アルテミス神殿
セルチュク · TR
古代世界の七不思議、 大理石127本柱の女神神殿が今は孤独な一本柱に
トルコ西部セルチュク郊外の湿地に立つアルテミス神殿は、 紀元前550年頃クロイソス王が築いた古代最大級の総大理石神殿。 現在は再建柱1本と基礎遺構が残るのみだが、 七不思議に列せられた女神信仰の聖域は今も古代史の象徴である。
ベストシーズン・ベストタイム
野草が遺跡周辺に咲き、 気温20度前後で快適、 コウノトリの繁殖期で柱の巣が活気づく
★★★★★
湿地は乾燥するが35度超の猛暑で日陰なし、 早朝7-9時か夕方17時以降の訪問が安全
★★☆☆☆
気温下がり訪問者減で静かに見学可、 夕方の斜光で柱の質感が浮かび上がる絶好の撮影期
★★★★★
湿地に水が戻り神秘的だが寒くぬかるむ、 雨具と長靴推奨で訪問者は最少
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.孤独な一本柱とコウノトリの巣
再建された大理石の柱頭にコウノトリが巣を作り、 古代と現代が同居する神殿跡の象徴的風景となっている。 紀元前550年と紀元前323年の柱断片を発掘出土物から組合せたもので、 高さ約14メートル、 当初127本あった柱の最後の証人である。
正午前の順光で柱とコウノトリ巣を入れた縦構図がベスト
2.湿地に沈む神殿基礎の遺構
縦115メートル横55メートルの神殿基礎が湿地に低く残り、 大理石の礎石・柱断片が点在する。 古代に湿地を選んだのは将来の地震対策で、 木炭と羊毛を敷きこんだ独特の基礎工法をプリニウスが記録した古代エンジニアリングの実物である。
東側の見学路から基礎全景を広角レンズで
3.多乳房のエフェソスのアルテミス像
セルチュク市内のエフェソス考古博物館に2体現存する豊穣多産の象徴像。 ギリシア本土の処女狩人アルテミスとは別系統の地母神で、 多数の乳房と城壁冠が特徴。 神殿に祀られた本尊の縮小複製として古代から信仰の中心であった。
博物館展示室の正面、 ストロボなしで腰位置低めから
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.神殿跡自体は入場無料の野外サイトで、 エフェソス遺跡本体・聖ヨハネ教会・考古博物館を含む4点セットで巡るのが定石。 セルチュク駅から徒歩15分の好立地で、 朝一番か夕方に行くと観光バス組と被らず静かに見学できる
- 2.発掘された柱断片の最良の浮彫は大英博物館ギリシア彫刻ギャラリーに展示中。 セルチュク考古博物館にはアルテミス像2体、 ウィーン美術史美術館にはヘラクレス殺害浮彫があり、 「世界に分散した神殿」と呼ばれる所以となっている
- 3.湿地の地下水位は季節で変動し、 冬-早春は柱の足元が水没して鏡面反射の絶景となる。 夏は乾燥して基礎の輪郭がくっきり見えるが日陰がないため帽子と水必須。 天候により表情が大きく変わる遺跡である
訪問情報
- アクセス
- イズミル・アドナンメンデレス空港から南へ約50km、 セルチュク駅から徒歩約15分。 イスタンブールから国内線+車で約2時間半。 エフェソス遺跡本体とセットで巡るのが定番。
- 所要時間
- 神殿跡見学のみで30分、 エフェソス遺跡+考古博物館と組合せて半日が目安。
- 予算目安
- 神殿跡見学は無料(2024年時点)、 エフェソス遺跡本体は別途入場料が必要。 詳細は公式観光案内で確認。
周辺観光
