UNESCO 1996

原爆ドーム

大手町 · JP

1945年8月6日午前8時15分、 鉄骨だけが残った負の世界遺産

広島市中区にある原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)は、 1945年8月6日の原爆投下で爆心地から約160メートルの距離にありながら中央ドーム部だけが奇跡的に残存し、 1996年にユネスコ世界文化遺産「負の遺産」として登録された平和記念のシンボル。

世界遺産 1996

ベストシーズン・ベストタイム

3月下旬-4月上旬

桜と鉄骨ドームの対比は希望と記憶の象徴、 平和記念公園の桜並木と一緒に巡る最盛期

★★★★★

8月初旬

8月6日は原爆の日で平和記念式典・灯籠流しが厳粛に執り行われる年に1度の特別な機会

★★★★☆

10月-11月

穏やかな気候と紅葉、 観光客も春より少なく落ち着いて見学・撮影ができる好機

★★★★★

12月-2月

ライトアップされた夜景と空気の透明感、 夕暮れ時のドーム影も美しい撮影向き季節

★★★★☆

見どころ TOP 3

  • 1.鉄骨ドームに刻まれた被爆の痕跡

    高さ約25メートルのドームの先端まで、 衝撃波で剥がれ落ちた銅板屋根、 爆風で歪んだ鉄骨、 焦げたレンガ壁が当時のまま残る。 風化と修復で姿を変える「動く廃墟」として、 平和の象徴となった現代史の生証人である。

    南側の元安川河岸から鉄骨と空のコントラストを撮る

  • 2.元安川対岸からの平和記念公園構図

    原爆ドームを北の起点とし、 原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が一直線に並ぶ丹下健三設計の平和記念公園。 元安川越しに撮ると橋・川・ドーム・園内の四要素が一枚に収まる、 広島の平和観そのものを切り取れる定番構図となる。

    元安橋から南側の対岸越しに、 広島カープ赤を背景にした夕方の構図

  • 3.近代では全国初の特別史跡指定

    1995年に国の史跡指定、 2025年9月に近代では全国初の特別史跡指定を受けた建造物として、 1915年の竣工から戦中・被爆・保存運動・世界遺産登録までの100年を超える層を一身に体現する稀有な現代史遺構である。

    建物北側の壁面ディテールを正午前後の順光で

物語・伝説

1915年にチェコ人建築家ヤン・レッツェルが設計した広島県物産陳列館として竣工、 ネオ・バロック骨格にゼツェシオン装飾を持つ広島の文化拠点として親しまれた。 1945年8月6日午前8時15分、 米軍B-29「エノラ・ゲイ」がリトルボーイを投下、 爆心地から約160メートル・上空約600メートルで炸裂、 内部の約30名は全員即死、 鉄筋コンクリートの中央ドーム部分だけが衝撃波の角度と銅板屋根の溶融により全壊を免れた。 1960年に被爆して亡くなった少女・楮山ヒロ子の日記が保存運動の引き金となり、 1966年に永久保存決議、 1996年に世界文化遺産として登録された。

こんな人におすすめ

戦争・平和の現代史を学びたい教育旅行者、 楮山ヒロ子の日記と保存運動に魅かれる平和教育関係者、 丹下健三の都市デザインに惹かれる建築愛好家、 ユネスコ「負の遺産」を巡るユネスコファン。 大阪・京都・福岡から新幹線で1時間30分前後でアクセスできる。

現地で知るべき豆知識

  • 1.8月6日の平和記念式典では8時15分に黙祷・献花・鐘の音が響き、 灯籠流しでは元安川に1万個の灯籠が流されるが、 当日は警備で公園内の動線が制限されるため、 前後日訪問でも雰囲気は十分味わえる
  • 2.徒歩5分の広島平和記念資料館は被爆資料・遺品・写真を体系的に展示し、 ドーム見学だけでなく館内併用で当時の被害実態を立体的に理解できる、 必須の組合せコースである
  • 3.ドーム周囲は立入禁止で柵越しの観覧のみだが、 西側元安川河岸の遊歩道は近距離撮影に好適、 北側の相生橋からは爆心地方向と一直線の構図となり投下目標の歴史的位置関係を体感できる

