ジャームのミナレット
シャラク地区 · AF
アフガニスタンの渓谷に佇む、 12世紀ゴール朝の黄金期を伝える60m煉瓦塔
アフガニスタン中部ゴール州の山岳渓谷、 ハリー川とジャーム川合流点に屹立するジャームのミナレットは、 1190年代にゴール朝スルターン・ギヤースッディーン・ムハンマドが築いた高さ約62mの煉瓦塔で、 2002年に同国初のユネスコ世界遺産・危機遺産として登録された幻の文化財である。
ベストシーズン・ベストタイム
高山の雪解けで渓谷に緑が戻り、 ハリー川の水量も増え塔の足元に水景が広がる撮影最盛期
★★★☆☆
気温が穏やかで渓谷を覆う埃も少なく、 煉瓦の色が最も鮮やかに見える季節
★★★☆☆
見どころ TOP 3
1.クーフィー体と幾何学模様の煉瓦装飾
焼成煉瓦の外壁に、 クーフィー体・ナスフ体のアラビア書道、 幾何学パターン、 トルコ石色釉薬タイルの帯が交互に積層、 マリア章をはじめとするクルアーン銘文が螺旋状に巡る、 ティムール朝以前のイスラム装飾の到達点を示す稀有な逸品である。
南東面の銘帯と装飾を午前光で順光撮影、 望遠で書道帯のクローズアップ
2.八角形基礎の上に伸びる60m単塔
八角形の煉瓦基壇から円筒形の塔身が垂直に立ち上がり、 内部に二重螺旋階段(各159段)が中央心柱を巻きながら2層の木製バルコニーへ通じる、 デリーのクトゥブ・ミーナールに直接影響を与えたとされるイスラム塔建築の系譜的傑作である。
渓谷底から見上げる構図で塔の高さと孤立を強調、 早朝の影が長い時間帯
3.失われたフィールズクーフを抱く渓谷景観
周辺19.5haの遺跡景観にはゴール朝夏の都「フィールズクーフ」(緑松石の山)の宮殿跡・要塞・陶器窯・ユダヤ人墓地が点在、 1957年の発見以降も盗掘と河川浸食で消失が進む、 中世イスラム都市の最後の物理的痕跡である。
山稜から渓谷とミナレットを俯瞰、 周辺遺跡の広がりが分かる広角構図
物語・伝説
こんな人におすすめ
現地で知るべき豆知識
- 1.外務省渡航情報はアフガニスタン全土を「レベル4・退避勧告」に指定中(2024年時点)、 商用観光ビザは発給停止、 報道・国際機関関係者を除き渡航は不可能、 訪問計画は立てずユネスコ世界遺産センター公式ページのバーチャル資料を活用する
- 2.2014年BBC報道で「倒壊の危機」と公表、 ハリー川の浸食が土台を毎年削り、 ユネスコ・イタリア政府が2002年以降緊急補強を継続中だが恒常工事には至らず、 訪問記録は2010年代以降ほぼ途絶える貴重な文化財状況である
- 3.デリーのクトゥブ・ミーナール(1192年起工、 インド・世界遺産)はこのミナレットの直接影響下にある建造物で、 ジャーム本体への訪問が不可能な代替として、 デリーの実物を見て建築系譜を体感するのが現実的な代替訪問となる
訪問情報
- アクセス
- アフガニスタン中部ゴール州シャラク地区、 ハリー川合流点。 2021年以降タリバン政権下で観光ビザ発給停止、 渡航勧告レベル4で現地訪問は実質不可、 公式情報はユネスコ世界遺産センターで確認。
- 所要時間
- 現地訪問不可、 オンライン資料・ドキュメンタリーで1-2時間。
- 予算目安
- 現地訪問は実質不可、 オンライン資料は無料。 ICESCO・ユネスコ世界遺産センター・BBC等の映像資料での代替鑑賞を推奨。
周辺観光
陸路2-3日のヘラート州にはユネスコ暫定リストのガズナ・ミナレット群・友好の塔・モスク群・古城が点在、 同じくゴール州内には未指定だがゴール朝期の遺構が多数残り、 ジャーム再発見の延長で学術調査の対象となってきた。 ただし全域が渡航勧告レベル4で現地巡礼は実質不可。
