萩城
萩市 · JP
毛利氏260年の居城、 石垣と内堀に幕末維新の記憶が宿る世界遺産の城跡
山口県萩市の指月山麓に立つ萩城は、 関ヶ原で大幅減封された毛利輝元が1604年に築いた長州藩の本拠で、 廃城令で破却された天守台と石垣・内堀が往時の威容を伝える。 城下町とともに2015年「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録された。
ベストシーズン・ベストタイム
指月公園の桜600本と石垣・内堀のコラボが絶景、 萩城下祭りも開催される最盛期
★★★★★
本丸の藤と新緑が映え、 海風が抜けて散策快適、 平日は人少なく穴場
★★★☆☆
指月山の紅葉と石垣の対比が美しく、 城下町散策との組合せに最適
★★★★☆
雪化粧した内堀と石垣が水鏡に映る静謐な絶景、 写真愛好家向け
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.本丸の天守台と内堀の絶景
5層5階の白漆喰天守は1874年廃城令で消えたが、 高さ約11メートル裾広がりの天守台石垣と水を湛えた内堀が現存。 三角州の軟弱地盤に荷重を分散させる扇形勾配の石組が、 慶長期築城術の到達点として今も静かに残る。
本丸入口の極楽橋を渡り内堀越しに天守台を真正面から狙う
2.明治期に消えた天守の古写真
破却前の萩城天守を撮影した古写真が現存し、 5層5階・高さ21メートル・赤瓦葺きという広島城を縮小した姿が確認できる。 全国に先駆けた廃城令施行の象徴として、 「破却こそ維新の記念」と地元が天守再建を退けた経緯が古写真とともに語り継がれる。
城内資料館の展示パネルで実物大複写を見られる、 室内のため終日撮影可
3.本丸の復元土塁と石垣の威容
指月山麓の本丸跡では、 江戸期の総延長を伝える石垣群と昭和に復元された土塁が見られる。 二の丸土塀 (1965年復元) や2004年復元の北の総門と合わせ、 武家社会の防御思想と藩政の中枢空間が立体的に体感できる稀有な城跡である。
本丸南西角の石垣を朝の斜光で撮影、 指月山を背景に縦構図
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.指月山山頂の詰丸跡 (要害) へは本丸から徒歩30分の登山道で到達でき、 山頂の二の丸・本丸石垣群と日本海・萩市街を一望できる絶景の穴場である。 装備は運動靴とペットボトル必須
- 2.城内の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 (重要文化財) は二の丸入口近くで現存する数少ない江戸期建築で、 全長51メートルの長屋は西日本最大級。 入城券で見学可能、 観光客が見落としがちな必訪スポット
- 3.毎年6月の萩・幕末維新祭りに合わせて夜間特別ライトアップが行われる年がある。 内堀の水鏡に石垣と天守台が映る幻想的な光景は通常の昼間訪問では見られない、 開催年は事前確認推奨
訪問情報
- アクセス
- JR東萩駅からバスで約7分「萩城跡・指月公園入口」下車徒歩5分。 山陽新幹線新山口駅からバス萩・明倫センター行き約75分。
- 所要時間
- 本丸と指月公園で1.5時間、 詰丸登山含めて半日が目安。
- 予算目安
- 入場料 大人220円・小中学生100円。 城下町セット券800円。 (2024年時点、 公式サイトで確認)
周辺観光
城下町三の丸の武家屋敷群 (重要伝統的建造物群保存地区) は徒歩圏で、 木戸孝允旧宅・高杉晋作誕生地が散在する。 車10分の松陰神社・松下村塾は世界遺産構成資産で必訪。 車20分の明倫学舎 (旧藩校) も組合せ可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1600年
関ヶ原と毛利氏減封
西軍総大将の毛利輝元が敗戦により120万石から防長2か国29万8千石余に大幅減封される
- 1604年
築城開始
幕府指定の萩で輝元が指月山麓の干潟埋立て築城に着手、 同年11月に本丸一部のみ完成で入城
- 1605年
五郎太石事件
築城用石材の所有を巡り重臣間で抗争が発生し、 多数の処分者を出した内紛事件となった
- 1608年
萩城落成
築城開始から4年で萩城が完成、 指月山詰丸を要害とする戦時意識の縄張りが整った
- 1613年
表高36万9千石公認
幕府が長州藩の表高を36万9千石に高直し公認、 支藩分与後もこの石高は不変であった
- 1768年
明和の天守修理
明和5年の修理で天守の屋根瓦が赤瓦に葺き替えられ、 桃山風の優美な姿が改められた
- 1863年
山口移鎮
藩主毛利敬親が外国艦砲撃を警戒し幕府無許可で藩庁を山口城に移し、 萩城は藩庁機能を終えた
- 1874年
廃城令で破却
全国に先駆けて廃城令により天守・櫓など建物が破却され、 石垣と堀のみが残ることとなった
- 1951年
国史跡指定
城跡が国の史跡に指定され、 戦後文化財保護法のもとで保存対象となった
- 1967年
城下町も史跡指定
萩城下町が国の史跡に追加指定、 三の丸の武家屋敷群が重要伝統的建造物群保存地区となる
- 1971年
指月山天然記念物
指月山全体が国の天然記念物に指定、 山頂詰丸跡含めた自然・歴史一体の保存体制が整った
