スフォルツェスコ城
ミラノ · IT
ヴィスコンティとスフォルツァの居城、 ダ・ヴィンチが天井を彩ったミラノ最大の城塞
ミラノの中心、 セルヴィオネ広場に立つスフォルツェスコ城は、 14世紀ヴィスコンティ家の砦に始まり、 15世紀フランチェスコ・スフォルツァが王侯の居城へと再建した。 レオナルド・ダ・ヴィンチが「アッセの間」の天井を植物紋様で飾り、 ミケランジェロ最晩年の傑作「ロンダニーニのピエタ」が眠るルネサンスの記憶を宿す。
ベストシーズン・ベストタイム
センピオーネ公園の新緑と城のコントラストが美しく、 ピクニックも快適で1年で最もお薦め
★★★★★
城内博物館は冷房完備で日中の暑さを避けられる、 夜間ライトアップは22時頃まで楽しめる
★★★☆☆
公園の紅葉と赤煉瓦の城が深く調和する、 観光客が減り写真撮影には最適の穴場時期
★★★★☆
クリスマス装飾期のライトアップと噴水イルミネーションが幻想的な雰囲気を演出
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.中央のフィラレーテ塔と正面ファサード
高さ約70メートルのフィラレーテ塔は1452年にフィラレーテが設計、 1521年に火薬庫爆発で崩壊した後、 1900-1905年にベルトラーミが再建した。 ウンベルト1世への記念碑として赤煉瓦のファサード中央にそびえる、 城の象徴である。
セルヴィオネ広場の噴水越しに正面構図で撮るのが定番、 夕陽時刻が映える
2.城全景と要塞の規模感
200メートル四方の正方形プラン、 四隅の塔と最大7メートル厚の壁を持つ城は、 16-17世紀には12稜の星型外郭を備えるヨーロッパ屈指の城塞だった。 現存は元面積の4分の1で、 残りはセンピオーネ公園として開放されている。
センピオーネ公園側から城を見上げる広角ショットで全体の規模を捉える
3.アッセの間に残るダ・ヴィンチの天井装飾
1498年頃、 ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼でレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた植物紋様の天井装飾「アッセの間」。 後年塗りつぶされ忘れられたが、 2013年から修復が進み、 枝と葉が絡み合う繊細な意匠を間近で見られる。
城内博物館入場後、 天井を見上げる縦構図でディテールを捉える
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.毎月第1・第3火曜の14時以降、 毎週水曜14時以降、 第1日曜全日は7つの城内博物館全てが無料開放される。 ロンダニーニのピエタ美術館とアッセの間も含まれるので、 事前にスケジュール確認推奨である
- 2.ロンダニーニのピエタ美術館は旧スペイン軍病院を改装した独立館で、 円形の薄暗い展示室は特別な静謐感がある。 ミケランジェロが死の6日前まで彫り続けた未完の傑作を一人で対峙できる、 ミラノ屈指の聖域である
- 3.中庭(ロケッタ広場)とセンピオーネ公園は無料で散策可能、 城を間近に体感したい人は博物館に入らなくても十分楽しめる。 平和の門(Arco della Pace)まで公園を縦断する徒歩30分コースが市民の定番散策路だ
訪問情報
- アクセス
- ミラノ地下鉄1号線(赤線)Cairoli駅から徒歩2分、 または1号/2号線Cadorna駅から徒歩5分。 ミラノ中央駅からは地下鉄で約15分。 ドゥオーモから徒歩15分の中心立地。
- 所要時間
- 城内博物館3つで2時間、 全7館とアッセの間まで含めて半日が目安。
- 予算目安
- 城内博物館共通券 大人5ユーロ・26歳以下14-25歳は3ユーロ。 14歳未満と特定曜日は無料。 (2024年時点)
周辺観光
