クロンボー城
ヘルスィングウーア市 · DK
ハムレットが彷徨う、 エーレスンド海峡を睨む北欧ルネサンスの世界遺産
デンマーク・ヘルシンゲアのバルト海玄関口に立つクロンボー城は、 1420年代の砦から1585年にフレデリク2世が北欧屈指のルネサンス城へと変貌させ、 シェイクスピア『ハムレット』エルシノア城のモデルとして2000年に世界遺産に登録された海峡通行税の徴収拠点。
ベストシーズン・ベストタイム
海峡を渡る潮風と新緑、 観光繁忙期前で内部見学もゆったり巡れる狙い目の好季
★★★★☆
長い日照と中庭でのハムレット・ソマー演劇公演、 海峡クルーズとの組合せが最高潮
★★★★★
海峡の黄金色の日没と銅屋根のコントラスト、 観光客減でカスマット見学が静かに楽しめる
★★★★☆
雪化粧の城と海峡の対岸スウェーデンを望む冬景色、 内部見学中心の落ち着いた巡り方
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.海峡を睥睨する銅屋根のルネサンス城
幅わずか7kmのエーレスンド海峡を見下ろす砂州の先端に立ち、 砂岩の外壁・銅板葺の急勾配屋根・四隅の塔が独特のシルエットを描く。 北欧最重要のルネサンス城として、 海上から城を見上げる構図は他に代えがたい威容を放つ。
外堡から海峡をバックに城全体を一枚に。 午後の西日で銅屋根が輝く時間帯が最適
2.1629年の大火を免れた城内礼拝堂
1582年完成の城内礼拝堂は1629年の大火で唯一無傷で残った空間。 アーチ状の頑丈な天井構造と精緻な木彫装飾、 王の信徒席の重厚な彫刻群が16世紀後期ルネサンスの宗教美術を今に伝える希少な現存例。
中央通路の祭壇側から木彫の信徒席越しに天井アーチを縦構図で
3.地下に眠る伝説の戦士ホルガー・ダンスケ像
城の地下迷宮カスマット(砲眼通路)の最奥に据えられた巨大な座像。 デンマーク危急の時に目覚めて祖国を救うとされる伝説の英雄ホルガー・ダンスケが眠る姿で、 ランタン片手に薄暗い迷路を抜けて辿り着く神話体験が訪問のクライマックス。
地下空間の薄暗さを活かし、 像の正面から低位置で見上げる構図がドラマチック
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.城の地下に張り巡らされたカスマット(砲眼通路)は懐中電灯持参で探検できる長大な迷宮で、 ホルガー・ダンスケ像まで辿る薄暗い回廊は子供にもスリル満点。 城受付で無料貸出のランタンを借りるのがコツ
- 2.毎年6月下旬から8月初旬の「ハムレット・ソマー」では英国王立シェイクスピア劇団等の世界一流劇団が中庭でハムレットを上演し、 シェイクスピアが訪れなかった城で本場の英語ハムレットを観られる希少な野外体験となる
- 3.コペンハーゲン中央駅からの列車でヘルシンゲア駅下車後、 城まで徒歩15分の途中にあるヘルシンゲア海事博物館は地下構造の現代建築賞受賞作。 二館共通券で割引もあり、 海運史と城を一日で巡れる効率コース
訪問情報
- アクセス
- コペンハーゲン中央駅から在来線で約45分、 ヘルシンゲア駅下車徒歩約15分。 コペンハーゲン空港から鉄道乗継で約1時間。 隣国スウェーデン・ヘルシンボリからはフェリーで約20分の対岸位置。
- 所要時間
- 本丸と礼拝堂で2時間、 カスマット探検を含めると3-4時間が目安。
- 予算目安
- 入場料 大人165DKK(約3600円)、 学生145DKK。 コペンハーゲン市内からの往復鉄道約220DKK。 (2024年時点)
周辺観光
城のすぐ南にあるヘルシンゲア海事博物館(M/S Maritime Museum)は地下構造の現代建築賞受賞作で海運史を辿れる。 徒歩10分の聖オラフ教会は中世デンマークの主要巡礼地、 さらに対岸スウェーデン・ヘルシンボリへはフェリー20分でアクセスでき、 一日で二国の城下町巡りが可能。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1420年代
砦クローゲン築造
デンマーク王エーリク7世がエーレスンド海峡通行税の徴収拠点として砂州先端に砦を築き、 対岸ヘルシンボリ城と共に海峡を制した
- 1558-1559年
稜堡増築
クリスチャン3世が外壁四隅に稜堡を増築し、 火器時代に対応する近代要塞へと改修を開始
- 1574-1585年
ルネサンス城へ大改造
フレデリク2世がフランドル建築家パエスヘンとファン・オッベルヘンを招き、 三階建て翼廊一体のルネサンス城へ変身、 クロンボーと改名
- 1599-1601年頃
『ハムレット』執筆
シェイクスピアが戯曲『ハムレット』を執筆、 クロンボー城を「エルシノア城」として舞台に据えるが本人は訪問せず
- 1629年
城内大火
9月の失火で城の大半が焼失するが、 礼拝堂はアーチ天井の堅牢性により無傷で残存する奇跡
- 1631-1637年
クリスチャン4世による再建
海峡通行税を増税してまで断行された再建工事で塔が一段高くなり、 内部には初期バロック様式が導入された
- 1658年
スウェーデン軍に攻略
カール10世グスタフ率いるスウェーデン軍に攻略され、 城内の美術品の多くが戦利品として持ち去られた
- 1772年
カロリーネ・マティルデ幽閉
