田信雄配下の中川定成が入った。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは大垣城主・池田恒興が奇襲で奪取し、羽柴秀吉が本陣を敷いて徳川家康の小牧山城と対峙する西軍橋頭堡となった。文禄4年(1596年)に石川貞清が城主となり大改修を実施、現在の連郭式縄張りの骨格が固まる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは岐阜城・竹鼻城とともに西軍拠点となったが、岐阜城落城後に大半の城将が東軍へ寝返り、貞清は犬山城を放棄して関ヶ原に参陣後降伏した。元和3年(1617年)に尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、天守に唐破風出窓を増築。以後明治まで成瀬家9代の居城となった。明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となり天守以外の櫓・城門はほぼ取り壊されたが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の付櫓が破損した後、明治28年(1895年)に修復を条件として愛知県から旧藩主・成瀬正肥へ無償譲渡され、以後2004年まで日本で唯一の個人所有城として継承された。昭和10年(1935年)旧国宝指定、昭和27年(1952年)現行国宝指定、平成16年(2004年)に成瀬家から財団法人犬山城白帝文庫へ所有が移り、平成30年(2018年)に城跡全体が国の史跡に指定された。

文化的背景と意義

犬山城天守は昭和27年(1952年)に文化財保護法に基づく国宝に指定され、姫路城・松本城・彦根城・松江城と並ぶ国宝5天守の一つとして位置づけられる。現存12天守の中でも最古候補に挙げられ、入母屋造の主屋上に望楼を載せた望楼型天守の典型例として日本城郭建築史において重要な位置を占める。別名「白帝城」は江戸中期の儒学者・荻生徂徠が李白の七言絶句『早発白帝城』に詠まれる長江沿いの白帝城になぞらえた雅称で、木曽川を見下ろす丘上の佇まいに対する漢詩的見立てから生まれた異称である。平成18年(2006年)には日本城郭協会の「日本100名城」43番に選定され、平成30年(2018年)2月13日に城跡が国の史跡に指定された。所有経緯としては明治28年から平成16年まで成瀬家による個人所有が続き、江戸時代以前から現存する天守が現代まで個人所有だった例は他にないことから「日本で最後まで個人所有だった城」として語り継がれている。現所有者は公益財団法人犬山城白帝文庫で、犬山市が文化財保護法に基づく管理団体に指定されている。

建築的詳細

犬山城天守は外観3重・内部4階・地下2階の望楼型で、入母屋2重2階の主屋上に3間×4間の望楼部を載せた古式構造を持つ。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、地階を含む総延床面積は698.775平方メートル、天守自体の高さは19メートルに達する。天守台は野面積みの石垣で高さ約5メートル、丘そのものの高さを加えると木曽川河面から約88メートルの比高となる。各階の構成は1階「納戸の間」(東西9間・南北8間、床面積282.752平方メートル)、2階「武具の間」(同寸法、床面積246.006平方メートル)、3階「破風の間」(東西3間・南北4間、床面積81.936平方メートル)、4階「高欄の間」(同寸法、床面積49.835平方メートル)。窓は突上窓・火灯窓・両開き窓を組合せ、最上階の四方には高欄付きの回縁(廻り縁)が巡る。これは国宝5天守の中で唯一360度を歩いて回れる構造である。元和3年(1617年)に成瀬正成が城主となった際に唐破風出窓が増築され、現在の優美な外観意匠が完成した。瓦は本瓦葺で、平成29年(2017年)の落雷で大破した鯱は瓦製で作り直され平成30年(2018年)2月に再設置された。成瀬家7代当主正壽がオランダ商館長と親しかったことから、天守最上階に絨毯を敷いたとの伝承が残り、昭和の解体修理(1961-1965年)で再現された。

外部リンク

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