徒歩15分のドゥオーモ(ミラノ大聖堂)とガッレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、 徒歩20分のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)、 城の裏手に広がるセンピオーネ公園と平和の門(Arco della Pace)も組合せ可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1358年
ヴィスコンティ城の建造開始
ガレアッツォ2世・ヴィスコンティが市壁ジョーヴァ門近くに「ポルタ・ジョーヴァ城」の建造を命じる
- 1447年
アンブロジアーナ共和国による破壊
フィリッポ・マリア・ヴィスコンティの死後、 短命の共和派政権が成立しヴィスコンティ家の旧城を破壊した
- 1450年
フランチェスコ・スフォルツァが再建開始
傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァが共和派を打倒、 ミラノ公位を獲得し城を君主の居城として再建
- 1452年
フィラレーテ塔の設計
彫刻家・建築家アントニオ・フィラレーテが中央塔(後のフィラレーテ塔)を設計し本格的なルネサンス城郭が始動
- 1494年
ルドヴィーコ・イル・モーロの宮廷
ルドヴィーコ・スフォルツァがミラノ公となり、 レオナルド・ダ・ヴィンチとブラマンテを城に招聘
- 1498年頃
ダ・ヴィンチのアッセの間天井装飾
レオナルド・ダ・ヴィンチが「アッセの間」の天井に植物紋様の壁画を制作、 後に塗りつぶされ忘却される
- 1499年
フランス侵攻でルドヴィーコ失脚
フランス王ルイ12世のミラノ侵攻でルドヴィーコは捕囚、 城は外国支配の時代に突入する
- 1521年
フィラレーテ塔の爆発
武器庫として使用中のフィラレーテ塔が火薬庫爆発で崩壊、 中央塔のない時代が400年続く
- 1796年
ナポレオンによる外郭破壊
ナポレオン1世のミラノ征服で星型外郭の大部分が破壊され、 跡地はセルヴィオネ広場と閲兵場に整備された
- 1893-1905年
ベルトラーミの大修復
建築家ルカ・ベルトラーミが大規模修復を指揮、 フィラレーテ塔がウンベルト1世記念碑として再建される
- 1943年
連合軍空襲による損傷
第二次世界大戦中の連合軍空襲で城は深刻な被害を受けたが、 戦後BBPR建築事務所が博物館用途に再建を主導
- 2013年
アッセの間の修復継続
ダ・ヴィンチの天井装飾の最新修復作業が本格化、 植物紋様の精緻なディテールが次第に蘇った
- 2025年
ダ・ヴィンチの地下通路発見
2021-2023年のデジタル調査で、 ダ・ヴィンチが1495年頃にスケッチしていた第2の防衛通路が地下で発見された
歴史をもっと深く
スフォルツェスコ城の歴史は1358年(中世末期)、 ヴィスコンティ家のガレアッツォ2世が市壁ジョーヴァ門近くに築いた「ポルタ・ジョーヴァ城(Castello di Porta Giova)」に始まる。 古代ローマ時代の城塞カストルム・ポルタエ・ヨヴィスの跡地で、 ローマ帝国時代にミラノが首都だった頃の親衛隊駐屯地だった場所だ。 ガレアッツォの後継者ジャン・ガレアッツォ、 ジョヴァンニ・マリア、 フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ代に拡張され、 200メートル四方・四隅に塔・厚さ7メートルの壁を持つ正方形プラン城となり、 ヴィスコンティ家のミラノ統治拠点となった。 1447年フィリッポ・マリアの死後、 短命の「黄金のアンブロジアーナ共和国」が成立し共和派は旧城を破壊した。 1450年、 ヴィスコンティ家の傭兵隊長で娘ビアンカ・マリアと結婚していたフランチェスコ・スフォルツァが共和派を倒しミラノ公位を奪取、 直ちに城の再建を開始した。 1452年彫刻家フィラレーテを招き中央塔(フィラレーテ塔)を設計、 息子ガレアッツォ・マリア代に建築家ベネデット・フェッリーニが工事を継続、 1476年にはサヴォイア家のボーナ妃の塔も建てられた。 