マウソロス霊廟
ムーラ県 · TR
古代世界の七不思議で唯一名前の語源となった、 マウソロス霊廟の今
トルコ南西部ボドルム (古名ハリカルナッソス) の丘に紀元前350年頃竣工した高さ約45mの巨大霊廟跡。 中世の地震と聖ヨハネ騎士団の石材転用で土台のみ現存、 彫刻群は大英博物館へ。 「マウソレウム」の語源となった世界の七不思議の一つ。
ベストシーズン・ベストタイム
気温18-22度の心地よい気候、 ボドルム半島が花咲く季節で観光客もまだ少ない遺跡見学のベストシーズン
★★★★★
夏の猛暑が去り日中20-25度、 エーゲ海の透明度も高くボドルム城とのセット見学に最適な時期
★★★★★
日中35度超の猛暑で日陰が乏しい遺跡見学は朝夕限定、 ビーチリゾートとの組合せ前提なら可
★★★☆☆
気温10-15度で観光客最少、 雨天も多いが大英博物館行きの予習なら静かな散策が楽しめる
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.土台と地下墓室が露わとなった発掘現場
1856年のチャールズ・ニュートン発掘で現れた基壇の輪郭、 棺の間へ続く階段、 散乱する大理石の柱片を遺跡公園として公開。 失われた45mの威容を想像力で再構築する考古学者の視座を体感できる。
北側展望テラスから階段跡と基壇を俯瞰する午前の順光
2.19世紀ファーガソンによる復元想像図
1862年に建築家ジェームズ・ファーガソンが復元した南東面想像図は、 ピラミッド型屋根の頂部に4頭立てクァドリガ、 36本の円柱、 戦士とライオン像が並ぶ往時の姿を伝える、 遺跡見学の予習として必見の図像である。
現地ビジターセンターの解説パネルと並べて図像を撮影
3.大英博物館に渡った巨大馬像と彫刻群
屋根頂部のクァドリガを引いた4頭の馬の1頭、 マウソロス像、 8頭分の獅子像、 アマゾノマキアの彫刻帯断片など主要遺物は1857年以降大英博物館の専用展示室 (Room 21) に収蔵。 現地土台とロンドン彫刻を往復して全体像が掴める。
ロンドン大英博物館Room 21中央の馬像と説明銘板を構図に
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.霊廟跡から徒歩約10分のボドルム城内「水中考古学博物館」は世界有数の古代沈船遺物コレクションを擁し、 同じチケット圏内ではないが連続見学でカリア地方の海運史と霊廟石材の転用先を一度に巡れる必須コース
- 2.現存遺構は土台と階段跡が中心で「期待外れ」と感じる訪問者が多いが、 入口の解説パネルとファーガソン復元図を先に頭に入れてから入ると遺跡の輪郭が一気に立体化し、 学びの密度が10倍になる体験ができる
- 3.本物の彫刻群を見たい人はロンドン大英博物館Room 21が必須巡礼地、 マウソロス像 (高さ約3m)・馬像・8頭の獅子像・彫刻帯は2024年現在無料で常設展示、 ボドルム訪問とロンドン訪問の前後どちらでも構造理解が深まる
訪問情報
- アクセス
- ボドルム=ミラス空港から車で約35分、 イスタンブール・アンカラから国内線。 遺跡はボドルム市街中心部、 バスターミナルから徒歩約10分、 ボドルム城から徒歩約10分の旧市街地内。
- 所要時間
- 遺跡公園と隣接の小博物館で1時間、 ボドルム城併用で半日が目安。
- 予算目安
- 遺跡入場料 約60トルコリラ、 ボドルム城は別途約200リラ、 ボドルム市街での昼食約250リラ。 (2024年時点、 公式サイトで確認)
周辺観光
徒歩約10分のボドルム城 (聖ペテロ城) は霊廟の石材転用先で内部に世界有数の水中考古学博物館を擁し、 ウル・ブルン沈船遺物が必見。 ボドルム古代劇場 (前4世紀建造) は徒歩約15分、 マウソロス時代の都市計画を体感できる。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 紀元前377年
マウソロス即位
アケメネス朝ペルシアのカリア州知事に父ヘカトムノスの後を継いで就任、 妹アルテミシアと結婚しハリカルナッソスを首都化
- 紀元前360年頃
リュキア併合
リュキア地方を併合、 同地の高所墓 (ネレイデス記念建造物等) の様式を自らの霊廟構想に取り入れる
- 紀元前353年
マウソロス没
マウソロスが他界、 妹であり妻のアルテミシア2世が単独統治と霊廟建設を引き継ぐ
- 紀元前351年
アルテミシア没
アルテミシアが夫の遺灰を混ぜたワインを飲み他界する伝説を残す、 工匠たちは工事続行を選択
- 紀元前350年頃
霊廟完成
ピュティオスとサテュロスの設計、 4彫刻家の合作で高さ約45mの霊廟が完成、 古代世界の七不思議の一つに数えられる
- 紀元前334年
アレクサンドロス陥落
アレクサンドロス大王がハリカルナッソスを陥落させるが霊廟は無傷で残存する
- 12-15世紀
地震で倒壊
連続する地震で柱とピラミッド屋根が崩落、 1404年の記録では基壇のみが残存していた
- 1494年
騎士団による石材転用
聖ヨハネ騎士団がボドルム聖ペテロ城の要塞化のため霊廟残骸の大理石を全て城壁建材へ転用
- 1856年
ニュートン発掘