詳しく知る
時間のある方向けの詳細情報。
年表
- 1148年
ゴール朝の興隆
アフガニスタン中央高地でゴール朝が建国、 後のスルターン・ギヤースッディーンの父サイフッディーンが王朝の礎を築く
- 1186年
ガズナ朝撃破
ギヤースッディーンと弟シハーブッディーン兄弟がガズナ朝最後の王ホスローを破り、 中央アジア・北インドを版図とする大帝国を確立する
- 1190年代
ミナレット建造
ギヤースッディーン・ムハンマドの命でフィールズクーフ近郊にミナレットが築かれる、 建築家はアフマド・イブン・イブラーヒーム・アル=ナイサーブーリー
- 1215年
ゴール朝滅亡
ホラズム・シャー朝の侵攻でゴール朝が滅亡、 続いてフィールズクーフはモンゴル軍に破壊され渓谷は人跡稀となる
- 1886年
英印帝国の記録
英印帝国陸軍中尉トーマス・ハンガーフォード・ホールディチがハリー川流域踏査中に塔の存在を記録するが学術界に伝わらず
- 1957年8月
近代の再発見
アフガン人考古学者アフマド・アリー・ハーン・コフザード率いる探検隊が現地で塔を確認、 アンドレ・マリクの公表で再発見が成立する
- 1960年代
イタリア調査隊の発掘
イタリア人建築家アンドレア・ブルノが渓谷で発掘調査を行い、 出土文物はカーブル美術館に納められる
- 1979年
ソ連侵攻と戦乱
ソ連のアフガニスタン侵攻以降、 内戦・タリバン政権・米軍侵攻と続く戦乱で文化財盗掘が遺跡を襲い、 学術調査もほぼ途絶する
- 2002年6月
世界遺産・危機遺産登録
第26回世界遺産委員会(ブダペスト会議)でアフガニスタン初の世界遺産として登録、 同時に危機遺産リストにも記載される
- 2014年
倒壊危機の報道
BBCがハリー川の浸食で塔が「倒壊の差し迫った危機」にあると国際報道、 ユネスコの緊急対応が再度問われる
- 2020年
ICESCO認定
ICESCO(イスラム教育科学文化機関)がアフガニスタン初のイスラム文化遺産として認定、 国際的注目が高まる
- 2021年8月
タリバン政権復帰
タリバンが首都カーブルを制圧し政権復帰、 外国人観光ビザ発給停止と国際機関のアクセス制限により遺跡の状況把握が困難となる
歴史をもっと深く
ジャームのミナレットの歴史は、 1148年からアフガニスタン中央高地に勃興したゴール朝(グール朝、 1148-1215)の最盛期に始まる。 7代スルターン・ギヤースッディーン・ムハンマド・ビン・サーム(在位1163-1202)は、 兄シハーブッディーンと並んでガズナ朝を1186年に滅ぼし、 北はホラサーン、 南はインド・ガンジス川流域までを版図とする大帝国を一代で築き上げた。 ミナレットは1190年代(諸説あり、 1175年・1194年説が有力)にフィールズクーフ(緑松石の山、 ゴール朝夏の都)近郊の渓谷に建造された。 建築家アフマド・イブン・イブラーヒーム・アル=ナイサーブーリーが塔身の銘帯にカーシッブ体で署名を残す。 構造は八角形煉瓦基壇の上に円筒形塔身が立ち上がり、 高さは62mまたは65mの諸説があり、 内部には159段の二重螺旋階段が中央心柱を取り囲んで2層の木製バルコニーへ通じる構成。 外壁は焼成煉瓦・漆喰・テラコッタ・トルコ石色釉薬タイルで装飾され、 螺旋状の銘帯にクルアーン第19章「マリア章」全体と建立者名・建築家名が刻まれる。 