訪問情報

アクセス
JR広島駅から広島電鉄2号系統(広電宮島口行)で約15分、 「原爆ドーム前」電停下車徒歩1分。 JR新白島駅からは徒歩約20分、 広島港からはバスで約30分のアクセス。
所要時間
ドームと周囲で30分、 平和記念資料館を含めて2-3時間が目安。
予算目安
ドーム見学は無料(屋外見学のみ)。 平和記念資料館 大人200円・高校生100円。 (2024年時点)

周辺観光

徒歩5分の広島平和記念資料館は被爆資料を体系展示する必訪施設、 同公園内の原爆死没者慰霊碑・原爆の子の像も組合せ巡る定番。 広電で20分の宮島口へ移動すれば日帰りで厳島神社まで巡れる広島観光の王道コースとなる。

詳しく知る

時間のある方向けの詳細情報。

年表

  1. 1915年

    物産陳列館の竣工

    大正4年、 チェコ人建築家ヤン・レッツェルの設計で広島県物産陳列館が4月5日に竣工し、 8月15日に開館する

  2. 1933年

    産業奨励館に改称

    昭和8年に広島県産業奨励館へ改称、 美術展や産業展示で広島の文化拠点として広く活用される

  3. 1945年8月6日

    原子爆弾投下

    午前8時15分17秒、 米軍B-29が原爆リトルボーイを投下、 中央ドームのみ全壊を免れ被爆建造物となる

  4. 1949年

    平和記念都市建設法

    8月6日に広島平和記念都市建設法が制定、 ドームを起点とする平和記念公園構想が始動する

  5. 1955年

    平和記念公園完成

    丹下健三設計の平和記念公園が完成、 ドームを北の起点に慰霊碑・資料館が一直線に並ぶ構成となる

  6. 1960年

    楮山ヒロ子の日記

    1歳被爆の楮山ヒロ子が16歳で白血病死、 残した日記が後の保存運動の精神的原点となる

  7. 1966年

    永久保存の決議

    全国署名運動を受け広島市議会が永久保存を決議、 全国募金で保存工事の資金が集まる

  8. 1967年

    第1次保存工事

    佐藤重夫教授考案のエポキシ樹脂注入工法で1万カ所超のひび割れを補強、 工事が完了する

  9. 1995年

    国の史跡指定

    被爆50年に合わせ国の史跡指定を受け、 文化財保護法体制下での法的保護が確立する

  10. 1996年12月

    世界文化遺産登録

    メリダ会議で「負の遺産」として世界文化遺産に登録、 戦争記憶の普遍的価値が国際認知される

  11. 2016年

    オバマ大統領訪問

    現職米大統領として初めて被爆地広島を訪問、 平和記念公園で献花し国際的な象徴性を再確認する

  12. 2025年9月

    特別史跡指定

    近代建造物として全国初の特別史跡に指定、 国の文化財保護で最高位の格付けを獲得する

歴史をもっと深く

原爆ドームの歴史は1915年(大正4年)4月5日、 チェコ人建築家ヤン・レッツェル設計の広島県物産陳列館として竣工し、 同年8月15日に開館したことに始まる。 ネオ・バロック骨格にゼツェシオン(分離派)風装飾を持つ地上3階・地下1階の鉄筋コンクリート建築で、 ドーム先端まで高さ約25メートル、 当時の県知事・寺田祐之がレッツェルの松島パークホテルに感銘を受けて起用した。 1919年にはドイツ人捕虜のカール・ユーハイムが日本初のバウムクーヘンを製造販売した展覧会の会場ともなり、 1921年に広島県立商品陳列所、 1933年に広島県産業奨励館に改称、 美術展や産業展示で広島の文化拠点として機能した。 1944年3月に奨励館業務を停止し行政・統制組合の事務所として被爆を迎える。 