1494年ルドヴィーコ「イル・モーロ」がミラノ公となるとレオナルド・ダ・ヴィンチとブラマンテを城に招き、 ダ・ヴィンチは複数の部屋を装飾、 1498年頃には「アッセの間」の天井に植物紋様を描いた。 1499年フランス王ルイ12世がミラノに侵攻しルドヴィーコは失脚、 城は外国軍に支配される。 1515年マリニャーノの戦い後、 マクシミリアン・スフォルツァは城に立て籠もるがフランソワ1世が地下に坑道を掘り陥落させた。 1521年武器庫として使用中にフィラレーテ塔が火薬庫爆発で崩壊。 スペイン支配期の1535年からは市内のドゥカーレ宮殿が総督座所となり、 城は要塞化された。 1550年から12稜の星型要塞へ改修され、 外郭は周囲3キロ・25.9ヘクタールに達した。 1796年ナポレオン1世のミラノ征服で外郭の大部分は破壊され、 城の周囲は半円のセルヴィオネ広場と700メートル四方のピアッツァ・ダルミ閲兵場として整備された。 1859年イタリア統一後、 城はミラノ市に移管され、 跡地はセンピオーネ公園として整備された。 1893年から建築家ルカ・ベルトラーミ指揮下で大規模修復が始まり、 1900-1905年にはフィラレーテ塔が16世紀の絵に基づきウンベルト1世記念碑として再建された。 1943年第二次世界大戦の連合軍空襲で城は深刻な損傷を受けたが、 戦後BBPR建築設計事務所が博物館用途で再建を主導、 現在に至る。
文化的背景と意義
スフォルツェスコ城は中世ヴィスコンティ朝とルネサンス・スフォルツァ朝という北イタリア2大王朝の権力中心として機能し、 ミラノ公国の政治・文化・軍事の象徴であった。 城内に設けられた7つの市立博物館(ロンダニーニのピエタ美術館、 古代美術館、 絵画館、 ミラノ古代エジプト博物館、 装飾芸術美術館、 楽器博物館、 アンティーク家具・木彫博物館)とトリヴルツィアーナ図書館はミラノ屈指の文化財コレクションを擁する。 中でもミケランジェロが1564年の死の6日前まで彫り続けたという未完の傑作「ロンダニーニのピエタ」、 レオナルド・ダ・ヴィンチが1498年頃にアッセの間の天井に描いた植物紋様の壁画は世界美術史上の至宝として知られる。 ヴィスコンティ家とスフォルツァ家の婚姻同盟、 フランス・神聖ローマ帝国・スペイン・オーストリア・フランスと続く外国支配の興亡は、 ミラノが「ヨーロッパの十字路」として文化の交流地点となった歴史を物語る。 ベルトラーミの修復事業は19世紀末ヨーロッパ復古主義建築の代表例で、 失われた中世/ルネサンスの姿を歴史考証に基づき再構築する手法は世界の保存修復理論に影響を与えた。 イタリア統一(リソルジメント)の象徴としてもミラノ市民の精神的紐帯となっている。
建築的詳細
スフォルツェスコ城は正方形プランの城郭で、 1辺約200メートル・四隅に円塔と方塔を配し、 壁の厚さは最大7メートルに達する重厚な構えである。 南面中央のフィラレーテ塔(高さ約70メートル)、 南東隅のサンタ・スピリト円塔(トッリオーネ)、 南西隅のカルミネ円塔、 北東隅と北西隅の方塔が4要素を構成する。 中央南面ファサードは赤煉瓦造で、 大理石装飾と紋章のレリーフが鏤められ、 ロンバルディアの中世煉瓦建築とルネサンス装飾が融合した意匠を示す。 内部はロケッタ広場(主中庭)とドゥカーレ広場の2つの中庭で分割され、 ロケッタ広場周囲にはフィラレーテとブラマンテに帰される柱廊回廊が、 ドゥカーレ広場周囲には公爵居館(コルテ・ドゥカーレ)が配置されている。 城外郭は16世紀に12稜の星型要塞へ改修され、 防御は本壁・堀・斜堤(グラチス)・三重の防衛線を持っていたが、 大部分は19世紀に破壊された。 屋根は赤いテラコッタ瓦で覆われ、 ロンバルディア地方の伝統建材を用いる。 建材の主体は地元産の赤煉瓦と石灰岩で、 装飾要素にはカンドリア産大理石が用いられている。 ベルトラーミによる1893-1905年の修復ではフィラレーテ塔と中央ファサードが歴史考証に基づき復元され、 アッセの間の天井装飾は1893年に再発見されてから2013年まで段階的に修復作業が継続している。