ホーエンツォレルン城
Bisingen · DE
ドイツ皇帝家の祖の城、 シュヴァーベンの山頂に立つネオゴシック幻想
海抜855メートルのホーエンツォレルン山頂に立つ三代目の城は、 プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が1846-1867年にネオゴシックで再建した「ドイツ皇帝家の祖先の城」。 ロワール川の城館と英国ゴシック様式が融合した白い尖塔群が雲海に浮かぶ。
ベストシーズン・ベストタイム
雪解け後の新緑とシュヴァーベン丘陵の眺望が広がる、 城内見学に最適な気候で人混みも比較的少ない
★★★★☆
城内コンサートや結婚式イベントが開催され、 ライトアップされた夏の夜景は祝祭的雰囲気に包まれる
★★★★☆
周辺シュヴァーベン丘陵の紅葉が城のネオゴシック白壁と映え、 朝霧雲海の発生確率が最も高い
★★★★★
雪化粧した白い尖塔群が「氷の城」となる絶景、 寒さ覚悟の写真愛好家には1年で最高の機会
★★★★★
見どころ TOP 3
1.雲海に浮かぶ尖塔群の絶景
標高855メートルの孤立した山頂に立つ城は、 早朝の霧が城を取り囲み雲海から尖塔だけが浮かぶ幻想的光景を演出。 シュトゥットガルト南方50キロのシュヴァーベン地方山岳の景観の頂点で、 ドイツ屈指の絶景城として知られる
対岸のツェラー・ホルン展望台から早朝6-7時の朝霧狙い
2.雪化粧した冬の白い要塞
標高855メートルの山頂は冬には雪で覆われ、 ネオゴシックの白い尖塔群と雪景色が「氷の城」と呼ばれる幻想的光景を生む。 ディズニーのお城の原型と称される所以で、 12月下旬-2月の早朝が最高の撮影条件となる
11-2月の朝、 ツェラー・ホルン側から望遠で雪の城全景
3.聖ミカエル礼拝堂の中世遺構
二代目の城(1454-1798年)から唯一現存する15世紀の聖ミカエル礼拝堂(ザンクト・ミヒャエル稜堡)は、 ホーエンツォレルン家の祖先が眠る稜堡として現役機能。 三代目城の壮麗さの中に中世の祈りの空間を留める貴重な遺構
稜堡入口前から斜め45度で礼拝堂と本城を一枚に収める
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.城内入場と展望台は別料金で、 城本体ツアーは時間予約制(英語ツアーは1日数本のみ)。 公式サイトで事前予約が無難で、 当日券売場の長蛇を回避できる秋週末がベスト
- 2.対岸の「ツェラー・ホルン展望台」(Zellerhorn)へは無料駐車場から徒歩30分の登山道で、 城を望む最高のフォトスポットを得られる。 多くのプロ写真家がここから雲海ショットを狙う
- 3.ヘヒンゲン駅からシャトルバス306は冬季減便で要事前確認、 自家用車なら山麓駐車場から城まではシャトルバス利用が時間節約。 駐車場-城往復だけで標高差300メートルの徒歩は1時間以上
訪問情報
- アクセス
- シュトゥットガルトから車で約1時間(50キロ南方)、 ヘヒンゲン駅からシャトルバス306で約20分。 山麓駐車場から城へはシャトルバスまたは徒歩30分の登山道を選択。
- 所要時間
- 城内見学と展望で約2-3時間、 周辺ハイキング含めて半日が目安。
- 予算目安
- 城内ツアー 大人25ユーロ・子供15ユーロ程度、 シャトルバス2ユーロ。 シュトゥットガルトから日帰り総額40-60ユーロ目安(2024年時点)。
周辺観光
麓のヘヒンゲン市街(車5分)には小さなホーエンツォレルン家ゆかりの史跡が点在。 シュトゥットガルト(車1時間北)のヴィルヘルマ動物園・メルセデス・ベンツ博物館、 シュヴァーベン丘陵のリヒテンシュタイン城(車1時間)も日帰り圏で組み合わせやすい。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1040年頃
一代目の城建設
ツォレルン伯爵によりホーエンツォレルン山頂に最初の城が建設、 後の年代記で「シュヴァーベンの城の冠」と賞された
- 1061年
ツォレルン家の初出
ベルトルト・フォン・ライヒェナウの年代記にツォレルン家の名が初めて記録される
- 1218年
家系分割
長男コンラート1世がフランケンに移りプロイセン王家系の祖となり、 次男フリードリヒ2世がシュヴァーベン伯爵位を継承
- 1267年
Castro Zolreの記録
「Castro Zolre」として一代目の城の名が史料に登場、 当時の同時代史家が城を絶賛
- 1423年
一代目の破壊
シュヴァーベン帝国自由都市同盟軍の10ヶ月に及ぶ包囲戦の末、 一代目の城が完全破壊された
- 1454-1461年
二代目の建設
より堅固な要塞として二代目の城を建設、 聖ミカエル礼拝堂は現在も残存する貴重な遺構
- 1634年
三十年戦争で占領
三十年戦争中、 ヴュルテンベルク軍に城が占領され、 以降約1世紀ハプスブルク家支配下に置かれた
- 1744-1745年
オーストリア継承戦争
オーストリア継承戦争中、 1744年冬から1745年にフランス軍が城を占領、 戦後ハプスブルク家に戻った
- 1798年
二代目の廃墟化
オーストリア人最後の所有者が城を去り、 二代目の城は廃墟と化し聖ミカエル礼拝堂のみが利用可能となった
- 1819年
再建の決意
プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がイタリア旅行の途中で先祖の地を訪れ、 再建の夢を抱いた
- 1846-1867年
三代目の建設
