丸岡城

坂井市 · JP

北陸唯一の現存天守、 福井地震を乗り越え甦った古式望楼型の名城

福井県坂井市の小高い独立丘陵に立つ丸岡城は、 江戸時代寛永年間建造の古式天守を擁する現存12天守の一つ。 1948年福井地震で倒壊するも8割の部材を再利用して甦り、 別名「霞ヶ城」の伝説とともに北陸の歴史を今に伝える。

重要文化財

ベストシーズン・ベストタイム

4月上旬-中旬

桜400本と古式天守のコラボが絶景、 日本さくら名所100選の桜まつりが最盛期

★★★★★

6月-8月

新緑の城山と石瓦天守の対比が美しく、 早朝訪問が涼しく快適である

★★★☆☆

10月-11月中旬

10月の丸岡古城まつりと紅葉が見頃、 桜期より静かで歴史散策に最適

★★★★☆

12月-2月

雪化粧した古式天守の風情は北陸ならではの絶景、 寒さ覚悟の写真愛好家に人気

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.古式望楼型2重3階の現存天守

    大入母屋の上に廻り縁付き望楼を載せた独立式望楼型2重3階の天守は、 寛永年間(1624-44年)建造の重要文化財。 笏谷石・滝ケ原石製の石瓦と木製漆塗りの鯱が、 戦国期の古式意匠を今に伝える。

    南東の天守台下から見上げ構図で石瓦と望楼を1枚に

  • 2.霞ヶ城公園の桜100選

    1990年に日本さくら名所100選に選定された霞ヶ城公園には約400本の桜が咲き、 4月上旬の桜まつりでは天守と桜のコラボが絶景に。 城下を覆う桜霞は、 別名「霞ヶ城」の伝説と重なる風景である。

    4月上旬の早朝、 内堀跡側から桜越しに天守を望む

  • 3.観光用ロープ付きの急階段

    天守内部の階段は床面に対して65度を超える急傾斜で、 現存天守のなかでも屈指の急勾配。 観光客向けに昇降補助の太縄が下げられ、 武家時代の防御工夫を体感できる希少な現存遺構となっている。

    2階から1階を見下ろし、 縄と急階段を縦構図で

物語・伝説

1576年、 織田信長の家臣・柴田勝家の甥である柴田勝豊が、 坂井平野東部の独立丘陵に城を築いた。 築城時、 天守台の石垣が何度崩しても崩れ続けたため、 城下の貧しい片目の未亡人「お静」が、 息子を士分に取り立てる事を条件に人柱を申し出た。 工事は無事完了したが、 勝豊はほどなく移封となり約束は果たされず、 怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ、 毎年4月の堀の藻刈りに大雨を降らせたと伝わる。 1948年の福井地震で天守は倒壊したが、 1955年に倒壊材の約8割を再利用して組み直され、 北陸唯一の現存天守として今も人々を魅了する。

こんな人におすすめ

現存12天守を巡る城マニア、 古式望楼型の意匠と石瓦に惹かれる建築・歴史愛好家、 人柱お静の伝説や福井地震からの復活ストーリーに惹かれるロマンチスト、 桜100選の花見訪問者。 福井駅・芦原温泉駅から日帰り可能。

現地で知るべき豆知識

  • 1.天守内の階段は床面に対して65度を超える急勾配で、 現存12天守の中でも屈指の急階段である。 ロープを掴んで昇り降りする体験は他の城では味わえず、 武家時代の防御工夫を体感する貴重な機会となる
  • 2.城下の「一筆啓上茶屋」では日本100名城スタンプが設置され、 柴田勝家像とのご対面演出もある。 短い手紙文化を伝える「一筆啓上 日本一短い手紙の館」も徒歩圏で組み合わせ訪問が定番である
  • 3.4月の桜まつり期間中は夜桜ライトアップが行われ、 古式天守と桜霞の幻想的な共演が見られる。 内堀跡方面から眺める夜桜は混雑も少なく、 写真愛好家には絶好の穴場ポイントとなる

