白川郷・五箇山の合掌造り集落
南砺市 · JP
豪雪の谷に銀世界が広がる、世界遺産にして釘ゼロの三角屋根が守り抜いた山村
岐阜・富山県境を流れる庄川上流の急斜面に、急勾配の茅葺き屋根を空に向け約100棟の合掌造りが寄り添う飛越地方の山村集落群。1995年に日本で6件目となる世界文化遺産に登録され、今なお住民が暮らし続ける現役の生活遺産
ベストシーズン・ベストタイム
屋根に雪を載せた合掌民家と銀世界の田畑、年数回の夜間ライトアップが最大の魅力で訪日客が殺到する最盛期
★★★★★
周囲の山が紅葉に染まり、茅葺き屋根の渋い灰色と赤・黄のコントラストが冬より静かに楽しめる撮影の好機
★★★★☆
雪解け後の田植え準備の水鏡に合掌民家が映る、観光客が一気に減る短く穏やかな撮影狙い目シーズン
★★★★☆
新緑と稲穂の青々とした山里の景色、屋根の葺き替え作業「結」の見学機会も年により設定される
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.城山天守閣展望台から見下ろす荻町集落の銀世界
白川村の中心となる荻町集落を眼下に一望できる丘上のビュースポット。冬場は雪をかぶった三角屋根が田畑越しに並ぶ「日本の原風景」として圧巻、夜のライトアップでは茅葺き屋根が淡い金色に浮かび上がる
集落東側からシャトル約10分、午後遅めに到着し夕景まで粘ると昼夜両方狙える
2.国指定重要文化財・和田家住宅で見る合掌造りの内部構造
荻町集落内で公開される最古級の合掌造り民家。江戸後期築の三層構造で、囲炉裏の煙でいぶされた梁、養蚕に使われた屋根裏空間、釘を使わず縄と楔で組まれた小屋組みなど、世界遺産の本体を屋内から体感できる稀少な民家
二階屋根裏から太い叉首と縄結びを縦構図で、北側窓からの自然光のみで三脚短時間で
3.五箇山・相倉集落の山あいに残る20棟の小さな世界遺産
白川郷から車で約30分北、富山県南砺市の山深い谷に約20棟の合掌造りが寄り集まる相倉集落。荻町に比べ規模は小さいが観光客もまばらで、棚田と合掌民家・里山の三層が一望できる素朴な原風景が残る静かな世界遺産
集落北西の相倉展望台から南東方向、朝霧が残る早朝6-7時台が山の稜線と煙突の煙が綺麗に重なる時間帯
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.冬季のライトアップは年4-6回の特定日のみ実施で完全予約制、白川郷観光協会公式サイトでの数ヶ月前抽選予約が必須、当日見学のみで写真撮影は予約者以外不可となる年もあるので最新運用要確認
- 2.白川郷だけ訪れて帰る人が大半だが、世界遺産は荻町・相倉・菅沼の3集落を含むため五箇山側の2集落まで足を伸ばすと観光客が激減し合掌造りの本来の静けさを味わえる隠れた鉄則
- 3.和田家・神田家・長瀬家など内部公開の合掌民家は入館料各300-400円程度で別払い、共通券は無いが「合掌造り民家園」の野外博物館に行けば移築民家25棟を一括500円程度で見学できる節約ルート
訪問情報
- アクセス
- 名古屋駅から高速バスで白川郷まで約2時間50分、金沢駅からは約1時間15分、五箇山相倉までは白川郷からバス乗継で約40分。マイカーは東海北陸自動車道白川郷IC・五箇山ICが最寄り
- 所要時間
- 白川郷のみ半日、五箇山を加え相倉・菅沼まで回ると終日
- 予算目安
- 入村無料、和田家など個別民家見学300-400円、城山展望台シャトル200円、名古屋からの日帰り総額1万円前後 (最新料金は公式サイトで確認)
周辺観光
白川郷から車約40分北の五箇山相倉・菅沼集落 (共に世界遺産構成資産)、車約1時間の高山市古い町並み (重要伝統的建造物群保存地区)、東海北陸道で約2時間の世界遺産古都京都の文化財。金沢駅からのアクセスも良く兼六園との一泊二日コースも組みやすい