徒歩15分のエフェソス遺跡本体は古代地中海最大級の遺跡群で、 ケルスス図書館・大劇場・ハドリアヌス神殿などが揃う。 隣接の聖ヨハネ教会跡、 セルチュク考古博物館(アルテミス像現存)、 マリア生家とされるメリエマナも組合せ可能。 車30分のシリンジェ村のワイン醸造所もお薦め。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 紀元前8世紀後半
原初神殿の建設
ハードクレイ床の周柱式神殿が築かれ、 小アジア沿岸最古級のギリシア神殿となる。 1987-1988年の再発掘で確認された
- 紀元前7世紀
洪水による破壊
原初神殿が洪水で破壊され、 半メートル超の砂と漂流物に埋もれた。 北シリア由来の象牙浮彫板や琥珀珠が出土した
- 紀元前650年頃
キンメリア人の襲撃
復興された神殿が遊牧民族キンメリア人の襲撃を受け、 再び破壊・略奪される
- 紀元前550年頃
クロイソス王の大神殿建設
リディア王クロイソスの資金で建築家ケルシプロンが総大理石神殿を設計、 ギリシア世界最初の大理石神殿が完成
- 紀元前356年7月21日
ヘロストラトスの放火
名声欲に駆られたヘロストラトスが神殿に放火し焼失。 同日アレクサンドロス大王がマケドニアで生まれた偶然をプルタルコスが記録
- 紀元前323年
第三神殿の完成
アレクサンドロス大王の死後、 エフェソス市民の負担で柱127本の壮麗な再建神殿が完成、 七不思議に列せられた
- 1世紀半ば
パウロのエフェソス騒動
使徒パウロのキリスト教布教に反発した銀細工師デメトリオスらが2時間騒動を起こす(使徒行伝19章)
- 262年
ゴート人の破壊
ローマ皇帝ガリエヌス治世にゴート人がダーダネルス海峡を越えて襲来、 神殿に火をつけ略奪した
- 401年
完全廃絶
テオドシウス2世治世の宗教法令で完全に廃墟化、 残石はキリスト教教会など他建物に転用された
- 1869年12月
ジョン・ウッドによる再発見
大英博物館派遣の発掘隊が深さ4.5メートルの泥の下から神殿跡を発見、 東方古代発掘の先駆となる
- 1904-1905年
ホガース調査
イギリスの考古学者デイヴィッド・ホガースが先史時代まで遡る三層の重層構造を確認
- 1972年
現存柱の再建立
オーストリア考古学研究所バンマー隊が発掘断片を組合せて柱1本を再建立、 現在の象徴的風景となった
歴史をもっと深く
アルテミス神殿の歴史は紀元前8世紀頃の青銅器時代まで遡る。 1987-1988年の再発掘でハードクレイ床の周柱式神殿が紀元前8世紀後半に存在したことが確認され、 小アジア沿岸最古級のギリシア神殿である可能性が高まった。 紀元前7世紀の洪水で原初神殿が砂と漂流物に埋もれ、 北シリア由来の象牙製グリフォン浮彫板や涙形琥珀珠が出土した。 紀元前650年頃にはキンメリア人の襲撃で再び破壊された。 紀元前550年頃、 リディア王クロイソスの資金提供でクレタ出身の建築家ケルシプロンとその息子メタゲネスが本格的な大理石神殿を設計した。 縦115メートル横46メートル、 高さ約13メートルのイオニア式列柱が二重列で取り囲み、 ギリシア世界最初の総大理石神殿となった。 プリニウスによれば、 将来の地震対策で湿地に建設地を選び、 木炭と羊毛を敷きこんだ独特の基礎工法を採用した。 36本の柱には浮彫装飾が施され、 内部にはエンドイオスによる黒檀またはブドウ材製のアルテミス本尊が安置された。 ペルシア戦争・アケメネス朝支配を経て紀元前356年7月21日、 名声欲に駆られたヘロストラトスの放火で焼失した。 アレクサンドロス大王が同日生まれた偶然はプルタルコス・キケロらが記録している。 大王の再建申出は断られ、 紀元前323年大王の死後にようやく再建された。 