今治城
今治市 · JP
海水を引き入れた三重の堀、 日本三大水城を代表する藤堂高虎の傑作
愛媛県今治市の瀬戸内海に面した今治城は、 慶長9年(1604年)築城名人・藤堂高虎が完成させた日本三大水城の筆頭。 海水を引き入れた三重の堀と層塔型天守の原型を持ち、 高松城・中津城と並ぶ海上要害として瀬戸内の海運を支配した近世城郭の革新作。
ベストシーズン・ベストタイム
城内と内堀沿いの桜が開花、 石垣と桜と海水の堀の組み合わせが今治城ならではの絶景
★★★★★
瀬戸内海の海風が城内を抜けて快適、 天守から見るしまなみ海道の眺望が最も鮮明
★★★★☆
城内の紅葉と石垣の組み合わせが美しく、 観光客も少なく散策に最適なシーズン
★★★★★
観光最閑期で静寂、 空気が澄み天守から来島海峡大橋までの遠望が最高に鮮明になる
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.海水を湛える三重の広大な堀
瀬戸内海から直接海水を引き入れた幅60メートル超の三重の堀は、 当時は船が城内まで乗り入れ停泊できた海上交通の要衝。 内堀の石垣と水面に映る天守のコントラストは、 日本三大水城を代表する稀有の景観で、 朝夕の光で表情が劇的に変化する。
南側の土橋から天守と石垣を堀越しに望む構図、 早朝の順光
2.高石垣と犬走りの工法
今治城の高石垣は、 軟弱な海辺地盤に対応するため石垣の根元に「犬走り」と呼ぶ平坦帯を設けた藤堂高虎独自の工法で、 江戸時代の姿が今もほぼ原形で現存する。 石材は瀬戸内海の島々から運ばれ、 角の算木積みは近世城郭黎明期の貴重な実例である。
南西側の堀沿いから石垣と犬走りを真横から捉える、 午後の斜光
3.築城名人・藤堂高虎の銅像
二の丸に立つ藤堂高虎の銅像は、 平成19年(2007年)の鉄御門復元時に建立された築城名人を称える記念碑。 高虎は今治城で層塔型天守を初めて採用し、 以後の江戸城・大坂城等の近世城郭の主流となる工法を確立した近世築城史のキーパーソンである。
二の丸の銅像を背後の天守と組み合わせて撮影、 午前順光
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.天守内部は鉄筋コンクリート造の模擬天守で史実とは異なるが、 最上階からの来島海峡大橋としまなみ海道の眺望は格別、 晴天時は西日本最大級の景観が広がるので快晴日を選んで訪問するのが鉄則である
- 2.鉄御門 (くろがねごもん) は平成19年(2007年)に発掘調査に基づき木造復元された建造物で、 復元建築の見本としても貴重、 内部の多聞櫓5棟も無料で見学可能、 城内見学の必須コースに入れること
- 3.城西側の堀沿い遊歩道は地元市民の散歩道で観光客が少なく、 高石垣の壮観を最も堪能できる隠れスポット、 早朝6-8時は海風と鳥の声だけが響く今治城の最も静謐な姿を独占できる時間帯である
訪問情報
- アクセス
- JR予讃線今治駅から瀬戸内バス「今治営業所行」で約10分、 「今治城前」下車徒歩約3分。 駅から徒歩でも20分程度、 しまなみ海道入口の好立地。
- 所要時間
- 天守と城内見学で1時間半-2時間、 周辺散策含めて2-3時間。
- 予算目安
- 天守入館料 大人520円、 石垣・堀の見学は無料、 駐車場は近隣に1日500-800円。 (2024年時点)
周辺観光
今治市内には今治タオル本店(徒歩15分)、 今治国際ホテル展望(徒歩10分)、 今治市村上海賊ミュージアム(車20分)、 そしてしまなみ海道入口の来島海峡大橋(車15分)が至近。 サイクリングと組み合わせた瀬戸内海周遊が王道ルートで、 大三島の大山祇神社まで足を伸ばす歴史巡礼も推奨。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1600年
高虎入封
関ヶ原の戦い後、 徳川家康が藤堂高虎に伊予国20万石を与え瀬戸内海の押さえとして今治を任せる
- 1602年
築城開始
藤堂高虎が築城名人として今治城築城を開始、 普請奉行は渡辺了、 海辺の平城という当時の常識を覆す決断
- 1604年
今治城完成
三重の海水堀と層塔型天守を備えた近世平城として完成、 日本三大水城の一つに数えられる
- 1609年
高虎移封
藤堂高虎が伊勢国津城へ移封、 天守は丹波国亀山城へ移築されたとする説が有力(『寛政重修諸家譜』に記述)
- 1635年
松平氏入城
藤堂高吉が伊賀名張へ転封、 代わって松平(久松)定房が入城、 以後明治維新まで久松松平氏の居城となる
- 1869年
今治城廃城
明治2年廃城令施行前に廃城、 ほとんどの建築物が破却されて石垣と堀のみが残る
- 1871年
武具櫓焼失
明治4年、 二の丸北隅に残された武具櫓が火災で内部の火薬に引火爆発し焼失する
- 1953年
愛媛県史跡指定
昭和28年10月9日、 江戸時代の石垣・内堀が現存することから愛媛県史跡として指定される
- 1980年
模擬天守再建
昭和55年、 5層6階の模擬天守が鉄筋コンクリート造で本丸北隅櫓跡に建てられる
- 1985年
御金櫓復元
昭和60年、 二の丸の東隅櫓が御金櫓として外観復元、 古写真に基づく復原工事
- 1990年
山里櫓木造復元
平成2年、 二の丸西隅に山里櫓が木造で復元、 木造復元としては初の復興建造物
