ダラム城
City of Durham · GB
ウェア川を見下ろす丘に立つ、世界遺産にして900年以上学び舎であり続けるノルマン城砦
イングランド北部ダラム、ウェア川蛇行部の岩盤上に1072年から築かれたノルマン式城塞。徴税・造幣まで握ったプリンス・ビショップの居城として君臨し、1837年からはダラム大学カレッジが学生寮として住み継ぐ、世界遺産であり今も現役の歴史遺産
ベストシーズン・ベストタイム
大学休暇期で内部ツアーの本数が増え、長い夕暮れ光で城と大聖堂の二棟撮影も狙いやすい最盛期
★★★★★
ウェア川沿いの広葉樹が黄金色に色付き、淡い光が砂岩の城壁を際立たせる落ち着いた撮影シーズン
★★★★☆
学期中はツアー本数が限られるが、霧に包まれた城のシルエットは荘厳で人出も少なく静かに鑑賞できる
★★★☆☆
イースター前後はツアー再開期で青空と新緑、桜越しのパレス・グリーン撮影が映える穴場の好機
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.ウェア川と並び立つ大聖堂とのスカイライン
城は対岸からパレス・グリーンを挟んでダラム大聖堂と一対で世界遺産を構成。夕暮れから夜にかけ、ライトアップされる二棟の輪郭がウェア川面に映る景観は、ノルマン征服後の北部統治を一望にする一枚になる
対岸プレベンズ・ブリッジから北西、日没30分後の青い時間帯にウェア川を前景に
2.1078年築・現役最古のノルマン礼拝堂
城内最古の構造で1078年頃の建設。低く太い円柱と粗削りの柱頭彫刻が、ノルマン征服直後の労役を物語る。15世紀から1841年まで封印された後再開放され、現在も大学週課で使用される静謐な空間
内部南西側から円柱列を斜めに、自然光のみ三脚短時間で
3.司教ベックの大広間 (グレート・ホール)
14世紀初頭に司教アントニー・ベックが造営した高さ14メートル、長さ30メートル超の広間。一時はイングランド最大の規模を誇り、現在もダラム大学カレッジの学生が毎日の食事を共にする現役の食堂として使われる
ガイドツアー時に入口から奥のハイ・テーブル方向、人物入れず構図安定で
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.夏季はカレッジが城内のスタッフ付き客室を一般向け B&B として開放しており、世界遺産の城に1泊できる稀少な体験。公式予約サイトで「Stay at Durham Castle」を確認するのが最短ルート
- 2.城内は一般入場ガイドツアーのみで自由見学不可。チケットは現地窓口に頼らずパレス・グリーン・ショップまたは大学公式サイトでの事前予約が確実で、特に夏季・週末は当日売切れも起こる
- 3.対岸プレベンズ・ブリッジから城+大聖堂の縦構図、フレームウェルゲート橋から横構図と、撮影アングルで2橋を使い分けると同じ世界遺産の表情が大きく変わるので両橋を歩くのが鉄則
訪問情報
- アクセス
- ロンドン・キングスクロス駅からLNERで約3時間でダラム駅着、駅から南東へ徒歩約15分の丘上。ニューカッスル空港からは在来線+徒歩で約1時間圏内でアクセス可能
- 所要時間
- ガイドツアー本体は約50分、大聖堂と合わせ半日が標準
- 予算目安
- ガイドツアー大人約£5、ロンドンからの往復鉄道約£60-120、現地食事込みで日帰り総額£100前後が目安 (最新料金は公式サイトで確認)
周辺観光
パレス・グリーンを挟んで対岸の世界遺産ダラム大聖堂 (徒歩2分) が必訪。徒歩圏ではウェア川沿いの周遊遊歩道、フレームウェルゲート橋とプレベンズ橋からの景観、ダラム大学オリエンタル博物館、市場広場周辺のジョージアン建築街区も組み合わせやすい
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1072年
築城開始
ノルマン征服から6年、ウィリアム1世がノーサンブリア伯ウォルセオフに命じ初期モット・アンド・ベーリー型城の建設を開始
- 1078年頃
ノルマン礼拝堂建設
城内最古の構造であるノルマン礼拝堂が建設、アングロサクソン労役の痕跡を残す粗削りの柱頭彫刻と低い円柱が特徴
- 1080年
ウォルチャー司教殺害
築城を引き継いだ初代プリンス・ビショップのウォルチャー司教がノーサンブリアの反乱軍に4日間包囲され殺害
- 1177年
王権による接収
ヘンリー2世がピュゼー司教との対立を契機に城を接収、プリンス・ビショップと王権の緊張関係が表面化
- 14世紀初頭
大広間建設
司教アントニー・ベックが高さ14メートル・長さ30メートル超のグレート・ホールを造営、イングランド最大級の広間となる
- 1540年代
タンストールズ礼拝堂建設