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 12世紀半ば
白川郷の地名確認
白川郷 (岐阜県大野郡白川村) の地名が文献上で確認できる最古の時期。庄川上流域の山村として古くから人が住んでいた
- 16世紀
五箇山の地名確認
五箇山 (富山県南砺市) の地名が確認できる時期。庄川中流域の隔絶された山村として加賀藩支配下に組み込まれていく
- 17世紀末
合掌造りの原型形成
江戸時代中期に合掌造りの原型ができたと推測される。家内工業の発展に伴い大型化・多層化していった
- 1930年
「合掌造り」呼称の登場
フィールドワークを行った研究者らによって「合掌造り」という呼称が使われ始めた比較的新しい用語
- 1935年5月
ブルーノ・タウト訪問
ドイツの建築家ブルーノ・タウトが白川村を訪れ合掌造りの合理性を高く評価。後の世界遺産推薦の重要根拠となる
- 1958年
五箇山3民家が重要文化財に
五箇山の村上家・羽馬家・岩瀬家の3つの民家が国の重要文化財に指定され保存活動の起点となる
- 1961年
御母衣ダム完成と集落水没
電源開発の御母衣ダムが完成し白川郷の4集落が水没。人口流出と集落消滅が加速する転機となる
- 1963年
三八豪雪で半年孤立
戦後最大級の三八豪雪により集落が半年間外部から孤立。離村と人口流出をさらに促進した
- 1970年
五箇山2集落が国史跡に
五箇山の相倉集落と菅沼集落が国の史跡に指定され集落単位での保存制度に組み入れられる
- 1971年
守る会発足と三原則
「荻町集落の自然環境を守る会」が発足し「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を掲げ住民保存運動を開始
- 1975年
文化財保護法改正
文化財保護法が改正され伝統的建造物群保存地区制度が創設。集落単位での保護法的枠組みが整う
- 1976年
荻町集落が伝建地区に
白川村荻町集落が重要伝統的建造物群保存地区に選定され国による保護対象となる
- 1994年9月
世界遺産推薦書提出
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の推薦書がユネスコ世界遺産センターに提出される
- 1995年12月9日
世界文化遺産登録
第19回世界遺産委員会 (ベルリン) で日本6件目の世界文化遺産として登録基準 (iv)(v) で登録される
- 2023年
保存原則の一部緩和
深刻な過疎化を受け「売らない・貸さない・壊さない」三原則のうち「貸さない」が部分的に緩和された
歴史をもっと深く
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は岐阜県・富山県境の庄川流域に広がる合掌造り民家群の総称である。庄川流域の白川郷 (岐阜県大野郡白川村) と五箇山 (富山県南砺市) は、12世紀半ばと16世紀にそれぞれ地名が確認できる飛越地方の山村である。江戸時代中期の17世紀末頃に合掌造りの原型が形成されたと推定されており、白川郷は当初高山藩領、後に天領となり、五箇山は加賀藩領として塩硝 (硝酸カリウム、火薬原料) の生産が藩によって保護された。塩硝は雑草と蚕の糞を培養して抽出する秘伝の製法で作られ、流刑地でもあった陸の孤島・五箇山は秘密保持にも適していた。稲作に不向きな土地柄で焼畑によるヒエ・アワ・ソバ栽培と養蚕が農業の中心となり、合掌造りはこの家内工業の発展に合わせ大型化・多層化していった。「合掌造り」という呼称自体は1930年 (昭和5年) 頃にフィールドワークを行った研究者らが使い始めた比較的新しい用語で、日本政府の世界遺産推薦時の定義では「叉首構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」とされた。