訪問情報

アクセス
北陸新幹線芦原温泉駅から京福バス86・87系統で約20分「丸岡城」下車。 北陸自動車道丸岡IC(ETC専用)から車約2km。 福井駅からもバス3路線あり。
所要時間
天守と城山公園で1.5-2時間、 一筆啓上の館含めて半日が目安。
予算目安
入城料 大人450円・小中学生150円(一筆啓上の館共通)。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩5分の「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は短い手紙コンクールの歴史を伝える。 車30分の永平寺は曹洞宗大本山で、 えちぜん鉄道で芦原温泉や東尋坊と組合せ可。 福井市側の福井城跡も車40分で組合せ可能。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1576年

    柴田勝豊の築城

    織田信長の一向一揆制圧後、 柴田勝家の甥・勝豊が豊原を離れ坂井平野東部の丘陵に築城、 拠点を移す

  2. 1582年

    勝豊の移封と城主交代

    本能寺の変後の清洲会議で勝豊は近江長浜城へ移封、 安井家清が丸岡城に入城した

  3. 1600年

    関ヶ原後の改易

    青山宗勝が関ヶ原の戦いで西軍方につき改易、 結城秀康家臣の今村盛次が2万6千石で入城

  4. 1624年

    丸岡藩成立と現天守建造

    本多成重が福井藩から独立し丸岡藩4万3千石が成立、 寛永年間にこの頃現天守が建造される

  5. 1695年

    丸岡騒動と有馬氏入封

    本多家4代重益の治世にお家騒動で改易、 有馬清純が越後糸魚川藩より5万石で入城した

  6. 1871年

    廃藩置県と廃城

    丸岡藩が丸岡県となり城は県庁に、 のち廃城令で天守以外の構造物は全て解体・移築された

  7. 1901年

    丸岡町による買戻し

    残された天守は丸岡町により買い戻され、 城跡は霞ヶ城公園として整備された

  8. 1934年

    旧国宝指定

    天守が国宝保存法(旧法)に基づき国宝に指定され、 文化財保護の対象となった

  9. 1948年

    福井地震で倒壊

    6月28日の福井地震(M7.1)により天守が倒壊、 戦後復興と文化財保護の試金石となった

  10. 1950年

    重要文化財に指定

    文化財保護法(新法)施行により倒壊状態のまま天守は重要文化財に指定された

  11. 1955年

    再建完了

    倒壊材の約8割を再利用して組み直す解体修復が完了、 古式天守が再び姿を現した

  12. 1990年

    桜名所100選

    霞ヶ城公園として日本さくら名所100選に選定、 桜400本と天守のコラボ景観が認定された

  13. 2006年

    日本100名城選定

    日本100名城(36番)に選定、 全国の城郭ファンが訪れる聖地の一つとなった

  14. 2019年

    建造年判明

    丸岡城調査研究委員会が現存天守の建造時期を寛永年間(1624-44年)と発表

  15. 2025年

    城山整備計画始動

    本丸・松ノ丸を含む約1万3千平方メートルを30年かけて再整備する基本計画が発表された

歴史をもっと深く

丸岡城の歴史は1576年(天正4年)、 織田信長が一向一揆を制圧した翌年、 柴田勝家の甥である柴田勝豊が豊原城を離れ、 坂井平野東部の独立丘陵に新たな城郭を築いたことに始まる。 1582年(天正10年)、 本能寺の変による信長横死後の清洲会議で勝豊は近江国長浜城に移封され、 安井家清が入城する。 1583年(天正11年)、 柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、 越前国は丹羽長秀の所領となり、 青山宗勝(修理亮)が丸岡城主となった。 1585年(天正13年)に長秀が没し丹羽長重が秀吉に所領没収されると、 青山宗勝が独立して2万石の城主となるが、 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍方につき改易される。 