- 2006年
日本100名城選定
平成18年4月6日、 日本城郭協会が選定する日本100名城の79番に選ばれ全国的評価を得る
- 2007年
鉄御門復元
平成19年9月、 鉄御門と多聞櫓5棟が発掘調査に基づき木造復元、 藤堂高虎像も二の丸に建立される
歴史をもっと深く
今治城の歴史は慶長5年(1600年、 関ヶ原の戦いの年)に始まる。 徳川家康は関ヶ原の論功行賞で伊予国20万石を藤堂高虎(1556-1630)に与え、 瀬戸内海の海運統制と西国の押さえを命じた。 高虎は当初、 唐子山山頂の国府城を拠点としていたが、 山城から海辺の平城への大転換を決断、 慶長7年(1602年)に今治城築城を開始した。 普請奉行は渡辺了が務めた。 慶長9年(1604年)に完成、 三重の海水堀・高石垣・層塔型天守という三つの革新を結集した近世城郭の傑作となった。 構造は二之丸に藩主館、 中堀以内に側近武士の屋敷、 外堀以内に侍屋敷、 城門9ヶ所・櫓20ヶ所の広大な造りで、 海から堀へ直接船で入れる海上交通の要所であった。 慶長14年(1609年)高虎は伊勢国津城に移封となり、 同時に天守は丹波国亀山城へ移築された(『寛政重修諸家譜』に「今治の天守をたてまつりて、 かの城にうつす」の記述あり)。 高虎の養子・高吉が今治領2万石を飛地として継承、 寛永12年(1635年)に高吉が伊賀国名張へ転封となり、 代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城、 以後明治維新まで久松松平氏の居城として今治藩の中心となった。 江戸時代260年間広大な城郭は維持されたが、 明治2年(1869年)廃城令施行前に廃城となり、 ほとんどの建築物が破却された。 二の丸北隅の武具櫓のみ収蔵物とともに残されたが、 明治4年(1871年)火災発生時に内部の火薬に引火爆発し焼失した。 江戸時代の本丸・二の丸の石垣と内堀は現存し、 昭和28年(1953年)10月9日に愛媛県史跡指定、 昭和55年(1980年)に5層6階の模擬天守(鉄筋コンクリート造)が本丸北隅櫓跡に建てられた。 昭和60年(1985年)に東隅櫓を御金櫓として外観復元、 平成2年(1990年)に山里櫓を木造復元、 平成19年(2007年)9月に鉄御門と多聞櫓5棟を木造復元するなど段階的な復元整備が進められ、 平成18年(2006年)4月6日には日本100名城(79番)に選定された。
文化的背景と意義
今治城は日本三大水城の筆頭として、 高松城(香川県)・中津城(大分県)と並び海水を堀に引き入れた稀有の構造で知られる。 築城者・藤堂高虎(1556-1630)は江戸時代初期の築城名人として知られ、 伊予国宇和島城・大洲城・今治城・伊勢国津城・伊賀国伊賀上野城等を手がけた当代随一の城郭建築家である。 今治城で初めて採用された層塔型天守は、 矩形の天守台を造成し規格化された部材で全体を組み上げる工法で、 従来の望楼型天守の構造的欠陥(屋根裏階の発生・風や地震への弱さ)を解消、 工期短縮も可能とした。 高虎はこの工法を江戸城をはじめとする天下普請の城郭に採用し、 以後の近世城郭の主流となる。 また石垣の根元に「犬走り」を設けた工法も今治城が代表例で、 軟弱な海辺地盤への対応策として後代の海城築城に影響を与えた。 文化財指定としては昭和28年(1953年)に愛媛県史跡指定、 平成18年(2006年)に日本100名城(79番、 公益財団法人日本城郭協会選定)に選ばれた。 今治市は「海事都市今治」を標榜する造船・海運の街で、 今治城は瀬戸内海運の歴史を象徴する存在となっている。 同時にしまなみ海道(本州四国連絡橋の一つ)の四国側入口に位置し、 サイクリング聖地巡礼の起点としても訪問客が増加している。 復元天守からの来島海峡大橋の眺望は今治観光の代表的シーンとして親しまれている。
建築的詳細
今治城は東西約400メートル × 南北約500メートルの不整形平面、 内堀・中堀・外堀の三重の水堀を持つ平城。 海岸線から内陸に位置するが、 堀には瀬戸内海から海水を引き入れた稀有の構造で、 内堀は幅60メートル超、 当時は船が直接堀へ乗り入れる船寄せが存在した。 縄張りは本丸・二の丸・三の丸の同心円的配置で、 城門9ヶ所・櫓20ヶ所を備えた広大な近世平城。 現存する遺構は本丸と二の丸の石垣・内堀で、 石垣の高さは最大約13メートル、 算木積みの隅角は近世城郭黎明期の貴重な実例である。 軟弱な海辺地盤対策として石垣根元に「犬走り」と呼ぶ幅約2メートルの平坦帯を設け、 石垣の自重で地盤が沈下しても倒壊しない工法を採用、 これは藤堂高虎独自の発想で後代の海城築城のモデルとなった。 復元建造物は天守(昭和55年/1980年、 鉄筋コンクリート造5層6階・高さ約23メートル、 史実に基づかない模擬天守)、 御金櫓(東隅櫓、 昭和60年/1985年外観復元)、 山里櫓(平成2年/1990年木造復元)、 鉄御門(くろがねごもん)と多聞櫓5棟(平成19年/2007年9月木造復元、 発掘調査に基づく)。 鉄御門は門扉に鉄板を貼った重厚な構造で、 復元時に礎石・石垣も発掘調査の結果を反映した。 二の丸には築城名人・藤堂高虎の銅像が平成19年(2007年)鉄御門復元時に建立されている。