プラハ城
フラッチャニ · CZ
ギネス公認、世界最大の古城——千年の建築を一所に重ねるプラハの王城
チェコ共和国の首都プラハ、ヴルタヴァ川を見下ろすフラチャヌィの丘に佇むプラハ城。9世紀末の創建以来、ボヘミア国王・神聖ローマ皇帝・チェコ大統領の居城として千年以上機能し、ロマネスクからバロックまで全様式を内包する世界最大の古城。
ベストシーズン・ベストタイム
城の庭園が一斉に開園、新緑とライラックの香りに包まれ城下も観光客が増え始める好機
★★★★★
夜22時近くまで明るく、ライトアップ前から夕景まで長時間撮影できるが昼は混雑する
★★★★☆
黄葉と赤瓦屋根の旧市街、城下が夕陽に染まる絶景の季節、観光客も春より少なく狙い目
★★★★★
クリスマス市と雪化粧の城が中欧らしい絶景に、夜のライトアップは年間で最も美しい
★★★★☆
見どころ TOP 3
1.聖ヴィート大聖堂とフラチャヌィの城郭群
東西570メートルに及ぶプラハ城の中心に聳えるのが、14世紀着工・1929年完成のゴシック大聖堂。城の輪郭線上に二本の尖塔が突き刺さるシルエットは、ヴルタヴァ川を挟むカレル橋からの定番構図で、プラハ歴史地区の象徴である。
対岸ペトシーン側または旧市街橋塔上から東西パノラマで切り取る
2.旧王宮ヴラジスラフ・ホールの後期ゴシック天井
1493-1502年に建築家ベネディクト・レジェが完成させた全長62メートルの大広間。屋根を支える肋骨ヴォールトの曲線は植物の蔓のように絡み合い、後期ゴシック技術の頂点とされる。歴代ボヘミア国王の戴冠式と現在の大統領選出も行われる空間。
入口側から奥の窓に向けた縦構図、リブの曲線を強調する
3.黄金小道(ズラタ・ウリチカ)とダリボルカ塔
城北側の城壁内に並ぶ16世紀の彩色家屋群。城の射手や錬金術師、後に金細工師が住み、フランツ・カフカも22番地で短期間執筆した名物小路。突き当たりに中世の牢獄ダリボルカ塔が連なる濃密な空間。
朝8時開門直後、観光客が少ないうちに彩色ファサードを横位置で
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.正門の儀仗兵交代は毎正時に行われるが、正午のフルバージョンは旗手と楽団付きで規模が段違いに大きい。11時半までに第一中庭に到着して中央のスポットを確保するのがプロの作法である
- 2.聖ヴィート大聖堂は信者向けの早朝ミサ枠(平日7時半-8時半頃)なら無料で入堂でき、観光客のいない静謐な堂内を体感できる穴場時間帯となる。ミサの邪魔をしない節度ある観光が前提となる
- 3.城の南斜面「南庭園」は3つの庭園が連続し、城下マラー・ストラナへの隠れた出口となる。最後にここから降りると坂道を歩かずカレル橋方面へ抜けられ、足の疲労を半減できる裏ルート
訪問情報
- アクセス
- プラハ本駅(Hlavní nádraží)からトラム22番でプラスキー・フラト停下車、徒歩5分。旧市街広場から徒歩約20分、カレル橋経由で坂道を登るルートが王道である。
- 所要時間
- 主要内部4施設の共通券コースで半日、城下と庭園含めると1日
- 予算目安
- 共通券(大聖堂・旧王宮・聖イジー聖堂・黄金小道)大人約250-450CZK。中庭・庭園は無料(2024年時点、最新は公式サイトで確認)
周辺観光
城下のマラー・ストラナ地区には聖ミクラーシュ教会のバロック大ドームとシュテルンベルク宮殿が連なり、ヴルタヴァ川にはカレル橋(1357年着工、30体の聖人像)が架かる。対岸の旧市街広場には旧市庁舎の天文時計とティーン教会が密集し、これらを城と組み合わせれば中世から近代までの中欧史を1日で縦断できる王道ルートとなる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 870年頃
プラハ城創建
プシェミスル朝の祖ボジヴォイ1世がフラチャヌィの丘に最初の聖母マリア教会を建て、城の歴史が始まる
- 10世紀前半
聖ヴィート前身バシリカ建立
ヴラチスラフ1世とヴァーツラフ1世の治下で聖イジー聖堂と聖ヴィート前身バシリカが整いボヘミア最初の修道院も開かれた
- 1344年
ゴシック大聖堂着工
カール4世の主導で聖ヴィート大聖堂のゴシック改築が始まり、マティアス・フォン・アラスが初代建築家として招かれた
- 1485年
ヤゲロン朝の再建着手
フス戦争で荒廃した城をウラースロー2世が再建、後期ゴシック様式の大改修が始まる
- 1502年
ヴラジスラフ・ホール完成
ベネディクト・レジェの設計で全長62メートルの大広間が完成、後期ゴシック天井ヴォールトの頂点とされる
- 1541年
大火と再建
大火で城は甚大な被害を受け、ハプスブルク家治下でルネサンス様式の建築群が次々と加わり始める
- 1618年5月
第2次プラハ窓外投擲事件
城内の窓から皇帝総督2名が投擲されボヘミア反乱が勃発、三十年戦争の引き金となった歴史的事件
- 1648年
プラハの戦いと略奪
三十年戦争末期にスウェーデン軍がプラハ城を攻撃、ルドルフ2世の美術コレクションの多くが略奪された
- 1755-1775年
テレジア期の最終再建
女帝マリア・テレジア主導の最後の大規模再建で南翼を中心にバロック・古典主義ファサードへ整えられた
