バーミヤン渓谷の仏立像
バーミヤーン州 · AF
玄奘も仰いだ高さ55mの大磨崖仏、 2001年に消えた負の世界遺産
アフガニスタン中央部ヒンドゥークシュ山脈の標高2500mに位置するバーミヤン渓谷の仏立像は、 6-7世紀に砂岩壁面に刻まれた高さ55mの西大仏と38mの東大仏で、 2001年3月にターリバーン政権により爆破され、 現在は空虚な壁龕が残る2003年登録の危機遺産。
ベストシーズン・ベストタイム
雪解け後の渓谷は緑が芽吹き気温も穏やかで、 標高2500mの高地でも歩きやすい唯一の好機となる季節
★★★☆☆
標高2500mで夏でも気温は20℃前後と過ごしやすく、 日中の光線が壁龕を照らす撮影最適期
★★★★☆
ヒンドゥークシュの山並みに初冠雪が始まり、 渓谷が黄葉する短い秋は風景の透明感が際立つ季節
★★★☆☆
氷点下20℃の極寒で道路閉鎖も多く、 標高2500mの渓谷はアクセス困難で訪問は推奨されない
★☆☆☆☆
見どころ TOP 3
1.高さ55mの西大仏が立っていた空虚な壁龕
551年頃に砂岩崖面に刻まれた高さ55mの西大仏「サルサル」(光は宇宙を貫く)は、 唐の玄奘三蔵も拝したガンダーラ最大級磨崖仏。 2001年の爆破で消滅し、 現在は深さ12mの空虚な壁龕が静かに立ちつくす。
対岸の南側道路から壁龕全景を午後の順光で撮影
2.東大仏「シャー・マーマー」の壁龕と周辺石窟
570年頃築造の高さ38m東大仏「シャー・マーマー」(女王なる母)は、 西大仏より約半世紀古い女性像。 周囲には1000以上の石窟が穿たれ、 6-8世紀のグプタ朝・サーサーン朝壁画が残るが約8割が失われた。
東大仏壁龕から右手の石窟群まで含めた構図
3.ヒンドゥークシュの仏教文化的景観
標高2500mのバーミヤン渓谷は2世紀以来シルクロードの仏教センターで、 ガンダーラ・インド・ヘレニズム・サーサーン朝が融合した「グレコ・ブッディスト美術」が栄えた地。 峻嶮な山岳景観そのものが文化遺産の核心となる。
渓谷北側の崖上から遺跡群と周辺集落を俯瞰
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.外務省海外安全情報は2021年8月のターリバーン全土制圧以降アフガニスタン全土にレベル4「退避勧告」を発出中。 リモート見学はUNESCO Silk Roads Programme公式サイトと3D復元アーカイブで代替可能となる
- 2.2015年6月に中国の張昕宇・梁紅夫妻チームが西大仏の壁龕で3Dレーザー投影による光の大仏復元イベントを実施、 同映像はYouTubeで広く視聴可能、 在りし日の姿を知る貴重なデジタル資料として活用できる
- 3.日本国内では東京芸術大学が「クローン文化財」技術で東大仏天井壁画「天翔る太陽神」を復元し2016年に展示、 平山郁夫シルクロード美術館(山梨)や国立博物館の特別展で関連資料を継続的に公開している
訪問情報
- アクセス
- 現地は首都カーブル北西約230kmの山岳地帯で、 通常はカーブルから車で約8-10時間。 2021年以降アフガニスタン情勢により外国人の訪問は実質不可能となっている。
- 所要時間
- リモート見学2-3時間、 現地訪問の場合は遺跡群と石窟全体で半日-1日
- 予算目安
- 現地訪問は外務省渡航勧告レベル4で実質不可能。 UNESCOアーカイブ・3D復元映像によるリモート見学は無料。 (2024年時点)
周辺観光
バーミヤン州内では青色の高山湖が連なるバンディ・アミール国立公園(車で約2時間)、 「赤い町」と呼ばれるシャフリ・ゾハク要塞(ゴール朝期、 渓谷東側)、 仏教石窟群と一体をなすシャフリ・ゴルゴラ遺跡(チンギス・ハーンに包囲された都市跡)などがあるが、 全て現状では訪問困難である。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1世紀