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒、 米軍B-29「エノラ・ゲイ」が原子爆弾「リトルボーイ」を相生橋目標に投下、 43秒後に建物の東150メートル・上空約600メートルで炸裂した。 地表温度3000℃の熱線、 秒速440メートル超の爆風、 350万パスカルの爆風圧により、 0.2秒で本体3階建てがほぼ全壊、 内部勤務者約30名全員が即死。 中央ドーム部だけが、 直上からの衝撃波・窓の多さによる吹抜・銅板屋根の溶融による爆風通過という3条件で全壊を免れた。 「原爆ドーム」と呼ばれるようになるのは1951年頃で、 当初は取壊し論も多く、 1960年代の風化進行で存廃議論が活発化した。 1歳で被爆し1960年に16歳で白血病で亡くなった少女・楮山ヒロ子の日記「あの、いたいたしい、産業商れい管だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか」が保存運動の引き金となり、 全国規模の署名・募金で1966年に広島市議会が永久保存を決議。 1995年に国の史跡指定、 1996年12月5日に第20回世界遺産委員会(メリダ会議)で「負の遺産」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。 2025年9月18日には近代建造物として全国初の特別史跡に指定された。

文化的背景と意義

原爆ドームは「戦争の記憶を後世に伝える物言わぬ証人」として、 アウシュヴィッツ強制収容所跡(ポーランド)・ゴレ島(セネガル)等とともに「負の世界遺産」と呼ばれるカテゴリーの代表例で、 1996年12月の世界文化遺産登録は登録基準(6)「顕著で普遍的な意義を有する出来事と直接かつ明白に関連するもの」に基づく。 登録時は米国・中国の反対意見もあり、 米国は「自国の戦時行動を国際的に非難される文脈で扱われる懸念」を、 中国は「日本の戦争責任が後景に退く懸念」を示し、 採決時に米国は「賛成不参加」、 中国は棄権した経緯がある。 楮山ヒロ子の日記、 保存運動を主導した「広島折鶴の会」、 都市デザインで原爆ドームを北の起点に据えた丹下健三の平和記念公園(1955年完成)は、 戦後日本の平和教育・公共建築・市民運動の交差点を象徴する。 大江健三郎『ヒロシマ・ノート』、 黒澤明『八月の狂詩曲』、 大友克洋『AKIRA』など多数の文学・映像作品にも影響を残し、 オバマ大統領の現職米大統領初の訪問(2016年)も世界的な平和の象徴としての位置づけを再確認する出来事となった。

建築的詳細

原爆ドームの旧広島県物産陳列館は、 設計者ヤン・レッツェルがネオ・バロック様式の骨格にゼツェシオン(ウィーン分離派)風の細部装飾を組合せた混成様式の鉄筋コンクリート建築で、 地上3階・地下1階・正面入口上部に楕円形ドームを戴く構成。 ドーム先端まで高さ約25メートル、 ドーム部の屋根材は他の3階部分の鉄骨ALCと異なり銅板で葺かれていた。 この銅板屋根が、 鉄(融点1538℃)に対して銅(融点1085℃)が低融点であるという物性により、 爆風到達前の3000℃熱線で先に溶融、 ドーム内部の空気圧上昇を防ぎ全壊を免れる主因となった。 鉄筋コンクリート造の壁体は1万箇所以上のひび割れが生じ、 1967年の広島大学佐藤重夫教授考案の工法(細いドリル穿孔・有孔鉄パイプ挿入・エポキシ樹脂圧入)で補強。 1989-1990年・2002-2003年・2015-2016年に大規模補強工事が実施され、 「動く廃墟」として補強と原状維持の絶妙なバランスで現代まで保存されている。

外部リンク

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