- 1996-2011年
外堀保存整備事業
15年にわたる「史跡萩城跡外堀保存整備事業」で堀・石垣修復と北の総門(2004年)が復元された
- 2006年
日本100名城選定
財団法人日本城郭協会が定める日本100名城の75番として選定、 全国的観光地としての地位を得た
- 2015年7月
世界遺産登録
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、 造船、 石炭産業」の構成資産として世界文化遺産に登録
歴史をもっと深く
萩城の歴史は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに遡る。 西軍総大将に祭り上げられた毛利輝元は安芸国ほか8か国120万石の大大名であったが、 敗戦により隠居・嫡男秀就への家督譲渡を命じられ、 防長2か国29万8千石余に大幅減封された。 1603年(慶長8年)、 後見役の輝元は萩・山口・三田尻(防府)を城地候補として幕府に裁可を求めたが、 幕府は「海に臨み要害の地」として萩を指定した。 これには外様の雄である毛利氏を山陰僻遠地に押し込める意図があったと一般に解されている。 1604年(慶長9年)、 指月山に連なる干潟を埋め立てて築城に着手、 輝元は本丸御殿の一部のみ完成の11月に早々と入城した。 1605年(慶長10年)には築城用石材の所有を巡り重臣間で「五郎太石事件」が発生、 多数の処分者を出す事件となった。 1608年(慶長13年)に落成、 指月山詰丸を要害として配する戦時意識の構えとなった。 1613年(慶長18年)に石高を表高36万9千石に高直しし、 幕府はこれを長州藩の表高として公認した。 1863年(文久3年)、 藩主毛利敬親は外国艦砲撃を警戒し幕府無許可で藩庁を山口城に移し(山口移鎮)、 萩城は藩庁機能を終えた。 そして260年余にわたり長州藩の中枢として機能した城は、 1874年(明治7年)の廃城令施行で全国に先駆けて天守・櫓などの建物が破却された。 「破却こそ封建社会から資本主義社会への移行を示す維新の記念」とする地元の意志が、 昭和7年の天守再建議論を退ける結果を生んだ。 1951年(昭和26年)に国の史跡指定、 1967年(昭和42年)に城下町も史跡指定、 1971年(昭和46年)に指月山が国の天然記念物指定。 1996年から2011年までの「史跡萩城跡外堀保存整備事業」で堀・石垣・北の総門が復元され、 2006年(平成18年)に日本100名城(75番)に選定、 2015年7月5日に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、 造船、 石炭産業」の構成資産としてユネスコ世界文化遺産に登録された。
文化的背景と意義
萩城は日本の城郭史において「破却そのものに歴史的意義を持つ」異色の存在である。 1874年の廃城令施行は全国に先駆けたもので、 地元の資産家・青年団による昭和7年の天守再建議論を「我々は全国の模範となるよう天守を日本で初めて破却した。 封建的思想を一掃し、 石垣のみが残ること自体が明治維新の記念」とする意見が退けた経緯は、 文化財観の転換点として注目される。 城跡は1951年に国史跡、 1967年に城下町と一体で史跡指定、 1971年に指月山が国の天然記念物に指定された。 城内の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋は重要文化財、 三の丸の武家屋敷群は重要伝統的建造物群保存地区として、 中世末期から幕末までの武家社会の景観を立体的に伝える稀有な城下町を成している。 2015年の世界遺産登録は、 萩城下町を含む「明治日本の産業革命遺産」全23構成資産の一つとして、 ペリー来航から日清戦争までの非西洋圏最速の近代化を成し遂げた日本の歴史的価値が国際的に認められたものである。 萩は吉田松陰・松下村塾門下の高杉晋作・伊藤博文・山県有朋ら明治維新の中核人物を輩出した地として、 「幕末維新の聖地」の文化的精神的価値を併せ持つ。
建築的詳細
萩城の縄張りは指月山(標高143メートル)の山頂に詰丸(要害)、 山麓に本丸・二の丸・三の丸を梯郭式に配し3重の堀を巡らした平山城様式である。 厳密には山頂詰丸も本丸・二の丸で構成され山麓城郭と独立するため、 「平城と山城」「海城」とする見方もある。 本丸は東西200メートル・南北145メートルで、 指月山を背に天守を南西部、 着見櫓・井上櫓を南東部・北東部に配した。 天守は5層5階の複合式望楼型、 高さ約21メートルで、 2層2階入母屋造の基部に3層3階の望楼を載せ、 北側に付櫓を接続する複合式縄張りとなっていた。 外壁は白漆喰総塗籠、 窓は銅板貼り突き上げ戸、 明和5年(1768年)修理で赤瓦に葺き替えられた。 天守台は高さ6間・約11メートルで非常に緩やかな裾から上に向け急勾配に立ち上がる扇の勾配を成し、 三角州の軟弱地盤に荷重を分散させる工夫である。 二の丸には12基の櫓と34の井戸、 蔵元役所、 真言宗満願寺・臨済宗妙玖寺、 6代藩主毛利宗広による回遊式庭園「東園」が配された。 大手門である南門は「コ」の字型石垣の枡形虎口、 東門は外門(高麗門)・内門(渡櫓門)に三重東櫓と二重時打櫓を加えた厳重な構えであった。