岡崎城

康生町 · JP

徳川家康生誕の地、 三河武士団の魂が宿る龍城(りゅうじょう)の天守閣

愛知県岡崎市康生町に立つ岡崎城は、 龍頭山に築かれた平山城で、 1542年に城内で竹千代(後の徳川家康)が誕生した「神君出生の城」。 廃城令で失われた天守は1959年に復興され、 春は桜、 秋は紅葉に映える三河の歴史拠点として今も親しまれる。

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

ソメイヨシノ約800本と乙川の桜並木が天守を彩る、 日本さくら名所100選の最盛期

★★★★★

7月-8月

岡崎城下家康公夏まつり花火大会で夜空と天守の競演、 全国屈指の規模を誇る

★★★★☆

11月中旬-下旬

紅葉と石垣のコントラストが映える、 桜期より人が少なく落ち着いて巡れる

★★★☆☆

12月-2月

葉を落とした樹々越しに天守が見やすくなり、 朝霧の中の城も写真愛好家に人気

★★★☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.復興天守と龍城神社の対(つい)

    1959年に鉄筋コンクリート造で復興された3層5階の天守と、 本丸に隣接する家康を祀る龍城神社が並び立つ。 内部は1〜4階展示・5階展望台が2023年にリニューアルされ、 大河ドラマ「どうする家康」放送に合わせた歴史と展望が一度に楽しめる。

    本丸南の広場から天守と龍城神社を縦構図で

  • 2.桜と乙川越しの春の絶景

    岡崎公園は日本さくら名所100選で、 ソメイヨシノ約800本が天守を取り囲む。 乙川(菅生川)沿いの桜並木と天守の組み合わせは、 川面に映る花筏とともに県内屈指の名景となり、 毎年4月の岡崎桜まつりには100万人前後が訪れる。

    殿橋から乙川越しに天守と桜を望遠で抜く構図が定番

  • 3.国内最長の菅生川端石垣

    2015年の乙川リバーフロント整備で発掘された江戸前期の石垣「菅生川端石垣」は、 総延長400メートルで現存城壁として国内最長。 80メートル間隔の3か所の横矢枡形(射撃用突出部)が残り、 田中吉政・本多氏時代の近世城郭技術を今に伝える。

    乙川河川敷から石垣の連なりを横長構図で切り取る

物語・伝説

1455年、 三河国仁木氏の守護代・西郷稠頼が龍頭山に砦を築いたのが岡崎城の起源。 1531年に松平清康(家康の祖父)が本格的な城郭に整備し、 1542年には竹千代(徳川家康)が城内で誕生した。 6歳で今川家の人質となった家康は19歳で岡崎城を取り戻し、 ここを天下統一の足場とした。 江戸時代を通じ譜代大名の城として重要視されたが、 1873年廃城令で天守以下の建物は全て解体。 1959年、 市民の再建運動を背景に鉄筋コンクリート造で天守が復興し、 三河武士の精神を伝える観光拠点として蘇った。

こんな人におすすめ

徳川家康や三河武士団の歴史に惹かれる戦国ファン、 桜と天守の名景を撮影したい写真愛好家、 大河ドラマ「どうする家康」聖地巡礼派、 家族連れにもおすすめ。 名古屋から名鉄で30分の好アクセスで、 半日プランで気軽に楽しめる。

現地で知るべき豆知識

  • 1.本丸隣接の三河武士のやかた家康館は家康・三河武士団の歴史を体系的に学べる施設で、 城との共通券が割安となる。 ジオラマと甲冑展示が充実し、 子供連れの家族にも好評である
  • 2.2015年に発掘された菅生川端石垣は乙川河川敷からアクセス可能で、 城の派手な天守とは別に近世城郭石垣の凄みを実感できる穴場。 ガイドツアー参加で見落としを防げる
  • 3.毎年4月の岡崎桜まつり期間中は夜桜ライトアップが実施され、 ぼんぼりが天守と桜を幻想的に照らし出す。 平日の夜は土日より人が少なく、 三脚を使った長秒撮影も比較的容易

訪問情報

アクセス
名鉄名古屋本線・東岡崎駅から徒歩約15分、 または岡崎公園前駅・愛知環状鉄道中岡崎駅から徒歩約10分。 名古屋から名鉄特急で30分。
所要時間
天守と公園で1.5時間、 家康館を含めて2-3時間が目安。
予算目安
天守入館料 大人300円・小人150円、 家康館との共通券 大人510円。 詳細は公式サイトで確認(2024年時点)。

周辺観光

城に隣接する三河武士のやかた家康館は家康と三河武士団の歴史を学べる必見施設。 徒歩15分の大樹寺(松平・徳川家菩提寺)、 車10分の伊賀八幡宮(家康ゆかりの神社)、 車20分の滝山寺・滝山東照宮も組合せ可能。 名古屋まで名鉄で30分、 トヨタ博物館との半日コースも人気。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1455年