1935年 (昭和10年) 5月にドイツの建築家ブルーノ・タウトが白川村を訪れ、その合理性を高く評価したことが後の保存運動と世界遺産推薦の重要な根拠となる。第二次世界大戦後は電源開発と人口流出で家屋は1945年 (昭和20年) の300棟からほぼ半減し、特に1961年 (昭和36年) 完成の御母衣ダム建設で白川郷の4集落が水没、1963年 (昭和38年) の三八豪雪で半年間孤立した経験は集落消滅を加速した。これに危機感を抱いた住民により、五箇山では1958年 (昭和33年) に村上家・羽馬家・岩瀬家の3民家が国の重要文化財に指定され、1970年 (昭和45年) には相倉・菅沼両集落が国の史跡となる。白川郷では1971年 (昭和46年) に「荻町集落の自然環境を守る会」が「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を掲げて発足、1976年 (昭和51年) に荻町集落が重要伝統的建造物群保存地区に選定された。1992年 (平成4年) の世界遺産条約批准時に暫定リスト入りし、1994年 (平成6年) 9月の推薦書提出を経て、1995年 (平成7年) 12月の第19回世界遺産委員会 (ベルリン) で日本6件目の世界文化遺産として登録が認められた。
文化的背景と意義
白川郷・五箇山の合掌造り集落は、 ユネスコ世界遺産登録基準 (iv) (人類史の重要な段階を示す建築様式の顕著な例) と (v) (土地利用・伝統文化の顕著な例) の二基準で1995年に登録された、 日本で6件目の世界文化遺産である。 世界遺産は荻町集落 (岐阜県白川村)、 相倉集落・菅沼集落 (富山県南砺市) の3集落から構成され、 合計約100棟の合掌造り民家が中核資産となる。 住民が現に生活を営む「生きた世界遺産」としての登録は、 ホッローケー (ハンガリー、1987年)、 ヴルコリニェツ (スロバキア、1993年) に続く世界で3例目という稀少性も評価された。 集落保存の根幹は鎌倉時代に根付いた浄土真宗の信仰共同体に由来する結 (ゆい) と呼ばれる相互扶助組織で、 30-40年に一度の大規模な茅葺き屋根葺き替えを住民総出で一日のうちに完了させる伝統が今も続く。 1971年に住民が掲げた「売らない・貸さない・壊さない」の三原則は世界遺産保護のモデルとして国内外で参照されるが、 2023年には深刻な過疎化を受け「貸さない」原則が部分的に緩和され、 生活遺産としての持続可能性が新たな議論段階に入っている。
建築的詳細
合掌造り (がっしょうづくり) は、急勾配の叉首 (さす) 構造の切妻造り屋根を持つ茅葺きの大型農家建築である。屋根の勾配は45度から60度で、豪雪地帯の雪下ろし軽減と多雨地帯の水はけを両立させる工夫とされ、初期のものほど傾斜が緩い傾向にある。屋根組みには釘を1本も使わず丈夫な縄で固定する伝統工法で、雪の重さや風圧を縄の弾性が吸収することで建物全体の柔軟性と耐久性を生む。妻側は南北に向けて配置され、屋根全体に日光を当てて融雪を促進する効果、谷沿いの南北風を受ける面積を最小化する効果、夏の屋根裏部屋で蚕を高温から守るための南北通風効果という三つの機能を兼ねる。屋根裏は二層から三層に区切られ、最上層は養蚕用の蚕床棚、中間層は桑の葉や繭の貯蔵、一階下は塩硝の床下培養槽として活用されることが多かった。床材には竹簀 (たけす) を用い、囲炉裏の煙が屋根裏まで抜けて茅と木材を防虫・防腐する仕組みで、煙でいぶされた黒光りする梁が合掌造り屋内の象徴的な意匠となっている。建材は屋根の茅 (ススキ)、梁の松、柱の栗が中心で、地域の山林から共同体管理のもと自給された。