- 1918年
大統領府となる
チェコスロヴァキア共和国の成立とともに城は大統領府となり、初代大統領マサリクが入城した
- 1920-30年代
プレチニクによる近代改修
スロベニアの建築家ヨジェ・プレチニクが新王宮・庭園・モノリス石柱などを近代的に再設計した
- 1929年
聖ヴィート大聖堂完成
1344年着工から約6世紀を経て聖ヴィート大聖堂が新ゴシック様式で完成、国家的式典で奉献された
- 1992年
世界遺産登録
旧市街・マラー・ストラナとともに「プラハ歴史地区」としてユネスコ世界文化遺産に登録された
- 1993年
チェコ共和国大統領府となる
チェコスロヴァキア分離後、城は新生チェコ共和国の大統領府として現代の国家中枢の役割を引き継いだ
歴史をもっと深く
プラハ城の歴史は9世紀後半、870年頃にプシェミスル朝の祖ボジヴォイ1世がフラチャヌィの丘にキリスト教受容を機に移座し、最初の聖母マリア教会を建てたことに始まる。10世紀前半にはヴラチスラフ1世とヴァーツラフ1世の治世下で聖イジー聖堂と聖ヴィート前身バシリカが整い、ボヘミア最初の修道院も城内に設けられた。12世紀にはロマネスク様式の宮殿が築かれ、13世紀のオッタカル2世がこれを王権の威信のために大改修した。1346年に即位した神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世)の時代がプラハの黄金時代で、王宮はゴシック様式へ再建され城の防御も強化された。聖ヴィート前身バシリカは壮大なゴシック大聖堂の建設に置き換えられ、その完成は実に1929年まで約6世紀を要した。15世紀のフス戦争期は城は空位のまま荒廃し、1485年にウラースロー2世(ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー)が再建を主導、ベネディクト・レジェの広大なヴラジスラフ・ホールが王宮に増築された。1541年の大火後、ハプスブルク家治下でルネサンス様式の建築群が加わり、フェルディナント1世は王妃アンナのために夏の離宮ベルヴェデーレを建てた。ルドルフ2世はプラハ城を主要居城とし北翼にスペイン・ホールを設けて膨大な美術コレクションを展示した。1618年5月の第2次プラハ窓外投擲事件は三十年戦争の引き金となり、1648年のプラハの戦いではコレクションの多くがスウェーデン軍に略奪された。18世紀後半に女帝マリア・テレジアの主導で南翼を中心とした最後の大規模再建が行われバロック・古典主義のファサードへ整えられた。1918年のチェコスロヴァキア共和国成立とともに城は大統領府となり、初代大統領マサリクの招聘でスロベニア出身の建築家ヨジェ・プレチニクが新王宮と庭園を近代的に修復した。第二次大戦下のナチス占領期はラインハルト・ハイドリヒの本拠とされ、戦後は1948年から共産党政権が、1989年のビロード革命を経て1993年のチェコ共和国独立後は同国大統領府として現在に至る。
文化的背景と意義
プラハ城は、旧市街・マラー・ストラナ・カレル橋とともに1992年にユネスコ世界遺産「プラハ歴史地区」を構成する中核資産で、9世紀から20世紀までのヨーロッパ全建築様式が一所に重なる稀有な存在である。ギネス世界記録は敷地約70,000平方メートルを「世界最大の古城」と公認し、年間訪問者は2024年に259万人を数えた。チェコ国内では「Hrad(城)」の一語が大統領府そのものの代名詞として政治用語に組み込まれており、報道では「Hradは沈黙した」の表現がそのまま大統領の声明保留を意味する。映像作品の舞台としても、ミロシュ・フォアマン監督「アマデウス」(1984)のアメリカ・アカデミー作品賞受賞作で大聖堂内シーンに使われた他、「レ・ミゼラブル」(2012)など多数の歴史超大作のロケ地となってきた。ボヘミア王冠と王笏も大聖堂奥の鍵付き宝物室に保管され、7つの鍵を持つ7人の国家要人全員の同意がなければ開かない伝統が今も継承されている。
建築的詳細
プラハ城は東西約570メートル・南北70-140メートルの細長い敷地に城郭・宮殿・教会・庭園が連続する一大複合体で、3つの中庭(第一-第三中庭)が王宮機能を、城東端の聖イジー広場・黄金小道側が住居・防御機能を担う。中核の聖ヴィート大聖堂はフランス系ゴシックで、マティアス・フォン・アラスとペーター・パルラーの設計に始まり、南塔は高さ約96メートル・座厚オリジナルの双塔ファサードは19-20世紀の新ゴシック様式で補完された。旧王宮ヴラジスラフ・ホールは1493-1502年にベネディクト・レジェが完成させた全長62メートル・幅16メートル・高さ13メートルの大広間で、屋根を支える肋骨ヴォールトは植物の蔓のように交差する後期ゴシックの頂点とされる。聖イジー聖堂は10世紀創建のボヘミア最古級ロマネスク教会で、双塔と内陣の彩色壁画が現存する。城壁内北側の黄金小道は16世紀の彩色家屋11軒が並び、突き当たりに15世紀の牢獄ダリボルカ塔が連なる。ルドルフ2世期のスペイン・ホールはバロック装飾で華やかな儀典室、城外周辺には王宮庭園・南庭園・鹿の堀など7つの庭園が点在する。