越前国に入封した徳川家康の次男・結城秀康の家臣・今村盛次が2万6千石で城主となるが、 1612年(慶長17年)の越前騒動で失脚。 江戸幕府より付家老として福井藩に付けられた本多成重が4万3千石で新城主となり、 1624年(寛永元年)に福井藩から独立して丸岡藩4万6千3百石が成立した。 現在の天守は2019年の丸岡城調査研究委員会の報告により寛永年間(1624-44年)建造と推定されている。 1695年(元禄8年)、 4代重益の治世にお家騒動(丸岡騒動)が起こり本多家は改易、 有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で入城し、 以後有馬氏丸岡藩6代の居城として明治維新を迎えた。 1871年(明治4年)の廃藩置県で丸岡藩は丸岡県となり、 城は県庁として利用されたのち廃城令で天守以外の構造物は全て解体・移築される。 1901年(明治34年)、 残された天守は丸岡町により買い戻され公園となった。 1934年(昭和9年)1月30日に旧国宝保存法に基づく国宝に指定されたが、 1948年(昭和23年)6月28日の福井地震(M7.1)で天守は倒壊。 1950年(昭和25年)の文化財保護法施行で重要文化財に指定され、 1955年(昭和30年)に倒壊材の約8割を再利用した解体修復が完了し再建された。 1990年(平成2年)に霞ヶ城公園として日本さくら名所100選、 2006年(平成18年)4月6日に日本100名城(36番)に選定。 2013年から坂井市が国宝化推進事業を立ち上げ、 2025年からは約30年かけた「丸岡城城山整備基本計画」が始動した。

文化的背景と意義

丸岡城は江戸時代に建造された現存12天守の一つで、 北陸地方で唯一現存する天守として希少価値が極めて高い。 大入母屋の上に廻り縁付き望楼を載せた独立式望楼型2重3階の意匠は、 戦国期の古式形態を色濃く残しており、 かつて「現存最古の天守」と犬山城・松本城との論争もあった。 2019年の坂井市教育委員会の本格調査で寛永元年(1624年)建造と判明したが、 古式意匠の貴重さは変わらず、 重要文化財として保護されている。 別名「霞ヶ城」の由来は、 合戦時に大蛇が現れて霞を吹き城を隠したという伝説によるもので、 北陸の城郭文化に独特の幻想性を加えている。 1948年の福井地震で倒壊し倒壊材の8割を再利用して再建された経緯は、 戦後の文化財復興の象徴的事例として知られ、 同時期の日本の文化財保護政策の進化を物語る。 1990年に日本さくら名所100選、 2006年に日本100名城に選定され、 坂井市は2013年から国宝化推進事業を継続している。 ドイツのマルクスブルク城との姉妹城提携、 黒澤明監督の映画「乱」の三の城のモデル、 映画「戦国自衛隊」「子連れ狼 その小さき手に」のロケ地としても文化的影響力が大きい。

建築的詳細

丸岡城は標高約27メートルの独立丘陵に築かれた平山城で、 山麓部分が近世に増築され周囲に五角形の内堀が廻らされていた。 現在は内堀が埋め立てられているが、 復元計画が進行中である。 天守は独立式望楼型2重3階で、 1階平面を天守台に余分を持たせて造られているため、 天守台を被せるような腰屋根が掛けられているのが特徴。 屋根は当初杮葺(こけらぶき)で木製漆塗りに金箔押しの鯱を載せていたが、 のちに越前国産の笏谷石(しゃくだにいし)製石瓦に変更された。 1941年(昭和16年)の修理および1955年(昭和30年)の再建工事では、 石川県小松市産出の滝ケ原石へと葺き替えられた。 石瓦の総重量は約120トンに及び、 寒冷地での凍害に強い独自意匠となっている。 1948年福井地震での倒壊後、 1955年の解体修復では倒壊材の70-80%を再利用して組み直したが、 最上階の窓は引き戸から突き上げ窓(蔀戸)に改変された。 天守内の階段は床面に対して65度を超える急傾斜で、 観光用の補助縄が取り付けられている。 石垣は野面積みを基本とし、 戦国末期の素朴な技法を残す。 江戸期に建造された他の現存天守と比べても古式意匠が顕著で、 建築史上の貴重な現存例となっている。

外部リンク

関連カテゴリ

一覧に戻る