    築城始まる

    三河国守護代・西郷稠頼が龍頭山に北方への砦を築き、 岡崎城の歴史が始まる

  2. 1531年

    松平清康の本格築城

    家康の祖父・松平清康が明大寺から龍頭山へ本拠を移し、 現在の岡崎城の原型となる本格的城郭を構築

  3. 1542年

    徳川家康誕生

    城内で松平広忠の嫡男・竹千代(後の徳川家康)が誕生、 神君出生の城として後世に語り継がれる

  4. 1560年

    家康の岡崎帰還

    桶狭間の戦いで今川義元敗死後、 19歳の松平元康(家康)が岡崎城を取り戻し今川家から独立

  5. 1590年

    田中吉政の近世城郭化

    家康関東移封に伴い豊臣家臣・田中吉政が入城、 石垣と城壁を備えた近世城郭へ拡張し岡崎宿を整備

  6. 1602年

    本多康重の入城

    徳川譜代の本多康重が5万石で入城、 以降は神君出生の城として譜代大名のみが城主を務める

  7. 1617年

    3重天守の完成

    本多康紀により複合連結式望楼型3重3階の天守が完成、 江戸期岡崎城の象徴的姿となる

  8. 1873年

    廃城令で解体

    明治政府の廃城令により天守・大手門・東隅櫓・土塀以下の建物が全て撤去される

  9. 1959年

    鉄筋コンクリート天守復興

    城戸久博士の設計で鉄筋コンクリート造復興天守が完成、 戦後復興期の市民運動の成果となる

  10. 2006年

    日本100名城選定

    日本城郭協会の選定する日本100名城の45番として正式に登録される

  11. 2010年

    東隅櫓の木造復元

    1781年の岡崎城絵図を基本資料に、 松山城野原櫓を参考にして東隅櫓と土塀が木造復元される

  12. 2023年

    天守展示リニューアル

    大河ドラマ「どうする家康」放送に合わせ天守内展示と5階展望台が全面リニューアルされる

歴史をもっと深く

岡崎城の起源は室町時代後期に遡る。 三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼は永享年間(1429-1441年)に菅生川南岸の明大寺付近に居館「平岩城」を構え、 1452-1455年にかけて菅生川北岸の龍頭山(標高約24メートル)の半島状段丘先端に北方への砦を築いた。 これが岡崎城の前身である。 1524年、 松平清康(家康の祖父)が大久保忠茂らの奇襲により西郷信貞(松平昌安)から山中城を奪取、 信貞に岡崎城を明け渡させて本拠を安城から岡崎へ移した。 1531年頃、 清康は明大寺から龍頭山の砦へ本拠を移して本格的な城郭を構え、 これが現在の岡崎城の原型となる。 1542年12月26日、 城内で松平広忠の嫡男・竹千代(後の徳川家康)が誕生。 1549年に広忠が死去すると家康は今川家の人質として駿府に送られ、 岡崎城は今川家の支城として山田景隆・三浦義保ら城代が置かれた。 1560年の桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、 松平元康(家康)は岡崎城を取り戻し今川家から独立、 ここを足場に三河統一を進めた。 1570年に家康が本拠を浜松城へ移すと嫡男・松平信康が城主となったが、 1579年に織田信長の命で自刃。 以降は石川数正・本多重次らが城代を務めた。 1590年の関東移封で家康が江戸へ移ると、 豊臣家臣の田中吉政が入城し、 強固な石垣と城壁を備えた近世城郭へ拡張、 城下町と東海道岡崎宿の整備で「岡崎の二十七曲がり」を造成した。 1602年に徳川譜代の本多康重が5万石で入城して以降、 譜代大名の城として歴代城主が交代した。 1617年に3重の天守が完成、 1644年には本多忠利が石垣を完成させた。 1873年の廃城令で天守以下全建物が撤去されたが、 1959年に城戸久博士の設計で鉄筋コンクリート造の復興天守が建てられた。 1993年に大手門、 2010年に東隅櫓が木造復元され、 2007年の発掘調査で本城の規模が国内4番目だったことが判明。 2023年には大河ドラマ「どうする家康」放送に合わせ天守内展示が全面リニューアルされた。

文化的背景と意義

岡崎城は徳川家康の生誕地として、 江戸時代を通じて徳川幕府にとって特別な意味を持つ城であった。 譜代大名のみが城主に任じられ、 「神君出生の地」として歴代将軍も参詣の対象とした。 城を含む岡崎公園は日本さくら名所100選・日本の都市公園100選・日本100名城(45番)に選定され、 三河武士発祥の地として三河武士のやかた家康館や龍城神社など関連史跡が集積する。 城下町には大樹寺(松平・徳川家の菩提寺)や伊賀八幡宮(家康ゆかりの神社)が点在し、 「神君伊賀越え」の出発点でもある三河の歴史的中心地として機能している。 2023年大河ドラマ「どうする家康」の放送以降は聖地巡礼の対象として全国から観光客を集め、 岡崎市は「家康公生誕の地」を観光ブランドとして国内外に発信している。 また東海地方の桜の名所として、 春の岡崎桜まつりは江戸時代の藩主接待の伝統を引き継ぐ市民行事である。

建築的詳細

岡崎城は龍頭山(標高約24メートル)の半島状段丘を活用した平山城として築かれ、 本多康重から3代忠利(1600-1645年)にわたる改修によって平城へと変貌した。 縄張りは本丸を中心に持仏堂曲輪・二の丸・北曲輪・三の丸・東曲輪・備前曲輪・浄瑠璃曲輪・坂谷曲輪・白山曲輪・稗田曲輪・菅生曲輪が放射状に配置され、 本丸からは北側へ6重、 西側へ4重の外堀が廻らされた東海地方有数の規模を誇った。 1617年に本多康紀が築いた天守は複合連結式望楼型3重3階の構造で、 本瓦葺き白漆喰塗りの優美な外観を持っていた。 1959年復興天守は鉄筋コンクリート造の3層5階・高さ約24メートルで、 内部は資料館として整備されている。 2010年復元の東隅櫓は望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建で、 入母屋造りの屋根に本多氏家紋「立ち葵」を刻んだ本瓦が葺かれた高さ約9.4メートルの建造物。 江戸時代の工法を忠実に再現し、 城内で発掘された石材で空積みの石垣も築かれた。 2015年に発掘された菅生川端石垣は総延長400メートルで現存城壁としては国内最長、 80メートル間隔で3か所の横矢枡形(射撃用突出部)が配置されている。

外部リンク

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