ダラム司教カスバート・タンストールに因む第二の礼拝堂が建設、後期ゴシック様式で現在も大学礼拝に使用
- 1832年
司教邸の移転
ダラム司教の主邸がオークランド城へ移され、ダラム城は司教邸としての役割を終え大学への寄贈準備が始まる
- 1837年
ダラム大学カレッジへ寄贈
主教エドワード・マルトビーが建築家アンソニー・サルヴィンによる大改修を完了させ、城をダラム大学学生寮として開放
- 1840年
学生寮の使用開始
ユニバーシティ・カレッジ・ダラムの学生寮としての本格使用が始まり、現在も100人超の学生が要塞部分で生活
- 第二次世界大戦中
礼拝堂が軍事利用
ノルマン礼拝堂がイギリス空軍の指令・観測所として使用され、戦後すぐに再聖別され週課礼拝に復帰
- 1986年
UNESCO 世界遺産登録
ダラム大聖堂と一体で UNESCO 世界遺産に登録、プリンス・ビショップの統治形態を伝える稀有な例として評価
歴史をもっと深く
ダラム城の建設は1072年、ノルマン征服 (1066年) からわずか6年後にウィリアム1世の命で開始された。監督はノーサンブリア伯ウォルセオフだったが、1076年に王へ反旗を翻して処刑され、城は未完のまま司教ウォルチャーへ引き継がれる。彼はノーサンブリア伯位も購入し、徴税・造幣・徴兵の権限を持つ「プリンス・ビショップ (司教侯)」の最初期の一人として君臨したが、1080年5月にノーサンブリアの反乱軍に4日間包囲され殺害された。12世紀には司教ピュゼー (ユーグ・ド・プイゼ) がノルマン式アーチや大聖堂のガリラヤを増築、1177年にはヘンリー2世が司教との対立で城を一時接収した。14世紀には司教トマス・ハットフィールドがキープと墳丘を再建し、司教アントニー・ベックがイングランド最大級だった大広間を建設、続く司教ハットフィールドが木製ミンストレル・ギャラリーを加えた。15世紀末に司教リチャード・フォックス (後にヘンリー8世の王璽尚書) が大広間を縮小したものの、現在も高さ14メートル・長さ30メートル超の威容を残す。1540年代にはダラム司教カスバート・タンストールにちなむタンストールズ礼拝堂が建設され、17世紀後半に司教コジン、クルーが拡張した。1832年にダラム司教の居所がオークランド城へ移されると、1836年のダラム郡パラタイン法でプリンス・ビショップの世俗権限が消滅し、城は司教ウィリアム・ヴァン・ミルダートからダラム大学へ寄贈される。1837年に主教エドワード・マルトビーが大改修を完了させ、建築家アンソニー・サルヴィンが要塞部分を学生寮として再生、1840年から100人超の学生が住む現役の大学カレッジとして使われ続けている。1986年にはダラム大聖堂と一体で UNESCO 世界遺産に登録され、現在も学術と公開ツアーが両立する稀有な歴史空間となっている。
文化的背景と意義
ダラム城は単独の文化財ではなく、対岸のダラム大聖堂と一体で UNESCO 世界遺産「ダラム城と大聖堂」(1986年登録、登録基準 ii・iv・vi) を構成する。城の主が単なる領主ではなく、徴税・造幣・徴兵まで握る半独立君主「プリンス・ビショップ」だった点が登録の核心で、世俗権力と教会権力の融合という中世ヨーロッパ独特の統治形態を物理的に残す稀有な例として評価された。城内のビショップズ・コート (現図書館)、救貧院、学校はパラタインの市政責任を、パレス・グリーンは儀典空間としての特権を、それぞれ可視化する。1837年以降はダラム大学カレッジ (オックスフォード・ケンブリッジに次ぐイングランド第三の大学) の学生寮となり、世界遺産で実生活が営まれる稀少な例として知られる。文学・映像でも「ハリー・ポッターと賢者の石」「ホビット」のロケ地として大聖堂と共に登場し、近年は北部イングランド観光の核として位置づけが強まっている。
建築的詳細
ダラム城はノルマン人が好んだ初期モット・アンド・ベーリー型城の秀逸な例で、ウェア川蛇行部の岩盤上に高い円錐状の墳丘 (モット) と内外二重のベーリーを配する。墳丘上のキープは八角形プランで、14世紀に司教ハットフィールドが再建、19世紀にサルヴィンが学生寮として大改修したため現在の外観は中世と19世紀復古様式の合成体である。城内最古部であるノルマン礼拝堂 (1078年頃) は粗い砂岩の低い円柱と素朴な柱頭彫刻、アングロサクソン労役の痕跡を残すリブなしの交差ヴォールトを持ち、ノルマン征服直後の構造そのものを伝える。司教アントニー・ベックの大広間 (14世紀初頭) は高さ14メートル、長さ30メートル超の壮大な木造小屋組架構で、当時イングランド最大級。タンストールズ礼拝堂 (16世紀) は後期ゴシックの細い柱と中世末期の特免席を備える。建材は丘下の崖から切り出された地元砂岩で、ウィンチで引き上げられた。