石窟仏教寺院開削開始
クシャーナ朝期にシルクロード東西交易路の要衝として、 砂岩崖面に石窟仏教寺院の開削が始まる
- 570年頃
東大仏「シャー・マーマー」築造
ヘフタル朝期に高さ38mの東大仏「女王なる母」が砂岩崖面に磨崖仏として刻まれる
- 618年頃
西大仏「サルサル」築造
高さ55mの西大仏「光は宇宙を貫く」が砂岩崖面に刻まれ、 中央アジア仏教の象徴となる
- 630年
玄奘三蔵が訪問
唐の求法僧玄奘三蔵がインドへの途中で当地を訪れ、 後に『大唐西域記』巻1に大仏の様子を記録する
- 770年
アッバース朝のイスラム征服
アル=マフディーによる征服でバーミヤンの仏教は衰退するが、 大仏本体は奇跡的に残存する
- 871年
サッファール朝の仏像略奪
ヤアクーブ・イブン・アル=ライスが多数の仏像を持ち去るが、 巨大磨崖仏は残された
- 1221年
チンギス・ハーンの侵攻
モンゴル軍がバーミヤン渓谷を包囲、 住民を虐殺するが大仏は無傷で残存する
- 17世紀末
アウラングゼーブの砲撃
ムガル皇帝アウラングゼーブが大仏破壊を企図して砲撃するが、 軽微な損傷で耐え抜く
- 1979年
ソビエト連邦の侵攻
ソ連のアフガニスタン侵攻でアフガン紛争が始まり、 遺跡周囲に多数の地雷が埋設される
- 1998年
ターリバーンの占領
ターリバーン政権がバーミヤンを占領、 イスラム原理主義の支配下に置かれる
- 2001年3月
大仏爆破
ムッラー・オマルの命令でターリバーンが2体の大仏を爆破、 国際社会の抗議を無視して破壊する
- 2003年
世界遺産・危機遺産登録
第27回世界遺産委員会で文化的景観と古代遺跡群として登録、 同時に危機遺産リストに記載される
- 2015年
3Dレーザー投影で復元
中国の張昕宇・梁紅夫妻チームが西大仏壁龕に3Dレーザー投影での「光の大仏」復元を実施する
- 2021年8月
ターリバーン再制圧
ターリバーンがアフガニスタン全土を再制圧、 バーミヤン遺跡も再びターリバーン管理下となる
歴史をもっと深く
バーミヤン渓谷の仏教遺跡群の歴史は、 1世紀のクシャーナ朝期にシルクロード東西交易路の要衝として石窟仏教寺院の開削が始まったことに遡る。 標高2500mのヒンドゥークシュ山脈中の渓谷地帯に1000以上の石窟が穿たれ、 ガンダーラ・インド・ヘレニズム・サーサーン朝ペルシアの諸文化が融合した「グレコ・ブッディスト美術」の中心地となった。 5-7世紀のヘフタル朝・西突厥支配下で仏教文化は繁栄の頂点に達し、 放射性炭素年代測定によれば507年±12年に高さ38mの東大仏「シャー・マーマー」(女王なる母の意)、 551年±15年に高さ55mの西大仏「サルサル」(光は宇宙を貫くの意)が砂岩崖面に磨崖仏として刻まれた。 本体は砂岩から直接彫り出され、 細部は藁を混ぜた泥土と漆喰で造形、 顔・手・衣文には彩色が施され、 西大仏は朱色、 東大仏は多色で塗装されていた。 顔面上部は巨大な木製マスクで構成されたとされる。 630年(貞観4年)、 唐の仏僧玄奘三蔵がインドへの求法の途中で当地を訪れ、 『大唐西域記』巻1で大仏が金色に輝き僧院に数千の僧が住んでいたと記録した。 8世紀のアッバース朝アル=マフディーによるイスラム征服(770年)で仏教は衰退、 977年の突厥系ガズナ朝による最終的なイスラム化で仏教文化は終焉、 871年にはサッファール朝ヤアクーブ・イブン・アル=ライスが多くの仏像を持ち去ったが大仏本体は残った。 