松前城
松前町 · JP
桜1万本に抱かれる、 北海道に唯一現存する日本最北の和式城郭
北海道松前町福山に立つ松前城は、 1855年(安政元年)に海防強化のため築かれた日本最後期の和式城郭。 1949年の焼失後に鉄筋復元された天守と、 焼失を免れた重要文化財・本丸御門が現存し、 周囲は桜1万本の松前公園として日本さくら名所100選に選ばれる桜の聖地となっている。
ベストシーズン・ベストタイム
桜250種1万本が約2か月にわたり咲き継ぐ松前公園、 まつまえ桜まつり期間は天守ライトアップも実施
★★★★★
新緑と津軽海峡の青、 8月のお盆には松前城下時代まつりで武者行列が城下を練り歩く
★★★☆☆
石垣と紅葉のコラボが映える穴場の好機、 桜期の混雑がなく天守撮影に集中できる
★★★★☆
雪化粧した本丸御門と天守は北海道唯一の和式雪城景観、 撮影愛好家に隠れた人気
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.復元天守と海を望む本丸跡
1961年に鉄筋コンクリートで外観復元された三重四階の天守は、 焼失前の姿を忠実に再現。 本丸跡からは津軽海峡を一望でき、 海防のため築かれた城の歴史的役割を実感できる、 北海道唯一の日本式天守である。
天神坂門側の南西から天守を正面に捉える朝の構図がおすすめ
2.現存重要文化財・本丸御門
1949年の天守焼失を免れた切妻造の本丸御門は、 創建当時から残る唯一の建造物で国の重要文化財。 江戸末期の城門建築の質実な意匠を現代に伝え、 本丸表御殿玄関とともに松前城の真の歴史的価値を体現する。
本丸広場側から門越しに天守を縦構図で重ねる正午前
3.松前公園の桜1万本の絶景
天守を囲む松前公園には松前町発祥のマツマエハヤザキ・ベニユタカなど貴重な松前系品種を含む250種1万本の桜が植えられ、 4月下旬から5月下旬の約2か月間で開花リレーが続く。 日本さくら名所100選に選ばれる全国屈指の名所である。
天守背景に桜のトンネルを構図、 4月末から5月初旬の早朝
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.天守内部の松前城資料館は復元当時から松前藩・アイヌ交易史・戊辰戦争の資料を体系展示、 単なる外観見学だけでなく内部見学で松前藩の独自史を理解できる必須コースである
- 2.本丸御門の脇には箱館戦争で旧幕府軍の弾痕がいくつも石垣に残り、 案内板の解説と照合しながら土方歳三隊の侵攻ルートを辿るのが歴史マニア向けの隠れた見どころとなっている
- 3.桜まつり期間中は無料駐車場が早朝から満車になるが、 隣接する松前藩屋敷の駐車場や徒歩10分の松前町役場周辺に分散駐車可、 平日朝7-9時の訪問が最も人出を避けられる
訪問情報
- アクセス
- JR新函館北斗駅から車で約1時間30分、 木古内駅から松前出張所行バスで約1時間30分「松城」下車徒歩7分。 函館空港からはレンタカーで約2時間のアクセス。
- 所要時間
- 天守と本丸御門で1時間、 松前公園と松前藩屋敷を含めて半日が目安。
- 予算目安
- 天守(松前城資料館)入場料 大人360円・小中学生240円、 松前藩屋敷は別途大人360円。 (2024年時点)
周辺観光
徒歩5分の松前藩屋敷は江戸末期の松前城下を実寸復元した野外博物館、 同じく徒歩圏の寺町には光善寺・法源寺など5寺院が並ぶ。 車で30分の松前矢越道立自然公園は津軽海峡を望む景勝地、 福島町経由で1時間の知内町には青函トンネル記念館もある。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1600-1606年
福山館の建設
松前慶広が居城を大館から福山へ移し、 福山館を慶長5年から慶長11年にかけて建設、 江戸期松前藩の本拠地となる
- 1849年
築城命令
嘉永2年7月10日、 江戸幕府が異国船到来増加を受け松前藩主・松前崇広に海防強化のための新規築城を命じる
- 1855年
松前城完成
安政元年9月末、 市川一学の縄張で松前城完成、 三の丸に砲台7基を備える日本最後期の和式城郭となる
- 1868年11月
土方歳三軍の攻撃で陥落
明治元年11月5日、 土方歳三率いる旧幕府軍700名の攻撃で松前城が陥落、 藩兵は退却し街の4分3が焼失する
- 1869年4月
新政府軍が奪回
明治2年4月17日、 青森から戻った松前藩兵を先鋒とする新政府軍が江差から進撃し松前城を奪回する
- 1874年
開拓使による解体
明治7年、 開拓使が天守・本丸表御殿・本丸御門以外の城郭建物を解体、 古材は役所建築や民間売却に充てる
- 1935年
国の史跡指定
昭和10年6月7日、 城跡が国の史跡に指定され、 文化財保護の法的枠組みの中で松前城の保存が始まる
- 1941年
国宝指定
昭和16年5月8日、 天守・本丸御門・本丸御門東塀が国宝保存法に基づく国宝(現行重文相当)に指定される
- 1949年
天守焼失
昭和24年6月5日午前1時10分頃、 隣接町役場からの飛び火で天守と東塀が全焼、 町民が涙ながらに見送る
- 1950年
本丸御門の重文再指定