建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテューラーがネオゴシック様式で21年かけて三代目の城を完成
- 1945年
元皇太子の居住
亡命中の元皇太子ヴィルヘルム(ヴィルヘルム2世の長男)の住居として短期間使用された
- 現在
観光地として年30万人
毎年30万人以上の観光客が訪れる人気観光地となり、 映画・TVドラマのロケ地としても活用される
歴史をもっと深く
ホーエンツォレルン城の歴史は11世紀前半、 ツォレルン伯爵によるアレマン人集落跡地への最初の城建設に始まる。 1061年にツォレルン家の名が年代記に初出し、 1267年にこの城が「Castro Zolre」として記録に登場、 当時「シュヴァーベンの城の冠」と称された。 1218年(または1214年)の家系分割で長男コンラート1世がフランケン地方とニュルンベルク城伯地位を継承し後のプロイセン王・ドイツ皇帝家系の祖となり、 次男フリードリヒ2世がシュヴァーベン領とツォレルン伯爵地位を継承して山頂城を守り続けた。 一代目の城は1423年、 シュヴァーベン帝国自由都市同盟軍による1年に及ぶ包囲戦の末に完全破壊された。 二代目の城は1454年から1461年にかけてより堅固な要塞として再建され、 三十年戦争(1618-1648)では1634年にヴュルテンベルク軍に占領され、 戦後はハプスブルク家支配下に約1世紀置かれた。 1740-1748年のオーストリア継承戦争では1744年冬から1745年にフランス軍が占領、 戦後ハプスブルク家に戻ったが1798年にオーストリア人最後の所有者が去って以降は廃墟と化し、 19世紀初頭までに利用可能な建物は聖ミカエル礼拝堂のみとなった。 三代目の現在の城は1819年、 イタリアへの旅の途中で先祖の地を訪れたプロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が「再建の夢」を抱いたことに始まる。 国王即位後の1846年、 シンケルの後継建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテューラーを起用しネオゴシック様式での再建工事を開始、 21年の歳月を経て1867年に完成した。 完成後はホーエンツォレルン家王朝の記念碑として位置付けられ、 ヴィルヘルム2世皇帝の冠やフリードリヒ大王の遺品、 ジョージ・ワシントン米初代大統領からシュトイベン男爵への感謝書簡など歴史的逸品が収蔵された。 1945年には亡命中の元皇太子ヴィルヘルム(ヴィルヘルム2世の長男)の住居として短期間使用された。 現在も毎年30万人以上の観光客が訪れ、 映画「キュア 〜禁断の隔離病棟〜」(2016)やTVドラマ「ミルドレッドの魔女学校」(2017)のロケ地としても活用されている。
文化的背景と意義
ホーエンツォレルン城は、 ドイツ帝国(1871-1918)を統治した皇帝家ホーエンツォレルン家の精神的故郷としてドイツ近代史における象徴的位置を占める。 一代目・二代目が実戦的城郭であったのに対し、 1846-1867年の三代目はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世のロマン主義的歴史観の結晶として「王朝の記念碑」として設計された。 ルートヴィヒ2世のノイシュヴァンシュタイン城(1869-1886)、 シュトルツェンフェルス城再建と並ぶ19世紀ドイツのネオゴシック城郭三傑の一つに数えられ、 ドイツ・ロマン主義建築の頂点作と位置付けられる。 城内に収蔵されるヴィルヘルム2世皇帝の冠、 フリードリヒ大王の遺品、 米初代大統領ジョージ・ワシントンからシュトイベン男爵への感謝書簡は、 プロイセン・ドイツ帝国の歴史を語る一級史料群。 聖ミカエル礼拝堂内の稜堡には最後のドイツ皇太子ヴィルヘルム(1882-1951)、 ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン(1907-1994)が安置され、 王朝の精神的記憶を継承する空間として現役機能する。 現代ドイツ語圏において「最も美しい城」の常連で、 ノイシュヴァンシュタイン城と並ぶ国民的ランドマークである。
建築的詳細
三代目の城(1846-1867)は、 建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテューラー(シンケルの高弟)が英国ゴシック・リヴァイヴァルとフランス・ロワール川シャトーの折衷様式で設計。 標高855メートルの孤立山頂を最大限活用し、 円錐尖塔群を擁する主城・複数の角塔・幾何学的城壁が起伏地形に沿って配置される。 入口部はプロイセン要塞工兵の指導者プリットヴィッツが担当した軍事工学による造作で、 細長い登城路と複数の門を抜ける「ロマン主義的軍事建築」の典型を示す。 外壁は地元産砂岩の切石積みで、 ネオゴシック典型の尖頭アーチ・バラ窓・小尖塔群が組み合わされる。 城内には伯爵の間・王の間・皇后の間の3主要広間があり、 ホーエンツォレルン家の系譜・プロイセン王家・ドイツ皇帝家の物語を彫刻・絵画・天井装飾で表現。 城内外の彫刻群はベルリンの宮廷彫刻家ブレーゼ他多数に発注され、 歴代当主の彫像が城壁上に並ぶ「皇帝家系図」を形成する。 二代目から唯一現存する1454-1461年建設の聖ミカエル礼拝堂は後期ゴシック様式の石造小礼拝堂で、 現在も家族稜堡として機能する。