エルツ城

ヴィーアシェム · DE

850年の歳月を一族が守り抜いた、 ドイツ三大美城の一つ「破壊されざる中世城」

ドイツ・ラインラント=プファルツ州のエルツ川渓谷、 70メートルの岩盤の上に屹立するエルツ城は、 12世紀以来 33 世代にわたって同じエルツ家が住み続け、 数々の戦火を奇跡的に免れた中世そのままの姿を残す稀有な城である。

ベストシーズン・ベストタイム

10月中旬-11月上旬

城を囲む保護林が黄金から赤に染まり、 朝霧と相まって中世絵画のような幻想的な眺めとなる最盛期

★★★★★

4月中旬-5月下旬

新緑のエルツ川渓谷とブナ林の若葉が城の石壁と対比し、 開城直後で混雑が少ない狙い目シーズン

★★★★☆

6月-8月

緑の森と長い日照で写真撮影には好適だが、 駐車場からの徒歩アプローチで日中の混雑がピーク

★★★☆☆

11月中旬-3月

城内ガイドツアーは閉鎖期間 (例年11月初旬-3月末) のため内部見学は不可、 外観撮影のみ

★☆☆☆☆

見どころ TOP 3

  • 1.朝霧に浮かぶ岩盤上の中世城

    森の谷底からそそり立つ70メートルの岩盤上に8基の塔が連なる外観は、 ドイツマルク紙幣の図案にも採用された象徴的な姿。 朝霧と新緑、 紅葉が刻々と城を彩る景観は中欧屈指の絶景でげす。

    南側の展望台 (Eltzblick) から早朝の朝霧時間帯がベスト、 望遠レンズ推奨

  • 2.金銀工芸を集めた宝物庫

    8 世紀にわたって一族が蓄えてきた金銀工芸品 500 点余を展示する宝物庫 (Schatzkammer) は、 中世から 19 世紀までの聖遺物容器・武具・銀食器が時代別に並ぶ家系コレクション。 一族が守り抜いた財だからこその密度。

    館内は撮影制限あり、 入口ホールの紋章天井のみ広角で

  • 3.紅葉に染まる森と城のコントラスト

    城を三方から囲むエルツ川と保護林 (Flora-Fauna-Habitat 指定) が秋に金色から紅色へと変化し、 灰色の石塔群との対比が幻想的。 駐車場からの徒歩アプローチ自体が紅葉散策路となる。

    10月下旬から11月上旬、 駐車場から城へ降りる林道の中腹がベスト構図

物語・伝説

1331年からのエルツ抗争でトリーア大司教バルドゥインに包囲されたヨハン・フォン・エルツは、 山上の攻城用小城トルッツェルツから放たれた原始的な大砲ポット・ド・フェールの砲撃に2年間耐え抜き、 城そのものを守り切った。 1688年の大同盟戦争でライン地方の城々が灰になる中、 エルツ家のハンス・アントンがフランス軍の上級将校だったために破壊を免れる。 1920年9月のケンペニッヒ館の大火災ですら、 一族は10年で完全修復を成し遂げた。 「33世代、 一度も他人の手に渡らなかった城」 — その執念こそがエルツ城を中世の生きた標本たらしめている。

こんな人におすすめ

中世の城を「観光地化されていない実物」として歩きたい歴史マニア、 朝霧と紅葉のドラマチックな風景を狙う写真愛好家、 ノイシュバンシュタイン城とは別軸の本物志向を求めるロマンチストにおすすめ。 同じ家系が850年所有する事実に惹かれる旅行者には必訪。

現地で知るべき豆知識

  • 1.駐車場から城まで徒歩約15分の森の道は、 早朝に歩くと鹿や狐に出会えることがあり、 朝霧の中で城が現れる瞬間は外観だけなら開城前でも楽しめる絶景タイミングでげす
  • 2.城内見学は ドイツ語/英語ガイドツアーの形式のみで自由見学不可、 オンライン予約で英語回に枠を取らないと混雑期は2-3時間待ちが当たり前なので必ず事前予約が必須
  • 3.城のシャトルバス停留所から駐車場までは徒歩でも10分程度、 帰路に渓谷沿いに下る小径を歩けば一般観光客が見ない角度からの城のシルエットを撮影できる隠しスポットでげす