再建神殿はパエオニウス・デメトリオスらの設計で柱127本(各高さ約18m)、 当時の世界最大級神殿となった。 ローマ帝政期も繁栄したが262年ガリエヌス帝治世にゴート人の襲撃で破壊・略奪された。 4世紀以降エフェソス市民の大半がキリスト教化し、 401年テオドシウス2世治世の宗教法令で完全に廃墟化、 残石は他建物に転用された。 1869年12月、 大英博物館派遣のジョン・ウッド率いる発掘隊が深さ4.5メートルの泥の下から神殿跡を発見した。 これはシュリーマンのトロイア発掘以前の東方古代発掘の先駆である。 1904-1905年のホガース、 1965年以降オーストリア考古学研究所バンマー隊による継続調査で全貌が明らかになり、 1972年には再建された柱1本(現存柱)が立ち上げられた。
文化的背景と意義
アルテミス神殿は紀元前2世紀のシドンのアンティパトレス、 ビザンチウムのフィロンが編纂した「古代世界の七不思議」のリストに含まれた7建造物の一つで、 ギザの大ピラミッドと並ぶ古代ギリシア・ローマ世界の建築の象徴である。 リスト掲載の理由はその美しさ・大きさだけでなく、 ギリシア世界の東の境界に位置しアレクサンドロス大王の帝国の広がりを象徴したためでもあった。 エフェソスのアルテミスは清純な処女狩人として知られるギリシア本土のアルテミスとは異なり、 多数の乳房を持ち豊穣多産を象徴する地母神的性格を持つ。 木製の本尊偶像は下半身が柱状で足首から先のみ自由になり、 魚の尾鰭らしき装飾を持つことから下半身が魚(知恵の神)を示唆するとされる。 城壁冠とウロボロス(自分の尾を口に入れた蛇)を象徴とし、 ローマ世界のディアナとは対照的な女神として崇拝された。 使徒行伝19章には1世紀半ばのパウロのキリスト教布教に対するエフェソスの銀細工師デメトリオスの反発が記録され、 「大いなるかなエフェソスのアルテミス」の叫び声で2時間にわたり騒動が続いた逸話は新約聖書の有名場面である。 神殿の発掘出土物は世界各地に分散し、 大英博物館のギリシア彫刻ギャラリー、 セルチュク考古博物館、 イスタンブール考古博物館、 ウィーン美術史美術館などで展示される「分散した世界遺産」となっている。
建築的詳細
アルテミス神殿は古代ギリシア建築のイオニア式オーダーを代表する建造物で、 大理石総製の最初期例として建築史上の里程標である。 第二神殿(紀元前550年頃)は縦115メートル横46メートル、 二重列の周柱で囲まれた周柱式(ペリプテロス)で、 柱は高さ約13メートル、 36本の柱には浮彫装飾が施された(プリニウス記録)。 第三神殿(紀元前323年再建)は柱127本(各高さ約18メートル、 二重列)で囲まれ、 当時のギリシア世界最大級の神殿となった。 イオニア式特有の渦巻き装飾(ヴォルート)を持つ柱頭、 アーキトレーブ・フリーズ・コーニスから成る水平エンタブラチュア、 三角形のペディメント(切妻)が古典ギリシア建築の典型を成した。 内部はプロナオス(前室)・ナオス/ツェル(主室)・オピストドモス(後室)の三室構成で、 主室には高さ15メートルのアルテミス本尊が安置された。 本尊は木製で顔と手足の先以外は黄金と宝石で装飾された。 マウソロス霊廟を手がけたスコパスを含む高名な彫刻家たちが柱の浮彫を競作したと伝わる。 基礎工法は将来の地震対策で湿地に建設地を選び、 木炭と羊毛を踏み潰した上に巨大基礎を築いた古代エンジニアリングの先進例で、 プリニウス「博物誌」が詳細に記録した。 大理石はセルチュク近郊のアフロディシアス・エフェソス産の良質白大理石が使われた。