1221年のチンギス・ハーン軍によるバーミヤン包囲攻撃では住民が虐殺されるも大仏は無傷で残存、 17世紀末のムガル皇帝アウラングゼーブによる砲撃で軽微な損傷を受けるも全体は耐え抜いた。 1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻以降、 アフガン紛争で遺跡周囲に多数の地雷が埋設され、 1998年にターリバーンが当地を占領。 2001年(平成13年)2月26日、 ターリバーン最高指導者ムッラー・ムハンマド・オマルがイスラム教の偶像崇拝禁止規定を理由に全アフガニスタンの仏像破壊を命令、 国連総会の全会一致決議A/RES/55/243、 日本・中国・スリランカの代表団による中止要請、 諸外国のイスラム指導者からの批判をすべて無視して3月2日から爆破を開始、 数日で2体は瓦礫と化した。 2003年7月、 第27回世界遺産委員会(パリ会議)で「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として基準(i)(ii)(iii)(iv)(vi)により世界文化遺産に登録、 同時に危機遺産リストに記載された。
文化的背景と意義
バーミヤン渓谷の仏教遺跡は、 アウシュヴィッツ強制収容所跡・原爆ドーム・ゴレ島などとともに「負の世界遺産」と呼ばれるカテゴリーの代表例で、 文化財破壊の象徴として国際社会の記憶に深く刻まれている。 2003年の世界遺産登録は基準(i)人類の創造的天才の傑作、 (ii)諸文化融合の交流の証、 (iii)中央アジアで失われた仏教文化の唯一の証、 (iv)仏教繁栄期の文化的景観、 (vi)西方仏教の記念碑的存在の5基準が同時適用された極めて高い評価による。 2001年の破壊事件では、 ユネスコ親善大使だった平山郁夫が抗議活動を主導し流出文化財保護日本委員会を創設、 日本政府は2002年以降ユネスコ信託基金として181万5967ドルを拠出、 2017年までに累計7億円以上を投じて修復活動を継続した。 2015年に中国チームによる3Dレーザー投影での「光の大仏」復元、 2016年に東京芸術大学「クローン文化財」技術での東大仏天井壁画「天翔る太陽神」復元がG7伊勢志摩サミットで披露された。 イラン映画監督モフセン・マフマルバフは『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない』(2003年)で文化財破壊と人道危機の関係を問い国際的議論を呼んだ。
建築的詳細
バーミヤン大仏は砂岩崖面に直接刻まれた磨崖仏様式で、 西大仏「サルサル」は高さ55m、 東大仏「シャー・マーマー」は高さ38m、 壁龕の深さはそれぞれ12mと8mであった。 本体の主要部は砂岩から直接彫り出されたが、 顔・手・衣文の細部装飾は藁を混ぜた泥土と漆喰で造形され、 彩色が施されていた。 西大仏は朱色(カーマイン)に塗装、 東大仏は多色で彩色、 顔面上部は木製の巨大マスクで構成されたとする最新研究もある。 両大仏は印相(ムドラー)が異なり、 西大仏は毘盧遮那如来(ヴァイローチャナ)、 東大仏は釈迦如来(シャーキャムニ)を表現していたとされる。 周囲の崖面には1世紀以降に開削された1000以上の石窟仏教寺院があり、 個々の石窟内壁には6-8世紀のグプタ朝・サーサーン朝・トハラ・ビザンツの影響を受けた仏教壁画が描かれた。 「天翔る太陽神」「弥勒菩薩」「千仏図」などが代表作だが、 2001年の破壊と内戦により壁画の約8割が失われ、 残存する2割もイコノクラスム(偶像破壊)による剥落が進行している。 2002年以降ドイツの調査チームが瓦礫から発掘した木片の放射性炭素年代測定で大仏築造年が確定し、 日本・イタリア・ドイツが分担して残存壁画と石窟の保存修復を継続している。