訪問情報

アクセス
コブレンツ駅からモーゼル線でモーゼルケルン (Moselkern) 駅まで約30分、 そこからシャトルバスで約10分、 または徒歩のハイキングコース約75分。 車ならコブレンツから40分。
所要時間
城内見学約2時間、 駐車場からのアプローチを含めて半日。
予算目安
入場料15ユーロ前後 (2024年時点)、 コブレンツからの往復鉄道+シャトル合計20-30ユーロ、 駐車場4ユーロ。

周辺観光

車で30分のコッヘム城 (Reichsburg Cochem、 ライン・ロマン主義の代表的復元城) は同日訪問の定番、 30分東のモーゼル川蛇行地点クルーヴ (Bremm) の絶景展望台 Calmont Klettersteig、 1時間北のコブレンツ「ドイチェス・エック」 (ライン川とモーゼル川の合流地点) も組み合わせやすい。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 9世紀

    荘園としての起源

    土塁と木柵で囲まれた単純な荘園館がカロリング朝期に築かれ、 後の城の基礎となる。

  2. 12世紀

    エルツ家所有開始

    エルツ家がこの地に居を構え、 ロマネスク様式の天守プラッテルツを築いて城本体の最古部分とする。

  3. 1157年

    皇帝文書に登場

    神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の発給文書にエルツ家の名が現れ、 モーゼル川とアイフェル山地の交易路要衝として機能する。