焼失を免れた本丸御門が文化財保護法施行に伴い重要文化財に再指定、 現存唯一の建造物となる
- 1961年
天守復元
昭和36年5月16日、 7,000万円の工事費で鉄筋コンクリート造の復元天守が落成、 松前城資料館として開館する
- 2000-2002年
搦手二ノ門・天神坂門復元
平成12年に搦手二ノ門が、 平成14年に天神坂門が木造復元され、 江戸末期城郭景観の総合復元が進む
歴史をもっと深く
松前城の歴史は前身の福山館に始まる。 松前慶広が居城を大館(徳山館)から福山へ移した1600年(慶長5年)から1606年(慶長11年)にかけて福山館が建設され、 堀・石垣を備え本丸・二ノ丸・北ノ丸・櫓を持つ城郭だったが、 松前氏が無城待遇のため正式には城と呼ばれなかった。 1637年に焼失するも1639年に再建。 江戸幕府は1849年(嘉永2年)7月10日、 異国船到来増加への海防強化として松前藩主・松前崇広に新規築城を命じる。 縄張りは日本三大兵学者と呼ばれた長沼流の市川一学に依頼され、 一学・十郎父子が松前を調査、 箱館北の庄司山案と福山館拡張案を提出した結果、 幕府は費用面から福山館拡張で決定。 1850年(嘉永3年)7月に着工、 松前広当が総奉行となり、 石材は城北東部の緑色凝灰岩を中心に重要部には兵庫の本御影石を用い、 総工費約15万両を沖ノ口口銭引上げ・家臣俸禄1割献上・商人献金等で工面した。 1855年(安政元年)9月末に完成、 本丸から三の丸まで総面積21,074坪、 三重櫓・二重櫓・太鼓櫓を備え、 旧式城郭としては異例の砲台7基が三の丸に設置された。 1868年(明治元年)11月5日、 土方歳三率いる旧幕府軍700名の攻撃で陥落、 城代家老の蠣崎広備らが防戦するも兵力差大きく、 松前藩兵は午後1時に城に火をかけて退却、 民家にも放火し街の4分の3が焼失した。 翌1869年(明治2年)4月17日、 青森から戻った松前藩兵が先鋒の新政府軍と協力し城を奪回。 1874年(明治7年)に開拓使が天守・本丸表御殿・本丸御門以外を解体、 1875年(明治8年)には石垣を再利用して松前波止場が築かれた。 1935年(昭和10年)6月7日に城跡が国の史跡指定、 1941年(昭和16年)5月8日に天守・本丸御門・本丸御門東塀が国宝指定された。 太平洋戦争末期は天守に藁縄網を被せて遮蔽したが、 1949年(昭和24年)6月5日午前1時10分頃、 隣接する町役場当直室からの出火が飛び火し、 午前4時に天守と東塀が全焼。 焼失を免れた本丸御門は1950年の文化財保護法施行で重要文化財に再指定された。 1959年(昭和34年)から再建工事が始まり、 7,000万円の工事費で1961年(昭和36年)5月16日に鉄筋コンクリート造の復元天守が落成した。
文化的背景と意義
松前城は石田城と並ぶ日本最後期の和式城郭であり、 北海道内で唯一の日本式城郭である点が際立つ歴史的価値を持つ。 本丸御門は1950年の文化財保護法施行に伴い重要文化財に指定され、 本丸表御殿玄関は北海道有形文化財、 城跡全体は1935年指定の国の史跡として三重の保護下にある。 城は対外的脅威 (異国船) への海防のため築かれた珍しい起源を持ち、 三の丸に砲台7基を持つ「海からの敵を撃退する」特化型構造は、 旧式城郭への新時代の応答という意味で日本城郭史の独自位置を占める。 戊辰戦争最終局面の主要戦場となり、 土方歳三の蝦夷地戦役・箱館戦争の文脈で全国の幕末ファンに知られる聖地でもある。 焼失前に作成された昭和実測図が近年発見されたことから、 老朽化した鉄筋天守を木造で復元する計画が進行中で、 「文化財としての城」と「観光資源としての城」のバランスを問う現代的議論の場ともなっている。 松前町発祥のマツマエハヤザキ・ベニユタカなど250種の松前系品種が織り成す桜は、 1990年代以降の各種桜マップ・桜番付で日本さくら名所100選に挙げられる全国屈指の名所であり、 アイヌ交易・北前船・松前藩独自史と一体で語られる道南文化の核心となっている。
建築的詳細
松前城は標高約30メートルの福山台地に築かれた平山城で、 本丸・二ノ丸・三の丸の連郭式構成を取る。 復元天守は三重四階・地下1階の層塔型で、 屋根は本瓦葺、 各階に唐破風・千鳥破風を配し、 外壁は白漆喰塗りで腰板は下見板張り、 高さ約16.5メートルである。 1961年復元時の構造は鉄筋コンクリート造だが、 外観は焼失前の姿を忠実に再現しており、 各階の窓配置・破風形状・棟飾りまで詳細な実測図に基づく。 焼失を免れた本丸御門は切妻造・本瓦葺の高麗門形式で、 江戸末期の質実な城門意匠を残す重要文化財。 石垣は城北東部産の緑色凝灰岩を主用い、 本丸の重要部分にのみ兵庫の本御影石を用いる二重構成で、 旧式城郭にしては外郭石垣の輪郭が大きく内側に二重の石垣を持つ防御強化が施されている。 三の丸の砲台7基は旧式城郭としては前例のない海防特化構造で、 これに加え沿岸には1851年以降に16砲台33門が築造され、 城と一体で海防体制を構築した。 2000年(平成12年)に外堀の木橋・石橋と高麗門形式の搦手二ノ門が、 2002年(平成14年)に天神坂門が木造復元され、 復元天守を中心に総合的な江戸末期城郭景観が現代に蘇っている。