建造の目的は学術的に未解明で、 (1)ガズナ朝撃破の凱旋記念碑説、 (2)失われたモスク・ジャーミの遺存ミナレット説、 (3)スルターンの墓塔説、 (4)ゴール朝高貴な女性が発注したと示唆する一部碑文の解読など諸説併存する。 1215年のゴール朝滅亡後、 フィールズクーフはモンゴル軍に破壊され渓谷は人跡稀となり、 ミナレットは700年以上記憶から消えた。 1886年に英印帝国陸軍中尉トーマス・ハンガーフォード・ホールディチがハリー川流域踏査中に塔の存在を記録するが学術界に伝わらず、 1957年8月18日にアフガン人考古学者アフマド・アリー・ハーン・コフザード率いる探検隊が現地で確認、 続いてフランス人アンドレ・マリクが地理的記述を公表し再発見が成立した。 1960年代にイタリア人建築家アンドレア・ブルノが発掘調査を行い、 出土文物はカーブル美術館に納められた。 1979年のソ連侵攻、 ムジャヒディン内戦、 タリバン政権、 2001年米軍侵攻と続く戦乱で文化財盗掘が遺跡を襲い、 ハリー川の浸食は土台を年々削り続けた。 2002年6月、 第26回世界遺産委員会(ブダペスト会議)でアフガニスタン初の世界遺産として登録されると同時に「危機遺産リスト」にも記載される事態となった。
文化的背景と意義
ジャームのミナレットは、 11-13世紀に中央アジア・イラン・アフガニスタンに約60本建造されたイスラム塔群(ガズニ、 オールド・ウルゲンチのクトゥルグ・ティムール等)の系譜のなかでも、 現存する単独立てゴール朝期作例として比類なき地位を占める。 デリーのクトゥブ・ミーナール(1192年起工)を着工したクトゥブッディーン・アイバクは元ゴール朝将軍であり、 ジャームの構造・装飾語彙をインドへ直接持ち込んだ、 中世イスラム建築のインド亜大陸伝播の連結点である。 銘帯にマリア章が選ばれた点は、 イスラムでマリアムが女性聖なる典型として尊敬される位置づけを反映し、 ゴール朝高貴な女性発注説の根拠の一つとなる。 2002年の世界遺産・危機遺産同時登録は登録基準(ii)(iii)(iv)に基づく。 2020年にはICESCOが同国初のイスラム文化遺産と認定。 タリバン政権下(2021-)の保護状況は国際機関のアクセス制限で実態把握が困難である。
建築的詳細
ジャームのミナレットは焼成煉瓦・漆喰・テラコッタを主材とする鉄筋を持たない純煉瓦造の高層単塔で、 設計者アフマド・イブン・イブラーヒーム・アル=ナイサーブーリーが塔身にクーフィー体で署名を残す。 構造は八角形の煉瓦基壇(各辺約8m)から立ち上がる円筒形塔身が高さ約62m(諸資料で65mの記述あり)で、 上部には木製ランタンと2層の木製バルコニーを戴く。 塔内には中央心柱を巻く二重螺旋階段(各159段)が2層のバルコニーに通じ、 階段は塔底で幅約1.4m、 頂部で約1.0mまで漸減する。 各階段は4列の煉瓦敷きで構成され、 中央心柱と外壁に交互に組み込まれる構造的工夫が見られる。 外壁装飾は最も特徴的で、 (1)クーフィー体角型書道帯、 (2)ナスフ体筆記体書道帯、 (3)幾何学パターン帯、 (4)トルコ石色釉薬タイル帯が螺旋状に積層、 クルアーン「マリア章」全体・建立者名・建築家名が刻まれる。 同時期のガズニ・マスード3世のミナレット(現存高さ20m)と形状語彙が酷似し、 後のクトゥブ・ミーナール(72.5m)の直接祖型となった。 浸食対策としてユネスコ・イタリア政府は2002年以降ガビオン(石詰めワイヤーケージ)による河岸補強・基礎注入を断続実施しているが、 戦乱とアクセス困難で恒常的工事には至らず、 2014年のBBC報道では「倒壊の差し迫った危機」と評された。