大英博物館のチャールズ・トーマス・ニュートンが住宅地となっていた跡地を買収し基壇・階段・棺の間を発掘
- 1857年
彫刻群が大英博物館へ
発掘品と騎士団保存の彫刻が大英博物館に運ばれ、 専用展示室Room 21の中核コレクションとなる
- 1960年
盗掘トンネル発見
考古学調査で聖ヨハネ騎士団以前に盗賊が棺の間下にトンネルを掘り遺骨と副葬品を持ち去っていたことが判明
- 2024年
遺跡公園として公開
現在は遺跡公園と小規模ビジターセンターとして開放、 ボドルム城内水中考古学博物館との往復見学が定番化
歴史をもっと深く
マウソロス霊廟の歴史は、 紀元前377年にアケメネス朝ペルシアの属州カリアの知事 (サトラップ) を父ヘカトムノスから継いだマウソロスがハリカルナッソス (現ボドルム) を新首都に定めた時に始まる。 彼は紀元前360年頃にリュキア地方を併合、 ネレイデス記念建造物に代表される同地の高所墓の様式を自らの墓に取り入れる構想を生前から練っていた。 紀元前353年マウソロスが他界すると、 妹であり妻のアルテミシア2世は哀悼の象徴として最高の墓を造ることを決意、 プリエネのピュティオスとサテュロスを建築家に、 アテネのレオカレス、 ハリカルナッソス出身のブリュアクシス、 パロスのスコパス、 エピダウロスまたはアテネのティモテオスの4名を彫刻家に起用した。 アルテミシアは紀元前351年に夫の後を追うが、 工匠たちは「自らの名と技の記念碑」として工事を続行し、 紀元前350年頃に高さ約45m、 周囲を400以上の自立彫刻で囲んだ霊廟が完成した。 紀元前334年のアレクサンドロス大王によるハリカルナッソス陥落、 紀元前60年頃の海賊襲撃を経ても無傷で1600年立ち続けたが、 12世紀から15世紀の連続する地震で柱と頂部のピラミッド屋根が崩落、 1404年の記録では既に基壇のみが確認できる状態となっていた。 15世紀初頭にアナトリア南西部を制圧した聖ヨハネ騎士団がボドルムに巨大な聖ペテロ城を建設、 1494年の要塞化と1522年のオスマン帝国軍の進攻情報により残骸の大理石は全て城壁の建材へと転用された。 騎士団は工事中に棺の間を発見したが、 中身は既に何者かに略奪された後だったとされる。 ただし主要彫刻のいくつかは騎士たちがボドルム城内に保存し、 後にイギリス大使を通じて大英博物館へと渡る。 近代の発掘は1856年に大英博物館が派遣したチャールズ・トーマス・ニュートンに始まり、 古代著述家プリニウスの記述を頼りに住宅地となっていた跡地を買収して発掘、 基壇・階段・棺の間とクセルクセス1世名入りの壺を発見した。 1960年の調査では聖ヨハネ騎士団以前に盗賊が棺の間下にトンネルを掘って遺骨を持ち去っていたことが判明している。 現在は遺跡公園と小規模ビジターセンターとして公開され、 イスタンブール郊外の文化テーマパーク「ミニアチュルク」にも復元模型が置かれている。
文化的背景と意義
マウソロス霊廟は古代世界の七不思議のうち、 名前そのものが普通名詞「マウソレウム (壮麗な墓所)」として現代諸言語に残った唯一の建造物である。 英語mausoleum、 仏mausolée、 独Mausoleum、 露мавзолей、 日本語「廟」訳語にも影響を残し、 ナポレオン廟・タージマハル等の後世の壮麗な墓を呼ぶ語の起源となった。 紀元前350年頃のリュキア型高所墓+ギリシア神殿建築+ペルシア宮殿装飾の混成様式は、 ヘレニズム建築の先駆けとして後のローマ建築・ルネサンス建築・19世紀ボザール建築に影響を与え、 1900年代前半の戦争慰霊碑や政府庁舎にも採用された。 古代世界の七不思議6つの破壊物のうち最後まで残った建造物で、 ギザの大ピラミッドと並ぶ七不思議の物理的痕跡である。 トルコは世界遺産暫定リストに掲載するが、 彫刻群が大英博物館等の国外所蔵という事情から正式登録は未実現。 ギリシアのパルテノン・マーブル返還運動と並ぶ古典文化財返還論議の主要事例として国際的議論が続く。
建築的詳細
マウソロス霊廟は高さ約45m、 平面長辺約36m・短辺約30mの矩形プランで、 3層構成 (基壇・列柱層・ピラミッド屋根) の頂部に4頭立て戦車像を戴く混成様式の墓所建築である。 第1層は高さ約20mの基壇で外壁に神々と戦士・ライオン像を配置、 4方向の彫刻帯はスコパスが東面 (アマゾン族戦)、 ブリュアクシスが北、 ティモテオスが南、 レオカレスが西 (ケンタウロス戦) を担当、 ヘレニズム彫刻の到達点とされる。 第2層は36本のイオニア式列柱 (短辺9本×長辺11本) が囲み、 柱間に彫像を配して内側で大理石屋根を支える。 第3層は24段のピラミッド型石屋根で頂部に大理石製クァドリガを載せ、 御者は無人だったとの説が有力。 建材は基壇下部に現地産石灰岩、 表層と彫刻部にパロス産大理石を用い、 接合は鉛+鉄クランプと青銅ダボで連結した。 周辺は壁で囲まれた中庭式境内 (テメノス) で、 階段はライオン像で挟まれた。 全体プランはリュキアの高所墓 (クサントスのネレイデス記念建造物) を雛形に、 ギリシア神殿の柱列とエジプト・ペルシア由来のピラミッド屋根を組合せた混成様式の到達点で、 後世のヘレニズム・ローマ建築に決定的影響を残した。