クーデターで失脚したクリスチャン7世の妃カロリーネ・マティルデが一時クロンボー城に幽閉された
- 1785-1924年
軍駐屯期
デンマーク軍の基地司令部として使用され、 城内は王宮としての面影を大きく失った
- 1816年
初の『ハムレット』上演
クロンボー城中庭で初の『ハムレット』が上演され、 以後現代までハムレット・ソマー演劇祭が継続する伝統が始まる
- 2000年
世界文化遺産登録
ユネスコ世界文化遺産(基準iv)に登録、 北欧ルネサンス建築の傑作と海峡支配の象徴として国際的価値が認定された
歴史をもっと深く
クロンボー城の起源は1420年代、 カルマル同盟の盟主であったデンマーク王エーリク7世(在位1396-1439年)がエーレスンド海峡の砂州先端に築いた砦「クローゲン」(鉤の意)にさかのぼる。 海峡わずか7kmの最狭部に立ち、 対岸ヘルシンボリ城と共にバルト海への航路を制した。 王はバルト海航路を通る全船舶に通行税(エーレスンド海峡通行税)を課し、 デンマーク王室の主要財源とした。 1558-1559年にはクリスチャン3世が外壁の四隅に稜堡を増築。 1574年からはフレデリク2世(在位1559-1588年)が大改造を発令し、 フランドルの建築家ハンス・ヘンドリク・ファン・パエスヘンとアントニス・ファン・オッベルヘンを招聘、 ヘルト・ファン・フローニンゲンが彫刻を統括した。 1577年に稜堡が完成し、 1585年には三階建てで四方の翼廊が一体化した壮麗なルネサンス城へと変身、 「クロンボー」(王冠の城)の名を得た。 1629年9月の失火で大半が焼失したが、 礼拝堂はアーチ天井の堅牢性により無傷で残り、 クリスチャン4世(在位1588-1648年)は海峡通行税を増税して1631-1637年の再建工事を断行、 塔を高くし内部に初期バロック様式を導入した。 1658年にはスウェーデン王カール10世グスタフ率いる軍に攻略され、 城内の美術品の多くが戦利品としてスウェーデンに持ち去られた。 17世紀末期にはさらに外郭防御を強化、 1760-1763年にはフレデリク5世が北翼廊を改修したものの以後王が住まうことはなく、 1772年にはクーデターで失脚したクリスチャン7世の妃カロリーネ・マティルデが一時幽閉された。 1785年からは1924年までデンマーク軍の基地司令部として使用され、 軍の撤収後に本格修復が始まった。 シェイクスピアの戯曲『ハムレット』(1599-1601年頃)で「エルシノア城」として世界文学に登場し、 シェイクスピア自身は訪れていないものの城内には記念石版が掲げられている。 2000年にはユネスコ世界遺産(基準iv)として登録され、 「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式の優れた例」と評価された。
文化的背景と意義
クロンボー城は北欧ルネサンス建築の最高傑作の一つとして、 16世紀後期のデンマーク王権の威信と海峡通行税による経済力を象徴する記念碑的建造物である。 砂岩の外壁と銅板葺の急勾配屋根、 四隅の塔を備えた左右対称の翼廊配置はフランドル・ルネサンス様式の最良の表現で、 同時代の北欧諸宮殿に強い影響を与えた。 文化的影響としてはシェイクスピア『ハムレット』(1599-1601年頃)の舞台「エルシノア城」のモデルとなり、 シェイクスピア自身は訪問していないにも関わらず400年にわたり世界文学・演劇史の聖地として認知されてきた点が群を抜く。 1816年には早くもクロンボー城中庭で初の『ハムレット』上演が行われ、 以後現代まで毎夏「ハムレット・ソマー」演劇祭が継続している。 城内のホルガー・ダンスケ(オーゲール・ル・ダノワ)像はアーサー王伝説に連なる中世仏文学の英雄に基づき、 デンマーク危急の際に目覚めて祖国を救うとされる民族神話の核心。 2000年の世界遺産登録は基準(iv)を満たすものとして評価され、 北欧における海峡支配と王権象徴の建築的結晶として国際的価値が認定された。
建築的詳細
クロンボー城は四方を翼廊が囲む中庭式ルネサンス城で、 平面は約76m四方の不等四辺形を基本とし、 外側を稜堡式の星形要塞で囲む二重構造を成す。 三階建ての翼廊は1574-1585年に砂岩外壁・銅板葺の急勾配屋根として建造され、 北翼廊が王と王妃の居室、 南翼廊が大広間と礼拝堂、 東翼廊が王妃の回廊(Queen's Gallery)、 西翼廊が王室職員の居室として機能した。 四隅にはそれぞれ高さの異なる尖塔が立ち、 北東角の「トランペット塔」、 南東角の「フラッグ塔」、 南西角の「砲台塔」、 北西角の「教会塔」が独特の非対称シルエットを生む。 外壁にはスコーネ産砂岩が用いられ、 装飾彫刻はヘルト・ファン・フローニンゲンが統括した。 1629年の大火後、 クリスチャン4世時代の再建では塔を一段高くし、 城内には初期バロックの装飾が導入された。 城内の大広間(Riddersalen)は長さ約62m、 幅約12mの北欧最大級の宴会場で、 16世紀には壁面を100枚以上のタペストリーが飾っていた。 地下には全長約1kmに及ぶ砲眼通路(カスマット)が張り巡らされ、 平時の倉庫・厨房と非常時の防衛拠点を兼ねる。 周囲は星形稜堡と外堀で二重に守られ、 海側には別途海防壁が築かれた。