ボディアム城

ボディアム城

ボディアム城は、イングランド南東部イースト・サセックス州に立つ14世紀末の堀城。1385年、百年戦争下のフランス侵攻に備えるためエドワード・ダリングリッジ卿がリチャード2世の許可を得て築いた、四辺形プランで天守を持たない見せる城の代表例。広い人工堀に映る四隅の塔群が絵画的姿で知られ、現在はナショナル・トラスト管理の人気観光地である。

3行サマリ

  • イングランド南東部イースト・サセックスに立つ14世紀末の堀城、四隅の塔の姿で知られる。
  • 1385年、エドワード・ダリングリッジ卿がリチャード2世の許可を得て築いた見せる城。
  • 1925年からナショナル・トラスト所有、Grade I指定建造物・指定古代記念物。

歴史

ボディアム城は、イングランド南東部イースト・サセックス州ロバーツブリッジ近郊に位置する14世紀末の堀城(モート・キャッスル)で、現在はナショナル・トラストが所有・公開する英国を代表する中世城郭の一つである。Grade I指定建造物および指定古代記念物として保護されており、人工堀に四隅の塔と門塔が映る絵画的な姿は、英国の歴史絵葉書の定番として広く親しまれている。 築城主エドワード・ダリングリッジは、長子相続制によって父の所領を継承できなかった次子で、相続地を持つ家系の婦人と婚姻して1378年にボディアムの荘園を獲得した。1367年から1377年まではフランスに渡って傭兵団「フリー・カンパニー」の一員として戦い、悪名高きロバート・ノレス卿の隊で略奪収益を蓄えたとされる。帰国後はサセックス州議員(1379年から1388年)を務めるとともに、1381年のワット・タイラー農民一揆の鎮圧にも関与した。 1385年、フランス艦隊1200隻がフランドルのスライスに集結し南英沿岸が侵攻の脅威に晒されるなか、ダリングリッジは10月20日付でリチャード2世から築城許可状(license to crenellate)を得て荘園屋敷を堡塁化することを認められた。表向きは百年戦争への沿岸防衛が築城理由であったが、現存する縄張りは四辺形プランの内庭式で、中央に天守(キープ)を持たず、外壁と内庭の周りに居住空間を環状に配する構成は、戦闘目的の堡塁というより富裕騎士の威信を見せる「展示の城」としての性格が強い。 ダリングリッジ家は数世代にわたって城を継承したが、家系が絶えたあと婚姻によってルクナー家に渡る。薔薇戦争期にはサー・トーマス・ルクナーがランカスター家を支持し、1483年にヨーク家のリチャード3世が即位すると軍が派遣されてボディアム城は包囲を受けたが、抵抗なく降伏したと伝えられる。城はいったん没収されたが、1485年のテューダー家ヘンリー7世即位とともにルクナー家に返還され、少なくとも16世紀までその所領であった。 1641年に始まる英国内戦の時点では、城はサネット伯爵2世ジョン・タフトンの所有となっていた。タフトンは王党派を支持して議会派から科された罰金を支払うために城を売却し、買い手の手で城は意図的に破却(slighting)されてピクチャレスクな廃墟と化した。19世紀のロマン主義時代に風景画の画題として再評価され、1829年にジョン・フラーが購入、その後ジョージ・キュービット(アシュコム男爵1世)、ジョージ・カーゾン卿(初代カーゾン・オブ・ケドルストン侯爵)へと所有が移るなかで段階的な修復が施された。1925年、カーゾン卿の遺贈によりナショナル・トラスト所有となり、以来一般公開されている。

文化的意義

ボディアム城は、中世末期の英国における「見せる城」の最良の現存例として、城郭研究と中世社会史の双方で重要な位置を占める。築城許可状の現物に「フランス侵攻に備える」と記される一方で、軍事的要件としては不徹底な縄張り(浅く広い人工堀、内向きの内庭、低い外壁)が、富を蓄えた騎士の社会的上昇を視覚化する装置としての城の機能を語る。19世紀のロマン主義以降、城が廃墟として風景画の主役となり、20世紀にナショナル・トラストの保護対象となる過程は、英国における文化財保護運動の縮図でもある。Grade I指定建造物および指定古代記念物として、教育・観光・撮影の多面的な公共資産となっている。

建築的特徴

ボディアム城は四辺形プランの典型的な内庭式城郭で、外辺は南北約45メートル・東西約50メートルの規模を持つ。城は方形の人工堀に取り囲まれ、北側に大手門塔、南側に水門と裏口塔を備える。四隅には円塔がそびえ、外壁全周に狭間胸壁(バトルメント)と弓矢狭間が設けられた。城の特色は、軍事的要件としては不十分な点が多いことで、堀は浅く、外壁は中程度の高さで、内庭側に大きな窓を多く配する設計は、攻城戦への抵抗より生活空間の快適性を優先した。内庭の周囲には大広間、礼拝堂、厨房、騎士の居室、客人用の貴賓室が環状に並び、中央に天守を持たない近世城館に近い構成となっている。Perpendicular Gothic様式の細部装飾が大広間や礼拝堂に見られ、近接する人工湖と一体で計画された景観は、後の英国カントリーハウスの遠景設計の先駆ともされる。

訪問ガイド

ボディアム城は、ロンドン中心部から鉄道とバスを乗り継いで約2時間半、イースト・サセックス州ロバーツブリッジ駅から路線バスまたはタクシーで約20分の距離にある。蒸気機関車で知られるカント・アンド・イースト・サセックス鉄道の終点ボディアム駅まで季節運行があり、機関車旅と城見学を組み合わせる人気プランも存在する。城内は外周と一階部分の見学に1時間から1時間半、塔の登城を含めれば2時間程度を見込みたい。堀越しに城を撮影する東側のビューは英国を代表する撮影スポットで、朝霧の出る春秋がもっとも幻想的である。最新の入場料・営業時間・季節運行の鉄道ダイヤはナショナル・トラスト公式サイトで事前確認したい。城内ではガイドツアーが定期的に行われ、敷地内のティールームで食事や軽食を取りながら半日を過ごせる構成となっている。

周辺スポット

車で30分圏には、エドワード朝の名建築サー・エドワード・ラチエンス設計のグレート・ディクスター・ハウスとガーデン、英国式庭園の最高峰の一つシシングハースト城ガーデンが位置し、英国カントリーハウス文化を一日で体感できる。ボディアム駅から発着する蒸気機関車鉄道に乗ればテンタダンまで20分の旅が楽しめる。海沿いに足を伸ばせば、白亜の崖で名高いセブン・シスターズや世界遺産候補のドーバー城へも車で1時間圏内である。城近くのバトル町ではヘイスティングズの戦いの古戦場と修道院遺構が訪ねられ、イングランド史の重要場面を巡る旅程が組める。

現代における価値

ボディアム城は、城を「軍事施設」と捉える従来の見方を相対化し、富と地位の見せ方として機能した中世末期の建築という新しい解釈の現場である。広く知られる絵画的な姿の裏側に、英国封建社会のヒエラルキー、騎士の経済活動、ロマン主義以降の景観美学の変遷が層をなして読み取れる。ナショナル・トラストによる管理は、文化財を市民の共有財産として運営する英国の独自モデルを実演する場でもあり、年間数十万人の来訪者と寄付者ネットワークが城の維持を支えている。訪れる者は単に絵葉書のような風景を消費するのではなく、保護のあり方そのものに参加する余地を見出すことができる。

外部リンク

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