  4. 1331-1336年

    エルツ抗争

    ヨハン・フォン・エルツがトリーア選帝侯バルドゥインの領邦政策に反発、 攻城砦トルッツェルツからの砲撃に2年耐え抜いたが最終的に大司教の家臣として和解。

  5. 1472年

    リューベナハ館完成

    後期ゴシック様式のリューベナハ館がリューベナハ分家により完成、 豪奢な装飾壁画と居間・寝室が今に残る。

  6. 1470-1540年

    ローデンドルフ館建設

    フィリップ・ツー・エルツが1470年に大ローデンドルフ館の建設を開始し1520年頃完成、 小ローデンドルフ館も1540年に後期ゴシック様式で完成。

  7. 1615年

    ケンペニッヒ館完成

    ケンペニッヒ分家による館が完成、 全室に暖房設備を備える当時としては画期的な居住性を実現。

  8. 1688-1689年

    大同盟戦争を生き延びる

    プファルツ継承戦争でライン地方の城が次々と破壊される中、 エルツ家のハンス・アントンがフランス軍上級将校だったためエルツ城だけは破壊を免れる。

  9. 1815年

    城全体が単一所有に

    フーゴ・フィリップ・ツー・エルツ伯爵がリューベナハ館の持分を買い戻し、 分割相続されていた城全体が再び単一所有に統合される。

  10. 1845-1888年

    19世紀大修復

    カール・ツー・エルツ伯爵が現在の貨幣価値で約800万ユーロ相当を投じて城全体の修復事業を実施する。

  11. 1920年9月

    ケンペニッヒ館火災

    9月20日にケンペニッヒ館南棟で火災が発生、 礼拝堂とローデンドルフ館も被災して大規模な修復作業が必要となる。

  12. 1930年

    火災後の復旧完了

    10年に及ぶケンペニッヒ館の修復、 礼拝堂とローデンドルフ館の再建工事が完了し、 焼失前の姿が回復される。

  13. 1977年

    切手シリーズ採用

    ドイツ連邦郵便が発行した普通切手シリーズ「要塞と城 (Burgen und Schlösser)」の図案に選ばれる。

  14. 1965-2001年

    500マルク紙幣図案

    500ドイツマルク紙幣の裏面図案に採用され、 ユーロ導入までドイツ国民にとって「中世の城」を代表するアイコンとなる。

  15. 2009-2012年

    総額440万ユーロの大修復

    連邦・州・記念碑保護財団の助成を含む大規模修復が実施され、 屋根・構造体・外壁が現代の文化財保護基準で再整備される。

歴史をもっと深く

エルツ城の起源は9世紀 (カロリング朝期) にさかのぼり、 当初は土塁と木柵で囲まれた荘園館に過ぎなかった。 12世紀にエルツ家がこの地に居を構え、 ロマネスク様式の天守プラッテルツ (Platteltz) を築いたのが城本体の最古部分である。 1157年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 (バルバロッサ) が発給した文書にエルツ家の名が現れ、 城はモーゼル川とアイフェル山地を結ぶ交易路の要衝として機能した。 1331年から1336年のエルツ抗争 (Eltzer Fehde) では、 トリーア選帝侯バルドゥインの領邦政策に反発したヨハン・フォン・エルツが他の自由帝国騎士とともに抵抗したが、 山上に築かれた攻城用の小城トルッツェルツ砦からの砲撃で2年に及ぶ包囲を受け、 最終的にトリーア大司教の家臣 (Burggraf) として復帰する形で和平を結んだ。 14世紀以降、 エルツ家は相続法に従って3つの分家 (リューベナハ家・ローデンドルフ家・ケンペニッヒ家) に分かれ、 既存の城を3つの独立した複合建築群として拡張したガネルベンブルク (共同相続人による城) となる。 1470年にフィリップ・ツー・エルツが大ローデンドルフ館の建設を始め1520年頃完成、 1472年にはリューベナハ館が後期ゴシック様式で完成、 1540年に小ローデンドルフ館、 1615年にケンペニッヒ館が建てられた。 1688年から1689年の大同盟戦争 (プファルツ継承戦争) ではライン地方の城の多くが破壊されたが、 エルツ家のハンス・アントン・ツー・エルツ=ユッティンゲンがフランス軍の上級将校だったためエルツ城だけは破壊を免れた。 1815年にフーゴ・フィリップ・ツー・エルツ伯爵がリューベナハ館の持分を買い戻し、 これによって城全体が単一所有に統合された。 19世紀後半の1845年から1888年にかけてカール・ツー・エルツ伯爵が現在の貨幣価値で約800万ユーロ相当を投じて修復、 1920年9月のケンペニッヒ館南棟火災で礼拝堂とローデンドルフ館も被災したが1930年までに完全復旧、 2009年から2012年には連邦・州・記念碑保護財団の助成を含む総額440万ユーロで大規模修復が実施された。

文化的背景と意義

エルツ城はノイシュバンシュタイン城・ホーエンツォレルン城と並んで「ドイツ三大美城」に数えられ、 ブュレスハイム城・リッシンゲン城とともにライン左岸で「一度も破壊されたことのない3つの城」のひとつとして特別視される。 33世代にわたって同じエルツ家が所有し続けた事実は、 ヨーロッパでも極めて稀な家系継承の連続性を示し、 中世の相続法・分家制度・共同所有 (ガネルベンブルク) の現存する代表例として建築史・社会史の双方で重要視される。 1977年にドイツ連邦郵便が発行した普通切手シリーズ「要塞と城」に選定され、 さらに 1965年から2001年まで流通した500ドイツマルク紙幣の裏面図案にも採用されたことで、 ドイツ国民にとって「中世の城」のイメージそのものを担うアイコンとなった。 城を囲むエルツの森は EU の自然保護指令 Flora-Fauna-Habitat および Natura 2000 ネットワークの保護区に指定されており、 文化遺産と自然遺産が一体となった希少な景観を形成している。

建築的詳細

エルツ城は70メートルの岩盤上に建つガネルベンブルク (共同相続人による城) で、 3つの分家がそれぞれ独立した居館群を共有する敷地内に建てた極めて稀な構造をもつ。 最古部分はロマネスク様式の天守プラッテルツ (12世紀)、 リューベナハ館 (1472年完成) と大・小ローデンドルフ館 (1470-1540年) は後期ゴシック様式、 ケンペニッヒ館 (1615年完成) はルネサンス様式と、 主要4棟だけで400年分の建築様式が一望できる稀有な事例である。 主要部は最大8階建てで、 8基の塔は高さ30-40メートルに達し、 外壁は重厚な石積み、 中庭側は木骨フレームを露出する半木造構造 (Fachwerk) を採る。 100以上の部屋を擁し、 最盛期には所有者一族約100人が同時に居住した。 ケンペニッヒ館は当時としては画期的に全室暖房を備え (他の城では1-2室のみ暖房可)、 リューベナハ家の寝室には豪華な装飾壁画が今も残る。 城下にはかつて使用人と職人の村が広がっていたが現存しない。

外部リンク

関連カテゴリ

一覧に戻る